2008年05月06日

Machinery of Human Action?

Trackbackにあった”哲学はなぜ間違うのか”というBlogを少し読んで思ったことを書いておく。
このBlogの作者は、かなり優秀な科学者の方のようだ。しかしこういった考えは昔からあるもので、一種の人間機械説といえると思う。私は一概にこういった考えは否定しない。
私自身も一応理系出身であるから、高校の頃はこのような考えにかなり近かった。
そして新しい科学技術の知見を加えて、このような人間機械説は繰り返される。しかし重要なのは、新しい科学技術であり、人間機械説の方はどうでもいい。

むしろ”自然科学はなぜ間違うのか”という問いの方が意味がありそうだ。
本来、自然科学は間違えるからスバラシイのであるが、これは科学者に間違える自由があるからに他ならない。では何故科学者は間違える自由があるのかといえば、それが純粋に自然科学的である限り、間違っても人にあまり迷惑をかけないからだ。一方、発明発見の社会的便益は大きい。
科学とは基本がそういった知能ゲームという色彩が強い。

だが社会科学のような似非科学となると、そうはいかない。実験をして間違えれば社会に甚大な被害を及ぼす。似非科学は決して間違ってはならないのである。
だが、社会工学は、絶対的な政治的権力を背景として、悲惨な社会実験なるものを繰り返してきた。似非科学者、社会工学者の自由とは自由ではなく政治的な権力に他ならない。

真の自然科学者であるなら、なおのこと、似非科学者達の実験を終わらせる必要があるといえるだろう。
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2008年05月04日

J.S.Mill was left

フリードマンの「資本主義と自由」のアマゾンの出版社の内容紹介で次のようにある。
「ジョン・スチュアート・ミル『自由論』、フリードリッヒ・ハイエク『隷従への道』と並ぶ自由主義(リバタリアニズム)の三大古典の1冊。」

これらを3大古典と一体誰が読んでいるのかしらないが、リバタリアニズムやクラシカルリベラルにミルを入れるのは何も分かっていない証拠だ。
ミルはクラシカルリベラリズムとも全く異なるのである。
例えばハイエクはミルの残した大量の手書き原稿を含めて数年かけて詳細に研究したらしいが、ミルはconstructivistでありダメだと言っている。つまりミルの自由はpositive libertyであり、リバタリアニズム〜クラシカルリベラリズムの消極的自由とはかけ離れているということだ。
ミルはむしろプラグマティズムの流れ(utilitarian)であり、リバタリアニズムと混同するととんでもないことになる。

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Paradox of efficient market hypothesis

「天才数学者、株にはまる」 John Allen Paulos
をざっと読んだ。
これは、タレブのFooled by Randomnessよりもはるかに良い本だ。
タレブの本はキワモノ本であるが、この本は書いていることが正確で示唆に富む。
例えば、9章の”投資理論はパラドックス”という章で、次のように書いている。

効率的市場仮説が正しいなら、ほとんどの投資家はその仮説を信じていない。
効率的市場仮説が間違っているなら、ほとんどの投資家はその仮説を信じている。

全体として、ほとんどの投資家やウォール街のプロたち、そしてどこにでもいあるアマチュアたちは効率的市場仮説を信じていないわけで、したがって仮説はなりたっていると思うが、それは大雑把に言えば成り立っているというだけであり、また多くの場合成り立っていると言えるに留まる。


これは非常に正確な表現といえるだろう。実際のところ、効率的市場仮説は数学的に扱いやすくするために前提に過ぎないのであるから仮説を現実の本質と見るのは間違いだ。
つまり効率的市場仮説を信じている人間は、Passive投資をするはずだ。100%の人間がこの仮説を信じているとした場合、100%の人間はPassive投資しかしないから、効率的市場仮説の前提である、情報を株価にいち早く反映させる行動をとらないことになる。するとこの仮説は成り立たなくなるというわけだ。

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2008年05月03日

Securitization of Organization

いうまでもなく組織とは人間集団であり、また組織活動とは人間集団の活動である。 組織の中には、多くの契約が存在する。
組織の従業員であることにも契約があるし、組織が取引を行うことも契約だ。組織をこのような”契約の束”として考えることで、その”契約の束”を証券化(securitize)することが可能になる。
つまり、組織そのものを証券化することで、人間集団というとらえどころのないものに、所有権が発生する。(ちなみに当然だが人間に対する所有権ではない。契約に対する所有権だ)

#しかし、この契約を介した組織というのは既に、ゲマインシャフト的な、つまり村落共同体、家族共同体的な組織とは異なる。
とりあえず会社組織を考える上では、このレベルで一旦止めておくのがいい。

つまり、契約の束である組織を証券化して株式会社にする仕組みと、株式を公開市場に上場するシステムは別に考えないといけない。

上場システムと有限責任特権の関係を考えてみよう。
まず、株式市場への上場システムは、資金的なレバレッジを得る仕組の一つである。
現在、上場が許される会社は、株主が有限責任の株式会社に限られる。
もし、この際、株主の有限責任という条件がなければ、無限責任の一端を株主が負うことになるからマーケットに上場しても買い手がつかないかもしれない。
株主になるリスクが大きすぎるからだ。
コロンブスの時代の航海船は、いかに莫大な費用がかかろうとも、損失の上限はきっかりと決まっていた。だから費用を分散で負担している株主は有限責任で全く問題がなかったわけだが、近代の会社組織は損失の上限が決まっていない。
そういった違いがあるにもかかわらず、国家権力により気前よく”株式会社は有限責任でOK!”としたのが、制度上の大飛躍であったと考えられる。

もちろん、上場と引き換えに様々な義務を負うことになるが、それでも株主=所有者にとって、大層、好都合なことだ。
こう考えると、現代の株式会社の有限責任制度は、株式の公開マーケットへの上場システムと切り離せない関係にある。そうでなければ、有限会社が上場できない理由がない。

問題は、資金的なレバレッジを与える仕組みとして、上場システムしかないのか否かだ。
企業にとって証券市場への上場はあくまでも資金調達が目的であり、多くの人と会社を共有するのが目的ではない。
創業者が会社を上場させるインセンティブとなっているのは、当初は株式を自分で大半を所有しているために、上場によって一攫千金のキャピタルゲインを得ることがある。だが、経営が好調でキャッシュフローが潤沢で、資金面で苦労がなければ、無理して上場する必要もない。
サントリーとか優良な大会社が上場していないのは、そのためだ。創業者にとっては、利益が沢山出ている限り、”自分の会社”として独占していたほうがいいに決まっているのである。
#ちなみに、世界最大のプライベートカンパニーは、コーク(Koch)の創業した会社(Koch industries)で、コーク兄弟は世界の大富豪の5本の指に入る。このコークこそは、リバタリアニズムの世界最大のパトロンでもある。コークは、自分が生きている限り、上場することはありえないといっている。

株式会社として有限責任特権を得つつ、株式上場ー株式公開はせずに私的な会社としているのが最もメリットがある。
さらにいえば株式会社への有限責任特権を取り払ってしまえば、わざわざ株式会社にする必要すらない。
さらに資金的なレバレッジを得る有効な仕組みがほかにもあれば、上場の必要性も小さくなる。このように考えていくと、株式会社=有限責任としなければならない制度上の必然性もほとんどないことになる。例えば、新製品の研究開発に対する資金が足りなければ、そのプロジェクトに対する資金を募るというのでもいいわけだ。何も株券を担保にしなくても、その利益に対する分配金を払えば済むだろう。

この場合は、一族経営が基本となって経営と所有が分離されないことが多いだろう。もちろん、創業者一族以外は奉公人でしかないが、経営をプロに任せることも当然できる。
おそらく、リバタリアニズム的には、政府による有限責任特権は認めるべきではない。無限責任の前提では、株式証券の市場化は、現在のような形ではできないだろうが、保険とセットにした仕組みなどいろいろと私的な制度的発明は考えられるに違いない。
 
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2008年04月29日

System vs. System

100YenshopもといBookOffでFinantial Japanの6月号が早くもあったので、既にざっと立ち読みはしていたのだが買ってみた。
この雑誌は、木村剛氏のカラーがかなり出ているのだろうが、掲載内容というか主張にはちぐはぐな部分がある印象もある。これはバランス感の悪さを感じさせる。 いろんな編集者がいるということだろうが、主張を一貫させない限り、クオリティペーパーにはなれない。
この雑誌の中で、某投資本を批判している。勝率8割のデイトレーダーはどこにいる?という批判だ。私はもとよりこの本は読んだことはないが、この批判は間違っていることはすぐに分かる。
つまり勝率とトータルの利益率とは違うのである。批判している人間にこの基本的区別がついてないのだろう。

1回の取引で少しでもいいからプラスになれば勝ちとカウントして、全取引回数における勝ち率が8割になるのは珍しいことでも難しいことでもない。
往々にして、そういったシステムは利益率がうんと低いだけだ。
言うまでもなく肝心なのは利益率であるから、通常は、あえて勝率を低くして利益率を追求する。
例えば勝率80%で利益率3%と、勝率30%で利益率が50%なら、後者を普通は選択することになるし、それが一般的だということだ。

この雑誌のスタイルは木村剛氏らしくポートフォリオ戦略が基本スタンスとなっているのだろう。学校でファイナンス理論を勉強した人間は、投資の真実を知ったような気になり、それを盲信する一方で、アクティブ投資を頭ごなしに否定する傾向が見られるが、これはまず間違いだと断言しておこう。

ただ普通にアクティブ投資で勝とうとするのは、コンピューターと人間が勝負するようなものだから、あまり勝てない、もしくは勝つのが非常に困難なのが事実であろう。
アクティブ投資は、もはや人間が素手でやるものではなく、システム対システムの戦いとみるのが正解だろう。

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2008年04月26日

What is Fascism?

What is Fascism?
by John T. Flynn

http://mises.org/story/2903

ムッソリーニのファシズム(syndicalism)の詳細な分析。結構長いが面白かった。
イタリアのムッソリーニのファシズムがどういうものかはあまり知らなかったが、社会主義との違いが良く分かった。
簡単に言えば、政府の公共事業=財政支出によって、社会はどんどん豊かになるという嘘を盛大にやったのだ。ファシズムにおいて、いわゆる資本主義制度(capitalist system)は否定されない。
ただ、それは政府に全てがコントロールされるのが正しいという考えだ。
そして財政均衡を謳いながら、実態は巨大な財政支出を行っていた。実際はイタリア人らしく借金を踏み倒しつつ、嘘データを公表していたのでマジックのような好景気が一時的に起きたのだ。
特に、このメディアを全て掌握することで、嘘をまかり通らせたというのが大きい。
今の日本とあまり変わらないかもしれない。

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Prison Nation

 

Llewellyn H. Rockwell, Jr.のコラムを少し紹介しよう。
Prison Nation
http://mises.org/story/2957

アメリカは驚くべきことに世界で最も監獄の好きな国になっている。
今では、成人の100人に一人以上が監獄で暮らしている。
NYTimesによると、アメリカでは200〜300万人が監獄につながれている。
中国はアメリカの4倍の人口があるが、囚人の数は160万人だ。
囚人の数を人口比でいえば、次のとおりとなる。
アメリカは10万人あたり751人。一方、ロシアは同627人、キューバは531人となり、世界平均では125人だ。

アメリカのこのトレンドは1980年代からのものであり、その原因の大半は麻薬法の改正によるものだ。
1925年から1975年にかけてのUSの囚人比率は110で、世界平均よりも低かった。
この傾向は1980年代になって急激に変化した。1980年には3万人がドラッグで監獄につながれていたが、今では50万人がドラッグで囚人となっている。

ドラッグ以外の要因として、今では殆ど全てのことが刑罰(criminalization)の対象となっていることがある。

監獄の意味を考える必要がある。監獄につながれた人間は国家の奴隷だ。これは究極の人間の尊厳に対する暴力なのだ。
囚人は、罪の代償を払っていると言われるが、その代価を受け取る人間はいない。彼らは犯した罪の負債を払っているわけではなく、ただ無為に時間を過ごしているだけだ。しかし納税者は囚人一人あたりに25000ドルの費用を払っている。彼らは社会にとってコストでしかない。
刑務所は人を更正させたりしない。ジョージバーナードショーが言ったように、「刑務所に入れられたら死ぬのと同様に取り返しがつかないことになる。」

政府は毎年440億ドルを刑務所の維持にかけている。
今アメリカでは不法ドラッグは1000億ドルの産業だが、ドラッグ戦争には190億ドルの税金を投入している。同様に司法システムのコストはうなぎのぼりだ。(この25年間で418%の上昇)

麻薬使用の犯罪化によって、麻薬はさらに深く地下に潜っただけだ。刑務所の中でもドラッグマーケットは非常に盛んというのが究極の皮肉である。
また司法任命の政治化によって、裁判官は犯罪へのより厳しい判決を競うようになっている。

さらに、いままで語られることのなかった要因としては、刑務所産業のロビー活動そのものがあげられる。刑務所産業複合体がどれほどの規模なのかはまだ掴めていないが、あらゆる業界が刑務所というミニチュアの社会を作るのにかかわっている。
監獄とは、Statismの究極のシンボルなのだ。

 
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2008年04月25日

Adam Smith and Virtues

アダム スミス 堂目卓生著 中公新書

この本を読んだが、ややダルな本であった。この本を読むよりは、竹内靖雄氏の「経済倫理学のすすめ」中公新書をお奨めする。
竹内靖雄氏は、古くからリバタリアニズム的な主張を著書で書いているが、残念ながらリバタリアニズムの紹介であるというネタを明らかにしてこなかったと思う。(竹内氏の本は多くは読んでないので知らないが。)最近、この本をぱらぱらと再読して、理解はたしかだと思った次第だ。法哲学系の連中が書いているリバタリアニズム本よりも竹内氏の本はずっと良いと思う。
#日本の法哲学系でリバタリアニズムを”研究”している連中は、根が左派リベラルであり、決してリバタリアンではない。

スミスとヒュームは親しい友人だったことは知られているが、改めていうまでもなく、この2人こそは、クラシカル リベラリズムのGodだ。だからスミスについて書こうとしたら、マクロスキーくらいの決意を持って書かなければならない。↓過去ポスト参照
http://libertarian.seesaa.net/article/37255142.html
#前にも書いたが、マクロスキーの「ノーベル賞経済学者の大罪」も、面白いのでお奨めだ。


スミスの国富論は、次に原文がある。
http://www.econlib.org/LIBRARY/Smith/smWN.html

国富論の中に出てくるinvisible handは、次の1個所だけ。

He generally, indeed, neither intends to promote the public interest, nor knows how much he is promoting it.
By preferring the support of domestic to that of foreign industry, he intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his own gain, and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention. Nor is it always the worse for the society that it was no part of it.
By pursuing his own interest he frequently promotes that of the society more effectually than when he really intends to promote it.
I have never known much good done by those who affected to trade for the public good.

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2008年04月23日

Jim Rogers's anger on FRB

悔やまれるのは、なぜ景気後退をもっと早く起こさせることができなかったかということだ。景気後退には経済システムを正常化させる機能がある。それを恐れ、金融緩和で絆創膏を張ってきたFRBには怒りすら感じる。
http://diamond.jp/series/dw_special/10016/
 

ジム ロジャースのインタビュー記事が載っている。
ロジャースの見解はリスペクトに値すると私は思っている。
ロジャースは、山勘の山師ではなく超インテリのリバタリアンだ。
特に大局観に優れた投資家であり、短期投資は下手だと自分でも言っている。
景気後退も、市場の自然なサイクルの一つとして見ていて、それに対し余計なことをしてはならないと考えているのだろう。
レッセフェール的な市場観と現実政策とのギャップを客観的に判断することがロジャースの大局観のもととなっているのかもしれない。

 
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2008年04月22日

On Iwai Katsuhito or a profound A-hole

Finantial Japan6月号の特集「会社は誰のものか」を本屋で少し立ち読みした。
相変わらず岩井克人がアホ(=A-hole)なことを得意になって話している。
その後の記事で、矢野朝水という人が、「会社は誰のものか」などというばかげた議論は
いい加減にやめろと書いている。株式会社が株主のものなのは当たり前であり、こんなことが議論になっている国は日本だけだと言っている。こちらは至極、まっとうな意見である。

要するに岩井は法律をまったく知らないし、それ以前に法律の基本的な読み方すらもしらないのだ。
東京財団というところで、「会社は誰のものか」という研究を金もらって、やっていたようだが、 そこでのインタビュー記事がある。
http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=12

この対談相手の加藤秀樹会長というのは、大蔵官僚の天下りのようだ。
この東京財団というのは、もともと日下公人とかが会長をやっていたところだったと思うが、天下り財団になったのだろうか?
これから少し引用すると。

==
加藤 最近の市場には、株を今日買って今日売るというデイトレーダーのような人も多く参加しているわけですが。

岩井 そうですね、株主には2種類あります。長期的にインベストをしてくれて、長期的に会社を育てようとしてくれる株主と、短期的に利益を稼ぐことを狙っていて会社の業績を見ずにチャートだけを見て取り引きしている株主の、2種類の株主が共存していて、しかもだんだん後者のウエートが増えてきています。
==
岩井がここで言っていることは、あの亡国のクズ役人、北畑事務次官の発言と同じではないか。もしかしたら北畑は岩井から会社法の講義でも受けたのかもしれない。w
”長期的に会社を育てようとしてくれる株主と、短期的に利益を稼ぐことを狙っていて会社の業績を見ずにチャートだけを見て取り引きしている株主”というが、株主に、会社を育てるとか育てないといった区別などない。おそらく岩井は議決権をもった株主として扱われる条件すら知らないにちがいない。

これでは、小学生が知ったかぶりして”会社は誰のものか”を学級会で議論しているのと同じだ。
一体こんな低脳な人間に高給を税金で払って東大教授をさせていてよいのだろうか?

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2008年04月21日

Stay foolish

基本的に、自由主義と民主主義は相反するものだ。
民主主義とは、基本が全体主義なので民主主義者=全体主義者であり、つまりは社会主義者だ。
私はこれが今の日本社会の本質ではないかと思う。
この洗脳を解かないと、社会は正常化しないだろう。やはり教育制度の自由化、文部科学省の恒久廃絶の優先順位は高そうだ。

民主主義という名の社会主義を義務教育で徹底的に洗脳している以上、まじめで物分りのいい秀才君ほど全体主義者になってしまう。これはどこの国でもそうだ。中国の紅衛兵しかり。
私は、もとより全然まじめでもなく、反抗的かつ、かなり物分りの悪い人間であるから、このような社会には幼少の頃より常に違和感を感じてきたわけだが、私に言わせれば、紅衛兵になるくらいなら、バカのままのほうがいい。そのほうがずっと人間の格が上といえよう。

たしかに池田氏がいうように、本来、社会に目的はない。だが社会に目的がないということと、社会の目的が自由にあるということとは矛盾しない。
前者の”目的”とは、共通の積極的な価値であり、後者の目的は、消極的な価値と置き換えればわかりやすいかもしれない。

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2008年04月19日

Rising Food Prices and Public Policy

ベッカーポズナーBlogで食料品の価格高騰について論じている。
http://www.becker-posner-blog.com/

少し内容を紹介しておこう。
ベッカーによると、

”去年のアメリカのトウモロコシ生産量の4分の1、またトウモロコシの世界生産の11%はバイオ燃料に使われた。
さらに、石油価格の高騰によって、穀物価格があがった。またドル価値の下落も石油や穀物価格を上げている。
さらに、大豆などの他の穀物のトウモロコシへの転作が大規模に起こった。
つまるところ、これは、世界人口の増大というマルサス的なモデルによる価格高騰ではない。

また農業生産国では次のような負のサイクルが起きている。
穀物価格の急騰→都市部での暴動→生産国(エジプトやハイチ、ベトナム)での穀物の輸出制限による国内価格の抑制→世界の穀物価格のさらなる上昇→生産国の農家の収入が減少→生産性の低下(本来なら価格が上がれば生産も増大する)→貧富の格差の増大
つまり、途上国では都市部の政治的影響力が強いために、輸出制限を行い、アメリカのような豊かな先進国では農村部の政治力が強いために、エタノール助成金のようなエネルギー浪費的な政策が維持されるのだ。”
としている。
ポズナーのコメントとしては、エタノール助成金やそれと類似の助成金、例えばEUにおける遺伝子組替作物の全面的な禁止、さらに農産物への関税は原則として廃止することで、食料供給を増大させることはできるが、圧力利益団体の存在によってそういった改革は難しくなっているとしている。
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Marketing of Libertarianism


ミルトンフリードマンの「資本主義と自由」が日経BP社から新訳で復刊したが、その後書きを高橋洋一氏が書いている。私は本屋で後書きのところだけ、立ち読みした。
しかしこのフリードマンの名著を持っていない人間は、すぐにでも買って読むべきだろう。

その後書きの中で、なぜ自由化をするのかという現状肯定派の問いに対して、高橋氏は本来、自由が原則であって、それを規制するのであれば規制する側に挙証責任があると書いている。だが、現状は規制された状態がデフォルトであるので、自由化する側に挙証責任を転嫁されてしまう。そこで、これを説明するのに、高橋氏は”フリードマン論法”を用いたそうだ。
つまり、規制状態の問題をつらつらと挙げたわけだ。

こういう挙証責任の転換は、現代の自由主義論者には常につきまとう。殆どの人間は現状肯定的な感覚で動いているから、現実を正常化するのだでは通らず、改革、進歩させると主張しないと現状を変えることはできない。

さらにいえば市場とかマーケットという概念も、自明のようで自明ではない。
自由主義=市場主義というのもなかなか理解されにくいようだ。
こういった正しい経済学概念を日本人は教わる機会がほとんどないからだ。
そもそも教える側がそれを全く理解していないのだから話にならない。

市場主義=自由主義が優れているというのは、単に効率性の問題ではない。それは当然すぎるモラルの問題であり、「自由の価値」を当然の共通認識として話すことが出来ないことへのいらだちは残る。

また市場主義と設計主義を、効率の比較として論じるのは意外と難しい。
設計主義(=constructivism)の害悪について、ハイエクが批判した40年代頃は情報問題として原理的かつ抽象的な批判することしかできなかった。そもそも当時はConstructivismは50年くらいの歴史しかなく、それはまだ実験の途中段階だと考えられていた。
つまり設計主義は理想主義的かつ高邁な科学的試みで、さらには実験によって科学のようにどんどん進歩していくものといったイメージで捉えられていたのである。

このロジックを否定するのは、簡単ではない。もちろん社会主義の凄惨な実体が明らかになった現代では、それを事実に基づいて批判することは容易だ。だが、それだけでは必ずしも反証にはならない。なぜなら社会主義とは”永遠の実験”なのだから。
ハイエクの情報説による設計主義批判は原理的な批判ではあったが、これも完全な批判としては充分ではないかもしれない。
実際、ハイエクの設計主義批判は、社会主義〜共産主義というラディカルな設計主義の失敗に関する実証データによって社会的に受け入れられた。つまり必ずしも理論的な勝利として受け入れられたわけではなかった。
しかし、このハイエクの情報理論による設計主義批判は、その後のPositivism批判にダイレクトに結びついている。ハイエクの頭の中では、当初からPositivism批判もしくは消極的価値の擁護という、かなり説明の困難なイメージがあり、情報論を持ち出したのは、苦労してそれを具体化したものだったに違いない。

効率性を論拠とした設計主義や統制主義に対する批判は現代でも完全には解決はされていない。
そのため、社会民主主義的な混合経済主義(mixed economy)といった統制と自由の折衷的なスタンスが圧倒的な多数派なのだ。それは完全な市場主義、完全な自由主義を当然のごとくに否定し、国家社会主義と市場主義の折衷に解を求める現代の迷信といえる。

そのため完全な市場主義、完全な自由主義が、つまりはリバタリアニズムが、未だにマイナーなものとされているのだ。
だがmixed economyと完全な市場主義との効率性の比較もできないわけではない。それはかつてのようにmixed economy体制間での効率性の比較として実証データにより、自由な部分の多い、または統制の少ないmixed economy体制の方が優れていることが”証明”されていくのかもしれない。だが、これも残念ながら必ずしも証明にはならないという問題が残る。

しかし社会主義がもともとその効率性の高さによって支持されたのではなく、その理想主義が人を惹きつけたように、自由主義も現代の理想主義となる必要がある。
だが自由主義が理想主義としては理解されることはなく、弱肉強食の論理のような乾いた現実主義にすぎないと考えられているわけだ。一体、それは何故なのか?

現代の自由主義者は、マーケティングを真剣に考える必要がある。
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2008年04月17日

Ben Barnanke : Curses in Blog

日本では少し考えられないことだが、バーナンキはBlogを公開している。
それもかなりの毒舌で、遠慮なく悪態を書いているのだ。
FRB議長が何を考えているのかよくわかって面白い。
日銀の白川総裁もバーナンキにならってBlogを書いたらどうだろうか。

http://www.newsgroper.com/ben-bernanke
All Greenspans are brats
The Fed Chairmanship is a lonely role. Sometimes I feel like I'm the only one being terrorized by a man so obsessed with his own legacy that he's willing to distort the truth and ruin the lives of others for personal gain. That man is, of course, Alan Greenspan.
Paul Volcker is an enemy of US economy
 hereby declare Paul Volcker an enemy combatant to the economy of the United States of America and issue a warrant for his arrest. We're in the process of building our first Federal Reserve Prison. He will be tried, and if necessary executed, in private so as not to cause any disruptions to the markets.
 #These blogs are not real.
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2008年04月12日

On Randomness

ランダムという言葉はなかなか難しい。
基本的には、ランダムの条件とはサイコロのように、次に出る目の確率が前の状態に一切依存しないことである。
エクセルなどで乱数の関数を使ってランダムチャートは簡単に作ることができる。
そうやって作ったチャートは、株のようなギザギザチャートと似ていることもある。しかし、そうやって作り出したランダムウォークのチャートと、株チャートが似ているからといっても、株がランダムウォークだとは当然に言えない。(逆は真ならず)
そもそも、なにがランダムで、なにがランダムでないかを判定することが難しいのだ。通常は価格変化が正規分布になるか、価格変化率が対数正規分布かで判定するわけだが、これも逆は真ならずで、論理的には正しくない。

もし、全ての株の動きがランダムウォークとすれば、個々の株の銘柄は、関係なく、てんでばらばらなグラフになるはずだが、実際は多くの銘柄は極めて似た動きをとる。
個々の株の動きに明確な関連性、相似性があるということは、ランダム性の前提を否定するものだ。

そもそも個々のプレーヤーは自分の前にした取引価格を基準に判断するのだから、過去の状態に思いっきり依存している。
だが、これもIndexのように多くの株を平均化すれば、ランダムに近くなる。
しかしIndexに投資するPassive投資が有効なのもロングレンジでは右肩上がりになっているという条件がある。ロングレンジでも右肩下がりなら損する一方だ。
またもし10年以上のロングレンジが右肩上がり相場に必要だとすると個人投資家にはあまり面白くない。一般にActive投資とPassive投資の按配が問題となるわけだが、今のような状況ではPassive投資をメインにしておいて、景気がよくなってきたらアクティブ投資をするのが賢いのかもしれない。

 
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Cut Tax and Tariff

ガソリンや軽油の暫定税率をやめたのはよかったが、また引き上げようとしている。
メディアは、ほぼ100%の国民が歓迎していることを、各地で混乱が広がっているなどとデマを執拗に流し、また税率を引き上げようとする動きに荷担している。
まったく北朝鮮的にますますなってきている。

ガソリンよりも食料品の値上げの方がさらに問題だが、これも同様に関税を引き下げて対応すべきだ。
農産物には未だに600%もの税金がかけられているのだ。日本はエネルギー価格も他国との比較で高いが、食料品はさらに高い。
それだけ価格の底上げ分が巨大であるから、減税によって、食料物価を抑えることは容易だ。食料品の価格は、今の半分以下にだってすることができるはずだ。
野党は政策論争の争点として関税税率などの減税を大々的に掲げるべきである。
日本はアメリカなどと違って減税が選挙争点とすらならない珍しい国だ。
今後は、減税政策によって与党にチャレンジするのが正しい戦略である。

インフレーションとは、貨幣価値が下がることであって、特定の物価の上昇=インフレではない。
しかし食料品の値段の上昇は他の製品にも便乗値上げを起こして、インフレ的な状態になりやすいだろうから、これを抑えることは極めて重要だ。
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2008年04月09日

Obama is socialist

オバマは別に意外ではないが、隠れマルキスト、それも筋金入りのようだ。

http://gregransom.com/prestopundit/2008/04/gregs-guide-to-barack-obamas-d.html

ざっと目を通しただけだが、オバマはかなりの危険人物といえよう。
まとめるのも面倒かつアホらしいなので興味があればリンク先に目を通してください。
ここまで酷いと、クリントンが候補になった方がましかもしれない。
そして本大統領選では、マケインに勝って欲しいものである。
少なくともマケインはこの2人に比べるとはるかにマシだ。

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Executive compensation

アメリカのサブプライム問題にともなって、金融機関のトップの責任とトップの報酬が問題となっている。経営者への過大な成功報酬が、過大なリスクテイク行動に経営者を走らせるのではないかという議論があるが、これに関して、ベッカーは、次のように書いている。
今回の住宅バブルの問題に対して、経営者が過大なリスクをとったのは、principal-agent problemによるものではない。その証拠に未公開企業でも同様の行動をとっている。
ドットコムバブルの時は、過大なストックオプション報酬に対するインセンティブが問題だったといわれるが、これは異常に高いPERから考えて、リスクテイクしているのは経営者ではなく株主だった。
結論としては、いわゆる経営者の過大な報酬が、株主が期待する以上のリスクテイクのインセンティブになったという説得的な根拠はないとしている。
 

Risk-Taking by Top Executives-Becker
http://www.becker-posner-blog.com/
・Evidence suggesting that the risk taken by companies during the recent boom was not mainly due to a principal-agent problem between executives and stockholders is that the major private equity firms also experienced serious loses on their investments, especially on their housing investments.

・Private equity companies have much less of a principal-agent problem than do Citicorp, Bears Sterns and other publicly traded companies because private equity companies have a concentrated ownership.
・Also borrowers in the residential housing market have basically no principal-agent problems since they buy for themselves; yet many of them too took on excessive risk because of undo optimism about the housing market.
・Another test of the excessive risk argument is whether the trend toward greater compensation in the form of stock options and other performance contingent compensation increased the risk taking of companies.
・Some have attributed much of the dot-com bubble to increased performance based compensation. However, most dot-com companies that went under were quite small and rather closely held by venture capitalists and similar investors.
・Hence these companies did not have a sharp conflict between stockholders and managers. Moreover, during the dot-com bubble, assets of minor Internet companies were raised in market value to more than 100 times earnings, even when they had no sales, let alone earnings. Such huge earnings-profits ratios suggest excessive risk taking by stockholders more than by managers.
・Economic theory does imply that the increasing trend toward performance-based compensation would increase the degree of risk-taking by top executives.
・ It is also unclear if CEOs have been induced to take more risks than the level of risk desired by stockholders.
・Furthermore, and most important, there is no persuasive evidence that the structure of CEO compensation played an important roll in either the dot-com or housing bubbles.
posted by libertarian at 21:20| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera

2008年04月08日

Public Goods Fallacies

公共物、もしくは公共財(Public Goods)の法的な定義とは何か?
法律にそんな定義があるかどうかは知らない(→多分ない)が、なんとなくのイメージならある。 例えば、公道や公園は誰のものでもない。誰のものでもないが、誰でもそこに入ったり一時的に使用する権利はあるのが公共物だ。まあ大体そういうイメージだろう。

この公共物の定義(法的?)と、経済学上の公共財の意味は違う。
だが、これは通常、無批判に混同されて用いられていると思う。
#ここでは、経済学上のPublic goods を公共財と呼び、公共物とは区別する。

経済学上の公共財とは、非排除性あるいは非競合性の少なくとも一方を有する財として定義されている。 つまり、経済学上の公共財やクラブ財といった分類は財産権とは独立したidealな定義だ。それはその財の性質によって一意的に決まるものと想定されている。

公道や公園といった現実の公共物は、きわめて不可思議なものである。
通常、財は特定の個人に独占的に所有されるか、複数の人間によって共同所有される。共同所有のばあいは、各人がパイの持分に応じた完全な財産権を持つ。

しかし、公共物が”みんなのものだ”とする意味は、決してこの共同所有の大規模なものではない。 1億人の国民がいるとして、その1億人で共同所有されているのではなく、どこの誰にも一切の所有権がないのが公共物だ。
誰のものでもないから、誰にも処分はできないし、共同所有のように部分的な処分も一切できない。
これは税金もそうだ。税金は徴税された瞬間に誰のものでもなくなる。もちろん政府にもその所有権はない。そして税金が公共事業によって橋や箱物に変わる。誰のものでもないお金が、誰のものでもない物体に変換される。

この所有権がない点が、公共財に対する、ありとあらゆる合理的な扱いを不可能しているといえよう。社会主義とは本質的に反理性主義だが、社会のすべてを公共財にしようとするのは、その反理性主義らしい帰結といえる。

さらに、経済学上の公共財と公共物の違いを、ほとんどの人間は勘違いしている。
経済学上の公共財だから、公共物とするのがふさわしいと考えてしまう間違いだ。
つまり公共財=公共物という勘違いだ。明らかに論理的な飛躍と誤謬がある。
もともと、経済学上の公共財の定義に所有権概念は含まれない。公共財であることと、その所有権の問題はまったく別であり、公共財であっても、私的所有権を設定することになんの問題もない。

例えば電波がその性質上クラブ財だとした場合、クラブ財だから公共物にするべきだというのは論理的に間違っている。だが政府はなぜかこれを自明なこととしている。
むしろ電波を公共物と政府が勝手に決めているのは、政府が暴力の独占機関だという本質に由来するのだろう。政府とは”暴力の独占”機関だというは、ロスバードの表現だが、情報技術とは古来、最重要な軍事技術の一つだから、電波技術は軍事技術であるために政府の独占物として扱われたきた。
インターネットももとはといえば、軍事技術だ。

posted by libertarian at 21:17| 東京 ?J| Comment(0) | TrackBack(0) | Libertarianism

A matter of degree

リバタリアニズムや、アナルコキャピタリズムの違い、またはminimum state と無政府の違いは、税の問題に帰着するはずだ。
税=0なら、無政府であり、税が非常に少ないが多少はあるのであれば、minimum stateだ。 それ以上の違いはあまりない。
このminimum stateの最小限の税収を、論者がどの程度を想定しているかは定かではないが、論理的には0だろう。それが100円でも100万円でも誤差のようなものだが、minimum stateの税収入⇒0とするのが正解だ。
そういう意味では、両者に違いがあるとは思えない。
しかし、こういった”程度の問題”は、観念的な議論よりも本質的だと私は考える。

例えば、所得課税に対する累進税制(progressive tax)と、定率課税との良し悪しを論じるのは公平性の問題とは関係ないテクニカルな徴税技術の話にすぎない。所得課税の規模だけが問題の本質だ。そもそも税とは合法的略奪(legal plunder)であるから、公平な略奪というのも奇妙なものだ。
前にも書いたが、累進課税が問題なのではなく、課税率が高すぎることだけが問題の本質だ。例えば10,20,30,50%の累進課税が、1、2,3,5%という累進課税であれば、累進に対する矛盾は小さくなるし、さらに0.1〜0.5%の累進なら誰も累進性を気にもしないだろう。
さらに、税=0にすれば固定税と累進税の双方の矛盾を克服できる。
私は、まずは、この所得課税制度を廃絶するのが第1歩だと思う。

私がノージックなどの観念的リバタリアニズムに思うのは、やはりノージックは税の問題をちゃんと論じていない点だ。ロスバードなどもこれと同様の批判をしているようだ。

もちろん、所得課税以外にも税はあらゆるところにある。規制による機会費用の損失まで含めたらどれほど巨大なものになるか計り知れない。
法律による規制も税の一種であり、これをなくそうとすれば当然に法律も極めて限定されることになる。

posted by libertarian at 20:58| 東京 ?J| Comment(0) | TrackBack(0) | Libertarianism