2012年01月22日

The end of Japan

311から、10ヶ月が経った。
今年はチェルノブイリの教訓からして、徐々に多くの人に健康被害が現れてくる可能性が高い。
それも子供から順に被害が出てくるのだ。一度放射能被害が出れば、治療できることもほとんどない。
どれだけの人がチェルノブイリの事実を知ろうとしているのだろうか?ほとんどの人は調べようとも思わないのであろう。愚かである。

日本の政府とマスゴミの腐敗しきった対応を見ていると、ソ連は非常に人道的な国家だったと思わざるを得ない。
すでに東京の汚染レベルがチェルノブイリレベルで、福島はチェルノブイリをはるかに越える汚染だ。
そこに人々がまだ普通に生活しているというのは狂気の沙汰である。
3-4年後、隠しても隠し切れないほどに悲惨な人体被害が明らかなってから、移住しても遅いということが分かっていないらしい。
日本は昔から非常に集団同調圧力の強い農村共同体をベースにした社会だということが、よく分かる。

私は、去年の5月頃にプレミア価格のロシア製のガイガーカウンターを購入して、あちこち測ってみたが、東京の汚染もかなりのものであることがよく分かった。放射能は不均一にまだらに分散しているわけだが、世田谷であっても高い。アスファルトなどに降下した放射能は雨に流されたものもあるだろうが、一定のレベル以下には下がらないようだ。
このレベルはRIセンターの空間よりもずっと高い。昔RIセンターでC13を使った実験をしていたときは自然放射線レベルの2倍程度だったと記憶しているが、今は4-5倍あるところも世田谷で普通にみられる。もちろん、RIセンターでは内部被爆しないように厳重な装備をして入るわけだが、今は日常空間でそこよりも高いレベルにある。
これで大したことは何も起こらないだろうと考えている人間は、何もわかっていないだけだ。

日本は生活基盤である国土をDirty Bombで半永久的に汚染してしまい、さらに狂気の大増税によって、経済も破壊するつもりのようだ。
こんな狂った社会には未来も希望もなにもありはしない。
【原発の最新記事】
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2011年04月16日

Fukushima daiichi

福島第一の事故が起こってから1ヶ月以上がたつが、もはや破局しか結末はないだろう。破局とはいろんな形があるだろうが、状況は日を追って悪化の一途であるから、どのような形であろうとこの先にあるのは破局としか考えられない。一気に放射能をばらまくか、緩慢に放射能をばらまくかの違いであって、閉じ込めはもはや不可能のように思われる。

ネットでも様々な意見が乱れ飛んでいたが、結局、海外メディアの報道が一番的確であった。
日本で比較的にマトモなことを言っていたのは、私の知る限り武田邦彦氏か。あと、反原発の雄である広瀬隆さんの意見も貴重だ。上杉隆さんの活動も素晴らしい。高木仁三郎さんの作った原子力資料室のUST中継もいつも見ている。

日本の政府報道は言語同断であり、言論統制、情報隠蔽、安全デマと全てが犯罪的である。
東電を初めとする日本の電力会社の腐りきった体質と共にその腐敗ぶりが露骨に現れていた。
私は大学時代、反原発に少し入れ込んでいたこともあり、高木仁三郎さんや、様々な反原発の人の著書を読み、講演も聞いていた。もちろん広瀬隆さんも当時から有名であった。
ただ、反原発やエコロジー運動というのが、当時の左翼の溜り場となっている観が強かったし、エコロジーなどのイデオロギーに結びつき、やはり左翼活動の域をでないと思っていた。
今でも脱原発を主張している政党は社民や共産しかないというのが厳しいところだ。誰も脱原発して共産主義政権になりたいとは思わない。この点、依然として脱原発、反原発が左翼と強く結びついた現状は選択肢を運動の可能性を大きく狭めているようにみえる。
しかし、めげずに反原発活動を続けていた広瀬隆さんなどはやはり大した人物なのだと今は思う。彼は昔からイデオロギーの匂いがしない人だった。
実際、彼らの献身的な活動によって日本の原発開発は大きく後退をさせられきたようだ。今は広瀬さんに誰も頭が上がらないはずだ。

日本のエネルギー行政、原子力行政を、経産省の産業政策の大きな一つとして見る視点は重要だと思う。
原子力行政は、旧通産省時代からの最古の産業政策の一つであり、最も長く続いた、そして最も最悪の産業政策だった。
産業政策は、基本的に経産省や業界団体の間で密室の中で行われるから、市民の声などを取り入れる仕組みには全くなっていない。原子力行政で行われてきた、御用学者、御用委員会によって一方的に進められるスタイルは産業政策の特徴である。
基本的に、今度の事件を最後として、経産省そのものの解体、産業政策を行う省庁としての経産省を解体するところにまで持っていく必要があるだろう。

東電を国営化することは当然であり、それが東電の負担を最大化する方法である。これを電力業界全体の問題として、発電、送電、配電の分離を行い、発電、配電の自由化をするのが正しいだろうし、世界の常識だ。
そうして東西のヘルツを統一化すれば、発電会社の地域独占など不可能になる。
この50/60Hzの分離はあきらかに地域独占を守るために維持されてきたものに過ぎない。

日本で、このように原発が過激に進められてきて、アメリカなどでは原子力はスリーマイル島事故以来、1基も作られていない。
これはなぜかというに、アメリカでは反原発活動が勝利したというよりも、原発の保険料金が高騰しペイしなくなったことが大きい。マーケットメカニズム的にペイしなくなったわけである。
一方日本では、電気事業法により、設備投資額をベースレートとして、その7−8%の額を電気料金として徴収してよいという法律が、電力会社にたいする原発推進の強烈なインセンティブとなった。火力に比べて遙かにコストのかかる原発を建造することが、利益を上げる上で決定的な要因となっていたのである。さらに、保険の問題も、民間保証ではなく政府保証があり、クリアされていた。
その結果、日本の電力料金はずっと世界1高かったわけだ。
このように市場論理では不可能な原発が、政府保護の元に進められてきたのが日本の電力行政であった。日本以外ではフランスが原発大国だが、フランスはやはり原発は国営だ。

最近では二酸化炭素による地球温暖化という詐欺が国際的な詐欺として広まり、二酸化炭素をださないという理由で原発ルネッサンスが唱えられてきた。しかし、地球温暖化問題は存在せず、地球温暖化詐欺しかない。
要するに、ガスや石油による発電に元通り戻せばいいだけだ。それが最もエネルギー効率もよく経済的である。だからアメリカでは電力はほとんどガス発電で、石油、太陽、風力などの自然エネルギーが続き、原発など5%以下のその他扱いにすぎない。
省エネ技術も重要だろうが、素直にガス、石油といった地球起源エネルギーに回帰するのがベストである。これらは半永久的に使えるほどの量があり、もとより地球温暖化問題は存在しないからだ。

この期に及んでも、浜岡を初めとする緊急停止措置すら行われておらず、政府も東電も電力会社も経産省も責任回避に走り、あきれるほどの開き直りにより原発推進の旗をおろしてすらいない。しかし、時間が経つにつれそれは無理になるだろう。東電はもはや終わった会社であり、他の電力会社もほぼ終わっている。
だが、それ以上に日本の国土が失われてしまったのは致命的である。東電の不法行為責任は数兆だ、10兆だと言われているが、とんでもない。数百兆積んでもまかないきれないだろう。今後数百年にわたる機会損失は計り知れない。

反原発運動は、ある意味、今回の事故でその正しさが証明されたが、同時にその戦略の正しさは疑問がもたれる。
結局、産業政策として合法的に密室の中で行われる犯罪に対して、いかなる有効な反対方法があり得るのだろうかと思わざるをえない。電気事業法の電気料金規定という取るに足らない条文の前に、反原発運動の科学的に積み上げた合理的な正論は敗北するしかなかったのだ。
これらの法を改正することが、最終的に目標になるだろうが、それもまず不可能なのである。

原発問題が終わるときは、日本が終わる時だと昔、誰かが言っていたが、その通りになってしまった。
破局として終わるしかないということだ。だが、太平洋戦争の破局と異なり、国土を大きく失ってしまったのは致命的だ。
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2010年06月19日

On Probability

数学というのは、普通、無次元の数を扱うのに対して、物理学は次元の数を扱う。次元とは空間とか時間とか質量とかいった物理的な実体だ。
確率的現象というのは放射線崩壊とかあるが物理学的に真に確率的な現象として知られているものは意外と少ない。
次にどうなるのか知らないだけなら、それは確率的現象ではない。
例えば、ルーレットなんかも確率的な物理現象ではない。玉を投入した時の状態とルーレットの回転の状態であとは基本的に物理的に決定される。単にそれがどうなるのかわからないだけで、決定論の世界だ。これを計算してルーレットに勝利しようとした人間がいたが、これは当時の電卓程度の計算機でもちゃんと計算できたらしい。
つまり単に分からないから、結論が確率的と考えてしまうのは間違いということだ。
結論は決まっているが、それを単に知らない場合、それは確率的な現象ではない。
こういったものは時間が絡んでいるのが話をややこしくする。
100個の玉があって、その中に10個の赤玉と90個の白玉があり、これをガラガラにいれて1つ玉をポンと出す。赤がでる確率は1/10だが、これは単に赤の数の割合の比率を言っているに過ぎない。比率=確率というわけではない。
これは割と重要なことではないかと思う。
ただこれに人間が絡んでくると、さらに話がややこしくなる。

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2010年06月06日

iPad and PocketWiFi

予約していたiPadが届いた。大体イメージ通りで、特に驚きはない。要するにでかいiPod touchそのものだ。
メモ帳とか、メールソフトの使い勝手がやはり非常によくなっている。
特にマップの使い勝手が非常によい。GoogleEarthもスムーズだ。
iBookも、サンプルのくまのプーさんを見る限りなかなかよい。意外と今のところ一番、よいと思ったのは”写真”だ。
ディスプレイのIPS液晶がpowerbookと同じ品質で階調も発色もよいので、これに写真を入れてみると快適だ。デジカメ写真をいちいちプリントするのは金も手間もかかりすぎるが、これだと手で操れるのがプリント写真を扱っているような感覚がある。スライドショーのエフェクトもよくできている。しかしいらない写真を削除できないのがちょっと残念。>できるのか?

PCのマウスインタフェースは、タッチインタフェースに比べると隔靴掻痒の感がある。常に2点間を線で結ばないとイケナイと言うのは、よくよく考えるとかなり不自然なことだ。

あとは、iPadにカバーと保護フィルムを買う必要がある。フィルムは必須だが、カバーはどれにしようか。。

また、iPadが来る前に、EmobileのUSB接続モデムをPocketWifiへ乗り換えた。
これでiPod touchが外出先からでもWebが見れるようになったので便利だ。
当然にiPadもこれで外からネットに接続する。
この手のデバイスはやはりネットに接続できないとあまり使い道が無いのが現実だろう。
これを手に入れてiPod touchの価値観が俄然高くなった。

私のようにパソコンやデバイスをいろいろ持っていると、pocketWifiは非常に便利なツールだ。
ホットスポットなんかは都心でも限られたところにしかないからだ。これがあれば、自分自身が歩くホットスポットになる。

また今はiPadを予約するとキャンペーン特典で8月までの基本料金が無料になる。
さらに1年間は基本料金が3980円となるキャンペーンをしている。
#2年目からは基本料金の月額が4980円になる。やはり高いのはデバイス本体ではなく、通信料金だ。

pocketWifiの弱点は使用時間が2−3時間と短いことだが、これも予備バッテリーでしのげるだろう。
だが、大きな問題は、pocketwifiをUSB接続してつなげるアプリを入れたところ、そのマシン(Thinkpad x200)のLan接続環境を破壊したことだ。
無線LAN接続だけでなく、なんと、有線Lan接続環境まで破壊して使えなくしてくれた。インストーラーがドライバー設定を勝手にいじるようだ。
原因は不明だが、このインストーラーの問題であるに違いない。
このpocketWifiのアプリのインストールは気を付けた方がよい。

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2010年06月04日

on Katte

”自由”という言葉は、福沢諭吉が仏教の経典から持ってきた言葉で、それまで日本にlibertyやfreedomに相当する日本語がなかった。おそらく、それに近い意味の言葉としては、”勝手”というのが一番近かった。
実際、自由主義なるものを勝手主義とかしようとする動きもあったらしい。
しかし、勝手というのは、当時もネガティブなイメージもあったのであろう。

「勝手にしろ」とか「勝手なやつ」という言葉はあまりいい意味じゃない。
だが、勝手は、laissez faireにニュアンスが近いものがある。
liberty,freedomというのは政治的な概念だが、laissez faireは、行為に関するものだ。

勝手にはegoism,egoisticというニュアンスも含まれる。
そういう点で、勝手という言葉は見直されるべきかもしれない。

大体、日本人は集団同調圧力の強い集団だから、自由を勝手なことととイメージし嫌悪しているのかもしれない。
だがリバタリアン的には、non-aggression原理のもとでの個人の勝手がまさにその目指すところである。

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2010年06月01日

On Comparative advantage

木村さんの記事で比較優位の問題を説明していた。

直觀に反する眞理
http://d.hatena.ne.jp/KnightLiberty/20100530/p1

ここでちょっと補足しておこう。
比較優位の原理は、多くの経済学者が言うように著観的に理解するのはちょっと大変だったりするし、東大の経済学教授が堂々と新聞でまちがった説明を書いていたりするくらいだ。

木村さんが取り上げていたのは次のような例だ。

例1)
    パン 服
太郎 12個  6着
次郎  6個  2着

値は12時間当たりに作れる数とする。

この場合、次郎は比較優位の原理に基づいてパンを作ることに特化する。
では、なぜ、次郎はパンを選ぶのか?
これは比較優位の意味なのだが、太郎はパンの生産性は服に対して2だが
次郎は3ある。その意味で、太郎に対し、パンに比較優位があるということなのだ。

ここで、太郎は次郎にかまわず、そのままの生産体制であったとし、次郎がパンだけに特化すると次の結果になる。

    パン 服
太郎 12  6
次郎  12  0

ここで貿易を行う。次のようになったとする。

    パン 服
太郎 18  4
次郎  6  2

このように交換の結果がなったとする。
この場合、次郎は得してないが、太郎は18+8=26時間分の生産物を得たことになる。2時間分の得だ。

では、ここで、

    パン 服
太郎 18  3
次郎  6  3

の交換が成り立てば、
次郎は30時間分の生産物を得たことになる。 
太郎は24時間分だから得してない。 

そこで、さらに次のように分配すると

    パン 服
太郎 17  4
次郎  7     2 

太郎は25時間分
次郎はなんと26時間分の生産物を得たことになり、win-winだ。


では次のケースではどうか?

例2)
    パン 服
太郎  12   4
次郎  6       3 

この場合、次郎は何を作るべきであろうか?
実は、この場合、次郎は服に特化するべきである。
なぜなら、太郎のパンと服の生産性の比は3で、
次郎は2だ。
しかし、ひっくり返せば、
服/パン=1/3
服/パン=1/2
となり、1/2>1/3だから次郎は太郎に対し、服の生産に比較優位がある。

ためしに服だけ24時間作るとする

    パン 服
太郎  12   4
次郎  0      6 

ここで交換を行う。


    パン 服
太郎  6   7
次郎  6    3 

この場合、太郎は、6+21=27時間分の生産物を獲得し
次郎は変わらない。

ここでも、次のように取引するとwin-winだ

    パン 服
太郎  5 7
次郎  7 3

次郎は14+12=26時間分の成果を手にし、太郎は5+21=26時間分の成果を手にする。


ちなみに、交換しても意味がないのは
次のようなケースだ。

    パン 服
太郎  12   6
次郎  6      3 


この場合、どちらもパンと服の生産性の比が2で同じだ。
お互いに比較優位なものがないので、どのように貿易してもメリットがない。
こういった時は、なにか別の比較優位な生産財を探すことになるのだろう。
posted by libertarian at 17:46| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月30日

Derby

私は競馬というのは、今まで全くやったことがなく、掛け方もしらなかったのだが、今、東京ダービーに来ている。知人が面白そうに話すので、一度、人生経験として競馬場くらいには来てみようと思ったのだ。相変わらず賭け方もよくしらないのだが、インフォメーションで簡単な説明をしてもらって、100円ほど賭けた。
競馬といえば、小汚い身なりのおっさんがやるものというイメージがあったが、競馬場に来ているのは20−30代がメインのように思う。
私などはむしろ年配の少数派に属する。
この猥雑にして緊張感ただよう活気のある雰囲気にはある種の自由を感じる。これはマーケットの自由に通ずるものがあるに違いない。
日本ほど競馬が一般大衆のものとなっている世界は稀有らしい。英米で競馬というのは、富裕層の娯楽であり、日本のように薄汚い身なりのおっさんがやるものではないらしい。
実は、株式投資も同様で、アメリカ人は401Kとか投資信託で株式投資を間接的に行っているが、日本人のように一般人が直接売り買いをしているわけではないそうだ。
しかし日本では博打も、準博打の株式投資も一般ピープルに溶け込んでいる。
自由とは、博打で破産することも可能である自由であるということなのだろう。
そもそもこのような期待利益がマイナスの博打など理性的な人間であればやらないのが合理的だが、そのような合理性というのはつまらない合理性だ。
遊びと考えればいいだけだ。それで生活しようと思ったら愚か者だが、遊びと考えれば実にリーズナブルな遊びである。






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2010年05月28日

On Greece

高橋洋一×勝間和代「ギリシャ危機と日本経済」


http://www.ustream.tv/recorded/6875414

高橋洋一氏の話しているのをはじめてみた。
私は、高橋洋一氏は、金総書記にそっくりというイメージから、ああいう声で
ああいう話し方をする人と思っていたが、ちょっとイメージが違ったな。

私が先に書いたことを、そのまま高橋氏も言っていたので、大いに同感したのであった。
ギリシャはEUから脱退させるのが筋だと言うことだ。

posted by libertarian at 23:31| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月23日

PS3

PS3のアプリとして、フォトレタッチソフトはでないものか。今のPS3のフォトビューワーはよくできているが、レタッチができない。
PS3にこういった普通のPCアプリが移植されるとありがたいのだが、なぜでないのだろう。

posted by libertarian at 23:12| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Greece

ギリシャ問題で揺れているが、実にばからしい。なんで、こんなEUの弱小(神奈川県と同規模のGDPしかない)劣等国をEUから破門しないのかわからない。
OECDの人間が、ギリシャを破門すべきだと言ったそうだが、EUには脱退規定もあるのだから、さっさとくびにすべきではないか。

高橋洋一氏の記事にもこのことに言及されていた。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/571?page=3
次のグラフは興味深い。
http://gendai.ismedia.jp/mwimgs/7/f/600/img_7f7caa9e115eb40364356dd3f22c736827860.jpg

これをみると、PIIGSの中でも、ギリシャはとびぬけて劣等生だ。
大体2年に1度のペースで財政破たんしている、公務員天国国家らしい。
おまけに中央銀行すらもたない。だから危機においても金融政策をとることができず、EU頼みになるというどうしようもない劣等生だ。
大体、もし神奈川が破綻しても世界経済に悪影響などなにもないだろうが、これはEUの制度的に未成熟なところに違いない。
ギリシャがEUに加盟したのも、嘘の数字を並べて審査に通ったようだから、即刻、脱退させるのが筋だ。

posted by libertarian at 01:21| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

eBook

eBookとして出版したい本がいくつかある。重要な海外の自由主義思想に関する本の翻訳だ。
しかし、翻訳というのは極めて労働集約的な作業で、手間と時間がかかる。

本の出版というのは、岩波の(ゴッホの)種まく人のマークではないが、やはり種を撒くような行為だ。
岩波の場合は、左翼思想の種を大量にばらまいて、多くの被害を日本社会にもたらしたが、これからは自由主義思想の種を撒かねばならない。
そういった地道な作業をやろうという人を新しいサイトでは集めたい。

何も基本的な文献も読まないで、おいらはリバタリアン、私はアナルコキャピタリスト、という人間も増えてきていて、それはそれで悪いことじゃないだろうが、結構おバカなことではある。

posted by libertarian at 00:35| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月16日

LiarGame

LiarGameという漫画を読んだ。最近はレンタルDVD屋さんで、漫画もレンタルしているので、おもしろそうなのをまとめて借りて一気読みするのである。
この漫画は、kaijiに近い設定だが、この漫画の方がゲームが凝っているし、戦略も複雑だ。
驚くことに、ここに出てくるゲームは作者のオリジナルゲームらしい。
#Kaijiのゲームもオリジナルらしい。
最近の漫画家は頭がずいぶんとよい人が多いのか。大したものだ。

単純なゲームの奥深さみたいなものがよくわかる。これはまさにゲームの理論の世界であり、臨機応変な戦略を要求するゲームなのだ。
この漫画でも、kaijiと同様に多額のお金がかかっているので、ほぼ生死をかけた真剣勝負となる。

面倒なので、あまり考えずに読んでいて、ほんとに正しいのかどうかチェックしてないが、単純なゲームから複雑な戦略が生まれてくるし、それが意外性を持っているから素晴らしい。

Kaijiは、映画化もされていたので、ついでにDVDを借りて見たが、あまりの出来の悪さに驚いた。日本映画はここまでダメになってしまったのかと呆れる。原作のいい加減なダイジェストになっていて、原作の緊張感が一切、表現できていない。
日本映画は、アニメと、北野武の作品しか見るべきものがないようだ。

posted by libertarian at 15:04| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする