2009年11月08日

How progressives rewrote the constitution

How progressives rewrote the constitution by Richard Epstein

をKindle storeで購入、ダウンロードした。
sampleの序文を読んで、これは買わないとならんと思ったのだ。たったの9ドルちょっとだから1000円くらいか。

 


日本の法学者でRichard Epsteinを読んだことのある人間は非常に少ないだろう。
こういったリバタリアンを堂々と自称するアメリカの保守派論客であるエリート法学者のアメリカ法、アメリカ憲法に対するパースペクティブというのをちゃんと知って理解するべきである。
こういったことを全く何も知らないから、新自由主義だ、なんとか原理主義がけしからんだとか幼稚な後進国根性まるだしの無教養なことを
恥知らずにも平気で日本の大学教師は言うのだ。

そういったバカで無教養で恥知らずな日本の大学教師達のために、そのうちこの本の内容を紹介しよう。

 

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2009年11月06日

Popper and Hayek

さるサイバーなんちゃってリバタリアンが、またぞろいい加減なポパー批判を書いている。ま、私もポパーは読んでない本が多いのであまりポパーについては言えたもんではないが、なんちゃってリバタリアンみたいに、知ったかぶりしてでたらめなことを言わない程度の節度はある。
まあ、なんちゃんてリバタリアンの本分は、学者じゃなくてジャーナリストだから大目にみて、ほとんどはホラと思っておくのが肝要だ。
しかし、そう思わない何もしらない人間が多いだろうから困ったものだ。blog界のみのもんたとでも言えようか。

しかしハイエクは、親友ポパーの社会工学を「計画主義の変種」だと批判した。

これについては、いろんな本で解説が書かれている。googleで検索してみれば沢山でてくる。
ポパーは、ハイエクの批判を単なる誤解だとしていたようだが、ポパーはサイバーなんちゃってリバタリアンが思っているほどに単純なもんじゃないんだよ。ということは知っておくべきだろう。
posted by libertarian at 18:17| 東京 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Libertarian ebooks and Armen Alchian

Kindle storeでいろいろ本を検索している。例えばlibertarianism ,hayek,Mises,Landsburg,David Friedman,John Lottなどで検索してみた。その結果、いくつかの面白そうな本をみつけ、sampleをダウンロードした。
Landsburgは、新著" The Big question"が出ている。しかし、これは紙の本で買った方が安いのでそっちでそのうち買うことにする。
Mises instituteから安い値段(3ドル程度)で、libertarianism関係の論文や書籍が多数出されている。
これらはweb downloadすれば無料だが、日頃の無料でよい情報にアクセスさせてくれている感謝を込めて数冊ダウンロードした。
Tom G. Palmerの本"Realizing Freedom"という新著も興味深い。これはkindle版をダウンロードする。
私はPalmerというリバタリアンは前から知っていて論文もいくつか読んだことがあるが、かなり頭のよい学者だと思う。
特に文章がいい。

John LottはあのFreedonomicsを書いた人だが、その主張の内容は非常にリバタリアン的であるが、あまりリバタリアンで、でてくる人ではない。この人が編纂に加わったArmen Alchianの業績をまとめた本がある。100ドル以上するのでもちろん買わないが、amazonで検索したところ、Alchian全集の”Property rights and economic behavior"が630円で売られていたので試しに購入する。
このAlchianは、UCLAの教授で論文の数は少ないが大きな影響をあたえた経済学者らしく、David Levineなどのリバタリアン経済学者は、この門下らしい。Lottも同様。だから、Alchianをボスといただくリバタリアン学派がシカゴスクールとは別にあるということだろう。#ここらは、おそらく蔵さんが詳しいと思うので、気が向いたら解説でもblogに書いてほしい。

LottのFreedomnomicsは、”Freaconocis"というベストセラーのとんでもな間違いを正すことを意図して書かれたものであるが、ぜひこの"Freedomnocis"の翻訳もでたらよいと思う。まともなリバタリアンは"Freaconomics"をとんでも本とばかにしているが、”Freedomnomics"の評価はとても高いのである。


David Freedmanの"Future imperfect"というのもkindle storeで売っている。これも紙の本と比べて特に安くないので、当面はパス。

そもそも紙の本だと、アマゾンで古本で売ることもできるので、同じ値段なら圧倒的に紙の本の方が実質的に安いのである。だから、ebookも半値といわず1/3くらいの値段で売らないと競争力に欠ける。

また、iPodのpdf reader(Good reader)という優れものがあるので、ipodの液晶の見やすさを考えたらkindleはかなり頑張らないといけないかんじだ。


posted by libertarian at 15:42| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Impression of Kindle2

Kindle2を使い始めたばかりだが、思ったところを書いておく。まずKindle storeの本の値段は、紙の本に比べて必ずしも安くはない。
買う場合は、amazonで確認した後にした方がいい。もちろん、少し高いくらいなら電子ブックを買った方がメリットのある場合もある。
もちろん、種類も圧倒的に紙の書籍に比べて少ない。早急に今の3倍くらいにならないとkindleも普及しないだろう。
これは、Ebookにするとき、独自の編集作業が必要になるからなのかもしれない。
だが、メリットとして、sample downloadができるので、これを読むだけで結構間に合うことがある。
少なくとも、sample版を読んでつまらなそうなら買わないことができる。

操作性として、検索ボックスが一番下にあるが、ここにいちいちカーソルを持っていくのが結構めんどうだ。
頻繁につかうものであるから、ボタン一発でカーソルを検索ボックスに移動させる仕組みが必要だ。

# → 実は、単純にキーボードをどれでも入力すると自動的に検索ボックスにカーソルが移る仕組みであった。

あと、3G通信のボタンをオンにしていると、電池の消耗が激しい。普段はオフにしておくひつようがある。
これは電話と同じで常に電波をチューニングしにいっている状態になるからだろう。

また天気の良い日にkindleを広げて見ると、周りの白いボディ色が反射してまぶしい。ボディ色は白以外の黒とかを用意した方がよい。
またEinkのクオリティもやや低い。日本製の電子ペーパーは前にサンプルを見た時は、もっと白が際立っていた。日本語はまったく使えないし読めないが、これは英語だけの英語しかない世界に集中する効果があるようだ。
あちらで、どんな本が関心をもって読まれているのかよく分かるようになる。

まだ出始めの製品だから改良の余地はいろいろありそうだが、以上の不備が必ずしも大きな不満というわけでもない。

また文章を読むという点で、別にEbookにこだわる必要はないので、ハードとしてすぐれたリーダーがあればいい。
その点、Kindleは本を購入させることにこだわった仕様だが、どこかの会社が、Einkディスプレイを使った純粋なリーダーを出してくれればいい。それでは、pdfやwebコンテンツを持ち出して読む機能がメインになる。
#まだよく知らないのだが、kindleでpdfを読むのは素直にはできない。
3Gでなくても、無線Lanで十分だ。電子ブックもPCで買って移せればいい。

ところで、スティーブ ジョブズは、kindleを駄目だと言っているらしい。
http://www.gizmodo.jp/2008/01/kindleandroid.html

「あの製品がどれだけいいか悪いか、そんなことはどうだっていい。現実問題みんなもう本なんか読まないのだ。アメリカでは去年1年で読んだ本が1冊以下の人が40%。だから考え方そのものが頭っから無理があるんだよ、誰ももう本なんか読まないんだから」

posted by libertarian at 13:15| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月05日

On Kindle2

Kindle2が届いた。注文から3−4日ではるばるアメリカから届いたから早いものだ。現物を見ずに電子ガジェットを購入することはあまりないが、今回は現物を見ることもできずに買ったので若干不安があったが、大体想像とおりの印象だ。
特に電子ペーパーディスプレイの品質に興味があったが、視認性は悪くない。もちろん紙ほどのコントラストはなく、やや暗く感じるが明るいところで読む限り全く問題ない。完全な反射型ディスプレイなので周りが明るい方がはっきりと明るく見える。これが従来の液晶ディスプレイとの大きな違いだ。

インターネットもgoogleを検索してみたところ、普通に使える。
英語のサイトも少しみたがそんなにフォーマットががたがたに崩れることはないようだ。
日本語のwebサイトは見れないが、英語サイトなら<無料で>どこからでも3Gで閲覧できるのがKindleオーナーの特権だ。アクセス料金も基本料金もかからない。→すくなくとも今のところは。
あちらで3Gモバイルフォンの登録がすました状態で送られてきて、こちらで3G回線に入るのはローミングサービスを使っているらしい。
早速、本を1つダウンロードした。時間も1分とかからずあっという間にダウンロードできた。

今はやや円高なのでKindle2本体だけなら3万円弱だ。私は専用の革カバーも同時に買ったので32000円くらいだった。
カバーは重厚な印象のある本革なので、これをつけるとほんとに書籍のような印象になる。
本を読む時は常に英英辞典が下部に表示されていて、カーソルのある位置の単語の意味が自動的に表示されるのが便利だ。
また、電子ブックは基本的に本の体裁なので、ページサイズはきまっていて画面のスクロール操作は一切ないのがよい。結構スクロールというのは面倒なものだから。

3年も使うことを考えれば、十分に元がとれるだろうよいお買い物だったと思う。当然に、もっとよいのがすぐに出てくるだろうとは思うが、PCとは用途が違うのでそんなに大差はないだろう。
(しかし、各国語に対応して日本語の本や日本語サイトもみれるようになると価値観がもっとあがる)

posted by libertarian at 06:51| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

No substitution

自分のやっている仕事が、誰にでも代替可能なことだと思ったら、それはすぐにやめた方がいい。それは価値のない仕事とまでいかなくても、価値の低い仕事だ。価値の低い仕事をして高給が得られるのなら経済的だが、それは詐欺だろう。
これは、経営にもいえるだろう。サラリーマン社長がほぼ確実に駄目なのは、彼らが代替可能な仕事をしているだけだからだ。
別にだれがなっても同じように動く機能でしかないなら、それは単なる席でしかなく、子供がすわってもよい。
経営とは、結局のところ投機とおなじだ。人と同じことをやっていたら破産するのである。
経営というレベルでの仕事は全く堅実な仕事ではないのである。だからスティーブ ジョブスのような人間が大成功をおさめる反面、IBMやHPのような堅実な経営者は歯が立たない。
投機のようにビジョンにかけるのが経営者のしごとであり、お客様のほしいものを従順にまじめに作りますというのは経営ではないのだ。
経営者が奴隷根性をもったらおしまいだ。奴隷根性の強い奴が出世して経営者になると会社は傾くのである。
今の日本社会は、奴隷根性をもった人間が賞賛される社会だし、ますますその傾向が高まっている。
CSRなどはその踏み絵のようなものだ。
だから、CSR経営とかまじめに言っているバカサラリーマン社長がいればその会社の株は売りだ。
posted by libertarian at 04:10| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Intellectually undevelopping country

鳩山社会主義政権になって、世の中は確実に悪い方向へ逆転している不気味な空気をひしひしと感じる。鳩山に感じるのは一種の狂気に近い小中学生レベルの観念的理想主義と同時に、易きに流れる政治的現実主義だ。
残念ながら文部省によって洗脳された若い世代は、それに反抗する精神も持ち合わせていはいないようだ。
日本は戦後、左翼思想が風靡したがこれはやはり戦争経験が背後にあって、こんな酷いことになったのは政府のせいだという空気のようなものがあったからかもしれない。彼らは左翼的な理想主義を信じつつ、国家や体制なるものへの懐疑をもった。たしかに国家や体制権威への反抗、懐疑はよかったが、その反面の礎としたのが左翼思想であったのが、致命的であった。それは新たな国家主義、権威主義に容易に同化していったわけだ。
ここらが日本が後進国であるゆえの限界だったのだろう。このころ日本には頼るべき思想として左翼思想しかなく、お経のようなめちゃくちゃな内容の本が多数書かれた。要するに誰も何も分かっていなかったわけだが、頭の良さそうな奴の言うことはなんとなく正しそうだと思われて、もてはやされた。
結局、よくわからないけど、だからありがたいという仏教的な風土で、進歩的知識人なり、カルト左翼活動家がヒーローのようにもてはやされていたのだ。これは廣松渉しかりだ。
その後、日本も豊かになり、そういった後進国的な低レベルな知性主義は陰を潜めていったように感じるが、現実は左翼世代が社会の権力を握る段階になって、また旧きよき青春の左翼思想に回帰しているのかもしれない。なんのことはない、結局彼らは馬鹿のまま大人になり、何も進歩していなかったわけだ。
今でも本屋の思想書コーナーに行くと、とんでも左翼思想本がずらーと並んでいる。置いてあるということはある程度売れるからだろう。これはカルト以外のなにものでもない。
私の学生時代は、ニューアカ=新赤=新マルキストがもてはやされていた。柄谷や蓮實、岩井、浅田といった連中だ。こいつらもどうしようもないバカ連中であるが活動家として政治力があったのであろう、皆さんとても出世した。結局、日本というのはその程度の知的後進国なのだという現実を見るに、しらけるものを感じる。
だから、何も信じず、何も期待せず、我が道を行くしかない。

posted by libertarian at 03:02| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月04日

Free books

mac + ipod touchで、appleの世界にはまっているが、私はやはりマックと相性がよい。昔よりもインタフェースが非常に洗練されていることを、いろいろと実感する。
FreeBSDでbashだし、これ以上PCに求めるものがあるだろうか?

ところで、このipod touchにはいろんなiAppliソフトが使えるのだが、豊平文庫というreaderがある。
青空文庫と連携していて、著作権のきれた本を読める。「星の王子さま」の新訳の「あのときの王子くん」というのを読んだ。
昔、読んだことがあるようなないような記憶があるが、この新訳は読みやすくてよい。岩波のきどった文章とは随分ちがって現代的で簡潔だ。いずれにしても忘れていたので初めて読んだようなもんだ。
さらに石原莞爾の「最終戦争論」なんてのもある。これもざっと読んだ。
私は中学生の頃、夏目漱石を全部文庫で読んだことがあるが、これも再読しようと思ってダウンロードした。
当時は面白いとも思わず読んでいたはずだが、今読んでもあまり面白いものではない。

なぜかiPodの液晶は非常に読みやすくて、目が疲れない。昔のclieとは比較にならないと感じる。
一般に本というのは商品性が短いので本来、著作権は特許のような登録制にしつつ登録料金をやや高めに設定し更新制にし、保護権利期間を短く5年位にするのが現実的な方策だろう。売れない本でも読まれないよりは少しでも多くの人に読まれた方が作者としても書いた甲斐があるはずだ。
前にも書いてきたが、この自然発生する特権(→著作権のこと)というのが、非常におかしな矛盾のあるものなのだ。

posted by libertarian at 00:23| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | IPR(Intellectual Property Right) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月01日

Political law

political economyという言葉はあるが、political lawというのはあまり聞かない。
たとえばgoogleでこれを検索すると、ヒットは沢山あるもののwikiなどにはその項目がない。もちろんpolitical economyの項目はある。
political lawという言葉が基本的にないのは、政治と法は別と考えられているからと思う。
例えばpoliticsは薄汚れているが、法には清廉なイメージがあるのであろう。
しかし政治において国会とはまさに法律を作る機関であり、政治権力と法律は一体だ。
国会が法律を作る場というが、この場合の法律とはほとんどがいわゆる公法だろう。
私法を国会で作るというのはそぐわない。
司法において、この公法と私法が渾然となっているが、common lawなどは、この私法がメインだ。ハイエクが法(law)というときは私法を指していて、公法というのは法概念に入れていない。
この公法を大量生産する政府というのが近代中央集権国家の特性といえる。

私が間違っていなげれぱ、西側世界に現在広くひろまっていて多くの人がそれを民主主義の唯一の形態と誤解しているがゆえに守もらなければならないと感じている、代議制政府という特定の形態には、それに貢献させようと意図していた理念から外れる固有の傾向が確かにあるように思う。
 このタイプの民主主義が受容されるようなってしまったから・われわれは、かつてそれこそ個人の自由の確かな安全弁とみなされていた個人の自由のあの理念から遠ざかりつづげ・今や誰も望まなかった体系に向かって漂流しつつあるということは、ほとんど否定しえない。」(ハイエク)

ハイエクは民主主義という概念を、制限された権力というイメージで捉えていて、その意味で民主主義に肯定的だが、代議制という政治形態が民主主義と同じでもなければ、その必然的な形態とも考えていない。逆に現代の代議制は、その正反対の無制限の権力つまりは、無制限の立法権力となっているがゆえに危機的だと考えていた。
私法とは、コモンローの歴史の中で自生的に形成されたもので、そのような法は立法によって生まれるべきものではないとも考えていた。
そして、現代は私法と公法の区別すらも曖昧になっていることを指摘し、立法権力の制限がないタガが外れている状態と思っていたようだ。

結局、政治とは立法権力であるから、政治改革とは本来、立法権に関する改革である。
リバタリアニズム的には、政治の立法権力を本質的に制限することができれば、それは必然的に小さな政府になることを意味する。だが立法権を制限できなければ、いかなる政治改革も小手先のものにすぎず、現状を糊塗するだけのものだろう。
政治の関与可能な領域を限定することは、立法権の及ぶ領域を制限することと同じなのだが、これを可能にする法的、憲法上の根拠が、大陸法圏の国には絶対的に欠けているのであろう。
posted by libertarian at 20:54| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | F.A.HAYEK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月28日

CUDA on Mac

私の持っているMacBook ProにはNvidiaのGeForce9400mというGPUが搭載されているが、
これはなんとCUDAに対応しているのである。これは嬉しい誤算であった。
NVIDIAのCUDA対応のGPUリストに9400mが載っていなかったのでてっきり非対応とばかり思っていたが、WEBでたまたまできることを発見した。
デスクトップPCのLinuxにCUDAを入れているが、ノートパソコンでCUDAが使用できるのはありがたい。
しかし、最近のAppleは実に輝いているように感じる。私もマックを買ってよかった。
実際、業績的にもAppleの株式時価総額は、IBMやHPをも大きく上回っているのである。

http://www.wolframalpha.com/input/?i=apple+ibm+hp+

ちなみに以下はCUDAのサンプルプログラムのSmokeParticle

スクリーンショット(2009-10-28 23.51.35).png

posted by libertarian at 20:30| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月25日

Kindle2

今、Kindle2を買うかどうか検討している。3万円程度で買える電子がジェットとしてはなかなか面白い。

一番のポイントは、これが3G端末であることで、それも基本料金が一切いらないという点だ。これでまともなブラウザが載っていてなんでも見れればモバイル端末としては革新的なのだが、今のところweb browseに関してはかなり貧弱のようだ。

また当然のことながら、日本語フォントなんてのは入っていないから日本語のサイトは見れない。日本語の本も読めない。また英語のサイトであってもフォーマットはがたがたになるようだ。
また、小説などは割安で買えるようだが、技術的な専門書に近い本、例えばOleileyの本など、紙の本とあまり値段が変わらない。流通コストがない分、価格が半分くらいにならないとおかしいが、こういったデバイスが普及すればそのうち安くなっていくだろう。

あちらでは、nookというkindleの対抗商品もbarnes & noble から出てきた。
こちらのほうが、安くて高機能。
調べてみると、この手のデバイスはいろいろあるようで、次のURIにまとまってる。
http://jp.techcrunch.com/archives/20091020chart-how-the-nook-stacks-up-in-the-ereader-race/
しかし日本で買える3G bookreaderは今のところkindleくらいだ。

こういったデバイスは汎用性はないがネットとつなげることで、いろんな可能性が生まれてきた。できることは限定されているが、OSを意識する必要がないし誰でも操作が容易で、データはいくらでもネットから持ってくることが出来るから、その点で使い方は無限である。
本は重いしかさばるし、電子ブックは昔からいろいろあったものの、ディスプレイが普通の液晶では性能が低すぎるのが致命的であった。
今は、Eインクという新型ディスプレイを導入して使用にようやく耐えるようになってきたようだが、そのうちこれも有機ELに置き換わっていくのであろう。
まだ黎明期の商品であるが、新し物好きは今のうち買うべきかもしれない。
posted by libertarian at 14:16| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月24日

Bossa Nova

私は、ボサノバが好きだが、よく行くExcelsiorという喫茶店でいつもアストラッド ジルベルトの歌がかかっている。もちろん、私はジルベルトのファンだ。
ジルベルトはヘタウマと言われることがあるが、超絶技巧的なヘタウマというか、技巧を超越した天才歌手である。
あれだけ同じ曲がいつもずっと喫茶店で流れているのにほとんど飽きることがない。
夫のジョアン ジルベルトも完全なる天才音楽家だが、世の中にはこのような奇跡的な取り合わせというのがあるものだ。
Beatlesも、やはりあのメンバーの組み合わせがあってのものだろうし、そういった幸運な奇跡的な巡り合わせがあの時代は結構あったように思える。

iPodを買って、ソリテアとiTunesShopにはまってるのだが、
最近のボサノバでいいのはないかと探して、アン サリーという韓国人歌手の曲を買った。
なかなか味わいのある歌い手だが、やはりジルベルトの天才には比べられない。
#しかしiTuneは意外と使いにくいソフトでiPodで買った曲が下手に同期をすると消されてしまう。これは実に危険な仕様だ。
最近の歌手ではNara Leonもなかなかいいが、やはりジルベルトの天才は感じないのである。これは、歌がうますぎて、ジルベルトのような音程のゆらぎがないからだと思う。音程がゆらぎすぎても破綻してしまうが、それをいい感じに保つことで発酵食品のような複雑な味わいが生まれるのだと思う。ジルベルトの場合、これが意図してか意図せずしてかいい状態で保たれているのが天才的だ。

posted by libertarian at 00:00| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月23日

Membership?

hamachanが私の前のポストにこう書いている。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-46ee.html
>法制上は今でも、日本の労働者はたとえ正社員と世間的に呼ばれていても、会社のメンバーではありません。会社のメンバー(社員)は会社への出資者のみであり、株式会社であれば株主のみです。

普通、membershipというのは”会員”と言った意味で、社員=shareholder,stockholderの意味では使わない。もちろん、本来の社員が株主のことであることは自明だが、それをmembershipと呼ぶのは自明ではないと思う。
とくに”日本型雇用システムにおける雇用とは、職務ではなくメンバーシップである”(p4)という定義で、メンバーシップを社員=株主と置き換えたら意味がまったく通らないだろう。

また、p2で
「雇用契約とは「当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを訳することによって、その効力を生ずる。」(民法623条)と定義されていますが、問題はこの「労働に従事する」という言葉の意味です。(snip)しかし、どういう種類の労働を行うか、(snip)その範囲内の労働についてはのみ労働者は義務をおうし、使用者は権利を持つというのが世界中の通常の考え方です。」

と、書いてあり、これは具体的な労務内容の契約を含んでいないのが日本的な雇用契約であり、その点において日本は特異であり、契約となりえないような会員権=メンバーシップ的な内容しかないということではないのか?
本人が違うというのだから違うのだろうが非常にミスリーディングな表現で、とくにメンバーシップの意味が社員=shareholderという意味だというのでは意味が通らない。

私は、日本の雇用契約が実態のない会員権だと前から考えおり、それは契約に値しない契約だろうと思っている。その点で、hamachanの指摘に同意するところもあったわけだが、やはり考え方がかなり違うようだ。まあ、当然か。
おそらくhamachanは、このメンバーシップ性を肯定的に考えているのだろう。何をどう考えても勝手だし興味もないが、それは正しい考えとはいえない。

私はジョブ型契約もメンバーシップ型契約も、どちらもプロパティ・ライトのあり得る類型の一つと捉えることができると思っています。

このプロパティ ライトの解釈はまとをはずしている。
リバタリアニズムにおけるプロパティライトを、通常の民法的な意味での所有権と解釈するのは、間違いだ。日本で法律を学んだ人間のほうがむしろリバタリアニズムを理解することに支障があるのは、この点が誤解されやすいからだ。
この点はDeepなポイントであるから詳しく立ち入って説明するつもりはないが、リバタリアニズムを新自由主義などといい加減で適当なまちがった理解をするのでなく、ハイエクやミーゼスやフリードマンをまじめに読めばわかるかもしれない。
リバタリアンとバタリアンは、たった1字の違いかもしれないが、この違いは自由主義と隷属主義の違いなのである。

#昨日のアクセスがやけに多いと思ったら、BLOGOSとかいうサイトからであった。サイバーリバタリアンが関わっているらしいこのサイトにhamachanもメンバーとなっているらしい。
サイバーリバタリアンのBlogも大入り盛況のようで、ジャーナリストが本分の人間にとってはこれ以上の満足はないだろう。Blog界のみのもんたとして、これからも頑張ってほしいものだ。

posted by libertarian at 22:28| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月21日

Contract,Membership,Private property

hamachanの例の本を読み終えた。 
各論に立ち入って論じるつもりはないし、本の書評をするつもりもないが、基本的に私が問題としているのは、常にリバタリアン的な自由の問題である。つまりprivate propertyを原理とする選択の自由、契約の自由といった問題であり、その他は派生的な注釈に過ぎない。労働法もprivate property しいては自由の問題に帰着すると考えるのである。
hamachanが労働法の本質的問題と指摘している契約とメンバーシップの相違は、組織の成立条件として対照的だ。
この観点から会社組織については、過去にもBlogで少し書いてきた。随分前のポストだが例えば次のポスト。

会社は誰のものか 
http://libertarian.seesaa.net/article/37254905.html

ここでは雇用契約を前提としてるが、日本の会社組織が職務契約をベースとしていない組織とすると前提が狂ってくる。日本は役所のみならず民間企業もメンバーシップ契約ばかりかもしれない。
そもそも歴史的にヨーロッパにおいて土地所有が基本となり財産権概念が定着していったようだが、日本は財産権という概念が確立していたのか疑わしい。村社会を基礎単位としたメンバーシップ社会で、ゆるい財産権概念がなんとなくあっただけなのかもしれない。

労働契約が職務契約であれば、これは商人がものを売るのと同等の、売り手と買い手の間の対等な交換契約であって債権ー債務関係であり、労働成果を売る商行為に他ならない。

例えば食器を作る技術があれば、最終生産物の食器を売らなくても、食器を作りたい工場でその技術を売ることができる。
そして、ここでは最終製品を売るのも、技術を売るのも同じことで、どちらも自分のprivate propertyを売っている。 
職務契約とは、技術のようなprivate propertyを持つ人間の商行為といえる。

家父長的なメンバーシップシステムでは個人の所有権も債務も明らかでないし、何を売っているのかも定かでない。
日本は、江戸時代まで儒教をベースとした家父長主義的メンバーシップ社会を強固に築いてきたから、表面的には西洋の近代的な法制度を持ち込んだが、その後の社会も江戸の社会をベースとしたものになった。
いまだに組織の売買を可能にするsecuritize(証券化)の意味も理解できていないし、だからライブドア事件のような騒ぎが起こるわけだ。

西洋的な意味での自由概念(liberty, freedom)は、private propertyの概念とともに生まれたが、日本ではprivate propertyの制度概念がないために、自由に相当する言葉自体が長らく存在しなかった。
日本語の自由という言葉は明治の1875年頃に福沢諭吉が西洋の本の翻訳のためにlibertyの翻訳語としてはじめて作った。それはありがたいお経のようなもので、その意味はほとんど誰にも分からなかったろう。実際、福沢諭吉は、仏教の経典から自由という言葉を持ってきたのだ。

契約が実はメンバーシップを意味するのみで、他に内容がないというのでは、hamachanの言うとおり契約とは呼べない。そして契約がないのであれば、何かを交渉すべき根拠もないことになる。組織に絡めとられてしまい何もないのが日本の従業員階級=小作人階級ということだ。

このような日本の雇用契約は、法律的に民法623条で定義されていて、単なる慣行ではない。民法623条が生んだ結果といえるだろう。そしてこの間違った民法の上に労働法体系が作り上げられているようだ。 
労働法は、さまざまな特権を作っているが、それ以上に問題なのはこういった民法レベルの内容かもしれない。民法は一般法で特権や規制が書かれているわけではないが、契約の根本に関わる規定だから、全てに影響を与えている。

では今の日本の会社が契約関係のない身分社会となっている前提から、何を変えればいいのかといえば、やはり民法623条を書き換えるべきだ。「労働に従事する」ことを労働契約とするのでなく、その職務内容を規定することを盛り込むといった改正だ。そうすることで、メンバーシップ社会=身分社会から、契約に基づく非身分社会に移ることができるかもしれない。今のままでは、100年たっても日本の会社組織はゲマインシャフトから変わらないのではないか。

ここで重要なのは、契約概念とprivate propertyの原理であり、またその帰結としての自由だ。private propertyと契約を法的に再定義するといったところから日本は始めないといけないレベルなのかもしれない。
成熟した大人の近代国家になったつもりでいたが、実は小学生レベルの学力もあやしいまま大人になってしまったようなものだ。これはほとんど明治のはじめの時期に戻ってやり直すような作業だが、ほんの120年ほど前に戻るだけのことだ。臆せずやるしかない。
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posted by libertarian at 22:09| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月20日

Contract of membership

今、バタリアンことhamachanの著書「新しい労働社会」を読んでいる。
そもそもバタリアン(=Labourtarian)であるhamachanが何を言っているのか知らないのでちょっと興味があったわけだ。もとより私は労働法そのものにはあまり興味がないが、労働問題は少し関心を持っている。

この本は、日本型雇用システムにおける雇用とは、職務ではなくメンバーシップであるという観点から、今の労働法制の問題点をオーバービューしている本である。
ざっと2章まで読んだので約半分ほど読んだわけだが、法律に素養がある(*)バタリアンの本だけあって、労働法の実態を知る上でなかなかためになる本であるようだ。

基本的にPolitical economyである社会制度を論じる場合、法律が先か経済が先かという議論は常にあるわけだが、経済学では経済がFundamentalであり法はそれに従属していると考える。さらに言えば、経済学では経済的合理性に対し法律がそれに反する規範を作ればそれは社会全体にとっての不幸になるという考えがある。
一方、制度=法律が先で、それにあわせて経済が動いている面もある。例えば特許法などみれば、制度があって、それに対応して経済の仕組みが作られている。
私もこの考えを基本的にもっている。つまり問題とすべきは法律そのものであり、実定法の改廃なくして、現実は変わらないと考えている。

だから労働問題は何を目的として何を解決しようとするものかははっきりとしておいたほうがいい。
経済学では、労働問題においても経済発展しいてはGNPを目的とするのはそれが投資と消費の合計に等しいからである。貧富の格差は、経済発展により時差をともなうが”発展的に”解消できるという発見がある。だが、ここらの経済学は法律家には、なかなか理解できないのだろう。
しかし明らかに問題とならないのは、労働者の権利を目的とする考えだ。ここでいう労働者の権利とはなにがしかの憲法上の理念を実現する手段として制定された法律の文言にすぎない。それは手段にすぎないから、目的とすべき神聖ななにかではありえない。むしろ特権は権利の平等の原則に反しているといえる。

私が考えるのは、経済発展や労働者の権利をこの問題の本質とするのは間違いで、この問題においても”自由”に焦点をあてるべきだということだ。これが、バタリアンともサイバーなんちゃってリバタリアンとも違う点なのである。

最後まで読んだら、またこの問題について少し書いてみるかもしれない。

特にこの問題において、リバタリアン的に気になるのは、メンバーシップという契約形態が財産権的な性質を持っているのかどうかといった点だ。

(*)ちなみに「法律に素養がある」とは、法律の業界用語で司法試験にうかった人という意味である。また法学部の教授が、法律に素養がないと具合が悪いので、法学部教授も法律に素養があるとして司法試験にうかってなくても弁護士などの法曹三者と対等の資格を自動的に与えているわけだ。
その点、経済学に素養があるというのは、誰でも名乗ることが出来るので、世の中に有害なだけのなんちゃって経済学者が多いのであろう。
すくなくとも法学よりも経済学の方が人材にぶれの多い業界のように見える。
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2009年10月18日

Mac and iPod

先日、MacBookProとiPod touchを買った。どちらも非常によい。
いままでWindowsを長らく使っていて、マックはOS8以来だがら12年ぶりくらいか。Snow leopardになり64bit完全対応になったこともあり、乗り換えた。乗り換えたといっても、Windowsも現役で使い続けるだろう。
だが、メインマシンはマックだ。
なんといっても、アルミ削りだしのデザインと質感が心地よい。またSafariもフォントが非常にきれいで普段見慣れたサイトが全く別ものに見える。こういった美観にこだわるのがAppleのよいところだと思う。また性能もデザインクオリティもきわめて高いが、値段は随分とリーズナブルでCPが高い。文句なしのマシンである。

iPod touchも、CLieのようなPDAからはかなり進化している感じだ。これにiTunes Uのビデオをダウンロードして電車や空き時間に見ている。画像もきれいでストレスがない。おまけに無料ゲームもネットからいろいろダウンロードできるし、これがまた非常にできがよい。世の中が進歩していることを実感する。しかしこれがWindowsだと全然進化している気がしないのだ。

エディターは、carbon emacsを使うことにする。emacsは苦手であったが、慣れれば別になんでもないし、結構面白い。
多くの人にとって会社で使うPCがWindowsなのはいたしかたないだろうが、家で使うにはWindowsマシンのような潤いのないものよりもMacのような美的なものを使ったほうがパソコンに接している時間が潤いのある有意義なものになるだろう。実際、Macに向かっている時の方がリラックスしている気がする。
例えばネットをブラウズしているだけでも、マックのSafariで見た方がずっときれいで、その分読みやすいく気持ちもよい。
結局、PCを使うということはそういった時間の積み重ねだから、みなさんも家ではマックを使ってはどうか?
私は一応、趣味の開発用マシンとして買ったが、これからはマックで何でもやることになると思う。
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2009年10月15日

Rescue and Aid

 

蔵さんが、シンガーの紹介をしている。シンガーの問題設定は、いかにも理科系的な考え方だと思う。私はこういう”理科系バカ”が嫌いである。

もちろん、こういった考えをする文科系バカも嫌いだ。

だが、シンガーはおそらく頭が悪いのではなく、知識が足りないのだろう。ドラマNumb3rsでも、天才数学者の息子に、学生運動くずれの親父さんが、「お前は数学はできるが、なんでもできるわけではない。たとえば政治は知らない。」という場面があった。これは実に正しい。

 

ここでは、救助の問題と援助の問題が混同されている。

「例えば、池を通り過ぎようとしたとき、そこにおぼれて死にそうになっている子どもがいれば、人は靴や服、そして仕事時間を犠牲にしても、子どもを助けるでしょう。」

とあるのは、救助の問題だ。

「私たち先進国でそれなりの生活をしている人は最貧国の子どもたち(など)を救う義務があるのに、それをしていない。」

というのは、援助の問題だ。

では、救助と援助の違いはどこにあるのか?

援助は救助と違い、持続的なものであることを目的としている。一時的に救助してもその原因が貧困によるものであるならば、貧困がなくならない限り、救助は限りなく必要になる。だが、経済発展を可能にすれば、それにより貧困が減少し、自立が可能となり、救助をしなくてもよくなるだろうという考えだ。だが、これはイースタリーがいっているように何故かうまくいかない。しかし、もちろん、これは別に不思議なことではない。

http://libertarian.seesaa.net/article/104741834.html

それがうまくいかないのは、援助には援助される側のインセンティブがないからである。

イースタリーは、「人間はそうすることが経済的に見合うことはするし、見合わないことはしない」という言葉を使っているが、これは、後進国の人間のことを言っていて、先進国の人間に向けて言っているわけではないのだ。

市場がなければ、ものの値段が存在しないのと同様にインセンティブも生まれない。だが援助は市場メカニズムではない。これはある種の福祉システムの恩恵のようなものである以上、逆のインセンティブ、フリーライドのインセンティブを生んでしまう。それはその途上国そのものを日本の地方自治体のような体質にしてしまい、一向に経済発展しなくなってしまうわけだ。

ここで言えることは、救助の延長線上に援助はないということである。

 

私ももちろん救助は否定しないが、救助はいかに行うべきかということが問題となる。池でおぼれている人の例は、まさに人命救助が必要となるケースだ。だが、この場合でも、その溺れてた人が貧乏で浮浪者だったとしても、救助したその後の経済的世話までしなければならないというおまけはついていないはずである。もし、そんなおまけがついていて、溺れている人を助けた場合、その人間の世話を一生涯みてやらなければならないとか決めれていたなら、誰も助けてはやらないに違いない。

救助は一過性、一時的なものなのである。だから経済的損得とは別に超短期的視野で救助するインセンティブが生まれるのである。そのため溺れる人を助けようとする人間が逆に溺れてしまうということもおこる。

 

前にも書いたように援助をするのではなく、移民を受け入れるほうがより本質的な援助となるだろうし、貧困している個人のインセンティブを活かすことができる。インセンティブは個人にしかなく、集団や国家にはない。今は人格をもった先進国の国民国家が、後進国の国民国家を助けるという構図になっていて、これが根本的な間違いだということだ。

 

 

 
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2009年10月12日

Entrance Barrier

ここ数年、とくにこの1−2年でネットの参入障壁がどんどん低くなっている。たとえばAppleStoreで、音楽も本もソフトを誰でも販売できるようになったし、iPhoneといったデバイスが急速に広まったし、Kindleなんてものもある。
さらにクラウドなんてものもあるし、ネット系でメジャーとなった新興企業が、門戸を開いて、従来の流通システムを本質的に変えようとしているといえる。
これらは、当然のようにすべて海外のビジネスモデルであり、日本でそのような動きは一つも出てきてない。
起業を政府が推進などしなくても、このように参入障壁が下がれば自動的に、雨後のタケノコのように起業をしようとする人間が湧いてくるのだ。

政府が、産業振興の旗をふっても、こういった本質的なことは絶対にできない。もとよりそのようなことは政府の役割でもなければ、機能でもないからである。
ではGoogleやAmazonやAppleが、なぜこのようなことが可能かといえば、それは彼らが広大な私有地のようなものを持っているからで、Googleのインフラも彼らの私有地だから、クラウドのような仕組みを提供できる。またそこにインセンティブがある。ボランティアでやっているわけではないから、win-winなのだ。
一方、政府は私有地をもたないし、一切のインセンティブを持たないから、なにもできない。
また、政府のやることは全て税金を使っている以上、不特定多数の犠牲の上に、無駄な金をばらまいているだけというのは周知の通りだ。まったくWin-winの関係ではない。
結果はかならず逆の結果になるだけで、実際、日本で起業がすくないのは既得権者保護のために参入障壁が高くなっているのが理由だ。
特に物流、流通の参入障壁が日本は異様に高いため、起業を困難にしてきた。

だが、幸いにしてネットに国境はないので、今日本の若い人も海外の流通の仕組みを利用することができる。これにより、自らを助くものは救われる可能性がある。
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Kindle

日本でもアマゾンでKindleが買えるようになるらしい。

今、アマゾンの説明をみたところ、Kindleのアドバンテージは、3G wirelessでネットに接続し、それも接続料も月額基本料も何もいらない点にあるようだ。

必要なのは書籍購入費とKIndleを購入する初期投資だけ。

Webがどこまで見れるのかわからないが、無線LANでもなく3Gでネットアクセスできるのは自由度が圧倒的に高い。このビジネスモデルを生み出したのはさすがアマゾンという気がする。

書籍でも1500円以上買うなら配送料無料というビジネスモデルはアマゾンの圧倒的なアドバンテージだったと思う。ビジネスモデルとは、本来このようなものをいうのであって、サーバやプログラムの仕組みのことではないのである。

 

iPhoneのような3Gケータイを契約をすると、全く使わなくても高額の契約料金が毎月、自動的に発生するのとは大違いである。

この料金はどこかに潜り込ませているのであろうが、本(のデータ)代に混ぜているのかもしれない。

 

Kindleの実物をみたことがないが、ディスプレイも普通のTFTとは違い、紙に近いコントラストがあるらしい。液晶性能はこの手のデバイスとしては決定的に重要だ。

今まで日本で出たこの手のデバイスは、ディスプレイがただの低品質液晶で圧倒的に魅力に欠けた。そんなものならパソコンで読むほうがいい。

 

これが3万円弱の値段なら、私も購入を検討するかもしれない。特にPC関係の本は電子書籍で読むのに最適だ。分厚いしかさ張るし重いし、実用書であるから本棚に並べておくものでもない。検索が容易になるのもよい。またコンピューター関係の本は翻訳でなく英語で読むのがよい。情報が早いし、種類も豊富だ。また翻訳本となると翻訳品質に当たり外れがあるので、原文の方がかえってわかりやすい場合もある。

 

しかし、ノートパソコンにもKindleのようなペーパーライクな品質のディスプレイを搭載したモデルが欲しいものだ。カラーでなくても構わない。文章読んだり書いたりする場合で、特にプログラムを書いている場合は、カラーである必要はないし、視認性の高さが圧倒的に重要だ。パソコンを長時間触っていると目が疲れるのは、ディスプレイの性能がまだ高くないのだ。

 

 

posted by libertarian at 11:34| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月10日

Ownership of company

またサイバーリバタリアンネタの話だが、別に粘着しているわけではない。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/4aca4adaaf0c65741d655d6bff2d37eb
ここでオーナー企業の時代というが、任天堂やユニクロは上場企業で株式を公開しているから純粋なオーナー企業ではない。大株主が創業者一族というだけだ。

純粋なオーナー企業とは、何度か書いたがKochが所有しているKoch Industriesのような株式未公開企業しかない。
http://libertarian.seesaa.net/article/95534710.html
http://libertarian.seesaa.net/article/37481212.html
http://libertarian.seesaa.net/article/122129339.html

日本でもサントリーとかは株式未公開のオーナー企業であるが、今度キリンと合併するので、公開企業になる。
この点、サントリーのオーナー一族は、昨今のCSRに洗脳されてしまったのかもしれない。

今後重要となるのは株式未公開企業の資金調達のより自由なあり方ではないだろうか?
間接金融と直接金融というが、銀行融資か株式公開かという2つでは狭すぎる選択肢だ。
株式公開すれば規制だらけとなるし、デメリットも大きすぎるようになってしまった。
ただこういう”制度設計”は、政府が考えるべきものではなく、政府が手を引くことでしかよいアイデアは発明されない。
posted by libertarian at 23:14| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする