2006年11月22日

BECKER On Milton Friedman's Ideas

[http://www.beckerposnerblog.com/]



ゲーリーベッカーのミルトンフリードマンの死を悼む記事がある。

ベッカーとフリードマンの関係も良く分かり、あちらの真のインテリ階級の知的交流の豊かさを感じる。おそらく日本にはこういうインテリ階級が存在しない。



日本では、権威ある学者であっても所詮、国立大学(独立行政法人)の公務員だからだろう。

つまり、彼らは第一義的には学者というよりも公務員だということだ。



以前、フリードマンが、何故自由の闘士としてラディカルな意見を主張しつづけることができたのかという問いに対し、それは自分がTenureを持っていたからだとどこかで書いていた。

つまりアメリカの名門私立大学は経済的に政府から完全に自立している、つまりeconomic freedomを実現しているが、さらにTenureを持ったdistinguishedな終身在職の地位が与えられると恐れるものがないのだろう。

故に反政府的なラディカルな論理を展開できたのだということだ。

学問の自由とは、政府権力からの自立性を意味しているのである。



しかし、逆に日本の国立大学が最悪なのは能力のない人間であっても公務員であるがゆえに一種のTenureのような終身在職権を与えられていることだろう。余程のことをしないかぎり、公務員を首にすることはできないのである。

そのくせ、自由な意見など連中はまず言えない。なぜなら、公務員であるから、一番お上に迎合的な連中であり官僚主義の中に生きているのだ。政府からの自立性どころか、政府機関の一部にすぎないのである。

そこには真の学問の自立性はない。

日本の大学でシカゴ派が受け入れられなかったのは、まずこの連中が公務員だという前提から考えるべきだ。



そもそも日本でフリードマン、ハイエクを研究していたのは立教大学の西山教授であったり、早稲田などの私学で熱心に研究されてきたと思われる。要するに中央の権力とは距離を置いたところでほそぼそと研究されていたが、決して主流にはならなかったし、なれなかった。

一方、東大はずっとマル経〜ケインズ派だったが、これは当時の国策とも一致していた。また未だにその周辺で蠢いている。その中でも特に最悪なのが自称高尚な思想家である東大経済学部長の岩井克人だろう。

このアホはもうどうしようもない。最近のCSRブームにのって、くだらないことを気取って言っているが馬鹿も休み休みにしろというところだ。



また私が、日本の大学でリバタリアニズムを研究していると称している国立大学の連中に懐疑的なのは、公務員という立場的にもリバタリアニズムのような反政府の思想と矛盾しているからである。



#もう一方の、ポズナー爺のミルトンフリードマンに関する文章は鼻白むものがある。

 私は、どうもこの爺さんは気に食わない。


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2006年11月19日

Illegal plea-barganing and Livedoor case

「ヒルズ黙示録 最終章」のp163−165から少し引用する。



”堀江裁判の前半戦は高井弁護士の一人舞台だった。

「宮内が堀江に不利な、検察の望む供述をすれば、自分のことは捜査・起訴の対象にしないと思わせたのではないですか。特別背任(最高刑懲役7年以下)や横領(懲役10年以下)は証券取引法違反(同5年以下)よりも重い実刑事案です。それを不問に付してライブドアと堀江を起訴するのは正義に反する。控訴棄却を免れ得ないと思います。

よって控訴権濫用との関係で新たな証人の尋問を申請します。」



高井の声が響いた。



「宮内の取り調べ検事、藤野。起訴した斎藤隆博検事。大鶴基成特捜部長。三人を承認として尋問することを要求します。」



前代未聞の事態に、高橋久志、市川宏、藤野の3人の検事は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。ライブドアの粉飾事件は検察も粉飾していた。”





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高井弁護士が述べた以上のことは事実であろう。

この事実だけでも、検察の敗訴は確定されるのが筋だ。

検察は自らの捜査に一点の違法性もあってはならないのである。

今のところ、検察に対して自浄を促せるのは裁判所だけだ。

検察の不正を明るみにして検察を敗訴させることで、権力をかさにきて、ライブドアと市場、しいては社会そのものに恐るべき莫大な損害を与えた特捜部が断罪されなければならない。



喧嘩両成敗的な判決がもしでるようなことがあれば、日本の裁判所は終わっていると世界に

向けて発信することになる。

日本では検察の勝訴率が100%近いという異常さは裁判というよりも出来レースに過ぎないとして既に外国からも批判されている。



p165

”大鶴の元上司だった高検検事長経験者は、大鶴の取り調べ方を何度も確かめたが、改まらなかったことを打ち明けた。

「自分の内面の弱さを隠すために、権力をかさにきて取り調べる。本人に面と向かって『そういうやり方はやめなさい』といったのだが、なおらなかった。彼は事件を作ってしまうんだ。」”



p168

”・・実は、梶山(静六)に金は渡っておらず、ゼネコンの元幹部が個人的に着服していたのであった。

法相まで務めた梶山(静六)に対する捜査としては、あまりに荒っぽい捜査だった。当時の同僚は「大鶴が手柄を焦ったのではないか。彼の取調室からはいつもものすごい怒鳴り声が漏れていた。」と打ち明けた。”




この証言も衝撃的だ。

これは、社会に対する検察による重大極まりない犯罪行為である。

大鶴特捜部長による公権力をかさにきたその暴力性と犯罪性が際立っている。

具体的には訴権の濫用だろうが、この事件では既に死人まで出ているのであるから、それだけで済む問題ではない。



また、こういった人間を特捜部長にしてしまう検察の体質もおかしい。

これ以外にも、検察の蛮行に対する公判で述べられた事実が、この本にはたんたんと載っているから是非一読をお勧めする。

裁判員制度が近く始まるが検察の実情が広く知られることが必要だ。



先日、ホリエモンが、公判で検察に対し恥を知るべきだと発言したことがニュースになっていたが、実に正論だ。


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FROM SUBSISTENCE TO EXCHANGE



FROM SUBSISTENCE TO EXCHANGE (P)

And Other Essays



by Peter T. Bauer,

with an intro. by Amartya Sen

Princeton University Press, 2000, paperback



Lord Peter Bauer, a pioneer of development economics, reveals the full power and range of his thought in these essays, focusing on the central concern underlying much of his diverse work: the impact of people's conduct, their cultural institutions, and the policies of their governments on economic progress.



For years, Bauer stood virtually alone defending economic liberty against politically powerful "development" economists who claimed that it didn't work in the Third World and that big government was needed there. This collection of brilliant essays affirm that economic liberty benefits all people everywhere.



Bauer cites solid evidence countering the endless claims that free markets make the rich richer and the poor poorer. Rejecting the dogma of Western guilt, he shows how free markets create opportunities for the humblest among us to lift themselves up. He presents an overwhelming case that big governments are responsible for the waste, corruption and brutality which have kept millions impoverished around the world. Even if you aren't particularly interested in faraway places, I bet you'll be fascinated to see that liberty is a truly universal ideal.



"The essays here contain many of the key elements of Professor Bauer's thought, which I regard as an oasis of common sense in a desert of muddled thinking. . . . He goes after weak and selfserving explanations with commendable vigor."

Richard Epstein, University of Chicago

[http://www.lfb.com/index.php?deptid=&parentid=&stocknumber=IL8884&page=1&itemsperpage=24]

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この本は是非読んでみようと思う。

この本の第1章のPDFが以下に公開されている。

[http://press.princeton.edu/chapters/s6828.pdf]



ジェフ サックスのようなnaiveな偽りのヒロイズムとは対極にある考えのようだ。

サックスのような人間にすぐ騙される人間は、ロートルの元左翼が多いのだろう。

また、結局そういう人間は右も左もわからないのだろう。
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2006年11月18日

Milton Friedman Videos

[http://video.google.com/videoplay?docid=6407847019713273360&q=milton+friedman]



Google videoのミルトン フリードマンのビデオ集。

ミルトン フリードマンの主張をコーラスにしたものが面白い。



その他も、合計数時間におよぶインタビューフィルムがまとめられている。必見だ。
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SOX is nightmare

[http://opentechpress.jp/enterprise/article.pl?sid=06/11/13/1054238]



「SOX法404条は悪夢だ!」──前FRB議長のグリーンスパン氏が指摘

2006年11月13日



 米国連邦準備制度理事会(FRB)の前議長アラン・グリーンスパン氏は11月8日、米国企業改革法(SerbenesOxley Act:SOX法)の404条について、「費用のかかる“悪夢”のような条項だ」と、厳しく批判した。

 グリーンスパン氏は、米ボストンで先週開催されたAMRリサーチ主催の「Executive Leadership Conference」で基調講演を行った。18年間務めたFRB議長の職を今年1月に退いた同氏は、米国と世界の経済のさまざまな問題を論じる中で、大手企業の会計スキャンダルを受けて導入されたSOX法についての持論を展開した。



 同氏は、財務報告の多くが過去の記録よりも将来の予測に重点を置いていると指摘、「(企業の)会計責任者が作成しているのは、芸術作品のようなものだ」と述べ、会場を沸かせた。



 ただし同氏は、CEOとCFO(最高財務責任者)に会計報告の承認を求める必要があることについては認めている。自社のビジネスの価値がどこにあるのかを熟知しているのは彼らだからだ。



 そのうえで同氏は、SOX法の404条に触れ、「きわめて費用のかかる“悪夢”のような条項だ」と批判した。404条が、企業の監査責任者に対し、財務報告システムとプロセスを守るために導入された内部統制の有効性を証明するように義務づけているからだ。



 グリーンスパン氏は、「上下両院でまともに審議されずに全会一致で成立するような法案が良い法案であるはずがない」と指摘。2002年にほとんど論争もなく成立したSOX法について、議員の大半が法案すらまともに読んでいないと批判した。



 同氏は、SOXの再評価を求める民主党上院議員のチャック・シューマー氏とバーニー・フランク氏の取り組みを賞賛し、404条を改正する必要性を強調した。ニューヨーク選出のシューマー氏は、金融センターとしてのニューヨーク市の状況に強い懸念を示しているという。「(シューマー氏は)ロンドン市場に株式を上場する動きが広がっていることを認識している」とグリーンスパン氏。

(snip)



 しかし、コンピュータ化による生産性の向上が、過去に起こった技術の飛躍的進歩よりも早く達成されるかどうかはわからないと指摘する。同氏は、生産性向上を制約する要因は技術ではなく、人の知的能力だとしたうえで、「はっきりしているのは、われわれがそれほど賢くないということだ」と述べた。


 (snip)

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さすがに自称リバタリアンのグリーンスパンだけのことはあり、言うべきことを言っている。

アメリカがSOX法の見直しを本格的にしないかぎり、日本はこのまま突っ走ることになるだろう。

アメリカですら見直しているということにならないかぎり、日本で見直しの機運が高まることはありえない。


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Global Socialism

ミルトンフリードマンのインタビューを以前粗訳したものを採録する。

2000年頃のインタビューで、このときフリードマンは88歳だった。



"Where we stand today" by Milton Friedman

[http://www.pbs.org/wgbh/commandingheights/shared/minitextlo/int_miltonfriedman.html]

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インタビュアー:あなたのアパートからは、シリコン・バレーを一望できます。

情報テクノロジー(インターネットそして、ニューエコノミー)が、ご自分の人生をつぎこんだ経済学そして政治の大問題に対し、どのように影響を及ぼすと思いますか?



ミルトン・フリードマン:私はインターネットが影響を及ぼす最も重大な点としては、それにより政府の税徴収がかなり難しくなるだろうということが大きな問題と考える。

そして、それは非常に重要な要因であると思う。

政府は動けないものから税金を最も効果的に徴収することができる。

だからこそ、財産税は常に最初に作られる税である。

人々は動くことができるので、彼らに対する税金徴収はやや難しい。

アメリカ合衆国の中の州は人々に対する税金を徴収することがもっと難しい。しかし、アメリカ合衆国全体としては、より容易に人々から税金を徴収することができる。

では、インターネットだが、それはサイバースペースで、記録を残さずに、業務を可能にすることによって、また英国の誰かがアメリカ合衆国で本をアマゾン・ドット・コムに注文することができるように、アメリカ合衆国の誰かは、インドで取引することができる、このように人々が動くことを可能にすることで、サイバースペースが税徴収を政府にとって非常に難しくするだろうと思う。

そして、それは政府がすることができる役割を減らすこと対する非常に重要な影響を持つだろう。



インタビュアー:では、我々は、現在、ある種の”ハイエキアンの国”へ向かって行進していると?



ミルトン・フリードマン:私は、我々がその方向にあると思う。

もちろん、それには利点と不利な点がある。

それは犯罪者にとっては犯罪の実行をより簡単にする、しかし、あなたは犯罪者と犯罪者を区別しなければならない。

アメリカ合衆国の状況をみると、懲役している人間が200万人(仮釈放の下にまたは監督の下にいる人だと400万人)いる。



インタビュアー:それは何故ですか?



ミルトン・フリードマン:それは政府が、人々が自分の体内に摂取するものをコントロールしようとする誤った試みのためだ。

いわゆる薬(違法薬物の)の禁止は、殆どの刑務所の現状の主な理由である。

そして、これは被害者なき犯罪である。そして、そのようなことが犯罪とされてはならないのだ。



インタビュアー:モンペルランでの最初のミーティング後、半世紀以上が経ち、誰が、その議論に勝ったのか?また誰が負けたのか?



ミルトン・フリードマン:誰が、その知的なレベルでの議論に勝ったかは疑いがない。

1947年時より、世界の一般に認められた知的意見が、今日では、中央計画そして、規制に対してはあまり好意的でないことは疑いない。

ずっと疑わしいことは、誰がより現実的な点で勝利したのかということである。

世界は、1947年のときより、今日、より社会主義的である。

政府は1947年の時よりも、今日ほとんどあらゆる西側の諸国では財政支出が高くなっている。

ビジネスへの政府規制は、より大きくなっている。

国有化(社会主義化)の動きはなくなってきている。しかし、経済への政府介入は疑う余地なく大きくなっている。



これが当てはまらない唯一の国は、元、共産主義体制の一部であった国々である。ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ロシア、また世界のその地域を通してみると、我々は知的な議論だけでなく、同様に実際面においても、その議論に勝ったといえる。

しかし、西側では、実際に誰が勝利したのかという議論は、まだ未決定だ。



インタビュアー:あなたは希望を持っているか?



ミルトン・フリードマン:もちろん、私は大いに希望を持っている。

私を誤解してはいけない。現在、我々が実際には議論に勝つというわけではなかった、しかし、私は長い目で見れば理念が支配すると思う。そして、私は我々が知的議論と同様に実行においても、議論に勝つと思う。

 

インタビュアー:中央管理は信用されなかった ― 政府が目立って退いたようである ― しかし、我々はますます管理されるようになっているということか?



ミルトン・フリードマン:異なる領域を区別しなければならない。

ある種の規制は減少した。価格規制、産業の特定規制は、全体として少なくなった。

しかし、他の種類の規制、特に個人のふるまいに係わる規制はぐっと増えた。

厳格な経済コントロールが、社会統制へと置き代わりつつあるのだ。



インタビュアー:あなたは、それらの規制が究極的には、自由市場への脅威であると感じているのか?



ミルトン・フリードマン:それは、自由市場への脅威でない。それは、人間の自由に対する脅威である。



インタビュアー:現在、政府は至る所で市場への干渉から撤退しつつあるか、もしくはそのように見える。あなたは、振り子が元に戻ることがありうると思うか?



ミルトン・フリードマン:振り子は、簡単に逆にふれることができる。

それは、反対にふれることができる、

誰も積極的に、そうしたいのでなく、単に、巨大な権力を支配する政府があるかぎり、常に特定の利益からの介入への圧力があるためだ。

そして、一度、政府から何かを得ると、そこから抜け出すことは非常に困難となる。だから、私は本当の危険があると思う。

私は、社会を自由に保つには継続的な努力が必要だという事は依然として今も真実であると思う。

ではその格言とは何か?



"Eternal vigilance is the price of liberty."

「絶えざる警戒が、自由の対価である。」



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フリードマンが最後に挙げた言葉は、トマス ジェファーソンのものである。

言葉を補えば「政府権力への絶えざる警戒の努力を続けることが、個人の自由を守るコストである。」となるだろう。



今の流れは非常に危険だ。アメリカはイラク政策の失敗からか今かなり反動的なムードがあり、次期政権はおそらく民主党になるだろう。

”偉大なる人道派の学者”?であるジェフリーサックスをNPOが大統領候補に推す動きすらあるらしい。

[http://www.sachsforpresident.org/]



フリードマンがいうようにアメリカにおいても社会が社会主義的にどんどんなっている。

なぜそうなるのかといえば、コモンローの国アメリカにおいても、禄でもない制定法がどんどん立法されつづけているからである。



アメリカが今後もし国連主義になびいていけば、グローバル資本主義ならぬ、グローバル社会主義が実現してしまうだろう。その可能性が高まっているし、すでに危機的な状況にあるのかもしれない。

社会主義は、環境主義、人権主義の衣をかぶって依然として猛威を振るっている。

そして、その最大の武器は今も昔も制定法による自由の制限だ。ナチスの法思想であるLegal Positivismは国連においてその完成をみようとしている。



個人情報保護法の成立以降、日本は全体主義強化の道を法的な面から整備しつつある。

今は驚くべきことに個人情報保護法の”見直し”として、この悪法の弾力化ではなく、個人情報漏洩罪のような強化策が水面下で進行しているのだ。

会社法での内部統制システム構築の義務化もその一つである。さらにJSOX法が2009年に施行される。めまいがするほどの悪法の立法がオンパレードだ。



企業の自由を守ることは個人の自由を守る上でも極めて重要なものだということが、忘れ去られている。というよりも理解すらもされていないのだろう。企業とは畢竟個人の自由な活動の形に過ぎないのであって、それはinstitution(社会の公器)でもなければ、社会制度でもない。企業活動を政府が制限することは、個人の自由を制限することに直結するのである。



法律の改悪に次ぐ改悪で、自由を根本的に制限する法律がどんどん作られている。

この流れがどこに行き着くのかといえばそれは明らかだ。

人間の自由の抑圧に行き着くのである。

制定法の非常に厄介かつ悪質なところは、いったん出来てしまった法律の廃止が極めて困難なところである。大陸法=制定法主義においては、「悪法も法なり」なのだ。

本末転倒なことだが、誰にもプラスにならない法ルールに耐え忍ぶしかないのである。








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2006年11月17日

Milton Friedman passed away

ミルトン フリードマンが今日亡くなったそうだ。

[http://www.hoover.org/bios/friedman]
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2006年11月16日

Mr. Sachs is wrong that Hayek was wrong

http://online.wsj.com/article_email/article_print/SB116355956112023480lMyQjAxMDE2NjEzNTUxNTU5Wj.html



Dismal Science

By WILLIAM EASTERLY

November 15, 2006; Page A18



Scientific American, in its November 2006 issue, reaches a "scientific judgment" that the great Nobel Prizewinning economist Friedrich Hayek "was wrong" about free markets and prosperity in his classic, "The Road to Serfdom." The natural scientists' favorite economist Prof. Jeffrey Sachs of Columbia University announces this new scientific breakthrough in a column, saying "the evidence is now in." To dispel any remaining doubts, Mr. Sachs clarifies that anyone who disagrees with him "is clouded by vested interests and by ideology."

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Mr. Sachs is wrong that Hayek was wrong. In his own global antipoverty work, he is unintentionally demonstrating why more scientists, Hollywood actors and the rest of us should go back and read "The Road to Serfdom" if we want to know what will not work to achieve "The End of Poverty." Hayek gave the best exposition ever of the unpopular ideas of economic freedom that somehow triumph anyway, alleviating far more national and global poverty than more fashionable Scandinaviaenvy and grandiose plans to "make poverty history."



ジェフリーサックスがサイエンティフィックアメリカンにとんでもなハイエク批判を載せたらしい。↓

[http://www.sciam.com/article.cfm?articleID=000AF3D56DC9152EA9F183414B7F0000]



ここに引用した文章は、Wall street Journalに載った、サックスの方こそが間違っていると批判した内容である。



おそらくサックスは超エリートとしての自負からか、名声への野心が強すぎるのであろう。

自分の過去のロシア政策の大失敗にハイエク批判をオーバーラップさせているのかもしれない。

今では大慈善家の顔をして、”税金を使って”貧困撲滅運動をやっているのもノーベル平和賞を狙いで、誰にも否定できないような”実績”を作りたいのに違いない。

だがサックスのやっていることは短期的には”善”かもしれないが、おそらく中長期的な観点では”悪”とでるはずだ。
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Abe and Nakagawa

「美しい国へ」(安部晋三)も読んだ。

この本は、政治家のプレゼンテーション本としてはよく出来た本だと思う。

軽く書かれているようだが、かなり推敲を重ねて書かれた本ではなかろうか。



阿部氏の保守やリベラルの理解には、中川八洋の本を読んでいることが伺われる。

中川氏譲りの国家感がその背後にあり、また中川氏譲りの誤解や偏見も同時にあると推察される。

つまり国家があってこそ自由は守られるとか、”無政府状態”はよくないといった単純な模式図があるのかもしれない。



中川八洋は、いまや日本の保守系政治家の影のイデオローグなのかもしれない。

私は当然、中川八洋のファナティックな保守主義は(オモシロイが)禄でもないと思っている。氏のハイエク理解も怪しいし、バーク主義なるものもかなり怪しい。ハイエクの引用は多いが、なぜバークの引用は少ないのだろう。

中川八洋のファナティシズムが政治権力と結びつくのは大いに警戒すべきことだ。


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Hills of genocide

「ヒルズ黙示録 最終章」(大鹿靖明)を読んでみた。

タイムリーな内容でライブドア事件の事実関係を詳しく知ることができる。

抑制の効いた筆致もよく筆者の大鹿氏は日本にはめずらしい洗練されたジャーナリストのように思う。



大鹿氏は、大鶴特捜部長のせいにばかりはできないとは書いているものの、今回の検察による捜査そのものが強烈な犯罪性と違法性を帯びていることに驚く。このような行政権力による暴力が堂々とまかり通るようでは、とても日本は法治国家とはいえない。



一体、なぜ行政権力のこのような蛮行が許されるのかといえば、検察は日本の権力システムのbalance of powerから外れたある種の絶対権力だからだ。



大鶴特捜部長の”闇の不正と闘う”という文章がWEBにあるが、そのあまりに幼稚な内容と小学生の作文のような文章が驚愕的である。おそらく一種の性格異常を持った人間と思われる。こういう人間こそずっと牢屋につないでおくべきだろう。



大鶴 基成

闇の不正と闘う

http://www.moj.go.jp/KANBOU/KENJI/kenji0201.html
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2006年11月14日

Sony and CSR

久夛良木氏を見放したソニーの迷走

PS3孤立無援に見るソニーグループの病巣の深さ


[http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061110/113488/?P=1]



この記事は面白い。たしかにPS3の前途は多難に思えるが、私もPS3をパソコンとして

そのうちGetしようと考えている。この手の記事の解説はそれほど当てにはならないと思うが。



あとさらに、以下の記事を引用しておく。



ソニー、終わらない電池回収

「顧客の安心」優先、市場シェア蚕食の危機

[http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061026/112506/]



” 電池の素材を供給しているあるメーカーの技術者は「なぜ電池の内部で熱暴走が止まらなかったのか」と首をひねる。「内部の温度が180度を超えると危険度が高まるために、電池には120〜140度で温度の上昇を止めるための安全弁やセパレーターなど4重、5重の安全装置が組み込まれている。そのすべてが機能しない事態など通常ではあり得ない」という。

・・・

350万分の1、すなわち0.3PPM未満の不具合が510億円もの回収費用を生む。ノートパソコン向けリチウムイオン電池で23.9%の世界シェアを持つソニーを襲った「成功の復讐」という皮肉でもある。0.3PPMをゼロに近づけることが可能なのか。「通常のルールを超えたところで判断した」回収。市場シェアが蚕食されるリスクにもさらされ、「打ち止め宣言」できないソニーの苦渋が続く。






========



このソニーの自主回収の判断は、私は当初から疑問であったが、sonyはもはや電池ビジネスから

撤退する選択肢しかないのではないか。

0.3ppm未満のリスクとして仮に、0.03ppmにしようとも数を売ればやはり数件は事故が起こる可能性は残る。さらに確たる原因も分からない状況であれば、確実な改善策も当面見つからないことになるだろう。



これは、strict liabilityやらPL法を恐れた法務的判断なのかもしれないが、ちょっと非常識な「顧客の安心」優先策に思われる。

このような事件では、日本の製造物責任法4条1項1号の免責事由が成立すると思われるし、アメリカのstrict liability上はよくわからないが、もとよりこれも全部回収を求める法律ではない。一切のトラブルのない製品など車でも電子レンジでもあるわけはないから、運悪く不具合が出た場合は個別に賠償するのが常識である。

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2006年11月13日

Public institution

”社会の公器”なる言葉をたまに聞く。立派な言葉に聞こえるが、その意味は曖昧である。

この公器という言葉は英語ではpublic institutionとなるらしい。

逆にpublic institutionとは、パブリックな公共施設、公共団体、協会ということになる。



しかし会社が、”社会の公器”なのだとしたら大変なことになる。自由企業が公共団体なのだとしたらそれは完全な社会主義〜共産主義国家だ。

こういった言葉の濫用は、非常に危険なものだ。当初そこにこめられた社会主義への願望を別の立派なイメージに変えてしまうものだからだ。



当然ながら、自由企業は社会の公器ではないし、まして公共団体でもない。

だが、このような言葉を会社理念やらとして謳っている愚かな上場企業も多い。

昨今のCSRだコンプライアンスだといった全体主義社会への暴走過程の中で、左翼の理念が手を変え品を変え虚飾を施した言葉で語られているのが現実だ。



もしコンプライアンスを法令順守とするのであれば、会社は明らかに社会の公器ではないと主張しなければならない。幸いにも法律上も明確に株式会社は株主にその全所有権がある制度である。今のところは・・というべきか。

そしてこの株主に会社の所有権があるとする制度は、自由にとって必要不可欠な私的所有権制度の基盤の一つでもあるのである。

社会的に死守しなければならないのは、この私的所有権の絶対性の原理だけである。




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2006年11月12日

Soft bank and it's big bungle

今回のソフトバンクのケータイ業界への参入では、どうも戦略を大きく間違えたらしい。

これまた大前さんのビデオをみて知ったわけだが、こないだのシステムダウン騒動は実は解約殺到に対する防衛措置だったというのが本当らしい。

[http://www.ltempower.com/lecture1/index.html#ko4]

#ちなみに私は大前さんとは何の関わりもない人間だから、別に宣伝しているわけではないが、お勧めである。



つまりソフトバンクは新規加入者には大きなインセンティブを与えたが、同時に既存加入者には逆のディスインセンティブを与えてしまったのだ。

番号ポータビリティを利用して解約し別の会社に移り、再加入するのが消費者の合理的行動であり、既存加入者は消費として”正しい合理的行動”をとったのだ。これが今回の解約殺到騒ぎとなった。



ただし、大前さんの説明でソフトバンクの価格戦略は間違いだったというのはやや疑問だ。資金銀行からの融資であるから、縛りがあるというのは事実だろうが、ケータイの消費者は価格に極めてセンシティブである。そして挑戦者には価格戦略が最善かつ唯一といってもよい手段であり、

それ以外には、戦う土俵を変えるしか術がない。そして大チョンボをしてしまったソフトバンクは今後、土俵を変える戦略をとるしかないだろう。それはそれで面白いかもしれないが、このような規制業界では困難を極めるだろう。



私が思うに、低サービスで低価格という戦略もありだと思うのだが、なぜそういうサービスを出す会社がないのだろうか?私のようにたまに電話として使うだけの人間も多いだろうし、そういう普通のユーザーにとってはケータイにメールもWEBも全く必要ないのである。そういう人間にとって今の基本料金体系は高すぎる。もっともいろんなサービスがあってわずらわしいからよく知らないので、そういうサービスもあるのかもしれない。



このケータイ業界というのは、経済学理論の試金石としては最高の存在かもしれない。

現実は現実であって事実なのであるから、正しいのは常に現実の方であり、理論の方ではない。よく合理的個人仮説はおかしいとか言われるが、正しいのは現実の人間だからそれを非合理行動というのもおかしな話である。仮説で説明できない部分を非合理だと呼ぶはナンセンスだ。そこには何がしかの見えていない合理性があると考えるのが筋だろう。


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Government control of education

政府=文科省に支配された学校システムはもはや実質的に崩壊しているようだ。

独立行政法人と名前を変えても何も実態は変わっていないし、経営能力はもともと0だ。大学が商売のために特許だなんだと騒いでいるのも愚かであって、そんなことをすれば、企業は余計に大学から離れていくだろう。

さらに私学をも補助金漬けにして、支配下におき半官半民にしているわけだが、もはや文科省を廃絶して、その分の税金を丸ごと減税するしか手はないだろう。



大前さんのライブを試聴してみたところ、ハーバードは寄付金によって3兆円もの資金をもち、さらにその資産を運用して毎年4500億円ものキャッシュを増やしているそうだ。しかし運用益が450億でなく4500億というのは驚きだ。15%の運用効率とは。

[http://www.ltempower.com/lecture1/index.html#ko4]



寄付によって巨額の資金を持ち、独立性を維持しているのはケンブリッジやオックスフォードのようなイギリスの名門大学でも同様である。



これが税金であるなら、その年に使い切らなければならなくて、資金を貯めて運用という当然の手段が取れない。与えられた金を運用することができないから無駄に金をどぶに捨てていくのである。政府に教育費用を税金の形で渡すのではなく、寄付という形で学校に直接に渡すほうがはるかに合理的なのだ。

寄付金も学校経営のひとつの大きな健全な競争要因になるのである。

今後、大学システムを健全にしていこうとするのなら、寄付行為に対する税法上の大きなインセンティブが必要だ。(当然、税制度そのものが巨悪なのであるが。)

日本では大学全体への補助金は2兆円程度でまた授業料収入は全体でも2兆円に満たない。



さらに、少子高齢化で日本の大学全体の定員は入学希望者の数を上回り、東大のような人気大学でも2倍程度しかないらしい。

小学校ー中学校という義務教育の段階も、日教組のような共産主義ー社会主義団体が支配してきていたわけだから、教育システムは昔から根本的におかしな犯罪的なものだったわけだが、未だに何も変わっていないのがさらに異常だ。これは制度自体が法律という不動の膠着したルールによって雁字搦めになり、既得権者である教員という公務員に私物化されてきたからである。

教育制度そのものを政府から取り戻し、健全なサービス産業にしなければならない。

文科省とその関連法律を廃絶することによって、確実に教育の質は向上するだろうし、教育という重要なサービス産業の市場規模も拡大するだろう。



いじめの問題がまた最近騒がれているが、いじめは塾とかではあまりないのではないだろうか。

必修単位問題も、そもそも法律でこの科目は必修だとか必修でないとか勝手に適当に決めているから起こる問題にすぎない。

また国公立大学出身の人間ほど、学校に対する感謝の念や帰属意識がないともいわれるが、そんな役所みたいな存在にシンパシーを感じないのは自然なことである。



政府になんとかしてくれと要求するのでなく、政府は何もするな、文科省を廃止せよと要求するのが正しい本質的な問題解決法なのである。
posted by libertarian at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月01日

Implied consent or Exhaustion?

インクカートリッジ事件としては、キャノンの知財高裁判決がメディアでも大きくピックアップされたが、もともとインクカートリッジは特許闘争の主戦場であって、キャノン、エプソン以外にもHPも同様の訴訟を多く起こしている。

プリンタ本体は叩き売り?の値段で売り、消耗品のインクで暴利?を稼ぐというのは、大手プリンタメーカーの共通の戦略である。

しかし、たかがインクカートリッジがなんであんなに高いのかは、カラスの勝手、もといメーカーのエゴというわけでもなく、実はそれでも消費者が買うから高いのである。



もし、プリンターが高くてもいいから消耗品が安い方がいいというのが消費者の本当のニーズであるとすればそういうメーカー戦略もありうるだろうが、そういうメーカが少ないのは今のメーカー戦略が消費者にとってもベターだということだろう。そもそも数年前まではプリンター自体もかなり高かった。



感覚的に言えば、お家でプリンターを使うのは写真印刷をしたり、年賀状を出すときくらいで、ビジネス的な

用途ではあまり使われていないのであろう。つまり使用頻度があまり高くない周辺機器の一つなのである。

そういったインクの消費量が少ないたまに使う程度のユーザーであれば、インクカートリッジが少々高くても本体の値段の敷居が低い方がありがたいのだ。

というわけで、ユーザーの裾野を広げるために、メーカーとしては自然と本体低価格戦略にシフトしてきているのだろうと考えられる。



キャノンの事件は知財高裁でキャノンが逆転勝訴したが、この判決はリサイクル問題とはなんの関係もない純粋に特許の消尽論解釈の舞台となった。

高裁は、消尽論に関して画期的なといってよい、”おかしな解釈”を提示したのである。

そもそも、このキャノン特許では頭の良いキャノンの知財部隊が、特許の構成要件の中にこのようなリサイクルをさせないためのトラップ(罠)をわざわざ仕掛けていたのである。

しかし、一審の地裁でも控訴審の高裁でも、このわざわざ仕込んでおいたトラップがうまく機能しなかった。なぜなら、裁判所が侵害要件の判断を単純に間違えたからである。頭のいい人間でも間違えることはあるから仕方ない。



このキャノンのトラップによって、リサイクル品は特許権の直接侵害品の輸入として差止されるのが、現行法での常識的な措置であった。

しかし、その点が驚くべきことに一審二審ともに見逃され、消尽論解釈の大問題に発展してしまったのである。



消尽論については、当Blogでも何度か言及しているが、キャノン事件に対する知財高裁の判断(三村量一裁判長)がある意味で”画期的”であるのは

BBS事件に対する最高裁判例以来、日本の司法の考えとしては、消尽論ではなく黙示の許諾説を採用していることを間接的に明示したことにある。

だが、ここら辺りの解釈は言葉の意味の混乱がかなりあり、非常に分かりにくいものとなっている。



まず特許製品が流通〜消費者に渡る過程で、特許法上は、その流通過程にいる全員が特許権の(譲渡、使用)侵害という違法行為をしていることになるのだが、これは司法上は違法ではないとしている。これを自明の法理と呼ぶ。

商品の自由な流通秩序の維持の上では、それが違法だったら困るでしょうというわけだ。



そしてこの”自明の法理”に対する理由づけとして、所有権移転説、黙示の許諾説、消尽説の3つが別々にある。

ヨーロッパでは、伝統的に消尽理論が採用されているが、実はアメリカでの法理論としては、黙示の許諾理論が採用されているのである。

消尽論の説明根拠は2重利得の禁止であるため、同じ特許で何度も利益を得ることを否定している。

それに対して、黙示の許諾理論では、この2重利得禁止は根拠でなく、一種の契約という解釈であるから、権利行使することもありうる。

さらにいえば、消尽論の対象とされるのは、特許権の譲渡、使用までであり、生産には消尽はありえないとして消尽論の適用を認めない。



アメリカではrepairは許されるがreconstructionは許されないという一般法理が確立しているが、これはつまるところreconstruction(=再生産)した場合は、特許権者の権利行使が可能になるということである。

これは、特許権が消尽(=exhaust)したのでなく、単に黙示の許諾がされていただけだからそれを超える行為に対しては(黙示の)許諾の対象外だという解釈であろう。

キャノン事件の一審判決はこの再生産か否かが判断され、再生産ではないと判断され、被告リサイクルアシスト社の勝ちとなった。

重要なのは、ここでは消尽論を適用せず、修理か再生産かを判断していることである。この判断は修理であれば、黙示の許諾によりOKだが、再生産なら許諾の対象外だとするものと解釈もできる。

ある意味、日本の判例は消尽論を語りながら、生産に対してはアメリカ流の黙示の許諾理論を採用しており、黙示の許諾理論と消尽論が混在している状況といえよう。



一方、知財高裁の三村解釈では、特許は使用、譲渡、再生産に関わらず一旦消尽するという構成をとる。

しかし、2つの類型を新たに提示し、この類型に当てはまる場合は特許は消尽せず、権利行使が可能だという複雑かつ混乱した理論構成をとるのである。

つまり、(1)本来の耐用期間を経過してその効用を終えた後に再使用、再生利用がされた場合と、

(2)第三者により、特許製品中の特許発明の本質的部分を構成する部材の全部、一部が加工または交換された場合の2ケースである。



これは効用を終えるまでは期間限定的に消尽しているということで、効用が終われば消尽も終わるという理屈である。

しかし実は、この理論は消尽論ではなく、黙示の許諾説でないと説明がつかない。

今回、判決に対し”消尽アプローチ”を採用したとされるキャノンの知財高裁判決が、なぜ消尽論ではなく黙示の許諾説を採用しているかといえば、消尽論の説明根拠が

2重利得の禁止だからである。高裁の判断は消尽論の根拠である2重利得禁止の原理を無視して消尽理論を無理やり適用しているといえる。



このキャノンのインクカートリッジ事件は現在、上告中であるから、最高裁で、さらに二転三転があるかもしれない。
posted by libertarian at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | IPR(Intellectual Property Right) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする