まともな内容の本であり、一読をお勧めできる。この中で、NYのジュリアーニ市長(Rudolph Giuliani)が過去に実施して注目を浴びたBroken Window theoryに対する批判的な話がある。
この理論に関しては、私は前から懐疑的というか否定的であったが、この本が指摘しているのは、Broken window 理論による軽犯罪の取り締まり強化がNYの治安を回復させたという因果関係は、一概に言えず、景気回復による効果のほうが大きいのではないかという見方である。
このような見解は、あちらでは以前から指摘されていたものであり、新奇な見方ではない。
統計トリックの多くは、相関関係と因果関係を意図的にだか無自覚にか混同することにある。
まず相関関係=因果関係ではない。実は相関関係のみから言えることは非常に少ない。かりに綺麗な回帰線が描けたとしても、それを用いて予測することは原則してはならない。それはあくまで、過去の相関関係に過ぎないからだ。だが多くの経済統計は過去のデータの相関関係から大胆に将来予測を出す。このような予測が当たるも八卦、当たらぬも八卦であるのは当然だ。しかし、これが因果関係であれば、予測が可能だ。
物理法則は因果関係に関する法則であるから予測ができる。しかし、それでも多くの場合複雑すぎて手に負えなくなるわけだが。
だが、Broken Window theoryにおける問題点とは、その犯罪防止効果だけではない。
そもそも過去のデータからだけでは割れ窓理論の効果がないとも言うことはできない。つまり犯罪減少との因果関係が全くないとも言い切れない。つまり、抑止効果が少しはある、かなりある、全くないという程度のレベルの問題となるわけだ。
また景気の良し悪しとの相乗的な効果もあるのかもしれない。景気がひどく落ち込んでいるときに仮に同じ事をしても焼け石に水になるだろう。またジュリアーニの時のように景気が回復しつつあるときは、街は掃除されて綺麗になるしで、あたかも割れ窓理論による軽犯罪取り締まり強化が劇的な効果を示したかのように錯覚される場合もある。
私がむしろ問題だと思うのは、このような軽犯罪取締り強化の正当化が警察国家化を認めることとほぼ同義だということだ。ここでは”犯罪がない社会”=”自由がない社会”を意味する。
だが、これが本末転倒なことは自明だ。
”犯罪”はないが自由もない社会より、”犯罪”があろうとも自由のある社会の方がはるかに大事だということは当然だ。

