2007年08月27日
Human Intelligence
どうも、私はコンピューターといっても、所詮、プログラム電卓が進歩したものというイメージしかないのであるが、人類が持っている知能的なアルゴリズムの出力と、コンピューターというプログラム電卓が進歩したものとの出力において、どちらがより正しいかといえば、後者の勝ちであるのは間違いない。
つまり、こういった出力というのは、機械的なjobの結果である。
人間のやっている作業も殆どが単なるjobであるから、機械に代替できるし、機械の方が優れているわけだ。
DeepBlueというIBMのチェスコンピューターがあった。
私はチェスは全く詳しくないが、Deep Blueが史上最強と謳われた天才カスパロフを破ったときの対局で、DeepBlueはチェスのプロも驚く一手を指したそうだ。ある局面で、誰もが指すであろう決定的な決め手となる手があり、プロの誰もがDeepBlueはその手を指して勝つだろうと思った。(将棋でいうところの王手飛車取りのようなものか?)しかし、DeepBlueはその手を指さなかった。そして、DeepBlueの指した手が後の研究によると、やはりBestだったということらしい。DeepBlueはその手でその対局を勝った。一方の天才カスパロフも、その決定的な手をDeepBlueが指すことを逆の期待で読んでいたのであろう。
チェスのプロ棋士は、コンピューターの底力をその時強く感じたそうだ。
当然に、アマチュアの将棋であれば、決定的な手を見逃すなんてことはよくかることだから、決定的な手を指さないことが高度な読みの証明になるわけではない。
逆に言えば、プロになるほどその読みは、機械的になっているということなのかもしれない。トップ棋士になるほど、その読みは”機械的”になっていると想像できるのである。つまり”最善手”を求めるJobは、知能的なようだが、実は機械的な作業なのかもしれない。
つまり、こういう人間の知能活動は高度になるほど、得たいのしれない人間的な精神活動ではなくなり、逆に機械的なものになるのかもしれないということだ。そうだとすれば、コンピューターは、人間的な知能なるものを模倣する必要もないことになる。
人間の知能活動をその精神活動と一体のものとして考えることがおそらく多くの人間の直感的な前提となっているが、これはきっと間違いだ。
2007年08月19日
Incentive of crime
私が言ったのは、バーネットのいうところの完全賠償が、一切の懲罰賠償を含めないものだとすれば、それは、犯罪者の遣り得に必ずなるだろうということだ。
そもそもなぜ、人が金やモノを盗むのかといえばそれは捕まる確率が100%ではないからだ。
もし、捕まる確率が100%で、かつ懲罰金があれば、泥棒というのは割りにあわない行為となるので、盗みに対するインセンティブがなくなる。
#さらに言えば、捕まるまでの時間も問題になるだろうが。
捕まる確率が犯罪行為のリスクだが、窃盗犯罪でのそれが仮りに10%だとして(もっと高いかもしれないが)、100万円の泥棒をする価値は1000万円になる。
#窃盗犯罪行為に対する賠償請求が実損害(+α)程度しかないのであればそうなる。
これはパチンコや宝くじを買うよりもはるかに割がよいリスク行為だ。
当然ながら、この捕まる確率というのは、犯罪者の主観的な期待確率だから、実際はもっと小さいだろう。
この犯罪価値と賠償額の比較において、犯罪価値が高ければ博打と同様のインセンティブが発生する。
#賭博を犯罪とする国もあるが、たしかに賭博と犯罪には近い心理構造、インセンティブ構造があるかもしれない。それは自分に好都合な期待確率と、スリルである。
もっといえば、これはリスク行為全般にある性格なのかもしれない。
それに窃盗行為そのものは、短時間の行為であろうから非常に割のいいスリルを味わえることになるわけだ。
実際は、民事請求となる損害賠償を犯罪者自身はほとんどすることもないし、禁固になったとしても冷暖房完備の刑務所で楽な労働をするだけで、かなりよい只飯も食えるとなれば、さらに犯罪へのインセンティブは高まる。
この犯罪行為への経済的なインセンティブの高さは日本の服役者の再犯率が4割以上という数字が証明している。
これを経済的にナンセンスな行為にすることが犯罪阻止の基本となる。
私は、犯罪に対しては、時間選好制などといったスノッブな経済学用語を使うことは全くトンチンカンなものだと思う。そうではなく、ほとんどの犯罪は単にインセンティブの問題として扱うべきだ。
検挙率が問題なのも、犯罪者の検挙率が下がれば、これは捕まるリスクを下げることで犯罪行為に対するインセンティブを高めることになるからである。
こういったインセンティブの構造は、殺人などの重大犯罪であっても全く同じことなのだ。
未成年者犯罪であってもこのインセンティブ構造は全く同じだ。
また日本の不法行為法は懲罰賠償を認めないために、ほとんど意味、効果のない法律となっている。そして、その分、刑罰の重罰化を進めているというのが事実だろう。だが、これが本末転倒なのは言うまでもない。
基本的に、窃盗などの犯罪は、金銭賠償で償わせるだけで良いが、多くの犯罪者は勤労能力にかけているだろうから、その場合に、民間刑務所に服役させ強制労働をさせることで、懲罰的賠償額分の労働をすることで償わせるという仕組が考えられる。当然、犯罪者に正当な所持金があれば懲罰賠償額だけを払って、服役しなければ良いということになる。
こういった損害賠償モデルを一般犯罪に適用するためには、刑務所自体がビジネスとして成立していなければならない。
日本の場合は、法務省の役人が刑務所を運営している限り、刑務所がビジネス上の採算性を獲得するということは今後もあり得ない。だが、採算化が仮りに民営化によって可能であれば犯罪者の償いの在り方というのは根底から変わることになる。続きを読む
2007年08月12日
One Country and Multi legal system
アメリカは、United states であり、Stateは文字どおり国のことであるから、state毎に微妙に、また大きく異なる法システムを持っている。
例えば、死刑制度に関しても州毎にあったりなかったりする。
その点、無差別殺人者が、州間を移動しながら犯罪を犯す場合など裁判管轄の問題が複雑となるようだ。
しかし、アメリカであっても、どの法律に服するかは、どの州に住んでいるかによるから、移動の自由があるとはいえ、いくらでも選択の余地があるというわけではない。
もし、死刑制度について各人が法を選択できるとしたらどうなるかという仮定の話を先にしたが、法体系において、共通部分と選択部分を設けるという次善策は大いに考える価値があることだ。
もっともこの策のポイントは、住む場所と選択する法律とのバインドをなくすことにある。
法律に関しても、個人のモラルと信念などに照らして選択の自由をあたえるのである。
共通部分は憲法などの最小限の部分にしてもよい。
市場システムが優れているのは、多数者の専制がないのが一つの顕著なところだ。
よくあげられる例で言えば、100人の人がいて、51人は国産車、49人は外車が欲しいとする。これを多数決でどちらかを決めれば、49人の要求は不当に否定されるが、市場システムは、ちゃんと各々の要求を満たすことができる。
これは、当然に法律にも適用できる。
死刑制度の是非を、観念的に論じていけば、正解のない泥沼の議論になるだけだが、どちらかに多数決で決めるのではなく、これを各人の選択にまかせれば、よいわけだ。
選択の自由があれば法システムにも競争が発生することになる。
知財制度も同様にして選択にすることができる。
現在でも知財制度は一国主義だが、知財制度を支持するサークル(=group1)は、知財をそのサークルの中だけでしか行使できないとすればいい。反対に知財制度を支持しない集団(=group2)は、知財制度による保護は一切ないが、模倣の自由があるとする。
このような状況でどちらかをとるかは、面白い。group1に所属していても、group2からの、いわゆるフリーライドが自由だとすれば、知財制度を支持する意味がなくなるかもしれない。
知財制度というのは、全体への強制がなくては成立しない制度といえる。
世界的にも、特許制度は一国主義とはいえ、国連や条約を通じて、世界特許にちかい制度を作ろうとしているわけだ。そうしないと自由貿易の仲間にはしてやらないよという脅しがある。
だが、ここでこの状況をもう少し考えてみる価値がある。group1はgroup2の知財を使うことが自由であるわけだから、group1を敢えて選択するメリットもありうるだろう。いわば、group1は仲間内の不可侵協定のようなものとなる。
立法は、その目的として一つの理想論、建前を掲げ、一つのルールを作ろうとするから間違える。そんな神様のまね事のようなことをするから危険きわまりなく有害なのだ。
複数の法を常に考える必要がある。また、そういう制度的発明は、どこかの少数のエリートが設計主義を駆使した立法をするのでなく、市場により、もしくはその中の多くの英知の中から競争的に発生してくるべきものである。
2007年08月11日
On Ear
私は、片耳が難聴なため、オーディオシステムをよくしても肝心の耳の方が半分壊れているために、大いに限界があるのだが、それでも音の良し悪しには敏感である。
ところでマルクスは右耳が難聴で、ハイエクは左耳が難聴だったらしい。
どうも右左が逆のような気がするのだが、よくよく考えれば聞こえる耳がどちらかの方が大事なのかもしれない。
私は残念ながら、右耳難聴でマルクスと同じだ。:-(
Kurt Rosenwinkelという私が注目している若手の鬼才ギタリストのTHe enemeis of energyというアルバムをPS3で再生すると、そのUpconvertの効果が良く分かる。
2007年08月10日
Future of Software Business
「現段階では、マイクロソフトが本当にやろうとしているのは市場を混乱させることだというのは明らかだと思う。この狙いは功を奏しておらず、 マイクロソフトとのそういった類の交渉に応じるのを拒んでいる企業はまったく影響を受けていない。逆に、交渉に応じた企業は高い代償を払う羽目になったことを示す証拠はたくさんある」(同氏)
シャトルワース氏は、マイクロソフトが資金力に物を言わせてベンダ各社に特許関連契約を結ばせたことも非難している。同氏によると、そういった契約がコミュニティを分断させるのを同社(MS)は知っていたという。
シャトルワース氏は、マイクロソフトがもうすぐソフトウェア特許の廃止に向けたロビー活動を始めるのではないかとの見方も示している。
「マイクロソフトは、特許訴訟を起こされて莫大な和解金を支払わされるようになる危険性が非常に高い。彼らは1980年代の収益構造を維持するための手段として特許を利用したいと考えてはいるが、今はもうそのような時代ではないことを彼らも理解し、もうすぐ方針を転換してソフトウェア特許の廃止に向けたロビー活動を始めるだろう。それが彼らを束縛から解き放つ唯一の手段であるからだ。マイクロソフトはまだ競争することができ、有力な競争相手だ。彼らは競争で卑劣な戦術に頼る必要はない」(同氏)
http://www.atmarkit.co.jp/news/200708/08/ubuntu.html
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最近のMSのOSS陣営に対する特許戦略はLinuxに対する危機感の現れであることは間違いないが、悪事は長続きはしない。
結局、将来、自分自身が特許訴訟のターゲットになることが確実だからだ。
最近のLinuxを使ってみれば、MSのWindowsよりも多くの面で優れていることがわかるが、Linuxがタダである以上、MSとしては価格競争もできない。そこでこのようなつたない法務戦略に出るのであろう。
私としては、MSが自分のOSにバカ高い価格をつけるのは一向に構わないのだが、全てのパソコンにWindowsがバンドル販売されているというのが許せない。
Lenovoは、今度SUSE Linuxを搭載したThinkPadを海外で販売するそうだが、もともと同社はその販売する全てのパソコンにWindowsを搭載するという契約をMSと結んでいるらしい。私は、ThinkPadのOSなしモデルが欲しいのだが、そういうものは、この契約のおかげで出てこない。
MS商法の本質的な悪は、このバンドル販売戦略にある。こういう露骨な独禁法違反がなんで放置されるのか理解に苦しむ。
パソコンは単にハードウェアとして欲しいのであって、そこに載せるOSは消費者の選択の自由に任せるのが当然だ。
話は飛ぶが、私としては、今後はメインマシンをMacに移行しようと思っている。
Macは、高度にデザインされたコンピューターシステムをそのOSと一体化して売るという戦略だが、これはこれで納得ができる。
Macのキーボードなど、デザインも使用感も非常に素晴らしいが、3400円と激安である。
Windowsのキーボードがデザインの酷いものしかなくその値段も結構高いのと対照的だ。これはなぜなのか?
コンピューターとはマンーマシン インタフェースのエキスペリエンスを統合的に提供する製品であるという点で、Macの戦略と製品が最も優れていると思う。要するに、Macのようにソフトとハードの一体化した製品=モノで儲けるのが商売の原則なのである。
それに対してMSのようなソフトウェアだけで儲けるというのは知財制度がなくしては成り立たないビジネスモデルといえる。
LinuxのようなOSSは、このソフトだけで儲けることを可能とする知財制度に対する根本的な否定だといえるかもしれない。
もっとも、ソフト販売を否定するわけではないが、その販売価格はアフターサービスに対する価格として設定するべきなのである。
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2007年08月08日
The Structure of Liberty
この本で挙げられている犯罪類型が、窃盗のような犯罪が多いことからも、凶悪な快楽殺人のようなケースを意図的に除外しているように思った。
特異な凶悪犯罪を除く限りにおいて、バーネットの理論はそれなりに納得できるが、損害賠償請求であらゆる犯罪に対応するのがいいのかどうかは私は懐疑的だ。私は、犯罪にも特異点があるはずだと思う。
そもそも殺人などの場合、当の被害者は亡くなっているため、遺族に対する金銭的賠償しかできない。
凶悪な無差別殺人者に対しては、抑止の論理も、賠償の論理も基本的に適用できないだろう。
量刑の問題は、基本的に法執行の誤りの問題がその本質である。これには2つの誤りがあり、無実の人を有罪とする誤り(=Type1)と、犯罪者を無罪とする誤り(=type2)とがある。さらに言えば、犯罪者が捕まらず検挙されない問題(the problem of nonenforcement error)もある。
特に厳罰化はType1の問題において、深刻になる。
ここでバーネットは、犯罪予防に対する”オッカムの剃刀”として自然権の理論を適用しようとするのである。
もっとも、犯罪”予防”の問題とは、共有地(の悲劇)の問題だとバーネットの展開する論理に関しては、実に正統的なリバタリアニズム的にオーソドックスなものである。
犯罪の多くは、本質的に誰にも何もコントロールできない共有地でおこり、私有地での犯罪は少ない。
私有地においては犯罪者の進入を阻止することが可能であり、私的警察には、犯罪を阻止する巨大なインセンティブがあるためだ。
一方の共有地には、誰にも犯罪防止に投資するインセンティブがない。
「あらゆる種類の”被害者なき活動”を禁ずる法令は、これらの「法律」を破ろうとする人々に巨大な利益を与えるうまみのあるブラックマーケットを提供してきた。」
「大きな需要がある何らかの取引を違法とすることから生じる巨大なプレミアムは、犯罪者が団体を組織するための強力な財政的インセンティブを作り出す。」
これは、具体的には禁酒法や、ドラッグの禁止などをイメージすればよい。
これらは、逆のインセンティブをも生み出す。つまり、「大きな需要がある何らかの取引を違法とすることから生じる巨大なプレミアムは
犯罪者が団体を組織するための強力な財政的インセンティブを作り出す。」。
現実に個人情報保護法によっても、このようなブラックマーケットは拡大しているそうだ。
抑止を目的として、刑罰を引き上げるのは「安全と引き換えに自由を差し出そうとする誘惑」であり、「個人の権利を不正に制限することによって、
政府の法執行の非効率性を補おうとする誘惑」である。つまり、本末顛倒なのだ。
だが、日本では極端な刑事罰の厳罰化が多くの法律で現在進行形で推し進められている。
(例えば、知財法、不正競争防止法、道路交通法、刑法などなど。。)
バーネットのこの本「Structure of Liberty」は1998年の出版だが、その後、10年ほどの間に、アメリカの民間刑務所システムはイノベーションとともに、かなりの発展を遂げたようだ。これによって、”社会の屑”でしかなかった犯罪者達が、刑務所における労働でいくらかでも賠償を被害者に対しできる可能性が生まれたのである。
2007年08月05日
CELL farmware V1.9
また、CDのサンプリング周波数を176.4kHzまでUPする演算機能も追加されました。SCEでは「CDアップコン」と呼んでいるようですが、要するにデジタルフィルタですね。性能も阻止帯域が320dBにも及ぶそうです。プロ用、民生用を通じ、デジタルフィルタの阻止帯域は160〜180dB程度が最高クラスですから、これはCELLによるデジタルフィルタ演算の限界狙いでしょう。
#このURLのかないまる氏の解説は必見。
http://homepage3.nifty.com/kanaimaru/PS3/0fa13.htm
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PS3は、ほんとに凄いAVマシンだ。
買わなきゃ損としか言いようがない。
このスケールの大きなビジネスモデルは、なかなかまだ理解されていないが、いやでもそのうち理解されるようになるだろう。
また、AV性能をここまでCELLのコンピューティング能力によって高めることができるわけだから、近くCELL搭載のTVなんぞも出てくるのだろう。そうなると他社は追随が出来なくなる可能性がある。
ソニーは有機ELでもトップランナーだから、ソニー製品の今後が楽しみだ。
とはいえ、ソニーも日本の家電メーカーらしくハード主導でソフトウェアが弱い。
AVの限界性能をCELLというスパコンを利用して追及するというのは、素晴らしいのだが、誰でもCELLの真価を引き出せる開発環境を積極的に提供しないことには、エコシステムが生まれない。
エコシステムがないと、Cellの野望であるコンピューティング革命は、ハード倒れになってしまう。
PS3がただのゲーム機ではないのは、その圧倒的なAV性能からわかるのだが、それでは”AVも凄いゲーム機”どまりだ。PS3はもっと汎用的な用途をこなすスーパーコンピューターにならないとつまらないのだ。
2007年08月03日
Compensation model ,Justice model on crime
この本は、日本の犯罪者福祉社会の実態を告発した本である。お勧めだ。
アメリカの犯罪者対策は60年代リベラル左派が人権主義を振りかざした結果、死刑廃止と犯罪者の更正を目的としたMedical modelに大きく振れたが、その後、MedicalModelの失敗と偽善が明らかとなり、急速に被害者の救済を目的とするJustice modelへ転換した実態などが良く書かれている。
日本は、司法もダメだが、刑務所システムなどの行政システムも徹底的にダメだ。その存在自体が犯罪的といえる。
犯罪者を刑務所でも異常に厚遇しているのは、犯罪者の懲罰ではなく更正を目的としているためだ。つまり、依然としてMedical Modelしかない。
年間に刑務所費用に2200億円もの税金を投入し、更正プログラムを実施しながら、出所者の再犯率は4割を超える。おぞましい快楽殺人者を、国家プロジェクトの更正プログラムにかけ、さらに未成年者であればサカキバラのような異常快楽殺人者であっても、ほんの数年で出所させている。
これらの異常犯罪者は優しく遇して国家が更正してあげるべきゲストとして扱われ、異常殺人者達はその罪を悔いることもなく、その贖罪を一切することもなく、ぬくぬくと刑務所で数年を過ごし、すぐに社会に舞い戻ってくるのだ。
アメリカでは、こういった殺人、傷害、性犯罪のような凶悪犯罪者、殺人者への扱いは極めて容赦ない。仮出所も容易ではないし、司法取引として性犯罪者の去勢なども行われる。
アメリカのJusticeModelにおける刑罰とは、基本的に被害者への賠償、罪滅ぼしという側面が強調された賠償モデルである。刑務所は民営が多く、今やアメリカの刑務所産業は年間300億ドル(3兆6000億円)の規模を持つ。
それに対して、日本は収容者数64000人で年間61億円の売上しかない。一人辺りでは年間9万円しかないが、食事はかなり良いものが与えられているのは周知の通りで、食費だけで一人当たり年間20万円ほどかけている。
アメリカの場合、民間が経営することで、ちゃんと利益を出す工夫をしている。また刑務所産業の売上の多くは被害者の賠償にあてられる。つまり囚人の労働力によって得た売上を被害者への賠償にあてながら、民間刑務所として利益も出しているのだ。
もちろん、犯罪者といってもおぞましい異常快楽殺人者のようなのから、軽微な罪の人間までその幅は広いので、扱いもそれ相当である必要があるが、殺人、傷害、性犯罪のような重大犯罪者に対する扱いは厳罰化=死刑等を積極的に採用しつつ、その他の刑事犯に対しては、刑罰の目的を賠償モデルに転換して金銭的な賠償を被害者に対しさせる必要がある。
また、アメリカでも刑務所があふれかえるのは薬物違反等の”被害者のない犯罪”者が多いためだが、こういった”犯罪者”に対しては、(仮にそれを犯罪とするのであれば、)懲罰的罰金刑だけを課すことで済ませるべきだろう。
刑務所システムも、政府には運営から手を引かせ民営化することでしかその改善は一切なしえないのは確実だ。続きを読む