2007年11月20日

Heositarou

屁尾下郎 論

糸井重里氏へのインタビュー記事だが、おもしろい。
#これは池田BLOG経由で知った。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071031/139184/?P=1&ST=sp_hobonichi07
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071023/138300/?P=3&ST=sp_hobonichi07

屁尾下郎とは、”屁をしたろう” もしくは、”へびげろ” と読むのであろうか。
法統制に対し全体主義だという批判も最近は少しは挙がるようになったが、依然として相対的に少なすぎるし、統制を正義、もしくは法ルールに従うことが正義であるとするような倒錯した連中がはびこっている。
これは文化大革命の時と同じような集団心理があるという糸井氏の指摘はその通りだろう。私も以前そのようなことを考えたことがあった。

全体主義のベースには戦前も法律があった。法がベースとなって、集団心理が作られる。
そして、この心理とは、まさしく屁尾下郎の心理といえる。さらに法律の前に官僚制=Bureaucracyがあるのだ。

ルールの絶対化をするだけで、社会はこのように容易に全体主義的監視社会になるのである。
既に日本は恐怖社会になっているのではなかろうか。
万人が万人とも自分が損をしないために、他人を密告し、貶めることが、コンプライアンス=法令順守しいては社会正義とされるわけだ。これは、まさしく数10年前の日本でありドイツの空気に違いにない。

これが根本的に倒錯した間違った論理であることを分かっている法律屋はほとんどいない。


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2007年11月16日

Tax and Freedom to move

先の大前氏の本の話と絡む話だが、日本の政府は相続税のアップを検討しているらしい。
これに対して、大前氏は次の資料を提示して批判している。
http://vil.forcast.jp/c/ah28abt8em2llPad
#どうも、これを見ると昔からフランスが相続税0というわけではなかったようだ。

税の問題は極めて本質的なものだ。最大の"社会問題"といってよい。
人々の移動の自由が保証されている限りにおいて、税はグローバルな競争ファクターとなる。
税率の競争は一国の中だけではまず実現できないが、国際間の人間の移動が保証されていれば、当然に税を下げる”市場圧力”が加わることになる。
税と、公共サービスの間のコストベネフィットもこれからは問題となってくるだろう。
税を有効に活用して、優れた公共サービスを提供している国と、そうでない国との間で税収に大きな違いが出てくる。
例えば税は極めて低いが、治安が極めて悪いとなるとやはり富裕層は移動しないだろう。
究極的には、税が0で、治安を優れた民間警備会社を頼れる国が最も人気を集めるかもしれない。
#驚くことに、モナコは所得税が0だ。
グローバル競争と人間の移動コストの劇的な低下が、ロングレンジでは政府の存在価値を減少させていき、人間の自由にとってプラスに作用していくことになるに違いない。

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2007年11月12日

Bureaucracy

Nobody can be at the same time a correct bureaucrat and an innovator.
L.V.Mises Bureaucracy, p. 67

The ultimate basis of an all around bureaucratic system is violence.
Bureaucracy, p. 104
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2007年11月11日

Uncertainty

"One of the fundamental conditions of man’s existence and action is the fact that he does not know what will happen in the future."      
L.V.Mises     Theory and History, p. 180

人間の存在と行為にとって根本的な条件の一つは、未来に何が起こるのか分からないという事実である。

What a man can say about the future is always merely speculative anticipation.
Theory and History, p. 203
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2007年11月10日

Allocation Problem:大前流 心理経済学

「大前流 心理経済学」 大前研一著 講談社

この本を昨日本屋で見つけて買ったが面白いので一気に読んでしまった。
心理経済学とあるから、行動経済学の話でも大前さんがするのかと思ったら、全く違う。
この本は「チャイナ インパクト」以来の久々の大前さんのヒットとなるだろう。
もっと言えば、この本は大前氏の著作のベスト1といってもいい内容だ。
こういうPositiveな構想を示すことが大前氏の最も優れた部分であり本領だ。
タイムリーにも私がここのところ関心があった話題であることもあった。是非、多くの人が読むと良いと思う。

大前氏の良い点は、その日本人ばなれした豊富な経験と世界の一流の人間達との交流の広さから培われたのであろう構想力だと思う。本や役所の作った資料を読んでしかものを言えない大学教師とはその点が大きく違う。
例えば、最近はやりのPaul Romerともスタンフォードの客員教授時代の同僚で、よく議論をしたというが、大前氏はRomerの「付加価値の創造主体としてのIT」という考えを否定する。さらに、「ローマ―教授の学説を輸入している日本の学者が危険なのは、彼らが生産性向上の議論をする時に彼我の産業構造の違いを理解していない」としている。さらに引用しておくと、「日本では生産性の高いのは輸出産業など世界の競争に晒されてきたところだ。一方、生産性からみて問題となる産業は、ほとんど全て保護されてきた産業である。そうした産業が保護されてきた理由はまさに雇用維持、であった。だから日本の遅れた産業の生産性を高めれば、当然のことながら、失業者の山となる。・・しかも失業者の増加に対してどのような施策を採るのかと、という提言は全くなく、単なる思いつき、という程度である。」
これに対する大前氏の案とは、まずは日本の高齢者の抱える潤沢な資金を、資金の必要な若い層にアロケートさせる必要があり、そのための税制改革やDeregulationをまず行うべきだということであろう。

もちろん、どんな本でもその内容に全面的に納得などするわけではないが、大前研一のスピリットにはリバタリアンにも通じるものがあり、私は大前氏を非常にリスペクトしているのである。大前氏のビジョンとは、常にその逆の方向に日本社会は動いてきたが、今回の本のポジティブなメッセージは多くの人の心理が動かされるだろう。
特に2章までにある豊富な図表にはかなりの説得力がある。

金が金を生むというと、それをマネーゲームだなんだと分かったような批判をパブロフの犬のようにする人間やマスコミばかりだが、まずこの考えが間違いだということを認識する必要があるのだろう。
なぜならマネーが、国際的にダイナミックに動くことで、資金の必要な人や国にアロケートされ、それによって新たな価値が生まれているからだ。こういった人、モノ、金のアロケーションが世界的な規模でダイナミックに行われるようになったのが現代の特徴なのである。

Growth Problemの本質はAllacation problemだとするのが、Mises-Kirznerらオーストリアンの主張のキーポイントである。人、モノ、金のアロケーションを阻害する政府規制がない国が世界的にも急速に伸びている。特にシンガポールやヨーロッパの超小国が意識的に規制を撤廃することでallocation problemを解決しているために、この10年くらいに急激に成長しているのだ。その事実は、本書を読めばよく分かる。
先進国は、その資金を効率的にアロケーションすることで市場原則に則り、世界的にWin-Winの関係になることが可能なわけだ。

だが、ここで大前氏の提言している内容はほとんど全て法律の変更、特に税制の改革を伴うものだろう。この点は大前氏も重々承知してながら書いているのである。
本書が従来の大前さんの政府批判本と違い少し洗練されているのは、原因を政府だと特定はせずに、むしろ国民の心理だとずらしているところである。政府が諸悪の根源だということくらい誰でも分かっているだろうが、政府や法律を直さないと一歩も進まないという結論では、個人は何も出来ないことになる。

例えば、ソ連がここ最近経済がすこぶる好調なのは、フラットタックスを導入したかららしい。
サッチャー、レーガン革命でも税制改革がその改革のフレームワークを作っていたわけで、膠着した税制を変えることができれば、日本社会も激変する可能性はある。それが出来ればの話だが。

またフランスやイタリアは、未だに貴族とその財産が残っているが、これはこれらの国で昔から相続税が0だったからだ。相続税を肯定することは、2重課税、3重課税を認めることであり、社会の形もしくは伝統を根こそぎ破壊することになるということに日本人は気づいていない。
またイギリスやヨーロッパの少子化は、少し前まで深刻な社会問題だとされていたが、経済が活況になることで、すでにイギリスの出生率は1.7を超えているそうだ。日本が1.2と少子化に歯止めがかからないのとは対照的だ。結局これらの現象は経済問題の結果であって、政府がしゃしゃりでるべき”社会問題”ではないということだ。

大前氏の構想を聞けばたしかに日本も変われば変われるのではないかという気がしてくる。
小泉ー竹中改革に対する評価はかなり厳しい。私も小泉ー竹中を日本の新自由主義改革の第1歩と見ていたのはやはり甘すぎたかもしれない。外から見れば、新自由主義的なお祭りに過ぎないと見られても仕方ないのかもしれない。

北欧では、Teachという言葉が禁じられ、Learnという言葉を使うようにされているという。
日本人の民度の低さは、教育制度によって叩き込まれたものであり、国民が社会主義イデオロギーにかなり洗脳され、それによって国家主義、権威主義におかされ、自由な発想を失っているが故に、今の現実があるわけだ。
そして、福沢諭吉が言うように所詮その国の政治のレベルは、民度を表している。
田中角栄という天才革命家が作り上げた70年代以降の醜悪な社会民主主義体制に日本はあまりにも長い間染まりつづけた。卵が先か、鶏が先かという話ではあるが、文部科学省の撤廃をするぐらいしないと、法制度改革をする民度的な条件が生まれない可能性もある。


以上、いつものとおり、本の紹介と私見をまとまりなくだらだらと書いたが、私もこれからもっとお金の運用についてLearnすることにしよう。

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2007年11月08日

Much ado about nothing

「インクカートリッジ巡る訴訟、キヤノンの勝訴確定」というニュースがあったので、判例検索システムで調べてみたら早くもこの判決の全文が載っていた。
ざっと目を通しただけだが、以下に、この判決の結論部をコピペしておく。


”これらのほか,インクタンクの取引の実情など前記事実関係等に現れた事情を総合的に考慮すると,上告人製品については,加工前の被上告人製品と同一性を欠く特許製品が新たに製造されたものと認めるのが相当である。
したがって,特許権者等が我が国において譲渡し,又は我が国の特許権者等が国外において譲渡した特許製品である被上告人製品の使用済みインクタンク本体を利用して製品化された上告人製品については,本件特許権の行使が制限される対象となるものではないから,本件特許権の特許権者である被上告人は,本件特許権に基づいてその輸入,販売等の差止め及び廃棄を求めることができるというべきである。

 以上によれば,所論の点に関する原審の判断は,結論において正当であり,
論旨は採用することができない。”


==
前にもこの話題は当Blogで少し詳しく論じたことがある。http://libertarian.seesaa.net/article/37255145.html

この最高裁判決では高裁判決どおりにキャノン勝訴を維持したものの、知財高裁の三村理論は採用しなかった。
要するに、キャノン特許の直接侵害品の輸入だとして、キャノンを勝たせたのだ。
これは、前にも書いたように現行法上は最も妥当な判断であろう。
三村理論は論理的に破綻しているので、三村理論を採用しなかった最高裁はまともな判断をしたといえる。
ついでに書いておけば、リサイクル行為自体が問題にされているわけではない。つまり特許の直接侵害行為がなければリサイクルインクを出すことはなんの問題もない。

posted by libertarian at 21:31| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | IPR(Intellectual Property Right) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Endless Decline of Japan

福田内閣には全く期待していないが、もし何かを為そうとするのであれば、何かをやめることから始めなければならない。まず、検察庁の大鶴基成と、経済産業省の北畑隆生事務次官を左遷、更迭するべきだ。
これは、市場に対する非常に有益なシグナルになる。こういった行政の人事は担当政権の権限の範囲であるからやろうと思えばできる。
実に簡単なことだが、政権のスタンスを示す非常に効果的な市場へのシグナルになる。
シグナルというのは日本人だけでなく、世界のマーケットに対するものだ。
もちろん、福田内閣は小泉ー竹中内閣に対する反動的な位置づけにあるだろうからこのようなことは行われないだろう。だが、なるべく早急に実施すべきことである。
このような異常でファナティックな役人を要職にすえておくことは、日本のカントリーリスクの高さを意味する。

今の全体主義的な流れからも容易に予想できるのは、次の10年も日本は衰退を続けるだろうということだ。既に日本は20年近く連続して衰退してきている。これから日本は格差社会になるでもなく、貧困の平等へ行き着くだろう。
これは社会主義国家の必然だ。
posted by libertarian at 16:31| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Sinful bureaucrat

Financial Japanの11月号をBookOffで買った。
木村剛氏と、野村修也氏(中央大学教授)の対談が面白かった。
#野村氏はなかなか良識のある法学者とみた。
村上ファンドやライブドア事件の検察の暴走犯罪に対して、痛烈に批判している。
こういう公正な司法官僚批判をどんどんすることは、法律学者の責務であろう。

この事件での検察の暴走は、大鶴特捜部長の個人的な資質によるもので、大鶴による自分の矮小な出世欲による凶悪な犯罪である色彩が強いが、これを受けた裁判所の対応もあまりに酷いもので日本の司法が腐りきっていることを広く世界に知らしめた。しかし大鶴の犯罪は万死に値するものであるといって過言ではない。

野村氏曰く、「伝統的な法律学の分野は実際に社会主義的な要素を含んでいる。・・若かりし頃に刷り込まれた論理の影響は大きく、また、権力をもった人間には都合のよい論理なので、自らそれを壊そうとする人は少ない。」

木村氏曰く、「私は外国人には、日本でビジネスをするのに六法全書はいらない。三法だけでよい。それは、出る杭は打たれる、長いものには巻かれろ 泣く子と地頭には勝てぬだ。この3つだけ覚えておけば、日本では法律は要らない。」
実に至言である。


現在の日本では、本来、私法の領域で処理すべきことに対して、重大な刑事罰化がどんどん進められている。例えば道交法の改正なども恐るべき内容だ。
違法=illegalと,犯罪=Crimeと、罪=sinの意味の本質的な違いというのを、根本に立ち戻って考え直す必要がある。
おそらく日本の法学に決定的に欠けているのは、罪=sinの概念だ。
Sinは、宗教的というより、権力とは独立した概念である。一方のillegal,crimeというのは権力概念である。法=権力との関係から生み出される概念だ。
大鶴の行為は合法的だが、株式市場を破壊し、有能な若者の人生を暴力的に破壊したという点で重大かつ深刻な罪なのだ。 

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Jim Rogers Supply and Demand principle

Jim Rogers(ジム ロジャーズ)という投資家がいる。この人は、リバタリアンだと呼ばれることもある。
ロジャーズは、99年位からこれからは現物商品の時代だと主張していたが、現在の商品相場の高騰で大儲けしているらしい。ロジャーズは需要と供給の法則は絶対だという。この極めてシンプルな理論をもとに相場を見ているようだ。Simple is bestのよい例だ。

だが、商品相場だと需要と供給というのが実感があるが、株式ではどうもぴんとこない。
株式への需要というのが何なのかが、はっきりしない。それに対して商品だとそのままずばり需要とはなにかがわかる。

ロジャーズの株の投資スタイルは以前から逆張り投資戦略だったと思うが、「人生と投資のパズル」でも逆張り投資が有効な戦略だと書かれている。
ロジャーズは、政府というのは常に愚かであるから、その逆をやればかならずうまく行くというようなことを書いていたようにうっすらと記憶する。
実際、それで大いに儲けてきたのであるから逆張り戦略は優れた戦略なのであろう。
日本が海外機関投資家のカモにされているというのは、愚かな日本政府に対するシンプルな逆張り戦略によるものではないだろうか。

 
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2007年11月04日

Risk and Uncertainty

「人生と投資のパズル」 角田康夫 文春新書
この本を買ってざっとよんだ。この手の行動経済学に関する新書は最近良く出ているが、その中でも読みやすい本であった。行動経済学というのは、Misesの考え方とも比較的に近いと考えられている。
考えてみればカーネマンらが、簡単な心理テストを行って人々の心理からくる行動バイアスと、経済学的に合理的な行動との大きなずれを実証したのは割と最近のことというのが不思議な位だ。経済学は長らく数学的応用技術におぼれて理論の大前提となる現実の人間の行動を一切実証してこなかったわけだ。ようやく理論と現実の接点がつかめるようになったということだろうか。
そもそも、このように人間行動学として経済現象をとらえようとするのが、MisesのPraxeologyの本質といえるだろう。そういう意味では、カーネマンよりもオーストリアンがこの分野をもっと早くに開拓しているべきだったように思う。

この本でも出てくるが、フランクナイトの言うところのRiskとUncertaintyの違いというのが、オーストリアンにとって極めて重要な概念である。Riskとは通常、calculable riskを意味し、それは正規分布の標準偏差を意味する。それに対し、Uncertaintyとは、計量化できないものである。calculable riskはコントロールできるが、Uncertaintyはできない。(ちなみにこれは、Uncertaintyが非正規分布だとかいう話とも違う。)そして、I.Kirznerのいうアントレプレナーとは、このuncertaintyへ向かう人間のことである。

話をもどすと、結局、未来のことについて確実なことは誰にも分からないのが真実である。
人間行動なくして、株式相場が動くはずがなく、その人間行動とは統計・確率的な意味で合理的ではないから、短期の動きである投機相場そのものは、予測ができない。
(もし、未来がcalculable riskだけなら合理的に行動することもできるだろう。全てを機械取引にすればいいだけだ。)
だが、長期的にはその会社が作り出す価値、ファンダメンタルズに回帰していく。もちろん株価は現在のファンダメンタルズではなく未来のそれに従うわけだ。バフェットは経営者と実際に会ったりしその人間の資質を見定めてから投資するそうだが、これは単純にみえるが難しいだろう。
だから投機(speculation)でなく投資(investment)をすべし。というウォーレン バフェットもしくはその師匠であるベンジャミン グレアムの教える言葉が、単純かつ実は難しい真実だということになる。

そういう意味でやはり日本市場はあまり中長期的にみてうまみのある市場とは思えない。日本のgrowth problemはいまだ解決されていないし、解決の糸口もみえない。既に一人当たりGNPは14位、金融センターランキングでは10位という。特に今後の国際競争の勝負所となる、情報、金融ではダメダメの状態だ。金融庁を筆頭とする官僚機構、司法機構というとてつもないお荷物を抱えている限り、日本のgrowth problemは永遠に解決できないだろう。あるレベル以上に落ち込んだら、挽回はできなくなるし今の世界の変化スピードからすればここ10年が勝負どころだろうが、日本はほとんど鎖国しているような感がある。
ところで私は近く中国にでも写真をとりがてら視察旅行に行ってみようと思っている。

posted by libertarian at 21:12| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | L.V.MISES | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Money interest

じつは、日本はすでに貿易立国ではなく、投資立国になりつつある。

2006年度で見ると、利子や配当などの所得収支が14・2兆円の黒字(6年前の2倍)になった。
それに対して、貿易収支は10・5兆円の黒字にすぎない。
つまり、すでに日本は、貿易の稼ぎよりも、資産運用で儲ける国になっているのだ。

 所得収支の内訳を見ると、ビジネスから得られる直接投資収益が3兆円になっている。
証券投資収益のうち、配当収益が1.1兆円で利子収入が9.8兆円だから、株式投資よりもリスクの少ない債券投資が主であるということがわかるのだが、外貨資産の運用に目覚めたということになれば、遅かれ早かれ、この数字は格段に跳ね上がっていくだろう。

 最近、外国為替証拠金取引が膨らんできたといっても、まだまだ6133億円の市場規模(07年3月期、矢野経済研究所調べ)。
1536兆円ある個人金融資産の0・04%にすぎない。

http://www.financialjapan.co.jp/kimura/0711kimura.html

以上、木村剛氏の記事から引用した。
今まで、木村剛氏の名前くらいは知っていたのだが著書を読んだことはなかった。今度読んでみよう。

ところでこの個人金融資産というのを調べてみたところ、2007年6月時点で1555兆円に膨らんでいる。日銀のデータを見ると、この半分が銀行などへの貯金だ。
日本の人口は1.3億人だから、平均一人当たり1200万円の金融資産を持っていることになる。
生産年齢人口の0.85億人で計算すると1830万円となる。
利子収入等の平均は16万円程度だ。またリターンは14.2/1555で、約1%である。
銀行利子よりは高くなっているわけだがやはり低い。

もちろん預金利率が倍になるだけで、利子、配当などの所得収支も倍以上になっていくわけだ。
2000万円の貯金があって、100万円程度の利子収入があれば、消費も活発になるだろう。
この位の運用利率は銀行側にはあるだろうから、この利ざやを銀行にほとんど全部ただでくれてやっている状態ということだ。
やはりファイナンスインテリジェンスを身につけるよう勉強する必要がある。
人間、理解できないものはコントロールできないので恐怖を覚えるものだ。
だが株取引などは、結局のところ理解ができないのでストレスがたまる。後付の理屈などいくらでもつけられるが、ほとんど嘘に違いない。理解している人間はどこかにいるのであろうか?
株で儲けている人間が理解しているようにも思えない。だが、この手の取引が人間の心理戦であれば、強い弱いというのは当然にあるだろう。それが勝率に反映されるのかもしれない。

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posted by libertarian at 02:19| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする