2007年12月29日
Hierarchy and Liberty
クラシカルリベラルとは、単なる学派ではなく、知的な伝統と言った方がいいのかもしれない。
それは哲学上の伝統でもある。
そういった伝統に学問の方が棹差しているわけだ。
ハイエクのいう”思想の力”とはそういうものであろう。
日本はもともと江戸時代の頃から基本的には小さな政府による分権型の体制であったと思う。
そういう点では、今よりもはるかに自由な社会だったといえるだろう。
これが、世界的な植民地主義の脅威をうけて、急速に中央集権型の国家に変貌していった。
中央集権化した(軍事)国家になるわけだが、そうなる前から、もともと、武士=官僚であるから官僚制的な基盤は磐石だったわけだ。また、日本の武士階級の階級意識は、西洋の貴族のように領土とかの財産権を基盤にしたものではなく、精神的な、プライドという面が大きかったのだろう。実際に武士の中にも格式という序列があったが、それは財産基盤とはほとんど関係がなかった。家柄の方が重要だったのだ。
そこにさらに急速に社会主義思想が流れ込んできて今の日本社会の土台を形成しているものと思われる。
私の母方の家は医者とか学者の家系で、曾曾祖父は長崎医学校を出た医者で、曾祖父も医者だった。私の祖父は、文化勲章ももらった医学者であったが、かなり気骨のある人物であった。
遺品の整理か何かの折に、その京都帝国大学医学部の卒業証書を見たとき、その氏名の頭に、士族と書かれてあるのに驚いたことがある。
明治生まれの人間は、そういう江戸時代からある階級社会の中に生きていたのであって、それは昭和の初頭、もとい太平洋戦争の終戦にいたるまでは感覚的にはリアルなものだったろう。私の母もそういう謹厳な明治の親に育てられた良家の娘であるから、感覚的にはやはり100年以上前のものを強烈に引き継いでいると思う。
おそらく日本で社会主義思想は、主に日本の農民階級出身の”インテリ”に熱狂的に受け入れられたのだろう。
自由な社会と階級社会は矛盾しない。むしろ自由な社会であれば、社会は自然と階級化する。
また、西洋を見てもむしろ階級社会が社会的自由の防波堤になったのが事実だろう。
社会がグローバル化すれば、グローバルな階級化が起こるだろうし、それは既に起こりつつあるのかもしれない。
2007年12月22日
Privilege and Liberty
「自由が欠けている場合にのみ、いろいろな個別的な自由があらわれてくる。
すなわち、これらの個別的自由は集団や個人が得るかもしれない特権や免除であって、この場合には、その集団や個人以外のものは、多かれ少なかれ不自由なのである。」 ハイエク 自由の価値より
これはハイエクの言葉だが、まさに特許権などの知的財産権という特権制度にそのまま当てはまる。
言い換えれば、「消極的な自由」が欠けている場合にのみ、「積極的な自由」が現れるのである。この"positiveな自由"とは政府から与えられる特権や免除である。
2007年12月19日
Hello Tokyo Tom
Tokyo Tomさん、はじめまして
コメントとTomさんのBlogを拝見しました。
そこでJeffrey Tuckerさんがコメントしていたように、Tomさんの主張のポイントはよく分からないですね。
地球温暖化に対する環境統制の問題を語るのに、climatologistである必要はありません。
つまり地球温暖化問題とは、一つに純粋な科学上の研究テーマであり、もう一つはその研究結果からくる予測を根拠とする政府統制の問題です。mises blogやeconlogで扱っているのは後者の問題です。2つの問題を同時に議論すると話が混乱しますね。
IPCCの地球温暖化仮説が正しかったとしても、地球温暖化にはメリットーデメリットがあります。
こういった便益の問題に対しては、経済学的なアプローチが必要で、むしろclimatologistの扱う範疇ではないでしょう。これは、地球科学上の事実関係とは、ある程度独立に論じることが可能です。
さらに、地球環境のコントロールを口実に、政府権力によるコントロールを用いようとすれば、これは当然にリバタリアンが反論すべき問題になります。
2007年12月15日
Cato multi linqual website
スペイン、ロシア、アラビア、ペルシア、クルド、中国、ポルトガル、スワヒリ語のサイトだ。
残念ながら日本語バージョンは今のところない。
http://www.cato.org/foreign/index.html
Skeptical Scientists Kicked Off UN Press Schedule in Bali
アメリカで、昨今の国連主導の地球環境問題に懐疑的ー否定的な科学者達によるUNのバンキ国連総長にあてた公開書簡が出された。
このsceptical scientists達は、その道の錚々たる科学者が大勢、名を連ねているようだ。
IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)とは国連の下部組織で、国連と言う最悪の社会主義団体(=文字通り現代のインターナショナル)の中における環境社会主義のアジテイターの役割を持っているに過ぎない。
IPCCは、科学の中立性を装っているが、その主張は科学的でも中立でもない。
化けの皮が、徐々にはがれてきて、その社会主義の素顔と魂胆が明らかになりつつあるのだろう。
以下は長いが全文載せておく。比較的に簡明な英語である。
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Open Letter to the Secretary-General of the United Nations
Dec. 13, 2007
His Excellency Ban Ki-Moon
Secretary-General, United Nations
New York, N.Y.
Re: UN climate conference taking the World in entirely the wrong direction.
It is not possible to stop climate change, a natural phenomenon that has affected humanity through the ages. Geological, archaeological, oral and written histories all attest to the dramatic challenges posed to past societies from unanticipated changes in temperature, precipitation, winds and other climatic variables. We therefore need to equip nations to become resilient to the full range of these natural phenomena by promoting economic growth and wealth generation.
The United Nations Intergovernmental Panel on Climate Change (IPCC) has issued increasingly alarming conclusions about the climatic influences of human-produced carbon dioxide (CO2), a non-polluting gas that is essential to plant photosynthesis. While we understand the evidence that has led them to view CO2 emissions as harmful, the IPCC's conclusions are quite inadequate as justification for implementing policies that will markedly diminish future prosperity. In particular, it is not established that it is possible to significantly alter global climate through cuts in human greenhouse gas emissions. On top of which, because attempts to cut emissions will slow development, the current UN approach of CO2 reduction is likely to increase human suffering from future climate change rather than to decrease it.
The IPCC Summaries for Policy Makers are the most widely read IPCC reports amongst politicians and non-scientists and are the basis for most climate change policy formulation. Yet these Summaries are prepared by a relatively small core writing team with the final drafts approved line-by-lineby government representatives. The great majority of IPCC contributors and reviewers, and the tens of thousands of other scientists who are qualified to comment on these matters, are not involved in the preparation of these documents. The summaries therefore cannot properly be represented as a consensus view among experts.
Contrary to the impression left by the IPCC Summary reports:
z Recent observations of phenomena such as glacial retreats, sea-level rise and the migration of temperature-sensitive species are not evidence for abnormal climate change, for none of these changes has been shown to lie outside the bounds of known natural variability.
z The average rate of warming of 0.1 to 0. 2 degrees Celsius per decade recorded by satellites during the late 20th century falls within known natural rates of warming and cooling over the last 10,000 years.
z Leading scientists, including some senior IPCC representatives, acknowledge that today's computer models cannot predict climate. Consistent with this, and despite computer projections of temperature rises, there has been no net global warming since 1998. That the current temperature plateau follows a late 20th-century period of warming is consistent with the continuation today of natural multi-decadal or millennial climate cycling.
In stark contrast to the often repeated assertion that the science of climate change is "settled," significant new peer-reviewed research has cast even more doubt on the hypothesis of dangerous human-caused global warming. But because IPCC working groups were generally instructed (see reference) to consider work published only through May, 2005, these important findings are not included in their reports; i.e., the IPCC assessment reports are already materially outdated.
The UN climate conference in Bali has been planned to take the world along a path of severe CO2 restrictions, ignoring the lessons apparent from the failure of the Kyoto Protocol, the chaotic nature of the European CO2 trading market, and the ineffectiveness of other costly initiatives to curb greenhouse gas emissions. Balanced cost/benefit analyses provide no support for the introduction of global measures to cap and reduce energy consumption for the purpose of restricting CO2 emissions. Furthermore, it is irrational to apply the "precautionary principle" because many scientists recognize that both climatic coolings and warmings are realistic possibilities over the medium-term future.
The current UN focus on "fighting climate change," as illustrated in the Nov. 27 UN Development Programme's Human Development Report, is distracting governments from adapting to the threat of inevitable natural climate changes, whatever forms they may take. National and international planning for such changes is needed, with a focus on helping our most vulnerable citizens adapt to conditions that lie ahead. Attempts to prevent global climate change from occurring are ultimately futile, and constitute a tragic misallocation of resources that would be better spent on humanity's real and pressing problems.
Yours faithfully,
List of signatories
2007年12月12日
Global Warming and CO2
Econlogで地球温暖化に関する面白い記事がある。
http://econlog.econlib.org/archives/2007/12/global_warming_10.html
#さらにこの記事の元は、MisesBlogの次の記事
Are Carbon Emissions the Cause of Global Warming?
http://www.mises.org/story/2795
この記事は、David Evans という数学者の書いた話の引用だが、これによると、そもそも温暖化とCO2上昇とはどっちが先かといえば、実は温暖化が先で、その後にCO2上昇が起こっているという大気考古学的?研究が最近なされたようだ。
CO2が現在の280ppmから560ppm(→IPCCの2100年の予想)に上昇すれば、フラスコの中では温度上昇が理論どおり(0.7℃程度)にあがるが、地球はバイオスフィアであるから、雲とか生物の調整を受ける。
イギリスでの気温上昇予測モデルでは、この温暖化による雲と雨の発生効果がフィードバック的に働いて、気温を2.5-4.7℃上昇させるだろうとしていた。しかし、これも今年の研究では、実際に調べたところ雲と温度上昇との関係はこのようにはならなかったという。
Wilbur Smith
私は常に面白い本に飢えていて、暇があれば本屋をうろうろしている。
しかし、なかなか面白い本にはめぐり合わない。
別に内容はなんでもいいし、漫画であっても構わないのだが、面白い本は少ないというのが実感だ。
そういう私が好きな作家に、ウィルバースミス(Wilbur Smith)という南アフリカの冒険小説家がいる。世界的なベストセラー作家ではあるが、日本ではあまり知名度はない。だが、それでも固定ファンはいるようで、作品の多くが翻訳されている。
どれも大変に面白いが、講談社からでている「リバーゴッド」や「秘宝」ならまだ手にはいるだろう。文春文庫からも、「無法の裁き」、「熱砂の三人」、「虎の目」などの傑作が出版されていた。これらは絶版だろうが、BookOffに行くとよく100円で売っている。もちろんアマゾンでも売っている。どれも結構な厚さがあり、おまけにどれも章立てなどはないノンストップ形式だ。しかし読者を引き込んで一気に読ませてしまう力がある。
リバタリアン的にも、著者のハードボイルドかつ、人情にあふれる世界観にはしびれるであろう。
オススメである。
2007年12月09日
Intellectual Privilege
Tom BELL氏のBLOG
http://www.intellectualprivilege.com/blog/
池田さんのBlogでも少し批判を書いたが(が、削除されたが(笑))、特許や著作権などの知的財産権を、財産権概念に含めるのは大きな間違いだ。
知的財産権は、自然権としての財産権の一部ではない。それは、言葉の意図的な誤用であり、もともと、これは政府から与えられる特権でしかない。
ただ、特権も譲渡可能なものとされると、擬似的な財産権的性格を持つようになる。
しかし特許等を譲渡したら、その維持、登録料などは譲渡された特許権者の負担になる。
つまり政府に対し、登録料を払う限りにおいて特権が認められるのだ。
これは、駐車場を賃借りしているのと似たようなものだ。借りている駐車場に財産権があるわけではない。
こういった言葉の正確な用い方は学問的にも極めて重要なことであろう。
ハイエクは、言葉の意味や使い方にかなりこだわりのある人であった。
The fatal conceiptという、ハイエクの最後の著作では、Our poisoned languageという文章を書いていて、言葉の意味が(左派によって)あまりにも乱脈に使われてきているために、正確な使い方ができる言葉が殆どないと嘆いている。
自由主義者の知財への批判というのは、決して本来的意味での財産権への批判ではない。
むしろ、これはアナルコキャピタリズム的な政府批判であり政府の無用な活動としての特権批判として理解しないとおかしなことになる。
政府が特権を制度化し、政府特権を乱発することで、世の中がおかしくなっているわけだ。だから、知財批判とは、知財だけの問題ではなく、独禁法批判や薬事法違反、あらゆる経済法への批判と一体のものなのである。
さらにもう一つ池田さんの誤解を書いておくと、オーストリアンの言う、リスクと不確実性とは、反対概念だ。池田さんの理解では、riskの反対はreturnで、不確実性の反対は確実性なのだと言う。(笑)
しかし、オーストリアンの言うriskとは、calcurable riskのことであり、これの反対はuncalcurable riskになる。そして、uncertaintyとは、このuncalcurable riskのことだ。つまり、不確実性とは、計算できないリスク(uncalcurable risk)のことをさしている。通常は正規分布を前提にして、リスクを考えるが、確率分布は正規分布だけではない。正規分布や二項分布は大数の法則を前提にするが、ポワソン分布などは少数の法則と呼ばれる。こういうめったに起こらない現象だと経験値の蓄積もないので、予測もできない。個人としては、事故などまれなものだから個々の事故の確率は予測はできないが、保険は多くの個人を集めて大数の法則に近いものを作り、加入者集団の中で負担分散の仕組みを作っているわけだ。
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2007年12月02日
Appreciating Commodities
現在、原油を始めとした商品市場が高騰している。
これは何故なのだろうか?
商品市場は、ジムロジャースの言うように、大きくは需要―供給の関係で変動する。もちろん、先物相場だから投機性の変動もあるが、ロジャースは、現実に需要に対して供給がタイトになっているからロングレンジで商品相場が上がっていると考えているようだ。どうもこれは事実のようである。
商品市場は需要に対応して迅速に生産調整をすることが難しい。つまり、現在の採油能力がマキシマムの状態だとすれば、これを増やすためには設備を増やす必要がある。しかし、それは一朝一夕には作れない。こういう状況では商品価格は当然に上がる。
CO2がどうこういうのは先進国の一部の連中だけで、世界的には石油の需要と消費量はどんどん伸びているのである。
未だに1ガロンあたりの原油の価格は極めて安い。これはまだ上昇余地が大きいと言うことなのだろう。
Innovation of Audio-Visual
21世紀に入って7年が過ぎたが、この間もパソコンはムーアの法則に従って性能が向上しつづけた。しかし、私の使っているノートパソコンは2000年前後のIBMのThinkpadのWin2000マシンだが、通常の作業をするには充分な性能だ。むしろこの間は液晶ディスプレイとデジカメの性能向上と劇的な価格低下の方が印象的だ。
今後は液晶ディスプレイは有機ELに世代チェンジしていくのは確実だ。
デジカメの性能が恐ろしく高性能になり、それを見るのも印刷でなくディスプレイとなっている。先日、ソニーのXEL-1を店頭で見てきたが、栄光ある有機ELの第1号モデルとして歴史的な価値がでるかもしれない。
特に写真鑑賞目的には有機ELは最高だ。今だに、プロが写真をみるには諧調再現性に優れたCRTが使われることが多いが、有機ELはそれを遥かに上回る諧調再現能力を持つようだ。ちなみに諧調再現性が高くなるとグラデーション表現が増すために、画像がより立体的にリアルに見るようになる。
これは、有機ELが液晶のようなバックライト方式でなく、自発光方式(Emission Light)だからだ。これによってコントラスト比が圧倒的に高くなる。
#ちなみに従来のCRTも電子線をあてて塗料が発光する原理だから通常の液晶よりはコントラスト性能、諧調再現性が高い。
オーディオオタク(Hi-Fi)は前からいるが、最近はモニターオタク(Hi-Vi)というのも多いらしい。しかしディスプレイはオーディオと違って自分でなんとか作れるものではない。
ノートパソコンも有機ELを搭載してどんどんスリム、軽量、ロングバッテリーになっていくはずだ。こういったディスプレイ革命というのは、単にCPUが早くなるよりも一般人のうけるメリットは大きいに違いない。これらインターフェースは直接人間の感覚を左右するものだからだ。
こういったAudio-Visualの品質に対するイノベーションのもたらす意味は極めて大きいが、あまり考察がされていないように思われる。
2007年12月01日
Constitution of liberty
私の考える自由の憲法とは次のようなものだ。
極めて短いが、これだけでいい。
自由の憲法
第1条 何人もまたいかなる組織も、他人の財産権を侵害してはならないこと。
第2条 政府は国民の財産権を保証するためにのみ存在すること。
第3条 国民および外国人の財産権を直接または間接に侵害する可能性のある税金ならびに法律と規制は一切許されず、無効とされること。
第4条 他人の財産権を侵害したものには、懲罰賠償を下すこと。
以上
他に何か加えることがあるだろうか?
Deadweight loss
ガソリンや石油、灯油価格が高騰している。
原油価格が上がっているからだが、これは実は簡単に解決が可能だ。
要するにこれらに課せられている高額の税金を減税すればよいだけだ。
日本は海外先進国と比較しても、この高率の税金のせいで燃料費が異常に高い価格になっている。
さらにガソリンなどは、これに加えて消費税をとるために、露骨な2重課税となっている。(ビールも同様だ)
原油価格の高騰が問題だというのなら、政府にガソリンや灯油の税金を下させるのが正解なのだ。
#ガソリン税は、現在53.8円/Lだが、これは特別措置で20年以上上げられたままだ。
本来のガソリン税は28.7円/Lである。本来の税に戻すだけでも25円安くなる。
ちなみに消費税は所得税よりも公正な税だといわれることもあるが、これは大間違いだ。
消費税のように末端価格に転嫁される税金は、dead weight lossを生む。だから消費税か所得税かという議論もおかしい。国庫税収そのものを減らすことが”小さい政府”の意味である。
また建築基準法のような一網打尽の規制は、今回の改正でも明らかなように、財産権への直接侵害になる。財産権とは自分の財産の自由処分の原則だ。これに対し一定の基準を満たさないと自分の家の増改築もできない規制を作れば、財産権すなわち財産の自由処分の原則が大きく損なわれることになる。つまり所得税や消費税のように国民から直接に略奪する税金は大前氏がいうように見える税金だが、規制がもたらす見えない税金は測定が非常に困難であってっも、やはり税金であることに違いない。むしろ見えない税金は見える税金を上回っている可能性もある。
法律によってもたらされる社会全体への基準規制がもたらす(税)負担額の測定は難しいのはそのdead weight lossをも求めなければならないからだが、これは現実的には測定が不可能もしくは極めて困難だ。
建築基準規制によって、新築はおろか旧い住居の増改築も困難になることで、社会全体の地震リスクが高まるのは自明だ。もし今、地震が起こって旧い住居が倒壊して下敷きになればまさに、これはdead weight loss(死加重)になるというしゃれにもならない事態になる。
国家権力による税金という名の公然の略奪や窃盗を大前提とする社会体制がいかに矛盾と欺瞞に満ちているのかということだ。略奪と窃盗をやめれば社会は正常化するのだ。公共という美名のもとに権力による生命財産権の侵害という重大犯罪を前提とした社会がうまくいくわけはない。
また、いかにエゴイスティックな金持ちであっても、政府という合法的略奪者より、はるかに合理的で慈悲深い存在であることを理解すべきだ。なぜなら彼らは市場と消費者に対して従順でありつづける限りにおいてのみ金持ちでありえるからである。
起業家や金持ちは民衆の守護神だが、政府はその対極にあることを理解すべきだ。