2008年02月21日

Gun Control and Constitution of USA

Becker-Posner Blogで、銃規制の問題が論じられている。
February 18, 2008
Can Gun Control Laws be Effective?
http://www.becker-posner-blog.com/
アメリカでは、こないだのイリノイの銃乱射事件や、コロンバイン事件など、異常者による派手で悲惨な大量殺戮事件が後を絶たない、、というほどに、頻繁でもないのだろうが、こういった事件は印象が強烈だ。

ベッカーは、このような自殺志願の異常者へ銃が渡らないようにする手段として、合法的な銃販売に対する大幅な課税のアイデアを出している。これはタバコなどの規制を同様の仕組みだ。
課税による価格コントロールによって銃の需要に対するネガティブフィードバックを起こそうというアイデアである。 たしかに一丁のピストルが100万円であれば、一般人の需要は減ることは間違いない。つまり、ベッカーは次のような負のフィードバックを期待しているわけだ。
銃の値段が高くなる→気軽には買えなくなる。(だが禁止ではないのでどうしても欲しい人は買える。)→さらにブラックマーケットへの銃の供給者に対する厳罰化→ブラックマーケットの銃の価格が上昇→表と裏の市場で銃の価格が上がり需要が減る→銃の保持者が減少→他人の保有が減れば銃の所有ニーズが減少→銃の値段が高くなる。・・・・・
Beckerのアイデアは、税と、法律の厳罰化の2つの仕組みを用いた価格コントロールであり、よくある考え方だろう。

これに対してPosnerの意見は、ベッカーの意見に対する補足的なものだ。
ポズナーは、銃のような殺傷力の高い武器が、アメリカで1億丁以上も所有されているのは、アメリカの歴史的な背景があるという。

1.The United States was born in a revolution in which the arms used by the revolutionaries were to a large extent privately purchased and owned.
アメリカ合衆国は、革命で生まれたが、その革命で使われた武器の大部分は個人的に購入され所有されたものだった。

2.Hunting was widespread
アメリカでは狩猟が(貴族以外にも)広がった。

3.Hostility to standing armies led to the adoption of the Second Amendment to the Constitution, which created a right to bear arms tied to a policy of relying on the state militias as a defense not only against foreign invaders but also against domestic tyranny.
国内の専制に対する防御として、州民兵への武装が、憲法のthe Second Amendmentに採択されたこと
といったことを挙げている。
もとより今回のイリノイ事件やコロンバイン事件のように、自殺志願動機をもった異常者の犯罪に対しては、厳罰化に意味がないのは明らかだ。人を殺しておいて自分は銃で”安楽死”をするわけだからだ。だから価格メカニズムによる抑制を考えているわけだ。原則禁止はしないが、総需要は抑えられる。

いずれにしても、アメリカは憲法で今のところは銃を所有する権利は保障されている。
私の考えでは、価格を上げたところで犯罪者が銃という殺傷能力の高い武器から、刃物のような武器にシフトするとは思えない。 だがベッカーやポズナーは銃が減れば、そうなるだろうことを期待している。
むしろ銃の価格があがれば、利益率が高くなり、インセンティブも当然に増大する。これを厳罰化によって止めることは麻薬同様にできないだろう。
かえって値段が高くなればなるほど確信的犯罪者に銃が渡り、その他の人は無防備になるかもしれない。

銃擁護派は、銃が人を殺しているのではなく、人が人を殺すのだというが、これも事実ではある。
銃という武器は、ナイフよりは殺傷力が強いが、爆弾よりは弱い。全ての人が爆弾を護身用?に持っているとしたら、普通クレージーな状況と思うだろうが、銃は刃物に近い感覚なのだろうか?
だが、これもマシンガンのような重火器になると、所有を認める意味があるとは思えない。
ここらは、社会的に認められる護身兵器としての感覚的なものがある。

日本でも豊臣秀吉が刀狩をしたのは、民衆の反乱を抑圧するためだった。実際、刀狩によるその後の日本に与えた影響は絶大だったという説もある。一方、アメリカ人は政府権力を信用しないことを憲法の根本に据えたのだ。

やはり、このような悲惨な事故が起ころうとも、政府を信用して、反抗の爪を抜かれるようなまねはするべきではないのだろうと思う。
このようなことを言う体制派の宮廷知識人を、リバタリアンは信用しないだろう。

 
posted by libertarian at 22:08| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月13日

CSR: Camouflage of Socialism Reformation

ミルトンフリードマンのCSR批判については、本Blogでも何度も書いてきたが、次のCNETの記事は良記事だ。Declan McCullaghという人は写真では若く見えるが、これだけのことが書ける記者は日本人には一人もいないだろう。ただし内容的には、フリードマンやイースタリーなどの言っていることと同じだ。

B・ゲイツ氏の「創造的資本主義」は世界にとってプラスか?Declan McCullagh
http://japan.cnet.com/print/0,2000080637,20366973-3,00.htm?u=/cnet/2006/column/pers/story/0,2000055923,20366973-3,00.htm

Social Responsibility: 'Fundamentally Subversive'?
 Milton Friedmanへのインタビュー BusinessWeek誌 AUGUST 15, 2005
http://www.businessweek.com/print/magazine/content/05_33/b3947115_mz017.htm?chan=gl

The Social Responsibility of Business is to Increase its Profits
by Milton Friedman
http://www.colorado.edu/studentgroups/libertarians/issues/friedman-soc-resp-business.html

こういったフリードマンの主張は、単に正しい主張であるから意味があるのである。そこには別にリバタリアニズムからくるイデオロギー性はなにもない。
一方、CSR論とは、社会主義的なイデオロギーが巧妙に隠蔽されたカモフラージュなのであり、それは論理的にも法的にも完全に間違っている。まさにFundamentally Subversiveであり、自由社会の根本を社会主義論理で覆すものなのだ。

先のミルトンフリードマンへのインタビューから抜粋しておこう。
ミルトンフリードマンのこの手のインタビューは、前にも紹介したように結構あるが、言っている内容は全くぶれていない。

Q: Take this example: Coca-Cola (KO ) faces challenges from environmental activists in India and labor activists in Colombia. Their calls for a boycott of Coca-Cola reverberate on U.S. college campuses where students are voting to, in some cases, oust the product. Should Coke consider those activists as stakeholders who need to be addressed?
A: No. They should not consider those activists as stakeholders. They should consider them as problems for running the business. They have to be counted, and it's perfectly sensible for Coca-Cola to spend money on trying to reduce the influence of such groups. It may be that the most efficient way to do that is by pretending that they are stakeholders. But they aren't stakeholders.
Q: In your book Capitalism and Freedom, you called the doctrine of social responsibility "fundamentally subversive." Is it still?

A: Absolutely. It is just as subversive as it ever was. The idea that the resources of a company should be distributed by people on some basis other than ownership and by people who are not elected for that purpose -- surely, that is a socialist concept.

posted by libertarian at 19:58| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | MiltonFriedman | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月11日

Unseen Capitalism


アインランドは、”まだ見ぬ資本主義”(Unseen Capitalism)という言葉を使っている。この”まだ見ぬ資本主義”とは、今の世界には純粋な意味での資本主義国家が存在しないという意味だ。そもそも資本主義とは何かというと、先にポストしたように定義上も曖昧さがあるが、アイン ランドの言っていることは、自由主義圏の国家であっても、混合経済体制(mixed economy)を敷いていて、社会主義、集産主義的なものを多く含んでいるというイメージだろう。アメリカのような、典型的な資本主義国家といわれるものも、社会主義的側面という不純さが相当にある。
だから今の体制から、公共政策の部分を除外して、さらに社会主義、国家主義の根幹である税金制度という収奪制度をなくせば、より純粋な資本主義社会になる。今の体制から引き算をした体制が本当の意味での自由な資本主義になる。
そういう意味で、資本主義社会というのは、自由主義社会と同義である。

ここで、先にポストした資本主義と所有権ルールの問題が出てくる。自由主義社会の原理は、財産権ルールであるが、株式会社制度とは、財産権ルールの基本を逸脱している。この有限責任制度があるから、株式会社という制度が20世紀に飛躍的に拡大したのであろう。ほとんど資本主義社会とは、この会社制度と同義だろう。
ここで資本主義社会というよりも、この有限責任を前提とする株式会社制度こそが考えるに足る点だ。
19世紀のアメリカ社会は、野蛮な西部劇のイメージが強いのかもしれないが、これはミルトン フリードマンの研究によると、素晴らしい自由主義社会だったらしい。このような時代が結構長く続いたことが驚異的だとも言っている。

だが、この時代に株式会社なんていうものは、あまりなかったろう。あったかもしれないが、少なかったはずだ。
私が問題としているのは、この株式会社制度=有限責任制度は、知財などと同様に政府によって与えられる特権制度であり、資本主義社会もしくは自由主義社会を蝕む穴になっている可能性があるのではないか!?という指摘だ。

こういった法的なすきまをついて、現在のCSR論という社会主義ロジックが大手をふるっているような気がするわけだ。
実際に、株式会社=企業が情報公開など様々な法的制約を課せられるのは、この有限責任という特権に対応した義務であると考えられる。
だが、19世紀のアメリカ社会が今よりもはるかに自由主義的であったことから言えるように、自由主義的な社会であることと、資本主義=株式会社制度とは同じではない。このような無限責任を前提とする会社制度は、保険などのメカニズムによっていくらでも可能だろう。
つまり、純粋な財産権ルールに基づいて、法的な特権に依拠することなく、社会がやっていくことは可能であるし、もしかすれば、その方がより効率性もよいかもしれない。直接金融市場への上場ルールもこれにともなってまったく変わるだろう。
posted by libertarian at 21:48| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | Bruce.Benson | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

The Limit of Memory

本日、Vistaのメモリーを増強した。
OSが32Bit版なので、3GBまで増設したわけだが、Vistaになっても64Bit仕様のやつでなければ、メモリーはせいぜい4GBまでしか増やせないというのがばからしい。
結局、XPとVistaの大した違いなど何もないではないか。
64BitOSが普及する環境にならないと、どんなにバージョンアップしても、大差ないかもしれない。
LinuxのFedoraなどは1年に2回くらいOSがアップするが、Windowsは独占の地位を利用して開発コストをばかばかしいほど高く設定しているに違いない。
だがLinuxにすれば、メモリーをおごる意味が出てくるので、そろそろ新デスクトップもDualBoot設定をしなければならないと思っている。
とはいえ、この手の作業は結構半日くらいの作業になるので、よほどの暇と気力がないとなかなかできない。

ついでに、MacのAirという薄い新型ノートも見てきた。
Appleの製品は、インダストリアルデザイン的に凝っているので、魅力的だ。性能ももちろんWindowsより上だろう。
Airは手抜きのない作りで、まさにデザインは細部に宿るという感じがする。
しかし、少しデザインに懲りすぎていて飽きるかもしれない。
マックの最近のキーボードも、なれればなかなか良さそうだ。キータッチの軽さはどうかなと思っていたが、クリック感もそれなりにあって、反応も悪くない。
(ちなみにここで反応とは、キーが戻るスピードのことだ。)

私のノートパソコンは、歴代のが8台位堆積してる。ノートとはいっても、キーボードが悪いと使う気が失せてしまう。
レッツノートはキーボードがあまり気に入らないので、モバイル性能は申し分ないがあまり使っておらず、性能的にはこれよりずっと低い旧いThinkPadばかり使うことにある。
だが、テキストの入力作業くらいでは、CPUスピードやGPUやメモリーなどまったく関係ないのだ。
EeePCもテキスト入力用途にはいいだろうと思っていたが、値段が5万円というのは高すぎる。
もう1ー2万円も出せば、最新の高性能ノートPCが買えてしまう。
これがLinuxで3万円くらいだったらバカ売れしただろう。
posted by libertarian at 21:18| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | Computer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月07日

Capitalism and Property rule

資本主義という言葉は、普通に使われているが、その定義ははっきりとしない。
言葉の字義どおりのイメージとしては、資本=capitalがあって、それを第1に考えることとなる。
つまり、資本という元手を増やしていく仕組みのようなものと考えられる。
もしくは株式資本を前提とする企業によって構成される社会だろう。
資本主義社会なるものを、株式資本を前提とする企業によって構成される社会と捉えるのは、私のイメージにぴったりくる。この場合は、株式会社主義といったほうが適切な気もする。

実は、この株式会社というのは、財産権ルールの原則を逸脱したものである。
これは有限責任性という法的特権を与える仕組みだからだ。
本来の財産権ルールの原則は、無限責任である。そして、個人活動は原則、無限責任だ。
だが、なぜか株式会社には有限責任という特権を与えている。
つまり、これは株式会社制度そのものが、社会における保険的なリスクヘッジの仕組みだということだ。株主=社員は、会社に対して持分に応じた絶対的な財産権を持つが、そのもたらす損害に対しては原則、出資分だけだ。だから、株主が弱いとか強いとかいう議論も全くおかしいのである。

また、従業員として会社の中で働いた場合も、やはり有限責任だ。
トレーダーが判断を誤って大損を会社にもたらしたとしても、原則、損害賠償はしない。
首になるくらいだ。
だが、当然ながら個人でやると全部自分でかぶらなければならない。

posted by libertarian at 22:08| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Fool and Randomness

Fooled by Randomness by Nicholas Taleb
の翻訳「まぐれ」を半分くらい読んだ。

さして、面白くもない本である。
言いたいことは分からないでもないが、結構首を傾げる点も多い。

例えば、タレブは次のような例を出す。

1000回に999回の確率で1ドルもらえる。
1000回に1回の確率で10000ドル払う。

この期待値は-9ドルだから、このゲームに参加するのはお馬鹿である。
、、というのが、タレブの考えだ。誰でもわかる一見常識的なことだ。
だが、次の例ではどうか?

1000回に999回の確率で10ドルもらえる。
1000回に1回の確率で11000ドル払う。

この期待値は、-1ドルだ。
また、確率の方も変えて次の例ではどうか

10000回に9999回の確率で100ドルもらえる。
10000回に1回の確率で1010000ドル払う。

これも、期待値が-1ドルだ。

#ここでもう一つ例を追加しておこう

10000回に9999回の確率で100ドルもらえる。
10000回に1回の確率で990000ドル払う。

これだと、期待値が+1ドルだ。


私は、2番目と3番目の賭けなら期待値がマイナスでもやるだろう。

ここでは、リスクをとることによる利益、1ドル、10ドル、100ドルと、
期待値-9ドル、−1ドル、−1ドルとの兼ね合いも問題になる。


さらに、4番目のルールだとどうか?
期待値は、+1ドルであっても、まさかのクジ運になると
やはり巨額なお金を払わないといけない。
つまり、リスクの問題とは、単純に期待値の問題ではない。
 


これを単純に非合理行動だと考えるとしたら、タレブはFoolである。
posted by libertarian at 21:13| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月03日

IT Literacy

ITリテラシーという言葉があるが、ITリテラシーとは究極的にはプログラミング能力のことだ。
Officeが使える程度では、リテラシーがあることにはならない。

ITリテラシーを身に着けようとしたら、何か一つ自由に駆使できるようなプログラミング言語をマスターしなければならない。SEでなくても、プログラミング能力はもつべきだ。

最近は、いろんな言語がFreeで利用できるから、お好みでなんでも利用できる。
私のお勧めはLight weight Language(LWL)をどれか一つマスターすることだ。
CやJavaを使うよりも生産性が高いというか、通常の使用には便利だ。
BashのようなSHELLも一種のLWLに含まれるだろうし、Linuxを使う場合にはとりあえず、ある程度使えないといけない。
エクセルに標準のVBAも決して馬鹿にならない。VBAから入るのもよい選択だろう。
LWLには、Perl,Ruby,Python,Haskelといろいろあるが、私はPythonが気に入っている。
Google社内では、Pythonがもっとも広く使われているようで、この作者はGoogleに招き入れられたそうだ。
posted by libertarian at 17:37| 東京 ?J| Comment(0) | TrackBack(0) | Computer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Milton Friedman A Biography

Milton Friedman A Biography by Lanny Ebensteinの翻訳を読んだ。
これは、万人向けのナイスな本で、お勧めだ。
Read it!

特に日本では自称経済学者の間でも、フリードマンはほとんど実体が知られていないから、こういう本は貴重である。

この本の一つの特徴は、リバタリアニズムとの関係でフリードマンを捉えようとしていることだ。
たしかに、この本を読むとアメリカにおいてすらリバタリアニズムはあまり理解されていないことが伺える。筆者もリバタリアニズムに造詣が深いわけではないようだ。
まあ日本と似たような義務教育制度の国だからやむなしだろう。

私は、こういう書き方のevangelize本が日本にはもっと必要だと思う。
つまり、対象がどういう言葉を話したか、その言葉の引用を多用する書き方だ。
オリジナリティを出そうとするためか、対象を自分なりに丸めてしまって、当の対象がなんなのかさっぱりわからない本が多い。その対象を読者がかなりの程度に読み込んでおり、共通理解みたいのがあるような書き方をしている。これでは話にならない。
ようするに評論になってしまって、紹介や解説になっていない本のことだ。
広大な分野に対するすぐれたサマライズは、オリジナリティを持つのだが、それが出来るほどにちゃんと理解をして書いている人間はほとんどいないということか。

posted by libertarian at 02:41| 東京 不明| Comment(0) | TrackBack(0) | MiltonFriedman | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Why the rich get richer

Why the rich get richer
http://money.yahoo.co.jp/column/company/ead/celebrated/person4/person4_list1.html

上は、YahooFinanceでのロバート キヨサキの連載
おすすめだ。なかなかキヨサキの書くものは奥深い。

しかし最近、お金の運用がらみの本をよく読むが、この手のジャンルは極めていかがわしい。「お金は銀行に預けるな」というのもざっと読んだが、実につまらない本だった。


おそらく株をランダムウォークだと捉えれば、取りうる最善の戦略は、一定額の定期的投資になるのだろう。Topixを一月毎に、決められた額だけを買うとかだ。
これは、相場が下がっても上がっても投資額を一定にし、定期的にサンプリングするのが味噌である。
これは、最善の分散投資になる。
こういうのもやっておくといいとは思う。
だが、株の本質がランダムウォークだというのは、「森を見て木を見ず」という気がする。
株式制度の本質は、investmentである。個々の会社に対する投資はinvestmentであって、speculationではない。

要するに、投資する対象が多すぎて、その実態と内容をほとんど理解しないで投資せざるを得ずinvestmentができないのが問題なのだろう。
プレーヤーがinvesterではなく、speculatorが圧倒的に多いためにその挙動はrandomに見える。
株がランダムに見えるのは、時間軸の現象として株を見るからだ。もとより人間活動は全て時間軸の中にあるが、個々の活動の成否は必ずしもランダムな自然現象ではない。
うまくやったものは成功するべくして成功するし、逆も真なりだ。

あと、Nicholas Talebの本は、リバタリアンサイトでは好意的に扱われているようだが、Fooled by Randomnessを書いたTalebを、Foolと呼ぶリバタリアンもいる。
posted by libertarian at 01:57| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする