2008年03月28日

Active or Passive?


投資には、Active投資とPassive投資がある。
株式投資のプロと称する人間や投資本は世にあまたあるが、これらはこの2つのどちらかに必ず分類される。

Passive投資の考えは、TOPIXのような指数に一定額を定期的に投資する方法だ。株式の動きが純粋なランダムウォークだとすれば、必然的にPassive投資が数学的な正解であり、仮にActive投資でどんなに儲けていたとしても、それは”まぐれ”に過ぎないということになる。
よってウォーレン バフェットも偉大な投資家ではなく、単なるまぐれの長者ということになる。
ニコラス タレブの考えなどはまさにこのPassive派であろう。またハーバードの資産を10億ドル強から20年間で180億ドルにまで増やしたデヴィッドスウェンソンなども実はこのパッシブ投資をやっているだけらしい。
#この平均利率は15%強となり、当然、国債利率よりも遥かに高い。

一方のActive投資は、ファンダメンタルズやテクニカル分析を駆使することで、Passive投資よりも高い効率で儲けることが可能だと考える。Passive派は、相場がランダムウォークである以上、Active運用がPassive運用を上回ることはまぐれ以外、数学的に不可能だと考える。しいては、いかなる分析手法も無意味だと考える。
ところで株式の動きがランダムウォークであるには、次の条件が成立する必要がある。

1.取引コストが0→手数料が0
2.情報コストが0→情報は瞬時に市場に反映される。
3.全てのプレイヤーが利益をなるべく増やし、損失をなるべく抑えようとしている。→これを合理的投資行動という。

この3条件が全て成り立つ市場が完全効率市場と呼ばれる。つまり完全効率市場=ランダムウォークだ。
たしかに、この3つのうち1はなく、2もタイムラグがあるかもしれないし、インサイダー取引によるズレもあるだろう。3は全てとは言わなくてもごく少数の人間しか非合理的投資行動をとらないに違いない。

となると、(1×2△3○)ということで、株式の動きがランダムウォークであるという条件は完全には満たさないことのほうが多そうだ。
つまり、株式の動きがランダムウォーク=ブラウン運動と同じであるには、統計的に人間行動を均質化してしまう条件を設定する必要がある。しかしActive派は、株式市場が人間活動の一つである以上、非効率な部分があるはずだと考える。
市場に非効率な部分があるかといえば、それは事実存在する。例えば、仕手株は人間が操作した相場であるから、これはランダム相場ではない。不祥事事件でマスコミにた叩かれて急落するのもランダム現象ではない。
日本の株式市場は、東証1部のブルーチップ銘柄を除けば、”常にランダムウォークする”銘柄ばかりではないだろうと思われる。昨今、株式持ち合いが解消されつつあるとはいえ、基本的にはまだ未熟な市場であるために不完全効率市場というのが現実だろう。その証拠に仕手株などは欧米の市場にはほとんどないらしい。一方、日本市場では資金力のある組織ならどこでも仕手相場を演出しているようだ。それだけ市場が未成熟なのだ。
Active派の巨額の投機マネーは、世界中の新興市場など、未熟な市場を目指して移動する。だが、これによって市場もどんどん成熟していき、完全効率市場にじょじょに近づいていくことになるのだろう。株式市場を鎖国しないかぎりはだが。

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2008年03月27日

Negrigence

さるサイバーリバタリアン?のアルファBlogで、Negriのことがかかれている。
しかし、ネグリは、リバタリアンな知識人からはルソー主義よりも酷い極左と酷評されている人間だ。
こんな奴を入国させないのは当然だ。
ポルポトを歓待するバカがどこにいるのか?→日本の大学には多数生息するらしい。
また、リバタリアン的な主権国家批判と結び付けようとするのも支離滅裂だ。
どうも、マルクス万歳!輝けインターナショナル!というのが持病のように出てしまうようだ。
こういうのは、元左翼の人間にはありがちなことではあるが、キューブリックの「博士の異常な愛情」 に出てくる軍人が、発作的に「ハイルヒットラー!」とやってしまう自分の右手と格闘するシーンを、ついつい思い出してしまうのである。 w
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It's not the duty of government to bail out

Greg Mankiw のBlogから
McCain vs Obama: Bailouts
http://gregmankiw.blogspot.com/2008/03/mccain-vs-obama-bailouts.html

Senator John McCain of Arizona warned Tuesday against vigorous government action to solve the deepening mortgage crisis and the market turmoil it has caused, saying that “it is not the duty of government to bail out and reward those who act irresponsibly, whether they are big banks or small borrowers.”

一方、クリントンとオバマは、

 
Senator Hillary Rodham Clinton of New York called for direct federal intervention to help affected homeowners, including a $30 billion fund for states and communities to assist those at risk of foreclosure. Mrs. Clinton’s Democratic opponent, Senator Barack Obama of Illinois, has similarly called for greater federal involvement, including creation of a $10 billion relief package to prevent foreclosures.


 

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United States of Euroland and Tax

次のコラムは面白い。

ロシアも飲み込むEUの未来 大前研一
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/124/

EUが東方に拡大してロシアを飲み込むかどうかは分からないが、
EU内のTax競争の行方はどうなるだろうか?
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Behavioral economics and Marginal Utility


先のポストの説明を補足しておくと、よく、行動経済学の入門書などに、次のような例がのっている。

例1
A.  必ず50万円がもらえる。
B. 丁半博打で勝てば、100万円がもらえるが、負ければ何ももらえない。

この選択肢では、Aを選ぶ人間が圧倒的に多い。

逆の例として、
例2
A. 必ず、50万円とられる。
B. 丁半博打で勝てば、何もとられないが、負ければ100万円とられる。

この例では、Bを選択する人間が多くなる。

つまり、人間は、利益が確実なときは、確実な方の利益を確定しようとし、
損失が確実な場合は、リスクをとろうとする傾向があることを意味しているというわけだ。
この傾向は簡単なアンケートのようなものをすれば容易に結果がでるが、自分で株取引などをやれば、いちいち調査をしなくてもこういう心理で動かされがちなことが肌で分かる。

これは、もちろん先のポストの限界効用の理屈で説明できる。

最初の例では、50万円の効用の方が、0と100万円の効用の平均よりも大きいから、50万円を得ようとし、逆に
−50万円と、0円、−100万円の効用を比べれば、−50万円の効用の方がマイナスが大きくなるので、リスクをとった賭けを選ぶわけだ。
こういう説明をすれば、こういった人間の行動様式は、人間心理というよりも、個人に内在する限界効用関数がほぼ万人に同様の形を持っているということを意味している。
その点、カーネマンらの行動経済学の実験は、限界効用説を”実験的”に追試したものにすぎない。
とはいえカーネマンらの実験は、簡単かつ当たり前すぎて実験というほどの大袈裟なものでもないが。
つまり、F.V.WieserやAlfred Marshallといったオーストリアンが100年前に考えたmarginal utility理論の域をでないわけだ。

こういった限界効用のバイアスを除外するには、限界効用の存在しない、もしくは効用が直線状にのる存在、つまりコンピュータープログラミングで取引を行うことがよい。
実際、現在の取引の40%以上はコンピューター売買らしい。

posted by libertarian at 14:39| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月23日

Boycott Peking Olympic

[台北 23日 ロイター] 台湾の総統選で勝利した国民党の馬英九・前党主席は23日、中国チベット自治区での騒乱の事態が悪化した場合、8月に開催される北京五輪のボイコットも検討するとの考えを明らかにした。馬氏は5月20日に新総統に就任する。

 22日の選挙で圧勝した馬氏は記者会見で、チベットでのデモ参加者にする中国政府の鎮圧の状況などを調査すると表明。「チベットでの事態が悪化すれば、われわれは五輪に選手を派遣しない可能性も検討する」と述べた。
==

チベットの問題は、憂慮すべき問題だ。日本のメディアは中国側の報道を垂れ流すだけだが
これは重大な人権問題だ。
このチベット暴動は中国の長年に渡るチベット民族のエスニッククレンジング政策に対する暴動だ。
所詮、中国はまだ共産主義の独裁国家だという本質を改めて思い出させられる。
だが、日頃、国連だ人権だと騒いでいる連中もこういう問題にはシカトを決め込む。
こういう連中は一切信用すべきではない。
人権主義というイデオロギーは完全に間違っているが、自然権(natural rights)は当然に何よりも大事だ。
自然権はいかなる政府よりも重いのである。
日本も台湾にならって北京オリンピックをボイコットする姿勢を示すべきだ。

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Risk aversion

デヴィッド フリードマンがRisk aversion(危険回避性向)とは、Riskを好む好まないという問題ではなく、限界効用の問題であることを説明している。


David FriedmanのBlogの記事
Why Risk Aversion Isn't
http://daviddfriedman.blogspot.com/


The definition of risk aversion, as any good textbook that covers the subject will explain, is that a risk averse person, faced with the choice between an uncertain set of monetary payments and a certain payment with the same expected value, will prefer the latter. As that definition suggests, it is a statement not about his taste for risk but about his taste for money.

To see why we would expect people to be risk averse, imagine that you are faced with two possible jobs. One pays you $60,000/year. The other has equal odds of paying you $20,000/year or $100,000 year.
We expect most people to prefer the former job, all else being equal. To see why, imagine that you are shifting continuously from it to the other. You are giving up dollars in the future where you lose the bet?where the salary is $20,000?in order to get dollars in the future where you win the bet. That means that you are giving up (probabilistic) dollars used to buy things you would get as your income increased from $20,000 to $60,000 in order to get (probabilistic) dollars to buy things you would get as it increased from $60,000 to $100,000. As your income increases, you buy the more important things first, so we would expect the gain from getting a dollar at the high end to be less than the loss from losing one at the low end. As this (entirely conventional) exposition shows, risk aversion is simply declining marginal utility of income.

この例は、毎年6万ドルもらう仕事と、丁半ばくちによって、2万ドルか10万ドルを年毎にもらう仕事とどちらを選ぶかということだ。平均すると全く同じ額が手に入るが、殆どの人は毎年6万ドルの方を選択するはずだという。これがRisk aversionである。
要するにお金の効用関数は直線ではないため、毎年6万ドル貰う方が、効用の合計が大きくなるということで説明がつく。つまりお金に関して、一般に効用関数は金額が大きくなるほど寝て来る形だと分かる。これが時間に関しては逆に値が大きくなるほど傾きが急な効用関数になるようだ。

前に、ニコラス タレブの本について少し書いた。↓
http://libertarian.seesaa.net/article/82860748.html
繰り返すとタレブが挙げている例では、次のものがある。
1000回に999回の確率で1ドルもらえる。
1000回に1回の確率で10000ドル払う。

これは、期待値が-9ドルだから、こんな賭けをやるのはバカであり、また、これが株式ゲームの本質だというわけだ。これに対して私はギャンブル行為は期待値の問題ではないだろうということを書いた。
ちなみにこれは、ゲームのルールが完全にプレイヤーに分かっている賭けだが、プレイヤーが決してバカではないクールな博徒だとした場合、賭けに応じるか否かは、10000ドルの効用関数も考慮しなくてはならないということだろう。

たとえば1ドルの効用が1で、10000ドルの効用が、そのプレイヤーにとっては仮に1000だとした場合、このゲームの期待値はトントンだ。さらにゲームの参加というベネフィットもあるから、賭けに応じることは期待値としてもプラスになりえる。もとい真のギャンブラーにとって10000ドルの効用は500くらいなのかもしれない。そうなると効用は+0.5になる。これは、真のギャンブラーほど効用関数の寝かたが大きいということを意味する。
この賭けの場合は、胴元が儲かる構造になっているが、それでもトータルの効用ではWin-Winになっている可能性がある。これがギャンブル産業の本質かもしれない。

宝くじはこの例と全く逆で、例えば次のような形になる。
1000回に999回の確率で1ドル払う。
1000回に1回の確率で10000ドル貰える。

これは、10000ドルの効用が1000だとすると成立しない。例えば2000とか、1000よりはもっと高くないとギャンブルが成立しないことになる。(宝くじもギャンブルの一つだろう)
しかし、真のギャンブラーはこういうケチなギャンブルはしないことが推察される。
なぜなら効用が-0.5になるからである。

さらにいえば、真のギャンブラーほどお金に関する限界効用関数の寝かたが大きい(つまりお金の価値に鈍感である)ために、外資系企業ではなく、平凡な日本企業に勤めている可能性が高いということも推察できるのである。

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2008年03月22日

Subprime and Laissez-faire


サブプライムの問題をどう理解するべきかは、諸説あるが、大体が現状と解釈と対策が混同されていて、まだ誰も問題の本質を把握していないのではないかという印象がある。
こういう危機には、やれ金利だ通貨だと様々なファクターがごちゃごちゃと論ぜられ、普通の経済学者は現実に対する無力さを露呈する。
しかし、こういった多体問題が表面化したときこそ、リバタリアニズムの考え方が重要になる。
特にリバタリアン的には、バーナンキの対策は非難されているところだ。
ジム ロジャースは、FRBの対策を全て非難し罵っているが、ようするにドルの価値をあえて貶めようとする政策は許せないということだ。現在のFF金利(2.25%)の実質金利はすでにマイナス領域になっている。FRBが考えているような”景気”という指標は問題ではなく、現在の事態の本質はドルの通貨価値問題だと考えているわけだ。
サブプライムの問題について、次のように大前研一氏が書いている。私は大前氏の思考回路がよく分かる。現在の問題の本質をドルの通貨価値問題と見ている点では、ジムロジャースと同じだろう。
そして、政府が対処をするのでなく、ガラをなるべく早期に起こしたほうがマーケットは迅速に自生的に回復する。そして投資が回復すればドルも価値が上がる。これはマーケットオーダーに委ねようというレッセフェールに近い考え方だ。
一方、Foreclosureの問題は、単に入居者の入れ替えが起こるだけというランズバーグの指摘とおりのことに過ぎない。金融機関などは、自業自得であり、またリスクを負うのが商売なので、潰れるべきところは潰れるべしという原則しかありえない。FRBがすべきことは、recession対策(兼、株価対策)として金利を下げることではなく、むしろ金利を上げてドルの通貨価値をなるべく維持することだろう。その方が、ガラも早く起こる。


衰退する米国経済にマネーを呼び戻す方法 by 大前研一
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/123/index.html

"そもそもバーナンキ議長が行ってきた利下げも、リセッション(景気後退)対策だったのである。景気減速だけならここまでの急速な利下げはしないはずだ。
世界には6000兆円を超えるホームレスマネーがある。これがつい先ごろまでの過剰流動性の原因となっていた。この金は国境を越えてもうかるところに一瞬にして移動してくる。米国に限らず、日本も落ちるべきところに落ちてしまえば、今が稼ぎどきとばかりに世界中からどっとカネが来る。つまり回復はそれほど難しいことではない。どんなに犠牲者が出ても、いや、敢えて犠牲者を演出しても、底値を見せることがその反転のカギとなる。
逆に、この状況で米国にお金が流入した後に、本当のガラがやってくるほうが恐ろしいことになる。だから逆説的な言い方になるが、「米国にガラが来た」と演出してしまったほうがいいのだ。
 それを演出するには、倒産すべき銀行が倒産して、米国が国家としてその銀行を抱えて(あるいは世界中で資金を出し合って)、明確に「救う銀行はこの5行、つぶす銀行はこの5行」と決めてしまうことだ。それで「これ以上銀行はつぶれない」という安心感が広がったら、そこから先は、世界中からお金が集まってくるはずだ。
もしFRBの前の議長であるグリーンスパン氏がいたら、実行できたかもしれない。彼には何を考えているか分からない神秘性があった。"
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2008年03月20日

Moral Hazards and Individual Responsibilities

ゲーリー ベッカーの記事の抜粋↓
The Erosion of Individual Responsibility-BECKER
Hardly a day goes by during this housing crisis that the media does not report on families in foreclosure proceedings, or in arrears in repayment on mortgages that had close to zero down payment requirements and low “teaser “ interest rates.
This type of response to failed decisions is not unique to the present housing crisis, but is part of a strong trend toward shifting responsibility to others.
Successful attempts to shift the responsibility for bad decisions toward others and to society more generally create a "moral hazard" in behavior.


An important foundation of the philosophy behind the arguments for private enterprise, free economies, and free societies more generally, is that these societies rely on and require individual decision-making and responsibility.

What if anything should governments do to help out in this present financial crisis, mindful of the many kinds of moral hazard that are lurking, but also mindful that the financial structure is delicately balanced? Despite the moral hazard risks, interventionist policies might be justified not because some borrowers or lenders were taken advantage of, but if these interventions would help the economy recover more quickly, and insure that the recession is neither prolonged nor deep. Still it is difficult to see the merits in the Fed's efforts to help the sale of Bears Stearns to JPMorgan Chase by guaranteeing many billions of mortgage and other assets of the company.

ベッカーの考えは、サブプライム問題への政府の介入は、moral hazardsを生むだけだという批判だろう。これは、先のランズバーグの見解とも呼応する。要するに、この問題はFRBや政府がどうこうやって解決できることではないのだ。金利を下げるのもBears Stearnsの処理もモラルハザードだと見ているわけだ。
そして、このモラルハザードが超大規模に起きたのが、まさに日本の教訓の一つである。
つまり、自らの責任で起こした損害を他人(一般国民)に転嫁することが、日本では官主導で大規模に進められた。これは自由社会の原則を踏みにじる社会主義的統制政策だ。
アメリカはこの点で日本よりは賢明なことを期待したいが、次期政権次第では分からない。日本の二の舞を起こす可能性もあるだろう。
ただ、FRBもインフレが怖いから、金利を下げすぎるわけにも行かない。そしてアメリカが金利を上げない限り日本の株価も上がらず、だらだらと下げ続けるだろう。
今後のアメリカの金利反転局面をどう予測するかがポイントになる。

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2008年03月17日

Translations

本日、ランドとバスティアの翻訳のリンクを復活させた。
コンピューターが沢山あるとファイルがどれに入っているのか分からず、探すのに苦労した。

私が、できれば皆さんにリンクを張ってもらいたいと願っているのは、やはりバスティアの”法”(The Law)だ。
http://libertarian.up.seesaa.net/rand/THE_LAW.pdf
フレデリック バスティアは、私が最も尊敬するリバタリアンの一人だ。
このフランスの天才の最後の渾身の作品を日本でもできるだけ多くの人に読んでもらいたいと願っている。

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2008年03月15日

Presidentitial race

 

日本ではメディアが、今度は民主党から大統領が必ず選ばれるという前提でものを考えているようだが、当然そんなことは誰にもわからない。
マケイン vs (オバマ or クリントン)となるのは確実だが、マケインになる可能性もかなり高いと私は思う。
そして、マケインが大統領になるのが、世界にとって今の選択肢の中ではベストだろう。
今の経済状況で民主党政権が誕生すれば、民主党は十八番の社民政策に驀進することは間違いない。この点は、クリントンもオバマも同様だ。彼らのサイトを見ると相変わらず救いがたい腐りきった社民政策のオンパレードだ。サブプライム問題も民主党が政権をとれば最悪の政策をとることになるだろう。今のような経済的に不安定な状況で民主党が政権をとればかつてのF.ルーズベルトの二の舞となり、自由主義は大幅な後退トレンドに入る危険性が高い。

初の黒人、初の女性なんていうのは無意味な形容詞だが、ライスが大統領にでもなれば、その両方が一遍に実現できる。→ならないだろうが。
John McCainの政策↓
http://www.johnmccain.com/Informing/Issues/0B8E4DB8-5B0C-459F-97EA-D7B542A78235.htm

http://www.johnmccain.com/Informing/Issues/4a3ab6fe-b025-42b1-815b-13c696a61908.htm

Barack Obamaの経済政策
http://www.barackobama.com/issues/economy/

Hillary Clintonの経済政策
http://www.hillaryclinton.com/issues/healthcare/

 
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2008年03月14日

Landsburg on foreclosure

以下は、スティーブン ランズバーグのSlateコラム。
The case for foreclosure
http://www.slate.com/id/2185303/

これは、サブプライム問題でローンを払えなくなって家を差し押さえられる(foreclosure)人間の問題を論じたものだ。
私は、ランズバーグはこのように考えているだろうと読む前から予想していた。

None of these foreclosed houses is going to disappear. After a foreclosure, one family moves out, and another moves in. We see the sad faces of the people moving out, but we don't as often see the happy faces of the new homeowners moving in. Nevertheless, those happy faces are out there, and we should not discount them.

当然ながら稼ぎ以上の生活をしたところで、その人間の稼ぎが増えるわけではない。
そういう人間がローンを払えなくなれば家をでなければならないのは当然のことであり、通常誰も同情などしない。
むしろ、日本のように死ぬまで負債が付きまとわないだけ、アメリカはずっと貧乏人にとって恵まれている。

今度のモーゲージファンドであっても、分不相応の家に住んでいた人間が家を差し押さえられ、別の家を持っていなかった人がそこに入っていくだけだ。これは公正なmarket orderといえる。
このポイントは、極めて重要だ。
今回のモーゲージ問題とは、結局この現象が大規模に起きるだけだ。
つまり、分不相応な生活をしていた人間が去り、家の価格が下落し、相応な人間が入れ替わりに入る。ただそれだけのことだ。
失う人間がいる一方で、得る人間がいることが忘れられている。

メディアには家を追い出されて悲しむ人の姿は写されても、新しくその家に入居できる家族の幸せな顔は映し出されないということだ。これがメディアのバイアスであり情報操作だ。
こういった問題は、契約自由の原則により、個々の問題として処理しなければならない。つまり、貸した側も借りた側もリスク判断を誤ったわけだから、そこで発生した損失は当事者だけで負担しなければならない。貸した側も借りた側もその代償を払わなければならない。
これに対して税金を投入すれば、さらなるunintended consequences、また、さらなる社会的不公正を生むことになるのだ。
つまり、次のようなことだ。

There's at least one more reason to regret Secretary Paulson's eagerness to forestall foreclosures: If banks can't enforce contracts (or even if they "voluntarily" forgo the enforcement of contracts under pressure from the Treasury Department), they will undoubtedly be more reluctant to make loans in the future. Rest assured that somewhere out thereinvisible to you and me but nonetheless realis a young couple who, thanks to this intervention, won't be able to get the mortgage they want next year.
posted by libertarian at 20:21| 東京 ?J| Comment(0) | TrackBack(0) | Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月10日

Property right and liberty

財産権=Property rightとは、the right to exclude,つまり排除する権利のことではない。
財産権という概念自体が、消極的な概念なのである。
もし、財産権がthe right to excludeであれば、それは積極的な権利だ。
そうではなく財産権とは、してはいけない原則から成立している。
つまり、自分のものを他人が処分できないことであり、他人のものを自分が処分できないことだ。
これは、リバタリアニズムにおける自由が、他からの制約や束縛がないことという意味での消極的自由を指していることと同様だ。
実は、この消極的自由の定義と、財産権の定義とは同じものなのだ。
だからこそ、ヤン ナーバソンが言うとおり、自由とは財産権なのである

 
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Globalization of Privileges

 

リバタリアニズムの基本的考え方は、政府特権を一切認めないことにある。
この基本から、特許などの知的財産権という政府特権制度も認めないことになる。
先のポストで株式会社制度とは、有限責任という特権を付与する仕組みだと書いたのは、このリバタリアニズム的なテーゼとの関係である。
企業活動がグローバル化しても、この株式会社の有限責任という特権は変わらない。別の国で与えた特権が無条件に他国でも特権として機能することになる。
企業活動が無国籍化するのであれば、こういった株式会社に対して有限責任を与える特権制度も、変更が必要なのではないだろうか。政府特権制度以外で、企業活動に対する有限責任の仕組みを導入するためには保険のような仕組みが考えられる。
保険的な仕組みといっても、いろいろあろうが、こういう政府特権によらない市場メカニズムよる、株式会社制度の再構築をデザインするのは面白いかもしれない。このような仕組みが一般化すれば、政府から箸の上げ下げまで指導される必要もなくなる。つまり、今は株式会社の有限責任性が政府特権であることによって、政府干渉の根拠を与えていることになっている。またエンロンのような事件が起これば、大規模な経済統制を政府に許すことになる。保険会社のような民間会社が、会社の財務を厳しくチェックして保険料も決めていくことになるだろうから、現在の監査よりもより真剣に行われることになるだろう。
私は寡聞にして、株式会社の有限責任という特権制度を批判しているリバタリアンを知らないが、誰かいるだろうか?

posted by libertarian at 17:02| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月09日

Bastiat and Rand

最近、YBBを解約したところ、迂闊なことにYahooの会員サイトに作っていたバスティアとアインランドのサイトが抹消されてしまい、リンクが切れてしまった。
近日中に、どこかのフリーのホームページに移しかえをする予定。
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Fooled by Order

サブプライムの問題は、これから本格的に悪化しそうだ。
ここのところの株価の急落から、そろそろ底だろうと楽観的に考え、少しばかり株を買ったが、まだ早すぎたようだ。
もはやFRBには手の打ちようがない。というより、もともとFRBにはこの問題への解決能力などないのだろう。
これは政府も同様であり、大銀行を救おうと税金投入をすれば、余計に問題を悪化させるだけだ。しかし、Laissez faireがベストであることがわかっていても、それは担当政権にとっては命取りになるから何らかの策を講じて税金を投入してくるはずだ。
しかし、そうするとまた売り浴びせにあい、株価は下落する。
株式市場が心配ならば対応策を出すのではなく悪材料が出尽くす必要がある。大銀行がつぶれるのがそのサインかもしれない。いずれにしても、これが政治問題化して政府介入が増えるたびにサブプライム問題は泥沼化していくだろう。

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2008年03月07日

CSR and National Socialism

CSRがらみのことは、このBLOGでも随分と書いてきた。
#このページにある記事検索で、CSRと入れると13記事が出てきた。
同じようなことを繰り返して書いているのであるが、CSR論の危険さを分かっていない人も多いようなので、また少し書いておこう。

前の記事でも書いたが、CSR論が企業のマーケティング政策の一環に過ぎない場合は全く問題がない。有名なP&GのCSR的な企業憲章のようなものも明らかにマーケティング戦略の一環であり、彼らは、それを意識的に利用している。
それは、広報戦略、マーケティングであり、その限りにおいて株主利益と相反しないし、プラスになるかもしれない。
近年のアメリカのCSRとはそういう意味で、マーケティング戦略の一環でしかなかった。
前記事のCSR: Corporate Socialization Ruleを参照
http://libertarian.seesaa.net/article/38034922.html

だが、これを企業の社会的責任として義務化するとなると全く意味が異なる。

日本におけるここ数年の議論の流れでは、企業犯罪問題(という偽問題)からコーポレートガバナンスと、コンプライアンスの議論が出てきて、その後にその発展形としてCSR論議が持ち出されてきている。
つまり、経営者の違法行為や犯罪を抑止するガバナンスの問題としてはじまり、経営者が犯罪に走るのは株主統治の限界だとして考えられた。
同時期に「会社は誰のものか」という岩井克人に代表される駄本がちょっとしたブームとなった。岩井の言っていることは、会社も社会内存在でしかなく、会社は社会のものだという結論だ。
前記事→ 会社はこれからどうなるのか
http://libertarian.seesaa.net/article/37254814.html

岩井がその愚著で蒸し返した話は、50年代のバーリとドッドの論争に代表される法人名目説と法人実在説だ。ちなみに岩井はこのネタを奥村宏の本から持ってきているに違いない。
これは企業統治の議論である。岩井がここで展開している議論はいつものPOMOらしいトンチンカンできどった無意味な出鱈目に過ぎない。全く論じる価値のない与太話なのであるが、私の印象では、この東大経済学部長の幼稚な議論は、そのポジションパワーからか一定の影響を与えたように思う。岩井はその愚著で、日本において人類史上はじめて法人実在説が完成したとするニューアカ風の高尚なる哲学的議論を展開した。ちなみに私は岩井の説を妖怪人間ベム説とよんでいる。
しかし法人名目説をとるか法人実在説をとるかは、法律解釈上もなかなかに大きな問題である。これは実定法上の範疇を少し逸脱する法的フレームワークの問題だからだ。

幸いにして現行法上、会社組織に対する財産権は完全に株主のものだ。つまり法上も法人名目説が正しい。フリードマンが言っていることは、結局、この財産権原理を死守しなければならないということなのだ。「企業にとっての社会的責任とは、利潤を拡大させることである。」というフリードマンのやや挑発的ともとれる言葉は、この財産権原理の重要性を言い換えたものに過ぎない。ましてprincipal-agent problemのことを言っているのではない。こういったゲーム論的な議論は全く本質的なものではないからだ。

一方の法人実在説は、法人の財産権主体が株主にあるという財産権原理を否定する社会主義的なロジックである。そこではガバナンスの主体は公=Publicであり、社会=政府であると展開されていく。そのロジックは一言で言えば「会社は社会のものだ」とする岩井克人の危険なほどに幼稚な結論に直結するのである。
さらにこの法人実在説をimplicitな前提として企業の社会的責任論(CSR)が成立する。
そして、何度も書いたが、この法人実在説もしくは企業の社会的責任論は、バーリとドッドの議論よりも前にナチスの教義の一部でもあったのだ。要するに、この論理は国家社会主義論理の一部であり、一つの帰結だ。
だからこそ、フリードマンのいうとおり、法人とは完全に株主のものだとする財産権原理を完全に無傷なままに守らなければならないのだ。そして今のところは、この主張こそが遵法精神に則ったコンプライアンス上正しい主張である。だが、今の風潮では、この法的防波堤が崩れるのもすぐかもしれない。

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2008年03月01日

Josef Sudek

プラハはもう一度訪れてみたい街だ。
かれこれ10年ほど前にプラハに行ったことがあるが、その時の印象は今も鮮明だ。
中世の街並みは美しく、ビールは美味く、Sudekのアトリエがあった。
Josef Sudekとは私の最も尊敬する写真家だ。
私は、全く偶然にSudekの小さな目立たないアトリエに入った。入った後でそこがSudekのアトリエをギャラリーにしたところだと知った。
ギャラリーの前の道には、ぼろのベンチがあり、それをとった写真は私の最もお気に入りの一枚だ。
プラハの古本屋では、SudekのPraha panoramatickáの初版本も手に入れた。
こういったFine Artとしての写真表現はもはや急激に失われてしまったように思う。


Sudek
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