2008年05月31日

Constructivistic Suggestions


次の大前研一氏のコラムは力作だ。Read it!

http://www.nikkeibp.co.jp/news/biz08q2/572889/


これによると金融庁構想を時の小渕首相に提言したのは大前氏で、これは債権処理を目的とした特別組織とするスウェーデン方式の構想だったらしいが、それがそのまま官僚組織として当然のごとくに生き残り、現在のもろもろの規制の元凶になっている。

これを読むと結果的に、大前氏の東京の銀行構想にしても、金融庁にしても酷い結果になったのであるから、大前氏にもかなりの責任があるといえる。

つまり、政府に対して新組織を作ろうという提案(constructivistic suggestion)をすれば、それに乗る官僚の裏の魂胆を大前氏は熟知しているはずだが、自分のアイデアに惚れて、後のことを考えずに提案してしまうわけだ。

こういう政治権力に対する大前氏のPositiveな態度というのは間違っている。
大前氏は政治権力に対してナイーブすぎるのではないか。これは、極悪人にも三分の魂があるという仏心なのかもしれないが、制度化された政治権力という抽象的悪には、そのような魂なるものは存在しない。

同様に地方分権だ、生活者主権だといった大前氏のアイデアも、現在政府がスローガンとして取り入れ推進しているが、こちらも恐ろしく酷いものであることはすでに結果を見なくても明らかだ。とくに消費者庁は凄まじく酷いものである。地方分権うんぬんも同様に最悪の結果になるだろう。
大前さんのイメージしているような分権型国家にしようとすれば、アメリカのようなConstitutionalismが前提となるはずだが、日本の憲法は変えられない。
しかし、Consitutionalismなき真の地方分権はありえないのだ。

この帰結としては、各地方に、中央省庁並みの規制権力が生まれ、日本から自由が消滅することになるだろう。

 
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Negative Revolution


維新の意味をネットで検索したところ次にようにあった。
《「詩経」大雅の文王から。「維(こ)れ新(あらた)なり」の意》      
革命(Revolution)は、暴力革命とほぼ同じニュアンスが強いが、維新は江戸の無血開城のおかげか暴力的な響きがあまりない。
現代においても、この非暴力革命としての維新が必要だが、これは法的に可能なのだろうか?
大陸法のPositiveLawにおいて、そのようなことはおそらく不可能だ。
PositiveLawというのは、権力が作ったルールの絶対化だから、悪法も法なりで、いかなる悪しき政府も悪しき実定法としてありつづける(フリッツ ケルン)ことを、大前提としているからである。
しかし、本来、規則=ルールは法=Lawではないのである。

アメリカでは、政府権力の制限が憲法を制限装置として組み込まれているから、革命権のようなものも暗に前提とされている。
だがこのような権力の正当性を疑う法体系(constitutionalism)は稀であろう。

このままいくと、人間や企業活動の自由に対する統制がどんどんエスカレーションし、超管理社会としての社会主義が近い将来完成することになる。
陰湿に人間の自由を制限し否定することを自明とする管理社会となるだろう。

リバタリアニズムは非暴力主義が基本であるためアメリカのリバタリアンは憲法を防波堤として利用しようとするが、他の実定法の国ではどうしたらいいのかが難問だ。

実定法の中での変革はほとんど不可能といえるかもしれない。
しかしリバタリアニズム的には、自衛権も絶対的だから、積極的な暴力でなく自衛としての消極的な武力行使は認めることになる。
国連という社会主義組織によって、どの国も国家統制を強化する方法にあり、どの国もますます統制主義的になりつつあるが、消極的な抵抗としては、自由を求める人間や企業が、より自由を尊重する国へ移動することが重要となるだろう。

こういうことを考えると、やはり歴史的な先達の積み重ねというのは大きい。
ミーゼスがアインランドに送った手紙には、次のように書かれていた。
”You are inferior and all the improvements in your conditions which you simply take for granted you owe to the effort of men who are better than you.
この手紙をもらって、ランドは非常に喜びミーゼスをRespectするようになったそうだ。 だが、日本のような国では、こういった先達というのはいない。皆無である。
日本においては、言論の二元性がない。これはネットを見ていてもわかる。
これは自由をめぐる言論活動がなかったという歴史的な結果だ。
頭のいい人間も悪い人間も、社会主義的な平等主義を政治的な正義と思っていて、その方向でしか議論が進まないわけだ。

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2008年05月28日

How to fight with servants

 
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPnTK010753920080513
"Jパワーによると、TCIは5月2日付で監査役5人全員に対し、取締役の執行義務違反に関する実態調査を依頼する文書を送付。その中で、1)昨年9月に実施した水力発電などの料金引き下げによる営業利益の減少、2)株式持ち合い、3)電力規制緩和による新規事業――の3点について、取締役の業務執行義務違反の実態を調査するよう依頼した。
 その上でTCIは、料金引き下げが約60億円の営業利益の減少要因になったとして、賠償金60億円の支払いを取締役13人全員に求める訴訟を検討するよう監査役会に求めた。
 また、60日以内に監査役会が行動を起こさない場合は、「会社法に基づく権利がある」とし、株主代表訴訟に踏み切る可能性をにじませた。"

このTCIの対抗策は、今後、スティールパートナーズなども採用するかもしれない。これは現行法上の当然の権利であり、北畑も経産省も訴訟をするなとまでは干渉できないだろう。
今の日本は株式会社の所有者=株主から経営の委任を受けている株主の僕にすぎない役員が、主である所有者を見下している倒錯的状況だが、こういう訴訟によって、少しは日本のアンシャンレジューム層の年寄りどもも目を覚ますだろうか?

日本はつい最近の90年代まで株式持合いによって資本鎖国をしていたが、バブル崩壊後の不良債権問題によって銀行がメタメタになった為に、株主持合が解消して、ここ10年くらいの間で、ようやく本来の直接金融市場になろうとしていた。
そこを旧き良き日本を懐かしむ攘夷派のアンシャンレジュームの支配者すなわちファシスト連中によって、本来の法律を捻じ曲げてきたのがここ数年の動きだ。
北畑事務次官のような人間がマスコミに守られている日本とは、すでに危ない全体主義ファシズムの雰囲気をたたえている。はたして日本に北畑が石もて追われる日は来るのだろうか?


 

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ラスベガスをぶっつぶせ

http://www.sonypictures.jp/movies/21/site/

この映画は、実話らしいが、エドワード ソープの話が元なのであろうか?
ブラックジャックの必勝方法を考えたのはソープであるが、天才ソープは数学教授を辞めて
株式市場で財をなし大金持ちになった。こういう人間がアメリカには結構いる。
マネーゲームの予言者達の主人公達は、学生の頃、ルーレットに数学で挑戦し勝ったらしいが、
市場もギャンブルも決して運だけのものではないようだ。
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2008年05月25日

Condemned Vista

Vistaは初期のシステム設定を変えないと、とても使い物にならない。
デフォルトではインデックスを作るのにバックグラウンドでやたらとHDアクセスがあるのがとくに酷い。すぐに激しいHDアクセスが起こって、アプリが動かなくなる。こういう勝手は許せない。ほとんど不良品だ。
Lenovoのマシンだが出荷設定もよくないのだろう。IBMの頃から、ThinkPadの付属ソフトは邪魔なものばかりであった。
とはいえ設定変更は面倒なのでずーっと放っておいたが、さすがに堪忍袋の緒が切れてさきほど修正を行った。

簡単に以下の設定を行った。一応備忘録として書いておく。

・インデックスサービスをオフにする。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1014151515

・サービスSuper FeatchとReadyBoostを無効にする
http://semanticlog.blogspot.com/2008/04/windows-vista.html

・Windows Searchのサービスも切る
http://www.dosv.jp/feature/0703/07.htm

あとフォントの設定も設定順序があるようで、Windowのタイトルバーのフォントが崩れるなどの現象が起こった。これは設定をいじっているうちになぜか直った。

なんとも、VistaのUIは良くない。酷すぎると言わざるを得ない。
こんな酷いものを何年もかけて作るとは一体何事だろうか。
やはりXPの方が人気があるようで、XP搭載のモデルの方が値段も高いというばかばかしさだ。
だが、Windowsでないと動かないソフトが結構あるので、使わざるを得ないのである。

 
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2008年05月21日

The Predictors

マネーゲームの預言者たち トマス バス
マネーゲームの予言者(プレディクターズ)たち―複雑系科学者、市場予測に挑む

最近、金融物の本をよく読むが、この本はなかなか面白かった。2001年出版だからすでにやや旧い本だが、内容は新鮮だった。
これは、Prediction Companyという実在の会社の物語だ。
彼らは、効率的市場仮説を否定し、複雑系の理論を武器に市場を打ち負かそうとした。
#この”市場に勝つ”というのは、マーケットの効率的市場仮説に打ち勝つという意味である。

90年代初頭にロケットサイエンティストと呼ばれた天才的な数学者、物理学者達が投機の研究と実践になだれ込んだ時の状況がよく分かる。
90年当時、この会社の設立者である人間にしても、アイビーリーグの教授や錚錚たる研究機関で確固とした地位を築きあげていた数理学者達が、研究を投機に応用できると確信し、アカデミックのキャリアを捨てて投機の分野に参入した。しかし、彼らに共通するのは根っからの博徒という点だ。
LTCMの破綻で、こういった合理的な科学的なアプローチは結局駄目だったかのように報道されている印象があるが、これは間違っている。
90年代に錚錚たる天才数理学者達がマーケットで競争することで、アメリカの金融システムは革命的な変化を遂げた。

投機の分野は相当に知能の高い連中の集まりで、これに対抗するにはやはり知能で対抗するしかないが、日本では、この分野に一流の科学者の頭脳が集結している印象はあまりない。
その遅れの結果、日本の市場は外国ファンドにいいようにやられているのであろう。外国ファンドを夷狄としてにののしるメディアは相変わらずの馬鹿だ。投機ファンドは外国勢の間で競争淘汰を繰り返しているが、日本勢は競争にもならず、ただ外国に効率の低い市場を提供しているだけなのかもしれない。
役人や日本のエスタブリッシュメントは夷狄を追い払うため、資本市場の鎖国政策を掲げるが、そんなことは自決をすることに他ならない。
日本の株式市場は長いこと護送船団、株持ち合い制度で実質的に鎖国していたから、もとの状態に戻りたいのが本音なのだ。
日本の支配層の意識は太平洋戦争の頃のメンタリティと変わっていないのだろう。

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2008年05月20日

Finance and Chaos

金融研究という専門誌の掲載論文がネットでほとんど全部pdfで公開されている。
素人さん御免の雑誌だが、比較的分かりやすいのもある。
後でじっくりと拝見することにしよう。
http://www.imes.boj.or.jp/japanese/backnum-j.html

マーケットをカオス理論で考える研究が最近さかんに進められているようだが
この株=カオスとする理論によれば、マーケットには(ランダムでない)ルールが
存在するが、このルール間の相互作用は極めて複雑だということになるらしい。
カオスの振る舞いの予測は、一般に不可能ではないが、不可能でない場合でも物凄く難しい。

ここらの研究には興味がある。私の場合、もちろん学術的な興味ではなく、実際の投資への
応用可能性という点で関心がある。
しかし、こういう研究をしている人達は、投資はしないのだろうか?
もしやっているとして、はたして儲かっているのだろうか?
投資していないとしたら、それは何故なのだろうか?
ここらの研究者達の投資行動心理も興味深い。
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2008年05月17日

Shifting Initiative of Free State

目には見えなくても、現在の私達の政策が抱えているコストはずっと高いものであると思う。
どれくらい高いかは私にはわからない。少なくともコーチゾン薬の開発に携わっていた医師の一人が、現在のような厳格な安全基準をFDAが当時も実施していたら、この薬は今でも利用できなかっただろうと思っていることを私は知っている。同様のことがペニシリンにおいても述べられてきた。おそらく安全とは言えない新薬の使用に命を賭けて、亡くなっていく人々は存在するだろう。私達は、そのことを50年前に「危険を避けて」いたら今日死んでいただろう数百万の人々の命と比べてみなければならない。

デヴィッド フリードマン 「自由のためのメカニズム」 より

このデヴィッド フリードマンの名著は、22歳の時に書かれた本だ。
その早熟さ(*)には驚嘆する。内容の濃い本なので、たまに読み返すが、その度に発見がある。
#というか、私は読んだことをすぐに忘れてしまうから、覚えてないだけか。。(^^;

この本は、内容は濃いが平易に書かれている。やはりミルトンの息子である。
だから多くの人に読むことをお勧めできる。しかし平易ではあるが、内容が濃いので何度も読み返すとよいと思う。1回読んだくらいでは、この含蓄ある政治的マニフェストが理解できないだろう。

*親父のミルトンも天才で、母親のRoseも一流の学者であり、母親の兄弟Aaron Directorもノーベル賞受賞者だから、David Friedmanはいわばリバタリアンのサラブレッドだ。

話がそれたが、このように政府が社会にもたらす損失というのは、計算が不可能だ。
しかし、それは計算できる無駄の部分よりも、はるかに巨大であることは間違いない。
医薬のように、FDAが絶対的な許認可権限をもっている場合では、新薬の開発の遅れ、新薬の禁止による社会的コストはほとんど計算ができない。一方で、政府が禁止をするのに要するコストは、ほとんど0だ。無用な橋や道路にかける膨大な税金の無駄というのは目に見えるし、ある程度計算できるが、このような禁止による損失というのは、なかなか目に見えない。
このことは医薬に限らずに言えることだ。

以下はバウチャープランについて触れた部分だが、引用すると、
諦める理由など全くない。国家を現在のような状態にするためには長い年月を要した。そして国家をそこから抜け出させるにも長い年月がかかるであろう。(同p77)

と書いているが、最近のドバイのような非NationStateの勃興とNetの普及によって、もはや自由の実験はアメリカという国から離れたのではないかと思う。
これは18世紀にイギリスから「自由な政府の理想をさらに発展させることの主導権はアメリカ人の手にわたった」とハイエクがConstitution of Libertyの中で書いたように、現在は、もはやアメリカは自由の理想を実現させる主導権は持っていない。自由の理想の主導権は、もしかするとドバイのような小国に移りつつあるのかもしれない。ベドウィンとは、もともと遊牧民族であるからこういった国はNationStateではない。ベドウィンの国境を無視して交易する商業民族のDNAと、ネットで国境なく移動する資本というのがマッチしているだろう。
#ドバイのユニークな点として、街に住所というのが一切ないらしい。遊牧民にはそういう観念がないそうだ。

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Dubai Libertarian Country?

「ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか?」福田一郎

このところよくドバイの話を聞くようになった
私も前からDubaiは注目していたが、この本を読んでさらに興味がそそられた。

簡単にドバイの特徴を纏めてみると
  • シェイク(首長)の国であり、行政府がない→政府がZeroMinimum!
  • 100%Taxフリー、つまり税金がない→そのため、政府による税金の無駄遣いがないし、政府の腐敗汚職もありえない。
  • 恒久的滞在権がなく、更新制となっている→移民問題なし。さらに就労していないと更新できない。
  • 犯罪が極めて少ない→犯罪をすれば2度と入国が許されない
  • 医師や弁護士の資格は、外国でとった資格がポータブルに使える。→簡単な面接試験だけでOK
  • オープンな経済→規制が少ない。資金の持ち出しも持ちいれも自由
  • ドバイの会社制度は更新制
 
ざっと書いただけでもこのような特徴があり、単なるタックスヘイブン(tax haven)とは異なる。これはほとんどリバタリアン国家といってもいいだろう。

このような国家が21世紀の国家のお手本となるだろうことは間違いない。
私も近く、ドバイを見に行ってみたいと思う。

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2008年05月12日

Risk,Cost,Counterattack

Riskという言葉は、最近やたらと使われる言葉だが、これほど曖昧で、意味のいい加減な言葉もない。普通は、損する危険性とか、損する確率という意味で捉えられているのであろう。
つまり、これは確率的な概念だ。しかし、通常、Riskの反対語となるReturnなるものには確率概念が含まれているようには思えない。もし、リターンとリスクを一緒に考えるのであれば、むしろRiskとはコストのことだと定義した方がよさそうだ。測定の不可能な確率を持ち出すまでもない。
実際、speculationの世界においてリスクとはコストに他ならない。コストを払わずにリターンを得ることができないのは、投機に限らず製造業でもサービス業でも全て同様だ。
製造業のコストは、製品が売れなければ無駄になるという意味で上限が決まっている。だからこれは固定リスクだ。投機においてもこれはロスカットを指定することで上限を決められるので無限リスクというのは少ない。一般の人が考えているのと異なり、speculationとは博打ではなく、製造業と同じくコストを払ってリターンを得る行為に他ならないのである。

昨今騒がれているセキュリティにおけるリスクというのも同様で、意味が曖昧で、全く批判的に考えられていない。こちらのリスクは確率×損害額と定量化されるが、肝心の確率を求めることが通常出来ない。適当なさじ加減で、鉛筆をなめなめ確率を人が適当に決めているだけなのだ。これでは定量化の意味もない。
例えば将棋においてリスクとは自分の王が詰められる危険性のことだ。問題は自分の王が詰められるよりも1手でも早く相手の王を詰ますことである。リスクと攻撃は表裏一体といえるし、だからこそリスクを計算できるのである。逆にいえば攻撃のない防御一方というのはない。攻撃がリスクテイクとすれば、防御は相手の隙=リスクを攻撃することだ。
だが通常言われるセキュリティは防御一方なのだ。そこに違和感がある。だから、セキュリティを考えるのであれば、要塞を作るだけでなく攻撃、反撃方法を同時に考えていなければならないはずだ。しかし、一般に法律上、反撃が禁じられているので、要塞を作ることしかできない。しかし反撃のない防御=securityなどありえないのである。
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2008年05月10日

PC Gadget

D.フリードマンはかなりの電子Gadget好きなようで、Mac eee PCが欲しいとか、理想の超小型パソコンの形態についてBlogにしばしば書いている。
実は、私も結構電子ガジェットが好きである。PDAやWindowsCEマシンはいろいろと使ってきたが、どれも物足らない。ClieTH55は良く出来ていたがSonyがPalmから撤退してしまったのは残念だ。

ASUSのeeePCが5万円前後というのは、私は決して安くないと思うが、これからの小型PCの価格帯のトレンドを作ったという点で画期的だ。
今後、この価格帯での小型PC開発競争がHotになると期待できる。

今までは何故か高性能ー大画面のノートPCは非常に安く(5−6万円から)、逆に小型PCになると値段が高かった(20万円前後)。これは妙なねじれ現象といえる。
小型で低価格路線をどこも出していなかったから、これは大きなニッチだった。私は前からこのニッチの存在に気づいていたが、パソコンメーカーのアントレプレナーになるのは難しい。
#しかし、無理だ、難しいとすぐに思ってしまう人間がほとんどだからアントレプレナーはなかなか生まれない。アントレプレナーになろうとするActiveManはいつの時代でも希少財なのだ。

ところで、私が欲しい電子Gadgetは、SIIの電子辞書サイズのLinuxパソコンである。キーボードもSIIの電子辞書くらいのしっかりしたものがいい。
値段も2−3万円程度で。
FujitsuのLooxUがこれに近いが、値段が高いのと、電子辞書より一回り大きいのが難だ。性能的には充分すぎるが、デザインが悪いしキーボードもよくない。機能的に欲張りすぎで、割り切りが少し足りない。
どうもメーカーは高機能=高付加価値といった間違った考えに毒されがちだ。
しかしGadgetに重要なのは高機能性よりも安さだ。
小さな画面でエクセルをやる必要はない。メールを書くのにタッチタイプができて、WEBが見れれば充分といった割り切りが必要だ。

また以前、シャープのLinuxSaurusというのもあったが、あれはPDAの発想だったし、キーボードも貧弱すぎた。一方、電子辞書は、I/Oが全くなく、エディターすら搭載していない。私は辞書だけの為に持ち歩く用途はない。

普通、筐体のサイズを小さくすると、キーボードが疎かになる。しかし、SIIのキーボードは小型でもしっかりしている。
あのサイズとキーボードでLinuxが動けばかなり魅力的なモバイルGadgetになると思う。またLinuxでなくてもPalmOSが動けばいいのだが。

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David Friedman on Obama

デビッド フリードマンがObama支持を書いている。
Obamaはanti-Bush的な存在になるだろうと考えているようだ。
MccainはPro-Warだからダメで、一方、Obamaは、リバタリアン的なリベラル?と見ているようだ。例えば、school vouchersやhealth insuranceの拒否、marijuana decriminalization(マリファナを刑事罰としない)といった姿勢を評価している。
シカゴスクールの人間でありながら、左派のニューバージョンを作ろうとしてるCass Sunsteinのような人間にObamaは近いと考えているようだ。
このフリードマンのObama評価は、積極的なのか消去法によるのかよく分からないが、pro-warの大統領だけは願い下げと考えているのかもしれない。しかし民主党がなったとしても、anti-warとなるとは限らないと思うが。

There is a group of intellectuals connected with the University of Chicago who have accepted a good deal of the Chicago school analysis but still want to think of themselves as leftists. They are, as I see it, trying to construct a new version of what "left" means. Examples would be Cass Sunstein and Austan Goolsby, both at Chicago, and Larry Lessig, who used to be there.
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2008年05月06日

Machinery of Human Action?

Trackbackにあった”哲学はなぜ間違うのか”というBlogを少し読んで思ったことを書いておく。
このBlogの作者は、かなり優秀な科学者の方のようだ。しかしこういった考えは昔からあるもので、一種の人間機械説といえると思う。私は一概にこういった考えは否定しない。
私自身も一応理系出身であるから、高校の頃はこのような考えにかなり近かった。
そして新しい科学技術の知見を加えて、このような人間機械説は繰り返される。しかし重要なのは、新しい科学技術であり、人間機械説の方はどうでもいい。

むしろ”自然科学はなぜ間違うのか”という問いの方が意味がありそうだ。
本来、自然科学は間違えるからスバラシイのであるが、これは科学者に間違える自由があるからに他ならない。では何故科学者は間違える自由があるのかといえば、それが純粋に自然科学的である限り、間違っても人にあまり迷惑をかけないからだ。一方、発明発見の社会的便益は大きい。
科学とは基本がそういった知能ゲームという色彩が強い。

だが社会科学のような似非科学となると、そうはいかない。実験をして間違えれば社会に甚大な被害を及ぼす。似非科学は決して間違ってはならないのである。
だが、社会工学は、絶対的な政治的権力を背景として、悲惨な社会実験なるものを繰り返してきた。似非科学者、社会工学者の自由とは自由ではなく政治的な権力に他ならない。

真の自然科学者であるなら、なおのこと、似非科学者達の実験を終わらせる必要があるといえるだろう。
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2008年05月04日

J.S.Mill was left

フリードマンの「資本主義と自由」のアマゾンの出版社の内容紹介で次のようにある。
「ジョン・スチュアート・ミル『自由論』、フリードリッヒ・ハイエク『隷従への道』と並ぶ自由主義(リバタリアニズム)の三大古典の1冊。」

これらを3大古典と一体誰が読んでいるのかしらないが、リバタリアニズムやクラシカルリベラルにミルを入れるのは何も分かっていない証拠だ。
ミルはクラシカルリベラリズムとも全く異なるのである。
例えばハイエクはミルの残した大量の手書き原稿を含めて数年かけて詳細に研究したらしいが、ミルはconstructivistでありダメだと言っている。つまりミルの自由はpositive libertyであり、リバタリアニズム〜クラシカルリベラリズムの消極的自由とはかけ離れているということだ。
ミルはむしろプラグマティズムの流れ(utilitarian)であり、リバタリアニズムと混同するととんでもないことになる。

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Paradox of efficient market hypothesis

「天才数学者、株にはまる」 John Allen Paulos
をざっと読んだ。
これは、タレブのFooled by Randomnessよりもはるかに良い本だ。
タレブの本はキワモノ本であるが、この本は書いていることが正確で示唆に富む。
例えば、9章の”投資理論はパラドックス”という章で、次のように書いている。

効率的市場仮説が正しいなら、ほとんどの投資家はその仮説を信じていない。
効率的市場仮説が間違っているなら、ほとんどの投資家はその仮説を信じている。

全体として、ほとんどの投資家やウォール街のプロたち、そしてどこにでもいあるアマチュアたちは効率的市場仮説を信じていないわけで、したがって仮説はなりたっていると思うが、それは大雑把に言えば成り立っているというだけであり、また多くの場合成り立っていると言えるに留まる。


これは非常に正確な表現といえるだろう。実際のところ、効率的市場仮説は数学的に扱いやすくするための前提に過ぎないのであるから仮説を現実の本質と見るのは間違いだ。
つまり効率的市場仮説を信じている人間は、Passive投資をするはずだ。100%の人間がこの仮説を信じているとした場合、100%の人間はPassive投資しかしないから、効率的市場仮説の前提である、情報を株価にいち早く反映させる行動を誰もとらないことになる。するとこの仮説は成り立たなくなるというわけだ。

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2008年05月03日

Securitization of Organization

いうまでもなく組織とは人間集団であり、また組織活動とは人間集団の活動である。 組織の中には、多くの契約が存在する。
組織の従業員であることにも契約があるし、組織が取引を行うことも契約だ。組織をこのような”契約の束”として考えることで、その”契約の束”を証券化(securitize)することが可能になる。
つまり、組織そのものを証券化することで、人間集団というとらえどころのないものに、所有権が発生する。(ちなみに当然だが人間に対する所有権ではない。契約に対する所有権だ)

#しかし、この契約を介した組織というのは既に、ゲマインシャフト的な、つまり村落共同体、家族共同体的な組織とは異なる。
とりあえず会社組織を考える上では、このレベルで一旦止めておくのがいい。

つまり、契約の束である組織を証券化して株式会社にする仕組みと、株式を公開市場に上場するシステムは別に考えないといけない。

上場システムと有限責任特権の関係を考えてみよう。
まず、株式市場への上場システムは、資金的なレバレッジを得る仕組の一つである。
現在、上場が許される会社は、株主が有限責任の株式会社に限られる。
もし、この際、株主の有限責任という条件がなければ、無限責任の一端を株主が負うことになるからマーケットに上場しても買い手がつかないかもしれない。
株主になるリスクが大きすぎるからだ。
コロンブスの時代の航海船は、いかに莫大な費用がかかろうとも、損失の上限はきっかりと決まっていた。だから費用を分散で負担している株主は有限責任で全く問題がなかったわけだが、近代の会社組織は損失の上限が決まっていない。
そういった違いがあるにもかかわらず、国家権力により気前よく”株式会社は有限責任でOK!”としたのが、制度上の大飛躍であったと考えられる。

もちろん、上場と引き換えに様々な義務を負うことになるが、それでも株主=所有者にとって、大層、好都合なことだ。
こう考えると、現代の株式会社の有限責任制度は、株式の公開マーケットへの上場システムと切り離せない関係にある。そうでなければ、有限会社が上場できない理由がない。

問題は、資金的なレバレッジを与える仕組みとして、上場システムしかないのか否かだ。
企業にとって証券市場への上場はあくまでも資金調達が目的であり、多くの人と会社を共有するのが目的ではない。
創業者が会社を上場させるインセンティブとなっているのは、当初は株式を自分で大半を所有しているために、上場によって一攫千金のキャピタルゲインを得ることがある。だが、経営が好調でキャッシュフローが潤沢で、資金面で苦労がなければ、無理して上場する必要もない。
サントリーとか優良な大会社が上場していないのは、そのためだ。創業者にとっては、利益が沢山出ている限り、”自分の会社”として独占していたほうがいいに決まっているのである。
#ちなみに、世界最大のプライベートカンパニーは、コーク(Koch)の創業した会社(Koch industries)で、コーク兄弟は世界の大富豪の5本の指に入る。このコークこそは、リバタリアニズムの世界最大のパトロンでもある。コークは、自分が生きている限り、上場することはありえないといっている。

株式会社として有限責任特権を得つつ、株式上場ー株式公開はせずに私的な会社としているのが最もメリットがある。
さらにいえば株式会社への有限責任特権を取り払ってしまえば、わざわざ株式会社にする必要すらない。
さらに資金的なレバレッジを得る有効な仕組みがほかにもあれば、上場の必要性も小さくなる。このように考えていくと、株式会社=有限責任としなければならない制度上の必然性もほとんどないことになる。例えば、新製品の研究開発に対する資金が足りなければ、そのプロジェクトに対する資金を募るというのでもいいわけだ。何も株券を担保にしなくても、その利益に対する分配金を払えば済むだろう。

この場合は、一族経営が基本となって経営と所有が分離されないことが多いだろう。もちろん、創業者一族以外は奉公人でしかないが、経営をプロに任せることも当然できる。
おそらく、リバタリアニズム的には、政府による有限責任特権は認めるべきではない。無限責任の前提では、株式証券の市場化は、現在のような形ではできないだろうが、保険とセットにした仕組みなどいろいろと私的な制度的発明は考えられるに違いない。
 
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