2014年10月29日

Politics and Marketing

021でピーターティールが書いているように、世の技術屋、おたく、理系の頭のよい人間はマーケティングを軽視しがちだ。
自分が嫌いでやりたくないから軽視するのだろう。しかし凄い技術があれば客がよってくるというのは、かなりレアなケースだ。(青色LEDとか)
何が正しい論理か、何が凄い技術かに価値を置くおたくたちには、セールス、マーケティングなんてものは、汚れた、口先三寸のものであり、近寄りたくもないだろう。
だが、セールスやマーケティングは重要であり、これができなければ、よいアイデアも商売としてはなかなか成功しない。

セールス、マーケティングは政治的な技術といえる。逆もしかりで、政治とはセールス、マーケティングに近い。
そこでは何が正しいかではなく、何が支持されたかとか、シェアといったものだけがものをいう世界である。論理よりも、イメージが決定的だ。
それは少数の人間がマスを動かす技術である。
そしてマスコミはプロパガンダ機関であり、マスコミと政治の関係は持ちつ持たれつの関係にある。

それに対して、法律は本来、多数決やシェアよりも、真理やJusticeを重んじるものと考えられる。
その点、理系のおたくの世界に通じるものがある気がする。
法律家には、頭脳優秀な法律オタクというのが多い。w
この点は本来の理系の世界に近いものがあるかもしれない

いわば、政治とはリアリズムであり、一方、法律とか科学というのは規範的なものだ。
しかし日本は公務員大学教員の世界は、科学でもなんでも政治の一部となってしまう傾向がある。
これは昔よりも、最近の方が顕著なのかもしれない。原子力村、地震村、経済学村といったものは、科学の規範をかなぐり捨てて、政治に隷属している。

シナのような恐ろしく野蛮な世界では、どんなに優秀な人間でも政治に飲み込まれてしまうのだろう。シナではリアリズムがなければ、生き延びることができない。そこでは科学のような規範的な理想主義は追求しがたい。
せいぜい政治から逃れて、隠棲するというのが古来よりシナの知識人のあり方であった。





posted by libertarian at 21:17| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月28日

Impression is always wrong

自転車に乗っていると機材に目移りする。
カメラに興味が出ると、レンズに目移りし、自転車に乗っていると自転車に目移りし、コンピューター使っているとコンピューターに目移りする。
こういうのは単なる物欲なので、手段と目的が逆転してしまっている状態である。
実に愚かであるが、手段を目的にするのも、そこに工夫やら創意があれば悪いこととは言い切れない。
単に、いいもの=高いものが欲しくなるのは、愚かな物欲だが、機材の不満を解消すべく、創意工夫を入れて頭を使って何か作るのであれば結構なことだ。

そもそも、レースなどの競技を目的とするのでなければ、自転車に乗るというのはほとんど目的らしきものがない。健康の為に乗ると言っても、それは結果であり、そんな漠然としたものはインセンティブにはなりえない。そもそも自転車やスポーツには事故というリスクも結構あるから、健康というプラスばかりでもない。というか事故をおこしたら健康どころの話ではないのだ。
ジョッギングと同様に気分爽快になるのが、直接のインセンティブの一つだが、実は機材をいじるのも、結果、効果がすぐに分かるのでわりとインセンティブが高いことなのである。

また自転車は工芸品として見て楽しむ要素もあり、クロモリフレームなどは工芸品そのものだ。
私は少しでも速く走ろうといった野心が全くないから、クロモリフレームしか興味ないが、これもデローザだコルナゴだ、トマジーニだ、ケルビムだなんだと美的な価値の高い奴についつい目が行く。だが、冷静に考えれば、そんなものは傷つけるのが気になって乗る気がしなくなること必至だ。それでも、美術品と考えればリーズナブルな値段の置物かもしれない。w 最高級の美術品自転車でも100万円もしないだろうから。

ある程度、クロモリフレームを乗ってみると、フレームの性能の違いと思っているのが、実はホイールの違いだったりする。
雑誌で自転車のインプレッションなんかが書かれているが、ホイールもタイヤも全然違うものをつけて、比較しようというのが土台無理な話で、ああいったものは適当な作文に過ぎないのである。

スポーツ関係は、インプレッション評論がやたらと大手を振るっていて、書かれている内容は、物理学の初歩の初歩も分かってない筋肉バカが偉そうに適当なことを書いているだけというのが多い。個人的なインプレッションなら、何書いても間違いではないと思っているのだろうが、間違いは間違いであり、間違いだらけなのだ。
所詮、彼らには、力学は難しすぎ、理解できないのである。いかに学校教育が有名無実なのか、これを見ているだけでもよくわかる。
それを読んで、間違っているとも分からずに、ふむふむと読んでいる読者も多いから、そういった記事が無くなることも減ることもない。w

ところで、日本の大学のレベルの酷さは、かなり問題だ。原子力村ばかりではなく、経済学村、地震村、火山村というのもあるようだ。
かれらは、権力に魂を売って、でたらめなことを平気でほざき、日本社会を構造的にダメにするのに貢献している。
原子力村も犯罪者集団だが、経済学村は場合によってはそれ以上に破壊力のある暴力的な犯罪者集団といえるかもしれない。





posted by libertarian at 10:36| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月23日

Ebola

エボラがアフリカの西側でアウトブレイクした。
このような病気に対しては、インフルエンザや交通事故よりも死者数が少ないからパニックが怖いだけとかいった、分かったようなことを言う人間が出てくるが、それは大いに間違っている。

エボラは、当初思われていたよりも感染性が強いらしい。だから、今回の西アフリカでのアウトブレイクとなった。
飛沫感染するということは、場合によっては空気感染する可能性もある。飛沫感染と空気感染の違いは微妙だ。どちらも、罹患者の隔離が絶対になる。
エボラは致死性が高く、今のところ薬も対策もない。
このままだと、500万人以上が死ぬ可能性があるという推計もある。
東京などに入り込んだら、ただでは済まないことになる。
アメリカなどはCDCといった機関が、強力な権力をもって、断固としてパンデミックを抑えるようになっているようだ。
日本の場合は、そんな組織もない。

ペストも流行した時は、ヨーロッパだけでなく世界中、ユーラシア大陸でも猛威を振るったそうで、短期間に世界で1億人以上の人間が死んだと推定されてるそうだ。交易によってパンデミックは起こり、パンデミックにより交易が終わる。
パンデミックを軽く見たりするようなことを言うのは愚の骨頂である。
仮に死者が少なかったとしても、それは大変な努力をして抑えた結果であって、ほっといておいたらアフリカと同じになる。

posted by libertarian at 12:27| 東京 | Medical | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Longtail of Manufacturing

Gizmodとかいったサイトを見ていると、いろいろと面白い発明や新商品の紹介がある。
しかし、それらはほとんどがアメリカのものだ。
技術のすそ野は広いので、何ともいえないが、アメリカの発明意欲、発明による起業というドリームが強いことは感じる。
また、それをサポートする仕組みがネットを通してもある。別にそれは日本からでも利用できるのだが。

それに対して日本では、あまりそういったものがない。というか、Gizのようなものに紹介される製品は減ってきた感じだ。
少し前までは、ソニーといった日本の家電メーカーがいろんなガジェットを出していたが、そういったものは最近とんと聞かなくなった。
素材レベルの基礎的な研究開発能力は日本はまだ高いのだろうと思うのだが、それらを利用して製品化する能力はどうなのか?
大メーカーからでなくても、アイデアベンチャーからもっと出てきてもよいと思う。
そういった、技術を面白がる、楽しむ企業がないともっと沢山出ないとつまらない。利益や採算性は後からついてくるものだ。ほとんどは、失敗することになるわけだが、技術を楽しむ土壌がなければ製造業のすそ野は小さくなってしまうだろう。

家電でも、ダイソンのようなメーカーが気合いの入った製品をだしてきているし、それがまた高価なのにもかかわらず結構売れているようだ。
かくいう私も掃除機はダイソンだ。これは高性能で頑丈で、デザインも面白い。
日本の家電も性能は悪くないのだろうが、後追い商品か従来の延長技術ばかりで、デザイン性、耐久性などが劣る(感じがする)。
つまり、買っても特にうれしくもないし、必要に駆られて買うかもしれないくらいのものだ。ダイソンのはデザインがいいので、特に必要がなくともなんとなく興味がでて欲しくなるような気がする。
appleにしても、従来のアメリカの製品のイメージを大きく覆した。アメリカの製品というとデザインが悪く、繊細さにかける大雑把なイメージがあったが、appleは日本メーカーにも作れない、精密な加工製品を出した。一部の高価なヨーロッパ家電の品質とデザイン性をもったものをアメリカの大量生産技術で可能にしたというべきか。もっともMacBookのようなPCは筐体はただの箱なのでそんな加工精度はいらない。つまりメカのように加工精度と性能との関係性はないのだが、精密な加工技術をデザイン性、品質感を高めるために利用しただけともいえるが。

この分野はどれも日本の影が急速に薄くなりつつある。
デフレの影響は大きく、メーカーが開発力と競争力をデフレによって失った結果ともいえる。
もし、日本が20年デフレにならなかったら、日本のメーカーももっと元気があって勢いがあったろう。デフレは確実にメーカーの研究開発力を削いでいく。
日本が再増税によって、再びデフレの奈落に落ち込むことになれば、もはや日本の製造業は浮き上がれなくなるだろう。


posted by libertarian at 06:55| 東京 ☔| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Modern Science and Premodern science

最近、医学は、科学でないと言われるのをきく。
演繹と帰納という論理で、これらは正反対のものだが、膨大な事象を事実として暗記をさせられる内に、まっとうな演繹的な論理思考力が失われてしまうのだろう。さらに、医学は聖域化されており、人体に関しては、医者以外は何も口出しができないようになっている。

血圧が主観的に高いと思えば、塩を減らせといい、コレステロール値が主観的に高ければコレステロールを減らせと言い、尿酸値が主観的に高ければ尿酸を低くしろといい、副作用のある薬を出す。ガンになれば、がん細胞を取り除けというだけだ。
一つの要因だけをみて、減らせだの増やせだのといった論理は極めて幼稚な間違った論理である。
だが、それが通ってしまっている。これでは、バカでも医者はできるし、バカでないと医者をやっていられないことになる。
そして、このような単純なマニュアルで、病院という営利組織に努める技術系のサラリーマンである医者が、医療費を膨大に浪費しているのが現代社会というものである。

膨大な知識を暗記させることで、批判的な論理能力を奪うというのは、人を洗脳する方法としてはよくある。
科学といっても、物理学や工学までは、演繹的な論理が強く要求されるが、経験的、帰納的な推論がメインとなる生物、医学といったものは、科学とは別の呼び方をした方がよいのかもしれない。少なくとも近代科学ではない。
医学では、疫学的な統計が、比較的に数理的な論拠として用いられるが、その解釈が多くの場合間違っており、また統計的に処理するにはデータが少なすぎることが多い。

科学とは、演繹的な論理思考を可能とする大きな原理を求めるもので、ニュートンの物理法則のような原理を求めるのが本質だろう。
逆に、ニュートン以降、このような原理から演繹的に思考することが可能となり、それが物理学となった。近代科学とはニュートン以降の物理学のことだ。
それ以前のいわゆる科学は、経験的、帰納的な推論によるもので、間違った論理だらけであった。近代科学はニュートンによって生まれたといってもよいくらいだ。それ以前のいわゆる経験的な科学は、科学ではないともいえる。ニュートン以降、数学的な公理的な論理思考が可能となった。不完全な推論ではなく、厳密な論理となったわけだ。

だが、医学や生物学などは、依然としてニュートン以前の流れにある。経験的、帰納的な推論で、自分では検証するすべもない沢山の事実を暗記し、多くの場合、論理的に間違えるが、それを組織的ギルド的な権威で押し切るというものだ。
何処まで行っても、これでは近代科学にはなりえない。




posted by libertarian at 06:11| 東京 ☔| Medical | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月21日

Entertainment

本というのは音楽や映画と同じで、沢山作られているが、自分が面白いと思う本はかなり稀である。
今は映画もほんとにつまらなくなった。マンガみたいな面白さはあるが、その程度だ。
金と手間暇かけて、なんでこんなにつまらないものばかり作るんだという気がする。
基本的に、娯楽作品に期待するのが間違いで、娯楽と言うよりは暇つぶし程度のものだ。

最近は、娯楽といえばもっぱら将棋観戦だ。将棋を見るためにniconicoの会員にもなっている。
さらに将棋ウォーズなども、観戦する。
しかし、将棋は見るばかりで、自分ではほとんど指さなくなった。w

一番面白いのは、人間の強豪とコンピューターとの対戦だ。
既にコンピューターはプロをも遥かに上回る力を持っている。おそらく、羽生名人であっても番勝負すれば勝てないだろう。
終盤の読みと力は、人間のトッププロと比較しても既に手合違いというレベルだろう。
コンピューター将棋の中終盤の手順の精妙さには、感心することしきりである。

将棋ウォーズなど見ていると、プロなのかそうでないのかわからないが、やたらと強い人が結構いる。
コンピューター指しでは必ずしもないようだ。
#だが、棋神が使えるので、ところどころコンピューター指しになっているのかもしれない。
いずれにしても、一般の人の棋力もネット対戦できるようになって、かなり上がっているkとは間違いない。
裾野が広くなると同時に、飛び抜けた棋力の人も増えてきている感じだ。

niconicoでは、将棋がかなり流行っているようだが、この手の番組というのは、飽きることもなく、よい娯楽といえる。
将棋のプロに対しては将棋の内容に感心するよりも、解説のうまさ、話のうまさに感心することの方が多くなった。w
解説とトークはまだマシンにはできないだろう。





posted by libertarian at 12:05| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月19日

Recumbent

自転車という乗り物は、かなり完成された形態とは思うが、それでも乗っていると、いろいろと不満や疑問を感じる。
前から興味が有るのが、リカンベントだ。これは、前面投影面積がロードバイクよりずっと小さくなる構造なので、平地であればロードよりもずっと早く走れる。

ロードバイクは車体の軽量化とかに皆さん血眼になるが、それは大変に非科学的である。
車重は路面との転がり抵抗に比例的に作用するが、あくまでそれは(自分の体重+車重)に対してである。
今のロードバイクは10kg以下のものが多いから、10kgもダイエットすれば自転車まるごと軽量化したのと同じだ。
つまり、自分の体重を減らす努力をしたほうが、ずっと効率的なのである。w

もとより、自転車のうける抵抗としては、ほんの30kmくらいのスピードになれば、抵抗の8割以上は空気抵抗だ。35kmも出せば9割以上だ。
路面抵抗は一定だが、空気抵抗は速度の2乗に比例して増大する。
だから、ロードバイクはもっと空気抵抗を減らすように進化するべきだと思うのだが、エアロパーツとか雀の涙のような空力向上くらいしかされていない。それも多分にマーケティング程度のウリ文句にすぎない。
具体的には、フードのようなものをつけるのがよい。それで多少重くなっても、空力が向上するほうがスピードはでる。
ただ、自転車は風で人体を空冷するのも大事なので、風を遮りすぎてもいけないだろうが。

リカンベントの場合、その点、実に合理的である。車重が多少重くても、平地なら圧倒的に有利なのである。
だが、車の横をあのようなゴキブリのような格好で走っていたら、ダンプに踏み潰されても文句はいえない。w
そこで、セミリカンベントともいうべき自転車がタルタルーガとかから出ているが、これなら、あまり抵抗なく乗れそうな気がする。
前面投影面積がどの程度、ロードよりも小さくなるのか少し疑問ではあるが、小さくはなっているだろう。



posted by libertarian at 22:39| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月18日

Eruptiion of Mt.Fuji 2 : Seismic eye

木村政昭氏(琉球大 名誉教授)の本を2−3冊読んだ。
木村氏は、東日本大震災の予測なども、次々と当ててきた人らしい。単なる予想ではなく、きちんとした理論がそこにあるのである。
ごく簡単にいうと、プレートの運動によって、地殻は弾性体のように振る舞い、初めに火山活動が活発化する。地下のマグマがプレートの圧力の上昇で噴火するわけだ。その後に大地震が起こる。つまり、噴火活動と大地震には相関、因果関係があり、噴火活動は大地震の予兆現象として見ることができる。地震の発生を、木村氏はSeismic eyeの出現という形で具体的に計測を行い地震予測を行っている。

1986年の三原山噴火の時も、木村氏が強く提言することで島民の避難が事前に行われ、死傷者がでなかったそうだ。
実に偉い人物である。
日本は、この重要な地震や火山噴火の分野が完全に原子力村と同じような村社会になっていて、無責任きわまりない腐った体質にあるようだ。
木村氏のようなまともな学者は、日本の官僚主導の腐敗した村社会の学会の中ではアウトサイダーなのだろう。

この木村氏のサイトが次にある。

富士山の噴火は2015年頃の可能性が高い。来年だ!

posted by libertarian at 20:14| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月17日

Power and Speed

ロードバイクに乗っている時に出している力をワットで表すと、スピードで大体次のように変化する。

15km 25w
20Km 50w
25km 80w
30km 130w
35km 200w
40km 280w
45km 400w
50km 530w

しかし、実際は、この4倍のエネルギーを出している。なぜなら人間のエネルギー効率が25%程度だからである。
つまり、100wの運動をするには、400wのエネルギーが出ており、300wは熱として発散される。
このため、いかに熱を放出して体温の上昇を抑えるかが重要になる。

20km/hで比較的ゆっくりと走っていても、200wのエネルギーを出していることになるから、自転車に乗るとダイエットになる。
最近はハートレートモニターが普及しているが、自転車に乗っているときはHRが重要だ。心拍数は車のタコメーターと同じである。
同じスピードで走っても人によって心拍数はかなり違う。心拍数が違うということは運動強度が違うということで、これを適正な幅に保ちつつ走れるスピードが上限スピードとなる。

自転車のアワーレコード、つまり1時間にどれだけの距離を走れるかは、世界記録が51km程度。
これは超人的な人間の記録であり、人類のMAXと言える。
アワーレコードにチャレンジするのは、物凄く大変で勇気がいることらしい。
1時間に平均50km/hで走るということは、500*4=約2000wを発生しているということになる。これは1500wの熱を発散し冷却なければ、いけないということでもあり、どうやってこの熱を発散除去できるのか不思議なくらいだ。電気ストーブでも1500wはかなりの熱さになる。
スピードが高いことによる空冷効果とのバランスだろう。となると、気温がアワーレコードチャレンジには大きな要因となるかもしれない。

ロードバイクだと、頑張れば50kmくらいは出せる人もいるが、それは決して1時間も持続できるスピードではないのである。
ただ瞬間的にでも加速して、そのくらいのスピードを出せるのがロードバイクの軽快さであり、気持ちのいいところだ。
瞬間的な最高速の向上は筋力が発達することで可能となるが、心肺能力が伴わないと、持続はできない。

ロードバイクはエネルギー効率がよいだけで、ママチャリでもダイエット目的に乗るのなら同じである。
同じスピードで走った時は、ママチャリの方が余計にエネルギーを消費する。
逆に同じエネルギーなら、ロードバイクの方がスピードが出るというだけの違いである。
その軽快さ、疾走感の快感がロードバイクのメリットである。




posted by libertarian at 23:58| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Degree of Freedom

乗り物、vehicleには、自由度というものがある。
この自由度は、法的な規制によるものが主である。
この点、自由度の低い乗り物は飛行機で、自家用機の免許をとっても、雁字搦めに飛ぶことになり、全然つまらないそうだ。ラジコンを飛ばしていたほうが面白いらしい。
その点、昔のゼロ戦パイロットは自由に大空を飛んでいたように思われる。

電車も飛行機と同じようなものだ。一般人が運転することはまずないが、全く自由がない。
車も、多くの規制、ルールがあり、自由ではない。入れない場所も多く、一通も多い。都会では一時駐車も容易でない。駐車場を探すのも面倒だ。
オートバイもほぼ、車に準ずる。二輪とはいえ、オートバイは車と変わらない。つまり、自由度がない。

最も自由度の高い乗り物は、明らかに自転車である。自転車の自由度は、歩行とほとんど変わらない。
この自由度の高さが自転車人気の本質であろう。免許や規制から自転車は開放されており、生身で走るのと同じだ。
若い頃は、車やオートバイに凝っていた人が、年取ってから自転車にハマる人が多いのも、この自由度ゆえだろう。

ロードバイクの不自由な点といえば、高価な自転車を目のつかないところに駐輪していると、盗難の恐れが有ることだ。
そのため、ロードバイクでは食事を取るのも、コンビニでということにあいなる。
コンビニのおにぎりやパン、肉まんは十分美味しいし、自転車乗っていると腹が減るから何食べても満足なのだが、落ち着いたところで食事できないのが不便といえば不便だ。

posted by libertarian at 22:58| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Find your way

ロードバイクは、道を選ぶ。
東京だと幹線道路を走るのは、危険だし、不快であり、なるべく避けるべきだ。
ロードバイクを買っても、幹線道路ばかり走っていると、そのうち乗るのが嫌になってくること必至だ。

だから近場で、ロードバイクに適した道を見つけることから始めないといけない。

その条件としては
・舗装状態がよい道
・車が少ない、または走っていない道。
・人が少ない。または車道と歩行者道路が分離している道。
・景観がよい道
・ある程度、まとまった距離を走れる道
、、というところか。

こんな道は東京なんかではそうそうあるまいと思っていたが、意外なことに割と近場にあった。
このようなロードバイク用のマイウェイ、マイコースを2−3見つけておくと、日常、ロードバイクで走るのにとても便利だ。
そして、このような道を見つけるのには、なんといってもGoogle Mapが便利である。
Mapで検討をつけてから、探しに行くと、いろいろと発見がある。
車での移動だとどうしても幹線道路を走るのが分かりやすいので、同じようなところばかり走るが、自転車だと行動範囲が線から面になる。
それによって、多くのことを発見できる。
意外と長いこと住んでいても、近場にあるのに行ったこともないところが大変に多いことに気付く。
電車だと1時間以上かかるようなところが、20−30分で行けることもある。電車も車も線の移動だが、自転車は面で移動できるから、ショートカットできる。
自転車でほんの30分ほども行けば、自宅の近くにも驚くようなところが結構あるのである。

posted by libertarian at 15:48| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月16日

Eruption of Mt. Fuji

御嶽山が噴火した。
この時、安全レベル1の予想を出していた予知連絡会の責任者は、業務上過失致死罪で起訴されるのが当然である。
予想ができないなら予想をしてはいけないのであり、国の威信を負った責任者が、事後に噴火予想はできないなどと言い訳をするのは許されない。
くだらないことには見当違いな大騒ぎをするバカなマスゴミは、こういった重要な問題には全く声を上げることもない。
本来は、ワイドショーで予知連絡会と国の責任を追及をするべきだ。

もとより国ができもしない予知をするのではなく、税金で集められた観測データをネットで全て公開するのがよい。
そして、地震予知や火山噴火予想に関しては高額の懸賞金をかけ、世界中の研究者の英知を集めるべきだ。
このような参加資格を特に問わない懸賞金システムというのは、非常にコストパフォーマンスの高い問題解決法で、Googleでも、このような懸賞金システムで難問を解決しようとしている。
今は日本の中の限られた国公立の研究室、研究者に潤沢な金をばらまいているだけで、その責任も非常に軽いから、できることもできないのだ。原発村と同じような地震村、火山村だ。

もっとも、御嶽山の噴火については、琉球大学の木村名誉教授が予想をしていたそうだ。

2013年±4年という予想で、4年の幅は大きいとも思われるが、地質学現象としてはピンポイントに近い予想といえる。

さらに木村氏は、富士山の噴火を、2014年±5年と予想している。

東北の大地震が起こった後であるし、その可能性,危険性は高そうだ。御嶽山の噴火もその前兆なのかもしれない。

そもそも、今は地震予知など研究が進んでいて、予知が不可能とはいえないようだ。
フランスの天才学者Sornetteの研究など、従来、予想不可能とされていた一見ランダムな複雑現象の予測を可能としている。
ランダムだから予想が不可能とか安易に思われている株式市場に対してでですら、予測を可能にしている。
#これは、市場の大暴落のような大きな変化の予測を理論的にする。

こういった、世界中の才能を、懸賞金システムによって、日本の自然災害予知に活用すべきである。




posted by libertarian at 18:38| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Zero to One

ピーター ティールの「ゼロ トゥ ワン」を読む。
ペイパルを創業し、やることなすこと大成功という羨ましい人物だが、そのビジネス哲学を語った本だ。
ティールはリバタリアニズムにシンパシーを持った人物のようで、あのパトリ フリードマンの人工島計画にもかなり投資している理解者らしい。
ところで、あのリバタリアン島の計画は今どうなっているのだろうか?w

ここにあるのは、凡人は近づこうともしない、「隠された真実」に対する積極的な姿勢だ。
つまり「隠された真実」を掴んだものだけが、大きな成功を達成することができるということだ。
改良、改善、といった日本の製造業のような、「モノマネプロセス」ではなく、まず最初に「隠された真実」を掴まなくてはならない。
マーケティングは、さらに一層、モノマネプロセスといっていよい。
必ずしもモノマネが悪いわけではないが、それは本質的な成功要因ではないというのは当然だ。
ネットの世界はあまりにもマネが容易な世界なので、モノマネによる追従、差別化戦略は難しく、競争要因にすらならないのであろう。

こういった「隠された真実」に対する積極的な姿勢は、ある意味で、純粋な科学的野心と違いがない。
純粋な科学者は、他人がどうしているとか、何を考えているかではなく、どこに隠された真実があるのかにフォーカスするだろう。
ビジネスも、「隠された真実」を掴んだものが勝者となるロマンなのである。
青色LEDの発明も、99%の研究者が否定し見向きもしなかった窒化ガリウム方式に着目し成功させた点がドラマである。
隠された真実は、世界中の多くの優秀な研究者99%の取り組んでいた方式にではなく、超マイナーな窒化ガリウムにあったのだ。

#ちなみに、「隠された真実」という言葉は、アフリカの言葉でカンジ(Kanji)という。天才ボノボの名前でもある。


posted by libertarian at 11:00| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

How to reward Inventions

社員発明について、もう少し書いておく。
高橋洋一さんが、この件について分かりやすい説明を書かれている。

ここにまとめられているように、発明の帰属は
イギリス、フランス→会社に帰属
アメリカ→個人に帰属 ただし契約次第
ドイツ→個人に帰属 細かい報酬ガイドライン規定が法律にある

そして日本は、特許をうける権利が発明者本人にあり、それを相当の対価で会社に譲渡することになっている。
今、日本ではイギリス式に会社に帰属するようにしようとしているようだ。

日本の企業によくある発明対価が、糞みそ一緒で数万円という報償体系はさすがにおかしいと思うのは自然だ。
しかし、この報償体系は企業に自由にさせるのがいい。
研究者、技術者にとっては、特許報償体系の違いが会社を選択する際の物差しの一つになる。
一律2万円の報償であれば、発明に対するインセンティブが小さいだろうし、もっと多くの報償がもらえるのであればインセンティブは大きくなる。これは企業の開発力に影響を及ぼすだろう。

問題は、特許をうける権利が財産権としてあり、それを「相当の対価」でダンピングすることなく、会社に「売る」という形だと、その発明の値段が利益をだす前に判断されないといけないという点だ。日本の法律では、ここで発明者と会社は対等の関係となっている。

青色LEDのような革命的な大発明、世界中の研究者がしのぎを削って求めていた技術というのは、発明の価値が分かりやすいが稀なケースだが、普通の電気製品にも特許は沢山詰まっているし、つまらない?健康器具にも特許はある。そういった特許と利益の関係が定かでない。いくら優れた発明でも、マーケティングが全くなければ製品は売れず、利益もでない。
逆に健康器具のつまらない発明でも、マーケティングがうまければ大きな利益がでるだろう。その利益は発明の質ではなく、マーケティングによってもたらされたものだ。

製品から得られる利益は事後的に決まり、さらに発明とは無関係なマーケティングなどによって大きく左右される。
その点、発明の相当の対価というのが、現実的ではない、空理空論となってくるわけだ。

だから単に報償規定によって、どれだけ発明者、技術者を報うべきかを、企業側の研究スタンスによって自由に決めさせた方がよい。
相当な対価での財産権売却という仕組みだと、無理がある。
特許をライセンスさせた場合は、ライセンスフィーに対する一定割合を報償として与えるというのも一案ではあるが、パテントプールみたいな形だと、どうするかとか難しい問題はいろいろと出てくるだろう。

その点、職務著作物規定のように、初めから会社に帰属というルールであれば分かりやすい。
後は会社がどのように事後的な報償ルールを作り、研究のインセンティブをどの程度にするかという判断にある。
技術者や研究者は、発明を重視する企業を選択することもできるし、そうでない企業を選択する自由がある。
posted by libertarian at 09:31| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月15日

Erosive Aggression

シナの平和的台頭戦略は、浸食的な侵略だろう。
この手段が、他国のメディアや教育機関を乗っ取ることだ。シナはアメリカに対してもこのやり方でいこうとしている。
朝日の本社には、中共の新華社通信が常駐しているし、NHKの本部には、朝鮮日報が常駐している。
これはもちろん単なる業務提携関係ではない。w

日本は教育も日教組という社会主義団体に戦後牛耳られてきており、メディアと教育は親シナ勢力に支配された状況だ。
こういった人心に対する時間をかけたコントロールが戦略としてとられている。
まずは、日本のメディアと教育をどうにかしないといけない。

朝日は今度の問題で、商業的にもダメになって行くだろうが、NHKは放送法で守られているので、放送法を大きく変えないといけない。
電波解放でNHKの専有している帯域をオークションに出させるなどの、電波法の改正からのNHK解体方法も考えられる。


posted by libertarian at 04:51| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

HongKong,Taiwan,and Japan

台湾で学生デモがあったのは、2014年の3月18日から。立法院占拠は今はどうなっているのか?
香港での学生デモは、9月26日から。これはまだ続いているようだ。
どちらも民主化要求という、あまり具体的によく分からない主張だが、どちらも中国共産党支配を牽制しようというのが狙いだろう。

香港も今年行ったが、一国二制度で自由はあるようだが、徐々に中共支配の影がこくなってきていて、中国に呑み込まれそうになっている。
香港には中国人が大金払ってでも移住したがっているが、その香港も中共に呑み込まれてしまえば意味がない。今、香港でうまくいっている人は必ずしも共産党員ではないだろう。

台湾もミアシャイマーの予測では、中国に呑み込まれることは不可避である。台湾人も香港の人も意識の高い人はミアシャイマーを読んでいるだろうから、危機感が募ったに違いない。
そして危機は実際に迫りつつあり、2021年まで残すところ約6年。

シナという中共の一党独裁=ファシズム国家は、平和的には台頭しない。平和的なふりをして台頭する戦略だが、日本人は台湾がシナに呑み込まれても、その意味がマスゴミによって伝えられることはないだろう。
今のままでは台湾は、平和的にシナに併合される。武力衝突といった明らかな抵抗をしないで、「平和的」に併合される可能性も高い。
そして、台湾の次は、シナは日本を狙ってくる。

日本が、このまま狂気のデフレ政策を続ければ、早晩、日本は経済的に弱体化し、台湾同様になすすべもなく、「平和的」に併合されることになるだろう。
シナは日本がデフレ政策によってアルゼンチンのように貧乏国になるのを20年くらい待てばいいのだ。
シナはこのような時間攻撃をしてくるだろう。労せずして日本を併合することを考えているはずだ。






posted by libertarian at 01:45| 東京 ☀| China problem | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月12日

Employee Invention

職務発明の問題について、池田信夫が書いている。>このブログは随分と久しぶりに見た。w
====>
その理由は簡単だ。青色レーザーのような成果が出る確率は、控えめにみても1/10000ぐらいだから、中村氏に投資した5億円の研究開発投資の1万倍、つまり5兆円の資金が必要だ。600億円の利益では、とても採算が合わない。

これは逆に考えてもわかる。もし中村氏が研究成果を100%取りたいなら、5億円の投資を自分ですればいい。ドクター中松のように、そういう人はいくらでもいる。しかし中村氏が失敗する確率のほうがはるかに高いので、彼は成果を出す前に破産するだろう。

イノベーションとは賭けである。事後的には、価値を生み出した人が半分取るのがフェアにみえるが、それは9999人の失敗した人の犠牲の上に生まれた偶然だ。企業の研究者の大部分は、会社の金で自分の成果を出すフリーライダーなのだ。
<====


私もこの考えにほぼ同意だ。
要するにリスクを誰がどれだけ負担しているかが、問題だ。
企業内の研究開発のリスクは企業側がとっていて、研究者ではない。
アメリカでは、企業で研究者が大きな特許を取得したらその報酬は大きいというのは神話で、そんなことはない。
中村さんはそんな噂話を信じていた感じがある。

条文にある「相当の対価」という言葉で、発明対価の問題は泥沼になったが、理屈から考えれば、企業が利益をとるのが当然である。
この何気ない条文の一文が物事をこじらすだけのガンだった。

職務発明に関しては、著作権の職務著作物規定のように職務上の発明は自動的に企業の権利になるという制度にしようという話があったが、どうなったのだろうか?私はそれが一番いいソリューションだと思う。

そもそも研究や発明の質と、その特許によって得られる商売上の利益には相関もない。
青色ダイオードは、大発明が大きな利益と市場をもたらすという分かりやすい話であったが、これは稀なケースである。
普通は一つの商品には沢山の特許が入っており、その利益に対する特許の貢献割合など、計算は不可能だ。

話は違うが、この池田信夫さんは、朝日の問題やら歴史問題を随分と取り上げているようだが、朝日を上回る最悪のマスゴミ、NHKについては一切批判しない。自分がNHK出身者だから、批判しないというのは、言論人として問題だ。
この人は頭の中の海馬あたりに左翼の思考が深く刷り込まれているようで、リバタリアニズムを問題にしても、結局そこから出ることができず、変なことを言い出す。
デフレ問題でも、めちゃくちゃなことを言っていたが、未だに自分の間違いを認めようともしない。
これはマスゴミ出身の評論家の限界というよりも、自分の損得で発言していることが問題だ。言論人としては失格だろう。


posted by libertarian at 10:17| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月11日

BLUE LED

青色ダイオードで、日本人がノーベル物理学賞を受賞した。受賞は当然だと思う。いつ受賞するかが問題だった。
中村修二さんが有名だが、赤崎勇、天野浩氏も受賞ということで良かった。赤崎さんが高齢だから今年の受賞だったのかもしれない。
この赤崎氏は私の父の旧制七高ー京都大学の同級生ということで、父がとても喜んでいた。
中村さんの講演を私は聞いたことがあるが、職務発明特許のごたごたで日本がいやになったのか、アメリカ国籍をとったようだ。
職務発明特許の問題はいまだに難しい問題ではあると思う。

最近は夜にロードバイクに乗ることが多いので、LEDライトをいろいろと買って試したが、中華のLEDライトの性能が非常に良い。 CREE製のライトなど驚くほどの明るさだ。
数年前のLEDライトから随分と進歩しているのがわかる。
LEDの進歩の可能性はまだまだある。
posted by libertarian at 15:08| 東京 ☀| Tech | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月07日

Army,Nation State and Law

ハイエクがLaw,Legislation,Libertyを書いた時の問題意識とは、Constitutionalism(立憲主義)によって自由を確保するという方法、アメリカの実験は失敗したという認識にあった。そして、その為に、別の制度的な発明が必要だとハイエクは考えた。
その際、根本的な問題は、いかにして法の支配を確保するかということにある。

メディア権力は3権分立の蚊帳の外であり、メディアの権力は司法によって間接的に制限されないといけないが、実際はメディアは増長し、腐敗する一方である。この最たるものが、世界にもまれなる巨大な国営放送局、NHKだ。
それに朝日、毎日といったマスゴミが連なっている。これらは全て早急に清算、解体されないといけない。

日本のマスゴミのどうしようもなさは、日本社会に法の支配のないことが淵源となっている。
だから、日本の愚劣なるマスゴミ問題は、単にマスゴミの問題として矮小化してとらえるのは間違いだ。
メディア権力は、3権分立の蚊帳の外にある第4の権力であるから、メディアはtorts rule のような民事賠償ルールによって、間接的に制限されないといけない。
その権力の乱用を、民事賠償ルールによって制限するべきなのだ。アメリカのメディアは実際にそうなっていて、数億円単位の民事賠償はしばしばされているようだ。それが間接的なメディアに対する制限となっている。
だが日本は司法が有名無実なので、メディア権力が野放しになり、無法化している。

法というイメージは、国家を超越したものであって、社会的、歴史的なものであり、国家を超越したものというのが自然法のイメージだろう。
国家があって、その行政部門の一つとして法があるわけではなく、その前に法がある。
Legal Positivismのヨーロッパ法ー日本の法律だと、このような自然法、コモンロー的な概念が根本的にない。
法は国家ー行政ー司法という制度にあって、司法は国家に従属するというか、国家の1機関にすぎない。
これは極めて危険な考えである。国家権力によって法の強制力が担保されるという程度の考えだろう。
そうではなく国家の前に自然発生的な社会というものがあり、社会が形成されればそこはアナーキーな世界ではなく、秩序をもつ。
社会が永続性を持つためには、法がそこにあるということだろう。その法に社会が自然と従うわけだ。そうすることに、ミクロな経済合理性もあるわけだ。

3権分立といった国家制度の仕組みは、権力を制度として人為的に作るが、絶対権力は絶対に腐敗するから、権力を三つ巴の関係にして絶対権力を作らせないというのが設計理念である。国会や行政の権力は人為的、制度的に与えられた権力だが、法の支配という意味での司法の権力はそれとは本来異質な権力といえる。もちろん、司法も人間が携わる以上完全であるわけがなく、司法に絶対権力があれば絶対に腐敗することになる。
constitutionalismにおいては、憲法が3権分立といった制度の上にあるという構造だが、その憲法とは、特別な法だ。司法、立法、行政といった3権力の上に立つ法権力としてあるわけだ。
権力の正当性は全て法に基づき、国家権力の正統性は憲法に基づく構造だ。その憲法の番人として連邦最高裁という特別な裁判所が置かれる。しかし、その仕組みが壊れてしまった。というのがハイエクの認識であった。

#ヨーロッパや日本は、憲法は持っていても仕組み的には、アメリカ型の立憲主義ではない。

しかし、そもがそもそも、国家制度とは、社会において、戦争をするために作られたのではなかったか。
近代、ナポレオン辺りから、国民軍という軍事組織を作ったことから、近代の国家イメージは作られてきた。政府とはまず軍隊としての機能が先にあった。軍隊の機能に付随して、行政権力、立法権力が肥大化していていったのだと思う。
富国強兵といわれたように、強固な軍事組織を作るために、近代、この200年ほどの間に国家の機能が肥大化してきたわけである。



posted by libertarian at 00:09| 東京 ☀| Law | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月02日

Smart revolution

現代のキーワードは、スマート(smart)だろう。
スマートとは、スマートフォンのように、過剰なエネルギーやコストをかけずにさらりと、やるべきことをやることだ。
スマートフォンは、情報をスマートに扱うことを可能にするが、Vehicleもスマート化していくだろう。
人一人を1−2トンの車で移動させるのではなく、より軽く、エネルギーを使わない形で快適に移動させるのがスマートなvehicleだ。
道具や手段がスマート化し、情報処理がスマート化していくことで、世の中は高効率なスマートな社会になる。
エネルギーも、スマート化していく。エネルギーマネジメントがスマート化し、エネルギー生産がスマート化していく。
今は数千円のモバイルソーラーパネルを買えば、モバイル機器の充電くらいはオフラインで十分にできる。

こういったスマート化は、中央集権、統制経済の対極にある。
市場経済の含意が、アンチ中央集権、アンチ統制経済であるように、市場経済にはミクロの個々人の最適化がマクロの最適化につながるというイメージがある。
だが、現実にはミクロの個々人による最適化は困難であった。複雑な情報を個人が処理することが困難であるからだ。
それを可能にするのがスマート化である。



続きを読む
posted by libertarian at 23:33| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする