2014年11月28日

SS

秋も深まってきた。
自転車に乗るには一番よい季節である。
ロードバイクには、変速機というやや複雑なメカがついている。
変速機のメリットは多々ある。人間の脚力は人によってさまざまだが、その人の上限があり、その人がだせる適正な力加減というものがある。
変速機は、登りでも平地でもその人に適正なトルクで自転車を漕ぐことができるようにしてくれる。そして、変速機は加速効率も高める。

しかし、このところ、シングルスピードの自転車に乗っているが、これが面白い。
シングルスピード(ss)の自転車には、当然のことながら変速機がついてない。フリーもついてない。実にシンプルだ。
ssに乗っていると、フリーのついた普通の自転車とは乗り味が大きく異なるので、いろいろと発見がある。
 #フリー付のssは、ママチャリと同じだが、フリーなしのssは、ピストと同じである。だが、もちろんブレーキはついている。
ツーリングで長距離を走るのでなければ、ssの方が快適だというのが実感だ。

ロードバイクとssとの違いはあまりに大きい。
ペダリングで、ロードは加速しかできないが、ssは減速もできる。ロードのようなフリー付の自転車はペダリングを止めることができるが、ssは足を動かし続けていないといけない。
フリーがついているか否かで、物理的に大きく異なってくるようだ。

フリーのついてない変速機を作ったらどうなるだろうか?果たしてそれは可能だろうか?

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2014年11月23日

Atomic power debates

原発問題の議論は、未だに日本では平行線のようだが、これはマスコミの操作があるのだろう。
原発肯定派は、デフレを肯定する連中と同じようなものに見える。嘘を100回唱えれば真実になるだろうという手口だ。

原発肯定派と否定派の議論では、特に原発の安全性が焦点になりがちだ。
原発の問題としては、安全性の問題、経済性の問題、あと防衛問題がトピックになる。防衛問題とは原発と核爆弾保有を結びつけたものだろう。メインは安全性と経済性の問題か。

肯定派は安全性の問題を語る時に、交通事故や石炭産業などの死者数と比べることが多い。反対派は、それに対してウラン採掘でも死者数は多いなどと反論する。だが、比較の対象が全く間違っており、比較するのなら、火力発電などの他の電力と比較しないといけない。
日本では石炭発電などほとんどないし、シナの話をしても無意味である。

さらに放射能そのものの安全性になると、自分では全く検証が不可能な領域になるので、専門家なる連中の意見のどちらかが正しそうかという程度の判断になる。だが、この領域は専門家なる者がいないのである。内部被ばくの影響は外部被ばくに比べて、臨床例が少なすぎる。

経済性の問題だが、こういうものはなかなか精密な測定と比較が難しい。現状の分析比較も面倒かつ困難で、否定派は原発の経済性が悪いと主張し、肯定派はよいという。どちらのデータを信じるかによるが、自分では検証が困難な問題である。
ただし、ある程度はそれらのデータから判断はできるところはある。放射能そのものの安全性問題よりは、判断ができる部分であろう。
本来は電力関係の規制がなかった時の状態と今の状態を比較しないといけない。

福島原発の事故についても、地震が原因だとか、津波が原因だとかでもめている。ここらは、きちんと検証すれば白黒がつきそうなものだが、政府は検証はしていないのであろう。チェルノブイリも地震でやられたという説もあり、真相ははっきりとしない。

しかし、こういった安全性やら経済性の問題ではなく、発電、送電、配電に関わる日本の特異な規制が問題の本質である。
今の電力の法規制がもたらしたある種の平衡状態が日本には原発を大きく組み入れる形で存在するわけだ。発送電の規制を解除するだけで、今の平衡状態は大きく崩れることは間違いない。
発電と送電という生産と流通を一つの業界に独占させていることが、日本の電力業界に固有の問題である。
その時、発電業界がどうなるかは、マーケット次第だ。だが、発送電分離は多くの国で行われているので、大体の結果の予想はつく。

原発肯定派は、国策であるとか軍事であるとか、大きな価値を信じたい人間が多いのかもしれないし、社会主義国家の指導者になりたいのかもしれない。彼らは反原発という左翼に対抗する右派という認識なのだろうが、私に言わせれば、原発肯定派も反原発派のどちらも左派だ。右派は社会主義的な電力政策を信じており、一方の反原発派の多くはエコロジー左派の集まりだろう。w

こういった左と左の不毛な議論はやっても意味がない。原発問題を議論可能にするには、安全性とか経済性といった自分では検証不可能なことを問題にするのでなく、日本の電力の規制構造を問題にする必要がある。


posted by libertarian at 13:53| 東京 ☀| 原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月22日

Prospect theory and Game

人間にはプロスペクト理論がいうところの心理的なバイアスがある。
これは人間である以上必然であり、必ずしも合理的ではないが、不合理ともいいきれない。
Wikiの解説を引用すると「人間は目の前に利益があると、利益が手に入らないというリスクの回避を優先し、損失を目の前にすると、損失そのものを回避しようとする傾向があるということである」
これは投資のような確率的行動の際には顕著に表れる。お金のかかったゲームでも同様だろう。

普段、人間は習慣の中で暮らしており、偶然的な要素を排除しつつ安定を求めて生きている。
一方、将棋や麻雀などのプロの勝負師と言われる人たちは、確率的な戦略を持っている。確率的な戦略をとることが、動的な安定をもたらす。

法律などのルールは、社会を安定化させるためにあるが、デフレのような社会状況になると、社会が不安定化するのでかえって法律ルールによる縛りが強くなるのであろう。この20年、コンプライアンスだなんだと、法的な縛りは非常に強化されてきている。
これは偽りの”法の支配”である。これによって社会が硬直化することによるデメリットの方が大きい。

事業を起こすのも、株式投資もリスクを伴う投機的行動だ。実業はリスクが少なく、投資はリスクが大きいと思われているが、現実はその逆かもしれない。
確率的な動的リスク対策をもつことが大事である。
存在しない静的な安定を求めるのでなく、リスクを動的にコントロールすることが大事だ。



posted by libertarian at 12:30| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月21日

The art of siege

将棋の終盤戦は、寄せ合いと呼ばれるが、終盤が強い人とは詰将棋が得意な人ではなく、寄せがうまい人である。
詰将棋と将棋はやはり別物だ。詰将棋をやっていると、奇抜な手が多いので、実戦でもついその手の筋を考えてしまいがちだ。w
詰将棋は、将棋の学習としては頭の中で駒を動かす訓練という意味あいが大きい。詰将棋がうまくなっても必ずしも寄せの技術は高くならない。

多くの定跡書は、序盤の手順について詳しいが、寄せの技術に関する本は少ない。
詰将棋の上手い人が必ずしも実戦では、詰将棋ほどにうまくないのは、寄せと詰めが似て非なる技術だからだろう。
必至はまさに寄せの技術の根幹であるが、必至関連の本も少ない。
へぼ将棋は王手ばかりかけるが、将棋とは寄せるゲームだということを最初に教えてないからだろう。w

人間とコンピューターとの将棋を見ていると、ほとんどの場合、人間は一方的に負けるが、この差は寄せの力の圧倒的な差と思う。
一方、コンピューター同士の対戦だと、ぎりぎりの寄せ合いになることが多い。これは棋力が拮抗しているからだ。

寄せあいでは、自玉と相手の玉が詰めろか否かを常に正確に判断しないといけないが、この力がやはりマシンは圧倒的に強い。
終盤では、読みの量と深さの圧倒的な違いが出てくる。何手も先の局面で自玉が詰めろになっているか、相手玉に必至がかかるかなんてのは人間には判断できないが、コンピューターには今の局面も数手先の局面も違いはない。
おまけに人間は、相手の玉の詰めは熱心に考えるが、自玉の状態について考えるのは面倒くさいというバイアスがある。少なくとも心理的にイーブンというわけにはいかない。>これはプロでもそうだろう。w

posted by libertarian at 10:37| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月20日

The end of Shogi

将棋とはいったい何を目的とするゲームだろうか?
もちろん相手の王様を詰ますことが目的、つまり勝利であるが、詰まし方にもいろいろある。ほんとは詰まないのだが、逃げ方を間違えて詰んでしまうケース。
実戦では、これはプロでも頻繁に起こる。本当の詰みとは、どう逃げても応じても詰んでしまうことで、この時、相手の玉は必至の状態である。詰将棋の問題は全て必至の状態だ。(但し詰将棋はどう応じても同手数内に詰むという制約のある作品)

つまり、相手の王様を詰ますとは、相手の王様を必至の状態にするということともいえる。必至の状態にしたとき、自分の王様が詰めろでなければ勝ちである。
自玉が2手隙以上の状態で相手玉を必至の1手隙状態にするのが将棋の正統的な勝ち方である。
そして、相手に手番を渡す。この時、自玉が必至状態で、相手に即詰みがないことを理解したら、最後まで指さずに投了するのがプロの美学だろう。

実戦では、局面が複雑化して、この何手隙かの判断が難しい。
いわば、将棋には、王手という0手隙、詰めろの1手隙、必至の1手隙、その他2手隙以上の4種類があると分類できる。
王手は絶対手だから、必ず応じなければいけない。詰めろの状態に自玉があれば、相手を即詰みにするか、詰めろ回避をしないといけない。必至なら、相手玉を即詰みにしないかぎり投了だ。
序盤中盤終盤といった分類で、終盤は詰めろがかかった状態からと考えてもいいかもしれない。王手は序盤でもかけられるが、詰めろは終盤にならないとかからない。

ちなみに、詰めろと必至は正確には意味が違うので区別しないといけない。
単なる詰めろは、応手によって詰みを回避できる場合もある。必至とは詰めろでかつ詰みをどのように応じても回避できない状態である。
実戦では詰めろと王手をかけて迫りつつ、相手に駒を渡し、詰めろが途切れ2手隙状態になった時に、自分の王様が即詰みになるか、王手と詰めろから必至になってしまうことが多い。
将棋の勉強として詰将棋をやれとよく言われるが、必至の本はそれに比べると非常に少ない。私が思うに詰将棋よりも必至の勉強をした方が、実践的であるし、即詰みの前に必至ありという将棋のゲームの本質の上でもよいと思う。

コンピューター将棋は、詰み発見アルゴリズムで、詰みがあるかは多くの場合で分かるようだが、意外と必至のアルゴリズムはまだまともなものはないらしい。将棋が必至を掛けるゲームであるとするならば、コンピューター将棋に必至アルゴリズムが欠如しているのは、まだ未成熟だということではないだろうか?
posted by libertarian at 20:51| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月19日

Election for the consumption tax 2

昨日、安倍首相が解散総選挙を宣言した。
そのスピーチを見ると、次の点が非常に気になる。

「来年10月の引き上げを18カ月延期し、そして18カ月後にさらに延期するのではないか?」といった声があります。再び延期することはない、ここで皆さんにはっきりと、そう断言いたします。平成29年(2017年)4月の引き上げについては景気判断条項を付すことなく確実に実施します。

安部さんのやることは、やれば100点取れる学生が周りに気兼ねして合格ギリギリの60点の答案を出してくるようなイメージがある。
2017年に景気条項を付すことなく確実に増税を行うということであれば、消費税増税に対する国民の意思を問う選挙でなく、来年予定通り上げるか否かを問うという非常に限定的な意味合いの選挙になる。

おまけに、2017年の景気などまた何があるかわからない。リーマンショックみたいなことがないともいえない。景気判断条項を廃棄するというのは、その点でも大変、危険である。
さらに、思惑通りに消費税延期によって景気が急回復してGDPが急上昇すれば、当然に政府のプライマリーバランスもかなり回復しているはずで、そうすればいわゆる”増税の大義”なるものもほとんど消滅している可能性も大きい。それでも増税ありきというのはナンセンスきわまりない。
だから、自民に対抗するには、増税の無期限延期と減税を公約に掲げればいい。それしか安倍自民に対抗する公約はない。

そもそも本来はプライマリーバランスが回復するまでに、金融緩和と同時に減税を行うべき局面である。
もとより減税という財政政策に優る財政政策は存在しないのである。
公共投資を財政政策と称して、無責任な役人に金をばらまかせれば、今まで通り金をドブにすてるだけである。
財務省は、そのドブに捨てる金を配分するのがその権力の源泉だから、増税にこだわり、財政再建には本当のところは関心がない。
このカルト省庁は、どうにかしないと日本はまた大東亜戦争の時の大本営と同じような狂気の亡国政策を画策しつづけるだろう。

ところで、減税を財政政策の一つとして見るマクロ経済的な観点が、リバタリアンには欠如しているのは問題だ。
リバタリアンは、減税はよいことで、財政政策は悪いものという頭があるが、マクロ経済的には減税とは財政政策である。
財政政策には、個人に金を”残す”方法と、役人に金を一旦集めて、中央集権的に金を使う2つの方法がある。
そして有効な財政政策は、減税政策しかない。中央集権的な財政政策は社会主義同様に必ず失敗する。

posted by libertarian at 22:05| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月17日

Kindle paperwhite

先日、kindle Paperwhiteを手に入れた。
4000円と安かったので、思わずポチッた。
しかし、読みやすさという点では、普通のiPadやアンドロイドのカラー端末で読む方がやはり読みやすい。
白黒のペーパーホワイトは、反応性が劣るし、カラーがないというのは大きな制約条件でもある。
一方こちらのメリットとしては、お日様の下で読む分には、カラー液晶よりはっきり見えること。軽いこと。サイズも小さめな点。バッテリーの持ちも比較的よい。といったことか。
いずれにせよ、この値段であれば、買っても損ということはない。

Kindleは、iPodのようにアルバムを持ち出すのでなく、ライブラリーを丸ごと持ち出せるというのがメリットで、この感覚はとてもよろしい。
将棋の本などももっとKindle化するとよいと思う。
私は、web上のpdf論文などをkindleフォーマットに変換して、kindle上で読んでいる。この機能は非常に便利である。
使い方は、自分のkindleメールアドレスへpdfを添付して変換というタイトルで送るだけ。
これを知るのと知らないのでは、kindleの価値が大きく変わる。
特に英語論文のpdfの場合は、辞書機能も使えるし、便利なことこの上なしだ。pdfはいわば画像のような固定フォーマットなので、pcの大きいディスプレイ上で読むのでさえも少し面倒だが、キンドルの可変的なフォーマットになると非常に扱いやすいわけである。


posted by libertarian at 08:29| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月14日

Bike market and regulation

自転車産業は中小のマーケット規模しか持たない。
これを見ると、国内の販売数は1000万台前後。1台平均3万円と計算して3000億円程度か。
世界全体だと約600億ドルのマーケット規模があり、6兆円程度。

自転車は1990年代にエアロ化が進んだが、その後、UCIという団体が競技でのエアロバイクやエアロポジションを禁止する。
これはヨーロッパの自転車産業を守るのが目的だったようだ。
2000年以降は、バイクのエアロ化の進歩は止まってしまった。

今はヨーロッパの自転車産業もカーボンバイクを作れるようになったし、アワーレコードの規制も最近大幅に緩和せれ、TTバイクによる記録更新が立て続けに起こった。→とはいえ、オブリーやボードマンの記録は抹消されたままで、ボードマンの記録にも届いていない。

競技ではいかなる規制があってもそれはそれでゲームのルールだから構わないが、UCIの動きに自転車産業がそのまま追随することになるのがロードバイクをつまらなくしている。
ミニベロやリカンベントはそういったものと無関係なので自由なのがよい。

ロードバイクはカーボンによる造形上の自由度を得ても、いまだにダイヤモンドフレームなのはUCIの規定によるものだ。
だが、ほとんどの人はロードに乗ってもレースにでるわけではなかろう。
ロードもUCIの規制にとらわれずに、自由な形状の自転車を作ってほしいものだ。
90年代に作られた、cheetahやLotusのようなバイクを今のカーボン技術で復刻させたら面白いと思うのだが、どこかやらないだろうか。
posted by libertarian at 13:35| 東京 ☀| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Election for the consumption tax

安倍さんは解散総選挙をやるようだ。選挙の正しい使い方を知っている。
腐りきった財務省支配を打ち砕くには、こういった選挙システムを使うしかない。小泉さんが郵政選挙をして大勝したように、今回も消費税増税に焦点が絞れるから、大勝するだろう。場合によると、その時よりも大勝する可能性がある。

デモクラシーの最大の武器が選挙システムにあるというのは事実だろう。システムが暴走してどうしようもなくなったら、リセットスイッチを押すしかないのである。
総理大臣には法的な決定を覆す権限は当然ないが、解散総選挙というリセットボタンを押す権限が与えられており、民意を問うことで国の方向を修正するチャレンジができる。
昔は膠着し機能しなくなった腐った体制を変えるには、革命のような暴力的手段しかなかったが、それを法的なプロセスとして制度化したのが近代のデモクラシーの優れた点といえよう。

しかし戦後政治で、このデモクラシーの仕組みが正しく使われたのは、小泉郵政選挙と、今度の安倍消費税増税選挙くらいしかないかもしれない。
マスゴミがどんなにネガティブキャンペーンを張っても、意外と国民は正しい選択をすることが分かったのが、小泉郵政選挙だった。
おそらく、自民は大勝し、安倍政権は安定基盤を得る。
ここで増税派の議員が大量に落選すれば、財務省の息のかかった族議員が失職し、政治の色が一変するだろう。
これによって、増税によって失速し、再度墜落しそうだった日本経済が持ち直せば、財政赤字問題なる偽問題も消滅することになる。

しかしこの財務省という日本最大の利権カルト集団はなんとかならないものか。異常極まりない亡国のカルト集団としかいいようがない。
日銀の黒田も、財務省族だから、基本的に危険人物である。先日の金融追加緩和も遅きに失したものだが、黒田の意図は増税を支援するためだったというトンデモぶりだ。
日銀法の修正も依然として重大な課題だ。

今度の選挙は日本だけでなく21世紀の世界の方向を決めるかもしれないくらいの超重大な選挙になるだろう。
posted by libertarian at 03:11| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月08日

R value

将棋の世界は強い人は若いころから強く、かなりの年齢まで強いままというケースが多い。
大山名人が典型だが、これもコンピューター将棋と同じくR値に換算することはできる。
レーティング値は、若い時点である点まで行き、そこでほぼプラトーになるのであろう。
おそらくA級棋士でRが2800以上くらいではないか?羽生名人がR3000くらいとすると、タイトル独占といったことが可能になる。
そして若いうちからR値が高い人だけが、順位戦のクラスを駆け上っていくことができる。

トップのコンピューターソフトはR3700くらいあるようだが、こうなるといかなるプロでも番勝負で勝つことは無理だ。
人間の棋士は、自分にとって分かりやすい将棋を指すが、コンピューター将棋は、中終盤で自分に分かりやすく指すわけではなく、ひたすら相対的に善い手を探索している。そこが一番の違いだろう。
いわゆる定跡というのも、人間が思考を省略するためのものだ。もはやコンピューターは定跡など必要ともしない。

人間の分かりやすく指す行為とは、複雑なものを単純化する行為だが、多くの場合、単純化しすぎてしまうのだと思う。
コンピューターは複雑なものを複雑なまま処理してしまうのが、人間との大きな違いである。
問題は、人間は抽象化され単純化されたものから学ぶが、複雑なものを複雑なまま処理してしまうコンピューターから学ぶことができるのかという点だ。学ぶ=まねることはほぼ無理だろう。その点、ソフトは人間とは異次元だ。
もしかしたら、コンピューターの評価方法を一般化単純化できるのかもしれない。
ただ、そうしたところで、将棋を指すという行為が、暗算選手権のようなものになるだけかもしれない。

コンピューター将棋ソフトは、人間なら早い時期に到達するプラトーにはまだまだなっておらず、年々R値がうなぎ上りだ。
来年はR値4000超えのソフトもでてくるだろう。
posted by libertarian at 09:38| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月01日

Denousen

本日は電王戦を見て過ごした。3連休は電王戦三昧となる。w
今回、注目はやねうら王だ。
この作者は凄い才能の持ち主のようで、ボナンザ方式が多い将棋ソフトとは一線を画しているようだ。詳しいことはわからないが。

そもそも今の上位の将棋ソフトはR3500以上あるわけで、プロであろうと人間が番勝負して勝てるわけがない。
羽生名人であろうと、ポナンザと7番勝負をすれば、よくても1−4くらいで負けるのではないか。
羽生名人が最強の人類としてもRは3000程度ではないだろうか。かりに3200あったとしてもやはり上位ソフトとは手合い違いということになってしまう。
人間の暗算の達人は確かに超人的だが、コンピューターとは勝負にならないのと同じようなものである。

ソフトの中終盤は、人間の将棋とは異次元という気がする。かつて羽生名人は終盤は誰が指しても同じと言っていたが、たしかに詰みがある局面では正しく指せばだれでも同じだが、ソフトの中終盤を見ていると人間のそれとは次元が違う。目が覚めるような手が連発して面白い。

将棋のようなゲームはアナログな要素が強いと思われていたわけだが、結局のところ、それはデジタルに還元されてしまったということか。
posted by libertarian at 23:43| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする