2014年12月29日

Credit and Cosigner

遅まきながら、半沢直樹をDVDレンタルで観た。
日本のドラマには、アメリカドラマとは違い日本ならではのリアリティがそれなりにあるのがよい。
このドラマでは、銀行融資の実態が描かれている。晴れの日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げるといわれる銀行融資に対して批判的である。
このようなことは、過去のバブルー破綻ー回復ー破綻といった、過去20年くらいの一歩進んで2歩下がるデフレ環境の中で繰り返されてきたことだと思う。これに加えるなら、連帯保証人制度も取り上げるとよかったと思う。
ところで、連帯保証制度は、少し前に改正の話を聞いたが、その後どうなったのだろうか。

基本的にお金はどこにあるのがよいだろうか。銀行の融資業務は、中小企業の経営者よりも経営能力、情報収集能力が高いとドラマでは考えてるようだが、ほんとにそうなのだろうか。マクロにみれば、そうとはいえないだろう。
銀行の本分が融資業務にあるとしたら、経営能力があまりないというのは融資能力の低さと同じで致命的だ。
もし一流銀行の人間が民間の中小企業の社長よりも経営能力があるとするのなら、同様に役所の官僚の方が普通の民間企業よりも先読み能力、経営能力が高いということになり、公共事業や産業政策、しいては社会主義が肯定されるだろうが、事実は決してそうでない。

いわゆる金持ちが金を持つべきなのは、お金の使い方を知っている、経営能力が高い、投資能力が高いといった能力がそこらの銀行員よりは期待できるからである。
おまけに、日本の銀行は連帯保証人制度で、とりっぱぐれがない。貸す側にリスクがほとんど0だから、大した与信能力はなにもないというのが現実だ。この結果が、晴れの日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる銀行融資の実態だ。
日本の銀行に与信能力をつけさせるためには、まずは連帯保証制度の廃止からはじめないといけない。

いわゆるエンジェルの投資は、これと対照的に、貸す側に保証がない分、貸す側の与信能力はかなり要求される。





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2014年12月25日

Rear car

最近、宅配の車が東京の市街地では、自転車が多い。
自転車に大きなリアカーをつけて走っていて、よくみるとアシストがついているものと、ついていないものがあるようだ。
車の駐輪規制が強すぎて、ああなってしまったのであろうか?
自転車選手を目指すなら、トレーニングにもなろうが、結構な歳の人が乗っていると、なんという過酷な仕事だと思わず同情してしまう。

アマゾンの隆盛に伴い、宅配のデリバリー業務は増えているのだろうが、現場はどんどん過酷になっているようだ。
うちにくる宅配の人も、文句を言っていた。

このような物流はもう少し、合理化できないものかと思う。
自分もアマゾンのPrimeで、翌日には配達されるのが便利で、頻繁に利用する。もはや、大型店舗に行くこともあまりなくなった。
少し前なら、ヨドバシやビックカメラによく行ったものだが、最近は行かなくなってしまった。
これらは、ネット店舗もあるので、そちらを利用することはある。アマゾンで買うより安いことはしばしばある。

昔、「ハエ男の恐怖」という空間瞬間移動をテーマにしたSFがあった。これはリメイクもされてThe Flyという映画になった。
リメイク版は、少し現代的になっていて、コンピューターで全要素を分析し、一方で再構成するというような仕組みを謳っていた。
このアイデアは今では、3Dプリンターのようなものがあるから、実現してしまったというべきか。
もちろんThe Flyの仕組みなるものはやはり無理がある。w

このような物流システムは、現代ではまさに先端的な情報システムが使われている。
かなり大規模なシステムを業者は使っているが、現場の末端では、リアカーになるというのが現実なのである。
アマゾンは、ドローンを使った配送など、実験的なことも考えているようだが、これだと少し重いものは運べない。やはりリアカーが最終的な解なのだろうか?

せめて、配送用の自転車は全部、アシスト自転車にするくらいのことはしたほうが良いと思う。
そのうち、配送はやはりロボットカーで行うようになるのではないかと思う。
いつのことになるかは、分からないが。

私が思うには、これほど宅配がふえてくると、受け取り側の仕組みに工夫が必要ということだ。
いちいち、ピンポンを押してハンコだサインだではなく、受け取り側で大きな郵便ボックスを用意しておき、アマゾンへ発注したら、そのボックスのコンピューターに受け取りIDのようなものが自動登録される。
配送側は、バーコードを入れると、自動的にIDが照合され、受け取りしたという証拠になるといった寸法だ。
一戸建ての家なら、そういうスペースもあろうから、可能だろう。





posted by libertarian at 14:52| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Floodgate , evolution of shogi

最近、将棋はみるばかりだが、Floodgateで行われているソフト同士の対戦が面白い。
もはや人類はソフトの将棋には全く敵わないが、このソフト同士の異次元の将棋を見ているとやはりこれは人間が勝つのは無理だと思う。
だが見ている分には、ソフト同士の将棋はとても面白い。プロの将棋がかなりだるく感じられてくる。w

人間的には、ここは飛車をとれば決定的だなと思われる局面でも飛車を無視して別の手を指したりするわけだ。w
自分の棋力が低いこともあり理解できないのだろうが、プロでもこう指すことはまずないだろうといった手が頻発する。
中終盤の複雑化された局面においては、もはや人間はコンピュータの読みを上回ることは無理というものだ。

ソフトの将棋は人工知能の一種であるが、このように人工知能に人類の特技が完全に凌駕されてしまったとき、将棋というゲームはどうなるだろうか。
既にチェスでもそのような状況にあるが、別に機械に勝てなくても、プレーヤーのインセンティブが無くなるということにはならないようだ。
ただ日本将棋連盟のようなある種の興業団体が、プロ棋士を過度に神格化することはもはやできなくなってしまったということはある。w

将棋的思考というのは、0から手を考えることではなく、手筋を沢山知っていて、その手筋を自在に組み合わせる技術にある。
手筋を知らなければ、技術が0だから、ゲーム上意味のあることはなにも考えることもできない。実は、そういったゲームだ。

将棋とは、この技術を競うマインドゲームであるが、ソフトは、人間のように手筋を知っていてそれを組み合わせて”考えている”わけではなく、いわば毎回、手筋に近い変化を毎回発見しているようだ。
いわば、コマの動かし方程度しか知らない技術が0の素人の大天才が、膨大な手筋を自力で発見しながら勝ってしまうようなものか。

もしかしたら、過去の人間の棋譜の機械学習によって手筋のようなものを発見するある種のアルゴリズムがあるのかもしれない。そうだとすれば、技術が0ではなく、めちゃくちゃ技術が高いのがソフトということになろうか。
今後の課題は、機械学習によらずに、自力で手筋を見出すようなソフトの開発なのかもしれない。自立進化型のソフトか。
あのやねうら王の開発者は、そのようなアイデアを言っている。
いろんなソフトを作って、その中で進化させるようなことになるのであろうか。
ソフトの多様性がないと、進化もしないだろう。
Floodgateでソフトはどんどん急速に強くなっているから、ここは将棋ソフトの進化の場のようだ。




posted by libertarian at 11:47| 東京 ☀| Computer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Redistribution of wealth

現代において、右左を分ける論点としては、富の再分配をどの程度にするかが最大論点かもしれない。
共産主義は、完全平等を目指すというトンデモ論であったが、これはもはや終わっており、現代は、再分配をどの程度にするかという程度の問題になっている。
共産主義が、再分配率100%としよう。
一方の極端な考えとしては、再分配は一切するべきではないというものだ。
これは、再分配率0%ということだ。
今は、どちらも採用されておらず、この間の値がとられているわけだ。

ここで混同してはならないのは、再分配と貧困の問題は全く別ということだ。先進国においては、貧困層は100年前の王侯貴族以上の物質的豊かさを享受しているというのは事実であり、再分配問題とは社会内の相対的格差が問題とされている。
リバタリアンは、相対的格差を政治的な問題にするのは間違っていると考えるだろう 。私もそう思う。

だが、私が思うに、これから人工知能化される社会においては、これまで以上に機械から搾取するようになり、機械、システムを持つ数人の人間とそうでないその他全員との格差は、やはり受け入れがたいものになるのではないかということだ。
実際に、機械、人工知能によって人間の雇用が置き換えられていけば、金融政策だけで雇用問題を扱うことはできなくなるのかもしれない。
人類に残された仕事のほとんどはサービス産業のような低賃金職場だけということになりかねない。

SF的な世界では、未来社会が理想的な共産主義として描かれていたりするわけだが、あながち、あり得ない話ではないような気もする。w
100%再分配社会にはならなくとも、来るべき人工知能社会においては、社会の再分配率を高くする方向となるのかもしれない。

posted by libertarian at 10:51| 東京 ☀| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Replace Central bank with Computer

中央銀行制度というのは、おそらく過渡的なもので、そのうちコンピューターで置き換えられるかもしれない。
これは今でもやろうと思えば技術的には十分にできる。
統計データさえ正確にインプットすれば、インフレターゲットをどのように実行するかはコンピューターの方が正確にできるからである。

金融政策に政治性がなくなるほうが、政府の存在は中立なものとできる。
組織としては、統計データを集める部署だけが必要ということになる。
日本の中央銀行、日銀は財務省の下部組織にして、政府のコントロールを一切受けない違法な組織であり、政治的な道具として悪用されてきた。この被害はあまりにも甚大だ。日銀法の是正は未だに喫緊の課題だ。

インフレターゲットの値は政治的なプロセスの結果となるかもしれないが、金融政策そのものは、政治的な権力とは独立した、機械的な作業にしてしまうのがよいだろう。
金融”政策”というよりも、単にこれは通貨発行量を決めるだけの作業に過ぎないからである。
政策性はインフレターゲットの値の決定にのみ存在する。

このような状況になると、どうなるだろうか。少なくとも市場は中央銀行の発表に右往左往することはなくなるだろう。
また市場はコンピュータ化された金融政策の裏をかくことができるだろうか?
裏をかくとは、矛盾を突くことなので、アルゴリズム化された金融政策の裏をつくのは難しくなるのではないか。




posted by libertarian at 10:13| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月23日

STAP and Media Lynch

今年、最もいきどおりを感じた出来事は、STAP騒動だ。
マスゴミによる重大な人権侵害犯罪により、優秀な研究者を自殺にまで追い込み、NHKをはじめとするマスゴミは謝罪どころか、まだ、STAPの犯罪なるものを喚きたてている。
今のマスゴミの40代は学校でいじめが流行った世代で、それを大人になっても繰り返しているのだろう。

ネットで調べると、ほんとに愚劣ないじめ記事だらけであきれる。小保方さんも、ほんとに自殺しかねないから、誰かがケアしてあげなければ危ない。こういうマスゴミによるメディアリンチは、ネットによって、増幅される。
このようなメディアによる違法な人権侵害をどうして放っておくのか理解に苦しむ。
これで、日本の科学界も大きな打撃をこうむった。科学の自由も正統性も踏みにじられた格好だ。
理研の対応もあまりにも悪かった。
現代のマスゴミに対する危機管理ができていなかったのだろう。
またマスゴミのような巨大メディアによる重大な個人への人権侵害が司法の場で断罪されないことも今後に残る問題だ。

ネットで見る限り、武田邦彦氏が一人、STAPの研究者を全面的に擁護しているが、武田氏の見解が正論だ。
ここから引用→
すでに示したように主犯NHKの犯した反社会的な行為は、次の5つである。

1)STAP論文の記者会見を大げさに報道して有名にしておいて、後で叩くという「マッチポンプ報道」をしたこと。

2) STAP論文の主要な著者は4人なのに、小保方さんだけに焦点を当てて批判を展開したこと。完全にNHKの判断で「良い人、悪い人」を分け、著者の中でも恣意的に区別を行ったこと。

3) STAP論文にネットで疑義が出されると、「意見が異なる両者」の意見を比較して報道するのではなく、放送法4条に違反して「疑義を言う人だけの言い分を報道する」という放送法違反の報道をしたこと。

4)理研の調査委員会が結論をだし、論文が取り下げられたのに、特定の個人(笹井さん、小保方さん)の的を絞った批判の報道を続けたこと。

5)取材に当たって小保方さんに2週間の怪我をさせ、女子トイレに閉じ込めたこと。個人の私信であるメールを公開したこと。

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今回の事件では、日本人の民度の低下というものを感じざるを得ない。

posted by libertarian at 00:39| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月22日

Rock Bottom Economics

クルーグマンのコラムから抜粋。


”最近の経済論争でもっとも驚くべきことの一つは、自分の経済理論が現実と照らし合わせて間違っていたことが明らかになったにもかかわらず、あくまで間違いを認めようとしない頑なさが、いかに広くはびこっているかということだ。間違いから学ぶなんてことは期待することもできない。アメリカ議会で新たに多数派となった知的リーダーたちは、相変わらずわれわれはアイン・ランドの小説の世界に住んでいると主張している。ドイツの役人たちは、今でもなお、問題は債務者が充分に苦しんでいないことだという主張を続けている。
こんな状況では、先行きは暗い。権力をもつ人々が知らないこと、そしてさらに悪いのは、自分たちが知っていると考えているが実際には知らないということが、必ずやわれわれを傷付けるからだ。”

この原文は以下にある

クルーグマンの文章は、やや屈折しているが面白い。

自分も長いことマクロ経済を全然知らないで、アメリカ共和党保守寄りのリバタリアンの主張ばかり読んでいたから、かなり間違った経済的主張を信じていた。
お恥ずかしながら、それは別に理解を伴っていたわけではなく、実証的に考えていたわけでももちろんなかった。
ここで、クルーグマンがアイン・ランドの小説の世界に住んでいると主張している人たちとは、まさにアメリカのリバタリアン寄りの保守派のことだ。
彼らは、子供に借金を残すなという形で、政府赤字を批判してきた。
彼らにとって財政赤字=大きな政府という意味で使われている。

リバタリアンと言っても、ミーゼス、ハイエクのようなのから、ミルトンフリードマンまでいろいろな人がいて、主張はかなり異なる。
しかしミーゼス、ハイエクといったオーストリアンリバタリアンの経済学は、相当におかしい。それは科学の体裁をなしていない。
実証性がほとんどなく、哲学的な論に終始している。
論理的にはある種の分かりやすさがあるが、反証性に乏しい哲学となっている。
複雑な事象を、哲学的に考えることは膠着的な思考に陥り、現実が見えなくなるだけだ。

リバタリアンと言われる人の中でも、フリードマンの経済学はオーストリアンとは全く異なる。
経済理論的にはフリードマンのようなリバタリアンしか生き残らないだろう。

今のシステムを前提にものを考えれば、金融政策の政府の重要性は極めて高い。
財政政策は、基本、減税政策の形で行うべきだが、実際に税を集めている以上、財政政策をやらない=緊縮財政をとることは、社会を窒息させるだけの結果になる。もっと現実をみる必要がある。


posted by libertarian at 07:13| 東京 ☁| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Uncalcurable Risk

リスク計算は、損害*発生確率のようなもので定義されているが、この発生確率の前提となるのは正規分布である。
しかし、ある事象が正規分布であるかどうかは、普通は分からない。
ほとんどの事象の母集団の分布は未知である。だから、リスク計算はほんとはできないことの方が多いのである。
適当に正規分布という前提をおいて発生確率を推定しているだけだろう。

今は多くの分布がベキ分布であることが分かっているし、このような場合のリスク計算はできない。
おそらく、株式市場だけでなく地震などの天災も、発生確率は正規分布ではない可能性が高い。
ここは、確証がないが、データがないので自分にはなんとも判然としない。

原発事故のようなものも、ほんとはリスク計算はできないだろう。

リスクというのは、そのような客観的なものでは必ずしもなく、主観的な個人の自由の領域にある。
そして、それでよいと思う。
ダメなのは、いい加減なくせに客観的であるかのように振る舞ってリスクがどうのこうのという連中である。

世の中には、こういうのが多い。そういう連中が勝手に株式市場で損するのは構わないが、無責任なことを社会問題に関して言うのは大いに間違っている。この典型が池田何某みたいなバカである。w
posted by libertarian at 00:42| 東京 ☀| 原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月21日

Drop Handle

自転車に乗っていると、まだまだ改良の余地があると感じる。
しかし、たかが自転車とはいえ、一から自作するのはかなり敷居が高い。
いろんな工具が必要だし、溶接にいたっては、普通できないだろう。w
そこまでするのは、ホビーユースでは、どうしてもコストベネフィットが合わない。

最近、特によくないと感じるのは、ロードバイクの定番ともなっているドロップハンドルだ。
これもいろんな形状があるにはあるが、私はドロップハンドルは間違っていると思う。
スピードを追求するロードバイクならば、トライアスロンバイクのエアロバーみたいなのが良い。ドロップは合理的でないが、おそらくUCIの規定でドロップハンドルを使えとなっているのであろう。

ドロップハンドルの最大の欠点は、大して空力がよくなるわけではないのに、視界が物凄く悪くなることだ。どんなに首をあげて上目にしても悪くなるものは悪くなる。視界が悪くなることによる安全性の低下は致命的である。
レースならいいが、一般的な使用には全く不適切である。
ドロップハンドルに最適化したSTIレバーもよくない。
Diのように変速機を電動化するなら、エアロバーのようなものでこそ意味があるだろう。

自転車業界というのは、市場規模的には中規模なのだろうが、あんまり進歩のない業界である。
ロードバイクの世界はUCIというオリンピック委員会のような怪しい団体が仕切っているようだが、実にくだらない。
一般市場的にはミーハーな連中がほとんどだから、スター選手にあこがれて同じバイクが欲しいといった程度のニーズばかりなのかもしれない。w

自転車というのは、筋力があれば瞬間的には50−60kmh出せても、長時間の巡航となると、平坦な無風条件でせいぜい頑張って平均30kmhが限界だ。ロードバイクもママチャリで走るのとあまり変わらないといえば変わらない。w
軽量なロードバイクは、あまり風圧が高くならない25kmh位までの加速感で有利だろうが、それ以上になると風圧が相対的に大きくなりすぎて、効率ががくんと低下するのである。


posted by libertarian at 23:26| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月20日

Unstable World

最近感じるのは、昔、20−30年前に比べて今はかなり不安定な世界になったということだ。
私が若かったころは、冷戦時代であったが、冷戦時代はミアシャイマーの言うとおり、理想的な安定状態であった。
安定のピークが過ぎ、今はかなり不安定さが増してきているのであろう。

要するに、世界のバランスオブパワーがかなり崩れ、変わりつつある。
ロシアの凋落とシナの台頭がこの原因だ。シナの経済が危機に陥ろうとも、シナ共産党がなくなろうとも、シナの経済発展は長期的には変わらないはずだ。
シナの経済発展を阻止することはできないし、できたとしてもするべきではない。

ここにミアシャイマーのいうところの悲劇の可能性が出てくるわけだ。
セキュリティのジレンマを克服することはおそらく無理で、SFちっくな社会となった現代においても、数百年前と変わらない衝突が起こるだろうという結果になる。過去の冷戦は、イデオロギーの対立として喧伝されたが、そうではなく単にSecurityの問題としてあった。

私の生きている間にシナとアメリカの衝突が起こるかどうかわからないが、衝突が不可避としても、そのあとどうなるのか気になるところだ。
軍事的な衝突は長くても2−3年しか続かない。シナとアメリカが冷戦のような均衡状態が続く可能性はどうなのか?

シナに関しては、共産党が潰れる可能性はたしかにあるだろうが、むしろ、まともな民主主義国になれば経済成長は加速し、シナと米の衝突の可能性は上がるということになる。
シナはイデオロギー的に対立する悪の共産主義独裁国家だから危険で、シナ共産党が潰れればセキュリティの問題がなくなると思っていたら大間違いなわけである。


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posted by libertarian at 11:12| 東京 ☀| Politics | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

National Security

今回の選挙で、自民が再任されたわけだが、自民に巣食う増税勢力もほとんどがそのまま残ることになった。
大義のない選挙といったマスゴミによるネガティブキャンペーンが張られたこともあるが、今一つ増税問題が焦点にはならなかった気がする。
今後は、増税先送り法案が提出されることになるのであろうか?
「経済成長なくして財政再建もなし」といった、もっと分かりやすいスローガンの立て方もあったろう。

政党の主張を見ていると、政治の領域というのは、曖昧なものだという気がする。
例えば歴史認識問題は、政党の主張となりうるのだろうか。
次世代の党のような、歴史認識を問題にする党が壊滅したわけだが、これは文部省の教育問題であり、外交の問題であったりするわけだが、それをどうするのかという政策がなければ意味がない。

中央政府の役割としては、金融、セキュリティ(国防、外交)の2つ位しか、実際はないだろう。
日本がおかしいのは、金融に関して、日銀に異常な独立性を与えてしまっていることと、セキュリティがタブーになっている点だ。
ちなみに軍事とかいった表現よりも、ナショナルセキュリティという言葉を使った方がよいと思う。
軍というと、戦車や戦闘機、戦艦といった旧いイメージがあるが、セキュリティの領域は今はもっと拡大している。
映画など見ていると、冷戦時代と違って、敵となる脅威は個人であり、テロリスト組織だったりする。
先日観た「007 スカイフォール」では、007が旧い存在になった哀愁が描かれているが、実際は、映画のとおり、旧くなったのではなく、セキュリティの領域が拡大しただけだ。
これらに対するセキュリティは国家と国家の戦争ではない。問題は戦争ではなく、セキュリティである。

PCにセキュリティが必要であることは、今では誰でもわかっているだろう。同様に国家はセキュリティ機能を持たなれば、PC同様にすぐにやられてしまうわけだ。

仮にデモクラティックピース論の唱えるように、経済相互関係を深めることが、軍事的衝突の可能性を低めるとしても、セキュリティの問題は、経済だけで置き換えるわけにはいかない。
そもそも隣国をいわゆるデモクラティックな国にすることなど、どんな大国にも無理だ。
アメリカはイラクをデモクラティックピース論に基づき、いわゆるまともな民主制度国家にしようと軍事介入したが、できなかった。
国家とはシステムであり、システムにセキュリティの問題は付き物であり、避けて通れないわけだ。


posted by libertarian at 10:27| 東京 ☀| Politics | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月15日

Communist Party won

選挙結果では、自民が議席を293から291に2つ減らした。
共産党が20と大躍進。今回の増税を焦点にした選挙で、増税を延期でなく止めるといった共産党に票が流れた感じだ。
投票率が低かったこともあるが、共産党の大躍進は、増税は延期でなく、中止すべきだという主張が支持反映されたとみるのが自然だろう。

結果的にデータ予想は、あまり当たらなかったような気もする。w
この結果が増税にどういう影響があるのかはよく分からない。自公で議席は+1しか増えなかった。
共産党が躍進したことから、増税は延期ではなく中止だというお告げが汲み取られるかどうかは微妙かもしれない。

やはり、安倍さんが増税延期するが2017年に実行すると確約したことで、自民の票が伸びなかったのは間違いない。
増税はやめるか、実行するかの2分法にしなければ、焦点としてぼける。
漁夫の利を得たのは共産党ということになった。
共産党は共産主義を完全に捨てて、自民と連立したらどうだろうかw

posted by libertarian at 02:05| 東京 ☁| Politics | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月14日

Mearsheimer

ミアシャイマーが来日している。私も時間と気力があったら講演を聞きに行こうかと思っている。

ミアシャイマーの理論は、複雑極まりないと考えられているものを、ごく単純なファクターだけで分析する点でラディカルだ。
私も昔、中学くらいのころか、歴史の授業で、歴史とは所詮、戦争史のようなもので、戦争は国力のような要素で機械的に解釈できるのではないかと考えたことがある。ミアシャイマーは、そういう誰でも思うかもしれない発想を実際に理論として纏めた人物といえる。

ミアシャイマーの本は、ほんとにあっけらかんとするほど論旨明快だ。w
話を難しくして、高尚に見せようというよくある本とは正反対で、複雑に見えるものをどこまで単純化し抽象化できるかがその方法論となっている。

ミアシャイマーのリアリズム、オフェンシブリアリズムは、デモクラティックピース理論とは対立する。
多くのリバタリアンも、おそらくはデモクラティックピース派であろう。

私は、どっちが正しいかはあまり興味が無いというか、どちらもありだという気はしている。
こういうものは世界政治、世界史をどう見るかという問題だ。

デモクラティックピース理論のようなものは、おそらくこの100年程度の期間のサンプルしかない。
リアリズムは、もう少し長い観点から、デモクラティックピースの反例を見出すようだが。

ただ思うに、デモクラティックピース理論は、政治的に利用される一種の理想を反映していることは間違いない。
世界を民主化していけば、戦争が減るというのは、理想的なスローガンになる。
だが、スローガン性が先にたつと、それは学問ではなくなる。
ミアシャイマーのリアリズムでは、政治におけるイデオロギー的な対立を消去して考える。大国の行動原理はほんの数個しかないというのが、ミアシャイマーの説だ。
彼からすれば、デモクラティックピース理論は、政治スローガンの一種なのだろう。




posted by libertarian at 11:17| 東京 ☀| Politics | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Candidates

映画「立候補」を Gyao の無料放送で観た。

なかなか面白かった。非常によく出来たドキュメンタリーだ。
言っている内容はともかく、泡沫候補は陽のエネルギーがある人達とは感じる。w
というか、集団に埋もれて安心するタイプとは正反対なのだろう。
リスクテイカーは、必ずしも合理的な人間ではないが、非合理な人間ではない。



posted by libertarian at 10:38| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月12日

Exploit Machines

人間が機械を利用するとき、人間は機械をある意味、搾取しているともいえるかもしれない。
昔の西洋社会は奴隷を使役させ搾取していたが、産業革命以降、機械が普及することで奴隷の経済性が劣ってきて、奴隷があまり必要でなくなったということもあるらしい。
洗濯機やブルドーザーや工業機械は、擬人的でないから搾取という感じがないが、これがロボット、AIになると搾取している感が出てくる。
工業用機械はメンテも必要で、道具と言った方がよい。

しかしAIとなると、人間様にしかできないと思われてきた事をずっとうまくやるようになる。AIはSiriみたいに擬人的な存在にもなる。
これは道具を超えたもので、人間は機械からより多くのことを搾取できるようになる。
搾取は適切な言葉でないかもしれないが、要するに人間がやっていた労働を機械に肩代わりさせることができるようになる。

レイ カーツワイルが予測する2029年のシンギュラリティが来た場合だが、AIの意識とか感情といったよく取り上げられる問題はあまり興味がない。こういったものはそもそもその定義が明確でないため、どうとでも議論可能だろう。
私が関心があるのは、人間の知能を大幅に超えてしまうというマシンは、未解決の数学問題を解くことができるだろうかということだ。

今でも、Mathematicaとか数式処理ソフトはあるが、それと証明はまた別だ。
未解決の問題の証明でなくても、ユークリッド幾何学の証明問題でもいい。
こういったことが、特別なプログラムをすることなく、マシンが勝手にできるようになったら、ほんとに人間のすることはなくなる。w

チェスでアドバンスドチェスという人間とコンピューターがタッグを組んで、戦うゲームがある。提唱者はあのカスパロフらしい。
電王戦でも同じようなことをやっているが、プロ対プロでやるのではなく、プロ対アマでやらないと意味がない。
アドバンスドチェスでは、プロとマシンのチームよりも、アマとマシンのタッグの方が良い結果になることも多いらしい。
人間が下手に考えるよりも、マシンの手を考えずに選ぶ方がよいということか。

ここでは、人間の知性が邪魔になっているわけである。下手に考えるよりも、機械任せのほうが効率がいいということになる。
こうなると大学のような専門教育の意味はますます希薄化していくかもしれない。

こういう人工知能の社会を描いたSFとしては、昔の手塚治虫や、藤子不二雄のマンガが素晴らしい。
来るべき人工知能社会を適切に描いているようにも見える。

私が思うに、未来社会では人はどんどん働かなくなるのではないかということだ。
今、教育期間が長くなっているのも、要するに働かなくてもよい期間が長くなったということの裏返しだ。昔は機械から搾取できなかったから、丁稚にでたりして子供のころから働いていた。
機械が進歩するにつれ、人間が働くトータルの量はどんどん減っていくのではないか。
優秀な人ほど忙しいというのはおそらく事実だが、普通というか特に優秀でない人は働かない期間がながくなっていくだろう。
そうなると、暇を持て余すことを心配するかもしれないが、AIは、最高の奴隷として、人を退屈させたり孤独を感じたりしないように尽くしてくれるのだろう。

とはいえ、そうなると人間はどこでお金を手に入れるのかというのも素朴な疑問として残る。
グーグルのようなAI企業ばかりが儲かるようになるのであろうか?

社会的に人間とは財産権をもつ存在であり、逆も真なりで財産権をもたないものは人間とはみなされない。
奴隷は財産権がないから、人間とはみなされていなかったということである。
犬や猫、牛も羊も財産権がないから人間ではないのだと言っても間違いではない。
もし、彼らに財産権があれば、ほとんど人間様と待遇は変わらなくなることは間違いない。w
共産主義社会では、財産権を認めないから、国民全員が国家という得体の知れない存在の奴隷になるという悲惨なことになった。実際、人間扱いされなかったのである。ロシアでもカンボジアでもシナでもそうだ。

ロボットも財産権がないから、どんなに優れた知性を持っていても、人間ではない。チューリングテストに合格しようが財産権がないと人間ではない。チューリングテストに合格しない人間もいるだろうが、彼らが社会的に人間であると認知されるのは、財産権があるからかもしれない。

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Reducing Tax

今回の衆院選挙では増税の延期が焦点ではあるが、増税の延期ではなく、停止がよいこと、さらには減税がもっとよいことは言うまでもない。
増税の延期というのは、焦点としては確かにインパクトがない。
減税をぶつけてくる野党があれば、よかったがないようだ。

と思っていたところ、こないだ郵便入れに投げ込まれていた、幸福の党のパンフレットに目を通したところ、消費税を5%に戻す減税が謳われていた。
怪しい宗教団体と思っていたが、意外と言っていることはまともである。w
教祖がちゃんと高橋洋一氏の本を読んでいるらしい。w

しかし、公約というのは民主党が破りに破ったから、公約に対する世間の信頼度はもはや0であろう。
このことは、もっと問題にしないといけない。公約とはどれだけ拘束力があるものなのか法的にも怪しい。公約を担保する法律などないだろう。約束とか契約は重要なものだが、それを政権政党が無視する慣習があっては話にならない。

だから、日本の政党の公約というのは、約束でも契約でもなんでもない、全く無意味なものになっている。
これでは、選挙の意味も薄れてくるわけだ。


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AI car and her

電気自動車とは、コンピューターとソフトの塊だが、今のガソリン車もソフトの塊で、開発費で一番大きい部分はソフトだと聞く。
そう聞くとそうかとは思うが、車種毎にソフトを作っているわけじゃないだろうから、なんでそんなに開発費用がかかるのが不思議な感じもする。
ソフトベンダーにぼられているのではないか?w

電気自動車は、ガソリン車と違って大きなバッテリーを積んでいるから、コンピューター置き場としても優れている。w
近い将来、自動車はロボット化されたものが実用になるだろう。家庭へのロボット導入は車が最初になるのではないか。
車が巨大なスマホのような存在になっていくだろう。車に乗ることは、車のAIと対話する場になるのだろう。
ルンバの普及よりも、AIロボットカーの方が先になるかもしれない。w
車の中で、人間はAIに包まれ、最大限に尊重され、最高のアドバイザー兼、召使をもつようになるのではないだろうか。

こないだherという近未来のAIを描いた映画を観た。PCやスマホでAIのOSと恋愛するというお話だった。
だがインタフェースが、PCやスマホでは面白くない。
私は車がそういうAIに包まれる環境を提供するようになると思う。

ところで、AIはどこにあるのかという問題というか疑問点がある。今のイメージではAIはクラウドの中の超巨大スーパーコンピューターの中に存在するのだろうか。
いわゆる分散か集中かという問題だが、herのOSはクラウドにあるようだ。
だが、コンピューターの性能がこのまま向上していけば、中央のクラウドにおかれたスーパーコンピューターは必要なくなる。
分散化された形にまた戻るのではないか。

herでは、クラウドにある一つのAIのOSが複数の人と恋愛するのが、嫉妬というか複雑な気持ちを主人公に起こさせるわけだが、人工知能が分散型になれば、アイデンティティの問題で混乱はなくなる。w

分散と集中はサイクルのようなものがあって、時々の経済性と合理性で選択される。別にどっちがいいという問題ではないが、ことAIに関してはアイデンティティと絡んできそうだ。

posted by libertarian at 09:45| 東京 ☁| Tech | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Copy rights and The Net

日本のインターネットは接続環境、スピード、品質は抜群によいと思う。
だが、コンテンツに関しては、アメリカに比べて問題がいろいろとあるようだ。
DVDレンタルでは、日本ではツタヤがあるが、Huluの登場で苦しそうではあるが、Huluのコンテンツはいろいろと制約があるようで、配信が遅いし、あまり内容の変更がない。
アメリカのネットフリックスは、月に7.99ドルで、新しいものも見放題らしい。ドル120円とすれば、Huluとほぼ同じ値段か。
こういったサービスが日本にあると、ツタヤは苦しくなるだろう。

キンドルもアメリカでは、定額払えば、なんでも読み放題というサービスがあるらしい。日本のキンドルにはない。
これができれば、日本の本屋は全部潰れそうだ。

アメリカのビジネスモデルは著作権の縛りがあまりないような展開だ。一方、日本は著作権に雁字搦めでやってきた。
私はソニーがiPodにウォークマンの領域を占領され、ネットに対応できなかった一つの理由として、知財に対する物凄く慎重な態度が裏目にでたものではないかと思える。

アメリカのネット関係のビジネスモデルでは、グーグルにしても著作権などの問題で潰されなかったのが幸いであった。
これはグーグルの不思議の一つである。むしろグーグルがフェアユースの範囲を拡張することに成功したのか。
これはコモンローの国の強みなのかもしれない。

日本は、先進国の中でも著作物のフェアユースを認めていないおそらく唯一の国で、著作権法がインターネットビジネスの障害となっていることは依然として大きいだろう。

スマホというかiphoneが2007年に登場して、世の中は突如としてSFの世界に突入したわけだが、SFの世界には描かれていない知財の縛りがネットビジネスの障害となっていると思われる。

posted by libertarian at 09:19| 東京 ☁| Tech | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月07日

Stop raising Tax

各党の公約をみると、維新の会は、増税凍結を謳っているようだ。電力自由化、原発フェードアウトなども私の考えにマッチしている。
維新の会も、分裂等あり、分かりにくいが、一応、公約的にはよいことを言っている。
次世代の党も悪くはないのだが、経済政策が弱点だろう。維新と似ているところもあり、維新をより保守的にしたという感じだろうか。
民主、公明、共産は論外だが、第3極が議席を失うだろう展開は確実と思われる。私はいままでの第3極の票は自民に流れると思っているが、どうだろうか。

意外と、安倍さんが増税派だと誤解している人間が多いのには驚かされる。全く正反対だが、TVでそういう誤解をさせるような報道をしているのであろう。
安倍さんが増税の延期を言っていることから、結局増税する増税派という理解らしい。w
私も確実に17年に増税するという発言はいぶかしんでいたが、ここは政治的な駆け引きがある部分のようだ。リアルポリティックスでは駆け引きが重要だ。
高橋洋一氏によれば、いざとなれば、その前に衆参ダブル選挙で再び増税問題を問うことができるということらしい。

とはいえ、安倍さんは小泉さんより穏健で、郵政選挙の時のように自民党内の対立を明確化するようなことをしていないから、あの時ほど、焦点は鮮明化されていないのかもしれない。

しかし、政党政治というのは、無理矛盾のあるものだということは感じる。
論点が多岐にわたると、政党内部でも意見の分裂要因になる。憲法問題、防衛問題、経済問題といったものが、一つのロジックでつながればいいのだろうが、そうはならないようだ。

日本の政党はけったいな状態にあり、民主のような左派政党が左派政策である雇用政策を全く理解せず、反左派的な政策をうたっている。その点、共産党は増税凍結を謳っているものの、共産主義社会というのは本来税が100%の社会ではなかったのという矛盾がある。w
もはや、左派はイデオロギー的にも存在理由がない。
また自民と第3極の違いは、あまりない。イデオロギー的な違いはそんなにない。
今後は左右のイデオロギーは対立軸とならず、むしろ歴史認識問題のようなものが対立軸になるのかもしれない。

投票率が低いのは、普通、投票行動にインセンティブがないからだが、今回の増税問題がちゃんと焦点として認識されていれば、投票にインセンティブが働く。民主が増税推進であることが広く理解されているとすると、議席を落とすはずだが、どうだろう。
理想的には、自民が過半数を確保し、民主が壊滅し、第3極が伸びることか。
ただし自民内部にも増税派は多い。自民党増税勢力、谷垣のような連中が落ちれば、プラスマイナスがあり、トータルで自民がそれほど票を伸ばすことにはならないことになるのか?

小選挙区で自民増税派議員が落選すれば、比例復活しても発言力は弱まるから、こういった連中に天誅が下ることを期待しよう。
小選挙区では、候補者個人の考えを、増税問題に関して確認するくらいのことはしておいた方がよいかもしれない。

いずれにしても、今回の選挙結果は極めて重要なものになる。
良い結果(→自公過半数、第3極健闘、民主壊滅)になることを期待したい。

posted by libertarian at 23:43| 東京 ☀| Politics | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2029

レイ カーツワイルが、シンギュラリティがおこる予想時期を2045年から2029年に早めたようだ。
あと15年。今の進歩からすると、ほんとにそうなるのかもしれない。

コンピューターが職を奪うことは、すでに現実のものである。
コンピューターが自然言語に対応できるようになると、今後さらにそれは加速するだろう。
それはここ数年で加速し始める気がする。

マインドアップローディングとかトランセンデンスとか、宇宙派、地球派といったオタッキーな話はあまり興味がない。
むしろ、この問題は労働問題そのものだ。何故、経済学者はこの問題を真剣に考えないのだろうか?
別の仕事が生まれるから、それをやればいいというのは、あまりにも安易な考えで想像力が欠如している。
労働問題は富の再分配問題でもある。

理系の人間は安易にコンピューターが万能な神のような力を持てば、コンピューターに計画経済をやらせればいいとすぐに考える。
こういうナイーブな非経済学的思考を正すのは、やはり経済学者の役割であろう。

技術の進化を止めることはできないし、ラッダタイトも無理である。
今、起こりつつあるコンピューター失業もしくは、求人の減少にどう対応するかだ。
肉体労働が機械に置き換えられ、多くの人はサービス業などに移ったのだろうが、今度はナレッジワーカーの番である。

こういった社会の本質的な変化は、革命のような政治的騒動よりもはるかに深い事件である。

posted by libertarian at 12:44| 東京 ☀| Tech | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする