2015年08月29日

Racism

欧米の歴史とは、キリスト教をベースとした宗教戦争の歴史だ。宗教戦争は、異教徒を殺し、それもできる限りの苦痛を与えて殺すのがセオリーであった。
このような戦争を欧米のキリスト教世界では1000年以上も行ってきたわけだ。そして、航海技術が発達してアメリカ大陸や南国の島へ行くようになってからは、現地人を異教徒以上に残虐に虫けら以下の存在として殺戮の限りを尽くしてきた。
これが驚くべきことに19世紀くらいまでずっと続く。ほんの、つい最近までだ。
20世紀の1945年に日本に落とした原爆は、その集大成のようなものといえよう。

問題は、今では人権だ、差別撤廃だといったスローガンはあるにせよ、こういった遺伝子レベルで染みついているだろう欧米の人種差別意識はあまり変わっていない可能性が高いということだ。
つまり、単に裏と表、本音と建前で綺麗事を言っているだけの可能性が高い。
遺伝子レベルというのは比喩だが、キリスト教が未だに広く信じられている世界で、こういった虐殺の論理はキリスト教の中に内在した論理であると思われる。
それが、最近のものにすぎない政治スローガンごときでなくなるとは思えない。
アメリカのイラク侵攻であっても、そこには宗教戦争、人種差別偏見の匂いがする。
敬虔なキリスト教徒が多い南部ほど、人種差別が未だに根強いのはこのことと関係がある。

連中は、長い植民地政策の経験から、劣った原住民をmanipulate する技術を発達させてきた。
日本に対して行われた占領政策、War Guilt Information Program(WGIP)もその一つだ。こんなものが、一朝一夕に用意できるわけはない。

先日、「日本人を狂わせた洗脳工作」(関野道夫)を読んだが、これは、アメリカのWGIPの公式文書を発掘した本だ。その1次資料をみると、露骨にそのコードネームも、War Guilt Information Program そのままだ。
WGIPは江藤淳氏が「閉ざされた言語空間」で発表したが、その一次資料が行方不明で、存在について疑義を唱えられていたらしいが、それを発掘したものだ。
薄い本だが、読む価値の高い本だ。おすすめだ。

これと同様のことをブッシュのアメリカはイラクに対しても行おうとしたわけだ。
ここに、アメリカの宗教的に狂った熱情を感じるわけだ。
劣った原住民、異教徒をmanipulate できるという人種差別意識は未だに根強い。
このブッシュという南部出身のいかれた大統領は日本人のことを日常的にジャップと呼んでいたそうだ。
基本的に欧米のRacismはなくなってなどないし、これは我々日本人が直面している大きなリスク要因だ。

デュランれい子だったか、東南アジアで若い女性から真顔であなたのマスターカントリーはどこかと聞かれて驚いたという話がある。マスターカントリーとはご主人様の国とでもいったとこか。
今の日本人はマスターカントリーがアメリカだとはさすがに思っていないだろうが、未だにWGIPの言語空間にあることは間違いない。これを打ち破るにはメディア改革が手っ取り早い。
これは、電波割当の競争入札制度にするなどの制度改革で容易に実現できるだろう。
日本の既存大手メディアに与えられている特権は法外なものであり、これを叩き壊さなければはじまらない。
posted by libertarian at 22:38| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

China shock

株が最近、大きく下がったようだが、これが良いとか悪いとかいう記事をよく目にする。
だが、思うに株の上がり下がりは、下がることで儲かる人もいるので、基本的には上がろうが下がろうがニュートラルだ。信用取引で株を買う人と、現物で株を買う人との区別はなく、同様に、信用取引で売る人と現物を売る人の間にも違いはない。
信用取引がなければ、売りから入って下落で利益を得る人はいないから、株の下落には損失しかないように思ってしまう。おそらく株式の下落が損失でしかないと思っている人は、株式市場が現物取引だけでなりたっているとでも思っているのだろう。

ただ、企業にとっては、株の下げはやはり問題で、それは企業経営に影響を与え、しいては実物経済に影響を与える。結果的に雇用などに大きな影響を及ぼす。
そういった点では、株の下落は喜ばしいことではない。
もっともこれだと株の下落が雇用悪化の原因のようだが、株はもっと根本的な経済の変化予測に反応するパラメーターにすぎず、経済が悪化するから雇用が悪くなると解釈すべきなのだろう。
そもそも株の変動は大きいが、それは短期的には企業の業績の変動とは無関係だ。
そして経済の変化はマクロに評価するしかない。

私が思うに、今回の下げは、チャイナショックの予兆的な一波で、本格的なクラッシュと下げはこれから起こる可能性がある。そうなると、今回の下げが小さな波にしか見えなくなるだろう。リーマンショックの時と同じだ。
実際、チャイナショックは起きても驚くようなことではない。
起きないと思うほうが、根拠なき楽観だろう。w

だが、その時、大事なのは高橋洋一氏が再三指摘されている通り、金融政策を間違えないことである。
株式市場の変動は、マーケット参加者トータルではプラマイ0であり大した問題ではないが、金融政策を間違えると酷いことになる。

今回の状況から、アメリカは利上げ時期を期限を決めずに延期するのは確実だろう。アメリカのFRBはもはやそういった間違いは犯しそうにない安心感がある。しかし、黒田日銀体制にはまだあまり安心感がない。w
そしてシナは、もっと利下げをする可能性も高い。
基本的に今回のシナの利下げは、アメリカが利上げをする(金融引き締め)という観測の中で、それと連動してシナが金融引き締めを行ったら、ただでさえも不穏なシナのマーケットがクラッシュするのは確実だから、シナがあらかじめ金融緩和の姿勢を示したものと思える。だが、もはやシナはそういった金融政策だけでマーケットクラッシュを防ぐことができるのかどうかという状況なのだろう。

過去のマーケット危機では、その度に固定相場制から変動相場制に移行する国を生み出してきた。
例えばイギリスであっても1992年のポンド危機で管理相場制(ERM)から変動相場に移行したばかりだ。
おそらく、来たるべきチャイナショックは、シナがドルペッグという固定相場から変動相場に移行する引き金となるのかもしれない。





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2015年08月24日

Security doesn't bring peace

セキュリティとは、一定の安全をもたらすが、別に平和をもたらすものではない。
安全と平和は別物である。
軍事といった言葉はやめて、セキュリティという言葉で正しく国防なりを語る必要がある。
もとより、国防とはNational securityのことである。
平和という概念には意味がない。戦闘がなくても、リスクのない状態は存在しないからである。
リスクがあって、セキュリティがある。戦争と平和ではなく、Risk and Securityだ。

日本もセキュリティの観点では核システムの保持は不可欠な状況である。アメリカがそれを認めないわけだが、日本に核が使用されても、アメリカが核兵器で報復することもあり得ないわけだから、日本は独自に核を持たないといけない。
10年前なら、シナや北コリアの核能力も低かったから、特に必要なかったわけだが、状況は急速に変わった。
アメリカの核では日本への抑止能力として不十分である。フランスのドゴールがいった通りである。
セキュリティとは、状況に応じて対応を変化させなければいけない。
アメリカは日本に核をレンタルするべきである。

そもそもシナや北コリアには、国軍がない。シナは共産党というマフィア組織が支配する地帯であり、北はシナのはぐれものの舎弟だ。シナの軍隊は、中共という山賊の支配する私設軍隊にすぎない。
北も全く同様。シナや北コリアを国と呼んでいるから勘違いするのだ。

ISIL は国家ではないから、イスラム国という言葉を使ってはいけないとか言ってる連中は、シナや北のことをなぜ国と呼んでいるのか?シナや北が国家なら、ISIL,イスラム国も国家である。
つまりは、これら無法地帯を国家と呼んではならないのである。

歴史的に言っても、シナのような無法地帯が国家になる可能性はあまりないと思う。
逆に言えばシナが国家であったことは未だかつてなかった。中原を支配するギャング団が入れ替わり立ち替わり支配する地帯にすぎなかったわけだ。
シナには未だかつて法の支配があったためしはなく、ギャング団のみかじめ料、所場代を民衆から取り立てるだけの官僚組織があっただけだ。
posted by libertarian at 23:23| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Dead or Slave,Defeat means slave

日本の自称リバタリアンの連中など、私からみれば、連中はただの変形左翼にすぎない。
これは、池田信夫みたいなどーしようもない連中のことである。

ネットにいる自称リバタリアンの連中も所詮は変形左翼にすぎないということを私はよく知っている。
共産党よりのリバタリアンもいれば、ヒッピーよりの自称リバタリアンもいるということで、どちらも私は全く認めていない。日本のミーゼス崇拝者も同じである。連中は経済も数学も分からないただのバカである。w
つまるところ、日本にリバタリアンと言える人間は悲しいかな私しかいないということなのである。(爆

自分をどう呼ぶかは勝手なので、別にどうでもよいが、日本の自称リバタリアン達が変形左翼にすぎないのは悲しい現実だ。このままだと、共産党が日本リバタリアン党と自称する恐れもすらある。w
どうすれば、本当のリバタリアニズムを日本人に広めることができるのであろうか?
別に広まらなくてもいいのだが、あまりにも低レベルすぎて話にならない。w

リアリズムとリベラリズムにしても必要条件と必要十分条件の違いがわかってない。
貿易や交易が平和的な関係の必要条件であったとしても、それは必要十分条件ではない。
では、なにが必要十分条件なのかは、リアリズムもリベラリズムもわかっていない。ただ、どう対応するべきかという点で、リアリズムが正しいのである。
貿易が大事なのは自明だが、経済的相互主義そのものはセキュリティの代わりにはならない。
誰もなにが平和の必要十分条件かを知らない。
戦争か平和の選択ではない。セキュリティとは相手のアナーキーな暴力に敗北するか否かの問題だ。

デフレが正しいなどとほざいているバカどもは相手にしてもしょうがない。
彼らはただバカなだけだ。オウムの主張にいちいち相手などバカバカしくてだれもしない。w
しかし、こういう連中は単にバカなだけでなく、極めて有害だ。

政府の存在もそれ自体は大した問題ではない。70年前の日本人が対峙したのは、欧米のキリスト教価値観からくる人種差別問題だった。この問題に対して日本は戦争には敗北したが、論理的には勝利した。

日本でもっと理解されるべきなのは、ミルトンフリードマンやその息子、デイビットフリードマンの考えかただろう。彼らのことを帰結主義だなんだといっても、帰結主義の意味が理解されていない。
posted by libertarian at 04:52| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月21日

Wider-area local government system

素朴な疑問として、日本の旧大蔵省はなぜこれほどに権力があるのであろうか?
財布のひもを握っているからだというのは、当たり前のような理由だが、アメリカの財務省がこれほどの権力を持っているという話は聞いたことがない。
一つに連邦制が理由で、アメリカの場合、予算配分権力が連邦政府に集中しているわけではなく、各州に財政権力が分散されているためなのかもしれない。
しかしスイスでは一時期、自治体間でのTax competition が問題になったが、アメリカではそのような話を聞いたことはない。実態はどうなのか?

アメリカのような連邦国家と、EUのような体制の違いもはっきりしない。
アメリカの各stateは、独自の憲法、法律、独自の軍隊も保有する主権国家であるが、通貨発行権はない。この点、EUの各国と同じだ。分かりやすい違いは連邦憲法に相当するものがEUにはないことだ。
EUは経済的な統合であるが、統一の連邦憲法に相当するものはない。
ちなみにアメリカの各stateが軍隊を持つのは主権国家だからだろう。w

日本はやはりその経済規模に対して、中央集権が強すぎるのは事実だ。
依然として後進国的な中央集権体制をとるのは、その経済規模に即していない。
そのくせ、政府にとって一番肝心の軍事に関しては政府の役割があいまいだ。
本来、中央集権化の目的は軍隊の一極集中化にあった。
そもそも日本は軍隊がない前提で議論するのをいい加減やめないとはじまらないわけだが。

昔、大前研一が言っていたように、ある種の連邦制、道州制のような仕組みはやはり必要なのであろう。
日本の地方自治体の条例は法的位置づけもいい加減で、意味がない。
そのため、憲法に抵触するような条例を平気で作る。地方議会に法的な専門能力がない。
アメリカの場合、法律家が多いのは、国=州の数が多いからということもあるのだろう。
州ごとに専門の法律家が必要だ。

道州制については維新の橋下氏も言っていた。地方自治体の統廃合はすでに進んでいるようだが、これをもう少し大きなビジョンで加速する必要がある。
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2015年08月16日

63 years from the San Francisco treaty

安倍首相の70年談話を読んだ。
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html
安倍首相としてはかなり妥協が入っている文章なのは分かる。

実際はサンフランシスコ講和条約が1952年でその時、正式に戦争は終わった。
だから実際は、2015年は戦後、63年が正しい。

一般に70年前、80年前の世界が今とどれほど違っていたかは、なかなかイメージしにくい。
当時は、国と言えるような国はアジアにはなく、ほとんど東南アジアは植民地支配で分断化された”地帯”でしかなかったし、ほとんど唯一、日本が独立国家として欧米に対峙していたくらいだ。

人を人とも思わない欧米の人種差別感情は当たり前のものであったし、世界は今よりもはるかにアナーキーで暴力に満ちていたと言えるだろう。
しかし世界はアナーキーであることは、本質的には今も何も変わっていない。
今もロシア、シナ、朝鮮といった”無法地帯”に日本は接しているわけで、実に危険な状態だ。
ロシア、シナ、朝鮮といった山賊が支配する無法地帯からの、アナーキーな脅威は高まっているわけだ。

80年前の日本はアメリカ型のactiveなリスクコントロールをしようとしたわけだ。当時、日本は日英同盟を解除してしまっていたのが壊滅原因だった。日英同盟による集団安全保障体制を維持していれば、大東亜戦争の悲惨な結果はなかったろう。
日英同盟を破棄したことで孤立し、”個別的自衛権”で脅威を積極的に単独排除しようとしたのがまずかった。
当時も今も個別的自衛は禁じ手なのだ。個別的自衛権の単独行使はあり得ないという前提が共有されないといけない。

軍事的なパワーバランスが崩れることで戦争は起こるわけだからパワーバランスの維持が平和を維持する必要条件となる。そしてパワーバランスは1国で個別にバランスできるものではないから集団的な安全保障体制でバランスを取らなければいけない必然がある。イギリスでもアメリカでもどこでもそうだし、その状況は今も昔も変わらない。

その点、日本は日露戦争を個別自衛で戦い空前の大勝利を収めたから、集団安全保障の意味を忘れていたのかもしれない。自分らだけで自衛できるといった自信と気概がありすぎたのが敗北原因だ。もっとも日露戦争の時は日英同盟があったから、イギリスの間接支援はあった。
日本はアメリカとの集団安全保障同盟なしでは存続できない国なのであるから、これを強化しないといけないのは自明である。より具体的にはアメリカの持つ核兵器の存在によって、今までなんとか日本はパワーバランスを維持してきたわけで、もしアメリカが弱腰になれば日本が核を保有しバランスしなければいけないのも自明なのだ。アメリカはそれは出来ないから日本とは永続的に集団安全保障体制を維持しようとするだろう。

当時ロシアの工作員が日本で自由に活動していたように、今はシナの工作員が日本に大量に入り込んでいる。
日本のメディアはそういった勢力に乗っ取られているようなものだから深刻な問題だ。
メディアの論調があまりにも低レベルすぎて信じがたい。日本の大手メディアはほぼ全て反日勢力という異常な状態がいつまで続くのであろうか。このままでは、日本本土が沖縄化するだろう。
posted by libertarian at 08:18| 東京 🌁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月13日

Class

今の社会はリベラリズムが教条であるから、クラスなる差別的なものは原則否定される。
しかし、社会において上下の関係はどこにでも必ずあるし、上下の違いは存在する。
契約関係に基づく上下関係もあるが、契約関係のない上下関係もある。そこが重要なところだ。

実際のところ、左派こそが、単一の価値観に基づく上下関係を欲する連中である。
人間関係の基本はクラスにある。
年齢によるクラス、実力によるクラス、これら諸々のものを前提として社会関係というものは成り立っている。
クラスは必ずしも上下の貴賎を意味するものではない。
だが、リベラル連中はこれがわからない。連中はバカだから「違い」を差別=悪だと言うわけだ。
恐るべきことにリベラルはこのように学校教育でも教えている。

社会において大事なものはクラスなのだ。誰も自分より低いクラスの連中と対等に接しようとは思わない。
だから同類でグループを作る。古今東西、社会はクラスで構成される。
逆に言えばクラス以外のもので構成される社会はあり得ない。
そこにあるのは、自生的なものであり、外部の権力がどうこう横槍を入れるべきものではない。
世の中に法的権利の平等があることは認めても、それ以外の対等関係は存在しないと認識しないといけないわけだ。
posted by libertarian at 04:41| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Benefit of computer

コンピューターの性能は向上し続けるし、ソフトもどんどん進化する。
これによる利便性の向上は何を意味するのだろうか?
正直なところ、体感的にはそれほど大したことはない。
人間にとって、最大の希少性はお金ではなく時間だが、コンピューターは利便性の向上と引き換えに時間を消費している感がある。
一方で利便性が向上するほどに、コンピューターに投資する時間は増大していく。
そういったコンピューターへの時間投資は注意しないといけないものであろう。
もっと別の事に時間は投資した方が満足感は高い場合が多い。
コンピューターをSNSのようなコミュニケーション手段として捉えると、それは電話と大した違いはない。
電話の方が充実したコミュニケーションになるかもしれない。
気軽さというのが罠で、気軽なものにあまり価値がないのだ。
しかし、利便性の向上は気軽さの向上に結びついて、それにのめり込むようになる。
価値の低いものに、のめり込むようになる。
コンピューターは利便性の高い道具ではあるが、その利便性に飛びつかない方がよい。
大事な事は自分にとってなるべく価値の高いことに時間を投資することである。
コンピューターはそれを使って何か価値あるものを作り出す道具としてつかわないといけないが、そうして価値のある何かを作ると他人の時間を無駄に消費するのである。w

posted by libertarian at 04:20| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月10日

Jim Rogers is just a trader

ジムロジャースの雑誌記事を読んだ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44481

ロジャースはいまだに投資で成功しているようだ?が、投資に成功していたとしても別に正しい経済理解をしているわけではないという見本だろう。
しかし、ロジャースは自称リバタリアンであり、こういった経済に関する意見を持っているリバタリアンは多い。私も以前はなんとなく、こういった考えが正しいと思っていた。w

成功している投資家が正しい経済理解をしているわけではないし、正しい経済理解をすれば投資で成功する可能性が高くなるわけでもない。
それは、別物なのである。
とはいえ、ロジャースの言っていることも半分くらいは正しそうだ。
ロジャースはファンダメンタルズ投資をしているから、経済分析はいろいろとしていて、現状認識は適切であることが多く、そのため投資で成功できているということなのであろう。どのくらい成功しているのかは分からないが。w 一度運よく大成功して、大金を手にしたら、その半分投資に回し、半分は手を付けないでいたらそれだけで一生贅沢に暮らせるわけで、その後の投資パフォーマンスがどうであれ、成功した伝説の投資家として暮らしていけるわけだ。w

投資家には経済について一家言持つ人が多いように思うが、大体怪しい床屋談義に過ぎない。
投資家やトレーダーにとっては投資で儲かればいいのであって、国家や経済は自分とは関係のないことだからだ。
ロジャースもただのアメリカ人一相場師に過ぎない。いや、ただの投資家というよりは、かなりの曲者と見るべきだろう。
投資で成功したいからと言って、ロジャースの経済床屋談義まで信じてはいけないということだ。



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2015年08月07日

Apple Music

Apple Musicのお試し入会をしたが、そのまま忘れて全く使っていなかった。
しかし、昨日、色々と試してみたら、これは非常に強力なサービスだとわかった。
ほとんど、ありとあらゆる曲、古今東西の曲がなんでも聞ける。月に980円の定額だから、輸入版のCD1枚買うより安い。

今までは、気に入ったアーティストのアルバムを買って集めたり、レンタルにあれば借りたりしていた。
しかしレンタルCDはメジャーなものしか置いてないから、買わないといけないことが多い。
また、cdは溜まる一方で、よく聞くCDとほとんど聞かないCDに分かれる。

今はネットラジオ局も数万局もあり、ジャズでもジャンルごとに細かく専門化して配信をしている。
気に入ったのがあれば、アマゾンで検索して購入したりしていたが、apple musicに入れば
その必要もない。アルバムを丸ごと聞けるからだ。

音質は、まあまあというべきか。そんなに良くはないと思われるが、悪くはないだろう。
音楽もやはり時代性があって、昔新しく感じたものもすぐに古くなる。
コンピューターなどの機器がすぐに旧くなるのと近いかもしれない。
当時、先端的なものと感じたものこそ、廃れて旧く感じるようになる。

ネットラジオは、古いのからコンテンポラリーなのまで集めているから、飽きない。
音楽もどんどん若い才能、天才が出現してくるし、アレンジも洗練されてくる感じがある。
音楽も5−6年位前のものだとコンテンポラリーと感じるが、10年経つと旧いなと感じることがある。
やはり、新しい音楽を聴くのが楽しい。

今は音も映像もアップコンバート技術が当たり前になっている。dvdをフルハイビジョンでみても綺麗なのはアップコンバートのおかげだ。これを早い時期に普及させたのは、おそらくPS3だろう。
pcオーディオの音がいいのも、このアップコンバートのおかげと思われる。
普通にCDを聞くよりも音がよくなるのは、不思議といえば不思議だ。

やはり自分の好きな音楽は、自分で発掘しないといけない。昔はこの手間が大きかったし限界がかなりあったが、今は容易だ。そのうち、映画なんかでも、こういった定額配信でなんでも観れるようになるのだろう。
HULUとか今でもあるが、音楽ほどにたくさんの作品に自由にアクセスはできない。
本もそうすればいい。

しかし、音楽や映画は楽しむのにも時間がかかるから、どんなに沢山あっても、アクセスできる時間が限られる。昔の方が、音楽を聴いてる時間は長かったが、同じアルバムを何度も聴いていた。
レコードは高価だったし、試聴も簡単ではなかった。FMファンとかの雑誌でラジオ番組をチェックしてテープに録音するくらいであった。
だが、時代的なものかもしれないが、昔の方が音楽は熱心に聞かれていたと思う。
今はテレビ番組でも歌ものはあまりなさそうだ。昔は歌番組ばかりだったが。
posted by libertarian at 06:30| 東京 ☁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月02日

Theory

theory,セオリーという言葉の意味は、なかなか難しい。
ミアシャイマーなどが、自分の説をmy theory、my theoryと呼ぶのに違和感を覚えていたが、〜説は、〜セオリーということなのか。
セオリーは実証されない段階でも、セオリーではあるということか。
私の感覚では、ある程度、実証されたものがセオリー、理論で、その前の段階のものは〜説とするのが正しいと思っていたし、今でもそう思っている。実証がともなっていない理論は、仮説の段階にある。

だから、ミアシャイマーのセオリーは、ミアシャイマーの説だ。
歴史的なバックテストに合格したから、ミアシャイマーの説は、theoryと言えるかといえば、それは無理だ。
英語には、このような言葉の使い分けがあまり厳密にないのか?hypothesisは、もっと狭い範囲の、限定的な仮定のイメージだ。これを説とするのもしっくりこない。

歴史的なバックテストは、何重にも難しい。あまり昔だと正確な記録がない。記録が残っていなかったり、残っていても勝者の歴史で改竄されていたりする。また記録があっても、数字がない。そもそも正確な統計数字などは、せいぜいこの100年くらいしかない。記録しか手がかりがないが、記録を検証する手段がまた他の記録しかない。
国際政治や地政学、また経済学の問題は、理論の歴史的な検証が困難かつ怪しいところにある。ある程度、フォワードテスト、つまり予想が当たればよしとするのであろうが、それもかなり限定的になる。
だから世の中には怪しいtheoryや、怪しい証明が溢れているわけだ。

そもそもニュートン物理のようなものを理論とするのであれば、社会科学の理論など理論と呼ぶのもおこがましい。ニュートン物理の衝撃とは、この世の中、この世界に理論が存在すること、そのものだった。当時それは神の存在証明として受け入れられた。
ニュートン以前に理論があったのかは分からない。
ギリシャ時代に理論があったとは思えない。数学はあったが、数学と理論とはまた別だ。
theory,theologyは同起源の言葉なのだろうか?
昔はニュートン教なんてものもあったらしい。w

ニュートン以後は、逆に理論なるものが溢れてくる。説と呼ぶならいいが、理論と呼ぶのは問題があるようなものが多い。説と呼ぶと、簡単に相対化されてしまうので、theoryだ理論だというのであろうが、やはり、理論ではなく説というべきである。

それでもマクロ経済学などは、ミルトンフリードマンの大恐慌研究以来、歴史的な実証をちゃんとしようとしてきた。それが、バーナンキなどのマクロエコノミストの業績で、仮説を実証して理論にまで高めようとしてきたのが偉い。この100年のことでも、数字は簡単に手に入らない。
もとより、実験科学でも数字を手に入れるのは非常に大変だ。一つのデータを手に入れるのでも、大変な労力、時間、お金がかかるのが普通だ。


posted by libertarian at 10:54| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする