2015年11月29日

Jutu

天地明察に出てくる和算の問題は、幾何の問題であったが、私はこれが出てきたとき本を閉じて自分で解いてみた。計算間違いをしたが、わりとすぐに解けた。算額の問題はもっと高度なものかと思っていたので、ブルーバックスの”算法勝負!「江戸の数学」に挑戦”という本を借りてきた。
幾何の問題を5問ほど解いてみたが、問題のレベルとしては中学生でも数学がうんと得意な子なら解けるだろう問題かもしれない。知識としては三平方の定理を知っていれば解ける問題だ。だが、意外と計算は複雑で、私は例のごとく計算間違いをした。江戸の数学定理を前提として使えば、スムースに解ける問題もある。

、、などと舐めていたら、後半の問題はかなり難しい。
江戸の和算のレベル、恐るべしである。

算盤も、昔小学生の頃に授業であったが、完全に忘れていたので、「そろばん入門」という小学生低学年向けと思しき本を借りてきて、そろばんの仕組みを調べてみた。
そろばんは、まさに術、計算術というべきもので結構難しそうだ。
例えば10−1といえば9だとすぐにわかるが、そろばん的には、この解法プロセスは1段階ではない。
これを動作として瞬間的に行えるようにするのが、そろばん術とみた。
数字を数字としてみるのでなく、動作に還元するのである。
そろばんを頭にイメージする、日本の暗算術は驚異的で、おそらく世界一だろう。
江戸の日本は算盤は基本科目であったが、庶民のほとんどが、そろばん術を使えた日本というのは、おそるべき国である。現代の人間よりもはるかに計算力が高かったろう。

今は術という言葉はあまり用いられないが、江戸の和算は全てなんとか術という呼び名がある。
忍者の術のようでエキサイティングである。技術とか定理とかいうよりも術という言葉を使ったほうがいい。

江戸では読み書きそろばんが必修で教えられたが、今でもこれで十分だと思う。
現代の学校のような強制収容所に子供を押し込めるより、寺子屋のようなところで読み書きそろばんを本人のペースで教えていれば十分なのである。
現代的には小学校までで、そろばん術と、速読術と、記憶術を教えればよいと思う。
これらの術を使えば、あとは世に本がいくらでも溢れているのだから、自分で勝手に興味のあることを学べばいいわけだ。

もっと言えば、今後AIのようなものもが発達してくるほどに、こういった術の価値はむしろ高まるかもしれない。
術とは、知的と思われている脳内の作業を動作に置き換えるものとすれば、これはコンピューターの内部動作に近い。コンピューターは知的ではないが、ある種の術を使っているわけだ。そのマシンがあたかも知的な動作をするようになる。
人間も頭でっかちに考えるのではなく、体を使った動作が知的であるという価値を再発見するのではないか。
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2015年11月28日

Other peoples affair

一旦戦争になるとあまり詳しい戦争の情報というのは報道もされないようになる。
思い出してもこの30年の間に湾岸戦争、イラク侵略戦争、アフガン紛争などといろいろあったが、戦地の情報はあまり報道されていなかった。ベトナム戦争の頃よりも戦場報道というのは少なくなっているのではなかろうか。
今のシリアにしても、実際の状況はほとんどわからない。誰も戦地には行かないし、現地の住民であっても状況は自分の住んでいる周辺くらいしか分かっていないのではなかろうか。全く把握できていない可能性もある。
これは一つに戦地の状況が軍事秘密とされているからという理由もありそうだが、実際の地上戦では指揮官といえでも戦況の確認は非常に困難で、自分らが勝っているのか負けているのかを把握することが一大テーマとなるらしい。広範囲で戦っていれば、自分の被害はある程度把握できても相手の被害までは正確にはわからない。実際は勝っていても劣勢と判断するリスクもあるし、逆のリスクもある。
ここら辺は、将棋も同じで、優勢か劣勢かを判断するのは余程、形勢に差がついていない限り難しいのである。

シリアでIS側を1万人空爆で殺戮したというのはアメリカ軍による正式報道だが、あまり関心をひかず、同情も起きていない。実際はISの戦闘員以外にも現地の人も相当の数、虐殺されているはずである。
空爆で戦闘員だけピンポイントで殺すことはできないし、いわゆる軍隊の形式をとっていないISが戦闘員だけ1カ所に固まっているとも思えないからだ。

一方で先日のフランステロのようなものは詳しく何度でも報道される。
そこで、120人程度が殺されたフランステロにはやたらと同情的なコメントが溢れるが、シリアのどこかで空爆によって1万人以上殺されたと聞いても、あっそうで終わるのが世論というものだ。

わからないことはいろいろとある。アメリカがアサドをデモナイズしてアサド政権を、イラクのフセイン同様に倒そうとしている理由も定かでない。これら両名は汎アラブ主義者であったが、それがけしからんということなのか?どこかには書いてあるが、それを私が知らないだけなのか?

戦争にデモナイズはつきものである。アサドもISもデモナイズされているが、空爆で数万人一挙に虐殺する欧米側が冷酷で残虐でないとでも思っているのであろうか。
イラク侵略の際のサダムフセインのデモナイズも相当なものであった。これはハリウッド映画で悪役がまず最初に非道な殺しをし、それを主人公が後で殺すことに正当性を与えるというおきまりのパターンである。

アメリカもネオコンというキリスト教福音派の原理主義者が闊歩していたときにイラク侵略戦争を起こしたし、ロシアはもともと共産主義原理主義であるし、フランスも社会民主主義の国である。中東が原理主義者の騒乱の場となってきているわけだが、そもそもが一神教は原理主義なのである。

この中で一番の劣勢に置かれていた原理主義がイスラームだろう。
イスラーム原理主義には、今までのイスラームの穏健な考え、つまり、汎アラブ主義のような世俗主義をベースとしたアラブ国家の統合みたいなものは全くダメという認識がある。世俗的でリベラルなゆるい支配による、真綿で首を締められるような完全な敗北という状況から抜け出せないわけだ。
その点、ISはカリフ復活を謳うことで、イスラームの本質的な問題、もしくはビジョンを世に問うたという点で画期的な存在といえる。国家の統合ではなく、イスラームの家の再建というのがそのビジョンだろう。

今までの中東のわけのわからないゲリラ的な紛争ははたから見て全く意味がわからなかったが、ISはビジョンと大義を明確にしめしたといえる。
昔と違って、中田考氏のような本格的なイスラム原理主義者、もといイスラム法学者が日本にも登場したお陰で、イスラームの考えそのものがある程度、わかる状況になってきたことも自分的には大きいかもしれない。w
この点、池内恵とかいう若手の中東研究家とかがもてはやされているようだが、私はこういった人間はあまり評価しない。国際関係やイスラームを論じるにはあまりに未熟な印象がある。

イスラームが良いとか悪いとか部外者が言ってもしょうがない。そもそもそんなものを深く理解するほど誰も興味も時間もない。これは他宗教、キリスト教にしてもヒンズー教にしても同様だ。
イスラームの律法主義が部外者からは奇異なものに見えたとしても、ムスリムがそう思わないのであれば別にどうでもよいわけだ。
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2015年11月25日

Don't take any part in Syria

パリのISによる襲撃事件を、フランス首相が戦争だと言ったことは、ISが国家であることを間接的に認めたことになるかもしれない。戦争とは国家対国家の行為だからである。
これは、ISという国家の完全殲滅を意図する総力戦になる。
すでに半年くらい前にはIS側を1万人以上抹殺したという攻撃があった。一挙に1万人の人間を殺戮するのはかなりの虐殺である。

日本の立場を考えれば、日本は国防上、national security上の最適な方法は、この件に関して一切の不関与を明言することだ。そもそも、これはイギリス、フランス、ロシアとアラブイスラームとのサイクスピコ以来の因縁の戦争であり、日本には全くなんの関係もない。下手に欧米について日本がテロに巻き込まれたら元も子もない。
これは南シナ海とは全く別の文脈の戦争だ。
この件に関しては集団自衛も関係ない。これはこれらの国がずっと前から関与している代理戦争だからである。
日本はISはテロ集団で国家とは認めないという立場を貫き、国家間紛争に巻き込まれないようにすることだ。
フランスがISとの戦争をいうのは、これは集団的自衛の範囲だとしたいからだろう。
日本は中途半端に欧米を支持して関与し、テロを受けないようにすることが国防上大事な点である。
日本政府はシリア紛争に対して人道支援を含めて一切の無関与を宣言せよ。

ISが領土征服を行っているのは、領域国民国家の形態を目指しているからではなく、単なる戦略的な手段にすぎないだろう。一つはサイクスピコの国境の実質的な否定であり、一つは欧米との国家間戦争という形にしようということだ。フランス、ヨーロッパはこの挑発に乗った形だ。
そして、フランスの行動で漁夫の利を得たのはロシアか。親アサドのロシアと反アサドのフランスが手を組んでISを討伐することはロシアとシリアに利する結果になる。

ISに加入するものが増えているというが、ISには加入するのではなく、おそらくこれはバグダッディをカリフと認めるということなのだろう。つまり、IS支持とバグダッディをカリフと認めることはイコールなのではないか。領域国民国家を作らなくとも、バグダッディをカリフと認めれば、ISというイスラームの家は広がるわけだ。このように精神的な宗教上の契約がISの実態だとすると、ヨーロッパにいるムスリムは潜在的にISの予備軍となる。となると欧米は移民拒否どころかムスリムの排斥運動になっていくだろう。

誰もシリア戦争の戦争目的など知らないし、実際それはあってないようなものだ。
フランスは弱小国なくせに大国意識が強く、中東に対する昔の植民地利権が手放せない。こういうものに巻き込まれないようにするのが国防の基本というものだ。
posted by libertarian at 08:08| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

Wasan ;Mathematics of Japan

江戸時代というと、時代劇のイメージ程度しかなかったが実に興味深い時代である。
江戸を理解する上では、その科学技術を知ることは極めて重要なことだ。
特に和算がいかに深く広く日本で発展していたかを知ることが肝心だ。

天地明察という小説で、江戸の和算の文化が描かれているが、関孝和のような大天才もおり、かなり高度な和算が一般に浸透していた。当時の人にとって和算は実用的なものであり、かつパズル的な娯楽だった。
だが日本中の藩に和算家がたくさんいて、そのおかげで各地で極めて高度な土木計算もできた。
当時日本の数学者の数は世界一だったろう。
もちろん、誰でも読み書きそろばんができ、識字率はほぼ100%近かったようだ。
士農工商は身分制度だと今まで学校では教えてきたが、これは身分制度ではなく単なる職業区分であった。
だから寺子屋では士農工商の子供が一緒に勉強していたらしい。

関孝和は17世紀前半ですでに行列式を発明し、ベルヌーイ数を発見し、微分積分をも発明していたというのは知っていたが、渋川春海の改暦に噛んでいたことは天地明察を読んで初めて知った。
日本は鎖国をしていたからある意味、学問や和算もガラパゴス的な進化を遂げたようにみえるわけだが、江戸時代は当時でも世界一の鉱業国であり、その文化レベルも世界一だった。

こういう現実を知れば、黒船が来て、すぐに同じものを作ってしまったというのは不思議でもなんでもない。
江戸では技術開発はなんでも許されていたわけではなかったが、高度な和算と工学技術があった。
ニュートン力学も蘭学として17世紀には伝わっている。
日本人は手先が器用で好奇心が旺盛だから汽車も黒船も作ったというのは表層的な間違った理解であり、高度な和算の技術が広く普及しており、高度な工業技術力があったから、一旦作ろうと思えば、やすやすと可能だったわけだ。それまでは車のような技術開発は禁じられていたから作られなかっただけだ。

悪しき日本の戦後教育のせいで、日本という深い歴史と文化をもつ世界最古の文明国にいながら、その価値に多くの人は気づいてない。そろそろ日本人は日本の歴史と文化に対する敬意を持たないといけない。
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2015年11月17日

President and Emperor

China2049を読むと、アメリカの支那に対するシンパシーというのは似た者同士だからということがわかる。
というか、お互いに似た者同士であることは自認している。

アメリカは、ヨーロッパから遅れてきた植民地帝国主義国家であるが、第1次大戦前までは、ただの冴えない新興国であった。植民地はヨーロッパにほとんど取られていたから介入することもできず、奴隷を自国内にさらってきて、自国内で植民地と同じような収奪経済を作っていた。しかし常に侵略と植民地を奪う機会は伺っていた。

アメリカの特異性は良くも悪くもその連邦憲法にあり、特に大統領の権限がヨーロッパに比べて特異だ。
アメリカ大統領はローマ皇帝に近い存在で、元首であり軍の最高司令官であり、内政に関してはそうでもないが、外政、戦争に関しては圧倒的な権力を持っている。
アメリカは建国当初からローマ帝国をイメージして作られていた。議事堂などもローマ建築風に作られた。
イギリスはパワーバランス外交をずっとやってきたが、アメリカ大統領はイギリス首相とは違ってローマ皇帝だから、パワーバランスなど鼻から無視するわけだ。ヨーロッパではローマからイギリス型の帝国まで1000年くらいかけたわけだが、アメリカは一挙にローマにまでロールバックしてしまう存在であった。当然にウェストファリア秩序なんか最初からくそくらえと思っていた。

そもそも国とは集団的安全保障のための体制であるから、日本以外の普通の国では軍事セキュリティに関する権力の制限はないのである。そしてアメリカの場合は、大統領に対し特に戦争権限が強く与えられおり、戦争行為に相当することを議会の承認を全く得ずに勝手に行うことができるようになっている。

この最悪の例がFDルーズベルトであった。
当時、ルーズベルトが議会の承認を得ずに、秘密工作なりに使えれる資金は今の金額では100億ドルレベルあったらしい。それを使ってルーズベルトはやりたい放題、秘密工作ができたし、密約外交もやりたい放題であった。密約外交の内容も議会には知らせる義務がなかった。
あのハルノートの存在すらもFDRは議会に対しずっと隠し通したのである。議会がハルノートの存在と内容を知ったのは2−3年経ってからだという。その時、議会もFDRに騙されていたことがようやくわかったのだが、時すでに遅しであった。
そして戦争に勝てば大統領の支持と権力を大きく高めるからアメリカの大統領にとって戦争に対するインセンティブは非常に大きい。こういう理由による戦争へのインセンティブは歴史上、大国には常にあるだろう。

未だにアメリカ大統領の戦争権限を制限する仕組みはない。開戦にかんして議会の事後承認を得なければいけないという決議はFDR以後にできたが、これはその後の大統領に無視され続けている。というのも、これは議会決議であって法律ではない。そもそもアメリカの連邦議会にはそのような法律の立法権限が憲法上ないからである。このことは憲法を大きく変えない限り、今後もアメリカ大統領の戦争権限を制限することはできないということだ。

大国は大国であるから弱小国と戦争をすれば容易に勝てる。そして勝つと大統領の支持は圧倒的に高まる。だが、ただの暴力だと体面がつかないのでいろいろと工作をして因縁をつけるわけだ。米西戦争もハワイ侵略もフィリピン侵略も太平洋戦争もそうやって行われた。こういった工作を大統領が合法的に秘密裏に行えるのである。議会承認義務もなく自由に使える資金もふんだんにあり、それを制限する仕組みはどこにもない。

アメリカ大統領が現代のローマ皇帝だとすると、支那中共はやはり古き中華の皇帝といったところか。
元や明、清と今の支那中共は同じだろう。基本が何も変わらない。
皇帝の君臨する国というのが両者のよく似ているところで、この2つはどちらもヨーロッパ近代以前の存在といえるわけだ。
posted by libertarian at 02:17| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月15日

Asymmetrical War

フランスで同時多発テロが起こった。
ISが犯行声明を出したので、おそらくISの犯行なのであろう。
高度な計画性があるということは、背後に組織があるということだ。
これをテロとはいうが、いわゆる非対称戦争でありつまるところ戦争だ。
そして、これはイスラームから見れば、ジハードだ。国家間の争いが戦争だとすれば、イスラームにいわゆる国家はないから、戦争ではなくジハードということになる。

フランスは歴史的にも現在も中東紛争の最大の当事者国であり、シリア紛争に大きくコミットしているから、ISに狙われているわけである。
ISを国と認めようが認めまいが、フランスとISは戦争状態にあるわけだから、ISの攻撃はやはり戦争の一環と見ないとおかしい。テロといえば国内法で裁かれる犯罪行為というニュアンスだが、むしろ戦争法規で裁くべきものだろう。

もとより、こういった戦争、もしくはイスラームからすればジハードなるものは、あの中田考氏の解釈によるとイスラームの教えから外れた行為であるらしい。
シャルリーエブドの際は言論の自由という論点であれこれ言われたのがミスリーディングであった。
そもそもムハンマドの顔を書くのはダメだというイスラームの禁忌のようなものはコーランになく、イスラームではより広く動物一般の像を描いてはいけないということがハディースにのみ書かれているらしい。しかし、これには解釈の余地がいろいろとあり、実際は、イスラームの中でもムハンマドの像は普通にあり、別に問題とはされていないそうだ。

シャルリーエブドの問題の本質は、ムハンマドの姿を描いたことではなく、預言者を侮辱したことにあるのである。そして預言者に対する侮辱や冒涜は、最悪の罪とされ決して許されず、それがムスリムによるものであれば死に値する大罪とされる。
これは、ハッドと呼ばれる法定刑として定められている。

では、なぜシャルリーエブドのような報復がイスラーム法では本来許されない行為なのかといえば、「戦争の家(ダール アル ハルブ)」におけるムハンマドの侮辱のような犯罪は、イスラームが罰則規定を執行する政治的権力を持たないため、犯人が戦争の家に居住するものである限り、このハッド執行の義務は免除され、放置されるからだそうだ。
もし、このハッドを執行しようとするならば、カリフ国の存在がなくてはならない。だが、今はカリフはいないので、このハッドの執行はイスラームの教えからは逸脱した行為となるというのが、中田考氏の説明である。

なんとなくわかったような気にはなる説明である。
だがしかし、このハッドを行った犯人はイスラーム法上、なんらかの罰則があるのであろうか?
そこまでは、中田氏は論じていない。ちなみに、この中田氏の論考は2006年に発表された「幻想の自由と偶像破壊の神話」という論文によるものである。約10年前のものでシャルリーエブドを論じたものでもないし、ISも存在していなかった。

現在、ISのバグダッディがカリフを宣言しているのは、ISを「イスラームの家」(ダールアルイスラーム)にしようということなのだろう。
もし、ISを支持するものにとってバグダッディがカリフであり、ISがイスラームの家なのだとしたら、シャルリーエブドのハッドもイスラームの法定行為ということになるのかもしれない。
つまり、ハッド執行の義務は免除されない。
ここら辺はスンニー派のイスラム法の解釈問題なので、部外者にはわからない問題ではある。

いずれにせよISというイスラームを相手にする場合は、国際法も国内法も通用しない。
ISはイスラームの義務を果たしているという論理なのであろう。ISを国と認めようが認めまいが、それすらもイスラームの法からすれば全くどうでもよい話なのだ。
戦闘員でなく、民間人を殺すのはテロだと言っても、中東では民間人を数十万人規模で殺してきたのが欧米であるし、今もドローンで民間人を殺しまくっているらしい。あちらのコラテラルダメージは無視する方針でもあるかのようだが、当然にこれは非人道的だ。
こう考えると、欧米はやはりシリアや中東から手を引くべきなのかもしれない。ISを完全殲滅することもできないし、それが良いことだとも思えない。シリアから手を引けば欧米はISに屈服することになるが、それで何か困ることがあるのだろうか?
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2015年11月14日

China2049

ピルズベリー著「China2049」を読んでいる。
ピルズベリーはアメリカの親中派の高官でPanda huggerの一人であった人だが、自分が長いことシナに騙されていたことに気づき、アメリカと国防省に警告を発する意図でこの本を書いたようだ。
#ちなみにパンダハガーとは中国大好き人間のことをさすが、パンダはもともとチベットの動物で支那のものではない。シナはパンダをチベットからかっぱらってきただけである。

これをみると、アメリカはこれまでいかに支那に好意的で不用心であったかがよくわかる。
ニクソン、キッシンジャー以来、歴代のアメリカ政権が支那の長期戦略(100年マラソン)に騙されてきた。
100年マラソンとは中共結成100年目の2049までにアメリカを超えるという毛沢東の計画である。
これが支那の平和的台頭戦略の本当の目的である。

最初にシナは、ニクソンとキッシンジャーに擦り寄り国交を回復させ、アメリカはカーター政権の時に支那への技術流出を加速させる。
レーガンも最初はシナに警戒していたが、結果的に対ソ包囲網のために支那への援助と技術流出を大規模に拡大する。
結果、シナはソ連という目先の最大の敵をアメリカに打倒させることに成功する。
クリントンも同様に最初は従来の支那路線を批判していたが取り込まれる。結果的に1989年の天安門事件を経てもなお、アメリカの親中スタンスは変わることがなく、今のオバマ政権に至る。

著者とアメリカが、支那を常に弱者としてやさしく接し、まともな国への変化の途上にある存在というひいき目で見てきたことには、半ばあきれる。シナは巧みに自らを弱者として演じ、盗めるだけのものを何十年もかけてアメリカから盗んできた。
しかし、シナは天安門事件を境にいわゆる国内のハト派は弾圧されていき、徐々に本性を現してくる。

最近になってようやくアメリカは支那の危険性に気づいてきたわけだが、時すでに遅しである。
シナは核大国となり、この10年であっという間に軍事大国、経済大国となった。
支那に簡単に籠絡され操られたアメリカがバカすぎたのである。
最近は、シナはアメリカに対しても歴史戦を仕掛けていて、アメリカにも日本の立場が見えてきたのかもしれない。

支那は共産主義を捨てて市場経済に移行したように見えたが、実際、中共は共産主義を決して捨ててもいないし否定もしていない。3000万人党員がいるといわれる中共ではいまだに共産主義の洗脳教育が行われているようだ。
支那とは、中共が支配するその他十数億の一般人と、中共という支配層からなる独裁国家、もとい山賊が支配する地域のことである。

この先、どうなるのか分からないが、今までのアメリカの親中スタンスは愚の骨頂であった。
フランシスフクヤマが歴史の終わりを書いた時も、ソ連が崩壊したことでリベラルデモクラシーの勝利宣言をし、シナのことなど歯牙にもかけていなかった。アメリカ人にとって、シナは常に弱者としか映っていなかったわけだ。

私が思うに、今の”変化率”から見て、中長期的には支那はどうこういって成長し、アメリカは成熟過程に入り停滞する。
同時にイスラームの急激な拡大傾向を考えると、将来的にはシナとイスラームの対決はありそうだ。
ウイグルなどはもともとイスラームの国だが、無神論の共産主義中国に支配されているという状況はあり得ない状況だろう。

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2015年11月12日

Tax and Religion

キリスト教に入信するといろいろと教会税を徴税をされるらしい。
所得税の10%程度を支払わされ、これがヨーロッパでキリスト教が衰退している原因の一つでもある。
ドイツでは国税で教会税を徴収されるらしい。
そのため、若い人がどんどん教会から抜けるので、教会が経営不振となり、身売りされモスクなどになっているようだ。

中田考氏によるとイスラームは税そのものを否定する。
徴税そのものがイスラームの罪であり、徴税人は殺さないといけないとまでされているそうだ。w
イスラームにはキリスト教のような教会組織がないし、アッラーとムハンマド以外の権威は否定されているので、教会税などあり得ないわけだ。
とはいえ、喜捨は宗教的な義務もしくは推奨行為なので、これが一種の宗教税に相当する。


シーア派は五分の1税をウラマーに納めないといけないが、スンニー派は、資産の2.5%の浄財=ザカー(義務の喜捨)だけ。

ユダヤ教徒とキリスト教徒に対しては、ジズヤという人頭税が科せられるが、これは年間6−7万円程度で、資産の多寡にかかわらず同じ。
イスラムは徴税を禁じるから、外部との交易に対しても関税が課せられることがない。


中田氏によればイスラームはグローバルな平和的アナーキズムということになる。
おまけに不換紙幣は偶像崇拝だとして金銀本位制までイスラームは主張する。
イスラームは国家、国家法というものを基本的に必要としない。なぜならイスラームそのものが法であり、属人法だから、地球のどこにいようと従う法が決まっているからである。

そうだとすれば、オーストリアンリバタリアンは、スンニー派のイスラームになってイスラーム社会、イスラームの家を目指せばよいということになるだろう。w
だが、欧米のリバタリアンたちの多くはクリスチャンなのであろう。それもプロテスタント系クリスチャンが多いと推察できる。

ただ、中田氏の話は、カリフがいた時代のイスラームの話であり、今はどこにもイスラームの家は存在しない。今はムスリムにとって、「戦争の家」しかない。
そして「イスラームの家」を復興させるためには、まずはカリフ再興が必要だという話になるわけだ。
#しかし、そもそもイスラームの家は、いつからいつ頃まで存在していたのかという、中田氏の歴史認識についてはよくわからない。もしかして正統カリフの時代だけだったということだろうか?だとすれば、せいぜいムハンマド以降の30年くらいということになる。

現在16億人のムスリムがいるそうで、この調子で増えていけば早晩、世界の半分くらいはムスリムということになりそうだ。
イスラームから見れば、ユダヤ、キリスト教徒は経典の民で、イスラームに包含される存在とみなされるそうなので、欧米のリバタリアンがイスラームになるのはそれほど変な話ではないのかもしれない。

私の知る限りでは、このような視点で欧米のリバタリアンがイスラームを肯定的に論じるのを見たことがないから、彼らクリスチャンは、イスラームを全く知らないか、意図的に無視しているのか、どちらかだろう。

しかし、宗教的な面を除いたイスラームの家のような社会をリバタリアンが目指していることは間違いない。
リバタリアンは、法に対する考え方でも分けることができるが、経済的な原理だけで平和的な無政府体制が可能だとする連中もいる。私は、リアリズムの観点からみて、それはユートピア思想の一種だと思う。w

もちろんハイエクなどは、法を最重視しているからそうではない。ハイエクは国家の作る人定法ではなく、自然法の存在に期待をかけているわけだ。
イスラームの法は宗教法、神の法で、これを中田氏などは自然法とも呼ぶが、ハイエクの自然法とはややイメージが異なる。ハイエクの自然法はいわば民法的なイメージだ。民法は一種の経済ルールでもあるが。
今のところ、リバタリアンにとって確実な自然法とは、生命身体の所有権だけだろう。

私なども法を重視する立場だから、いわゆるアナーキーなリバタリアンには前から懐疑的だが、同時に法を人定法、国家法というものに完全に委ねる立場にも当然に否定的だ。それはつまるところ国家社会主義といえる。

アナーキーなリバタリアンの国家なき自由社会とは、「法のない社会」ではないから、「国家なき法」がカギとなる。そしてイスラームとは、1500年も前にできた、まさに国家なき法である。
もっといえば、リバタリアニズムは、この「イスラームの家」を超克する、それを上回る仕組みを構想できるのかどうかが問題になるともいえる。もしくはアメリカ国内の政治的主張として閉じるかだ。

思うに中田氏も基本は東大文系の左翼な人で、イスラームにユートピア思想を見てるように感じる。
経済に関する考え間違いもいろいろあるが、ユートピア思想の特徴としては、ディレンマとなる要因を排除する点にある。いわゆるリバタリアニズムもユートピア思想的なところが多分にあり、そこにはディレンマとなる要因が見えない。実際は、セキュリティや法といった問題はディレンマそのものなので、それを論じないと自然とユートピア思想になるわけだ。


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2015年11月09日

Army First

最小国家とは、基本的に軍隊だけある国家だ。軍隊がない社会は国家ではない。国家の定義はそのくらいに狭く定義した方がよい。アメリカの州が国家であるのは軍隊をもつ単位だからだ。逆にいえば軍のない社会は国家ではない。
#アメリカを合衆国と書くのは断固として間違い、誤訳であり、合州国と書くべきである。united statesは連合国と訳してもいい気がするが、連合国は普通、united nationsだからNGだ。
ここにnation とstateの違いがある。
例えばフランスがnation であってもカリフォルニア州は nation じゃない.
合州国 もやはり nation ではなく、united statesなのである。

3権分立というが、司法、立法、行政部門は軍隊の後に生まれる。順番としては、軍隊の次に司法、その次に立法、最後に行政部門だろうか。
それまでは軍が支配する体制、軍事政権だ。軍事政権は発展途上国に多い。
まず軍と軍事政権が最初にあって、次に近代国家の体裁を作るわけだ。この過程で軍は行政部門の一部として位置づけられることになる。だが本質的に軍隊は内政部門ではないから、微妙な位置づけだ。

大日本帝國もそうやってできたわけだが、大東亜戦争に負けてアメリカに占領され、軍隊を憲法で禁じられたため、戦後、日本はこの定義上、国家ではなかったということになる。
よく言われる通り、アメリカの51番目の州みたいなものというのが実情に即しているといえよう。
アメリカの州は、独自の憲法と法律と軍隊を持つわけだから、日本も独自の憲法と法律と自衛隊をもつアメリカの州といってもそう違わない。ただ本質的に違うのはアメリカの州とは違ってアメリカの連邦法には全く縛られないとこだけだ。

そもそもアメリカがあれだけ徹底した占領を行いながら、日本をアメリカに併合しなかった理由はなんなのかよくわからない。なんらかのpragmaticな理由があったのだろうが、それはなんなのか?
おそらくは、当初は日本を対共産主義の防波堤、つまりは緩衝地帯として利用しようという魂胆だったのだろう。併合して州にするよりも緩衝国家として使う方が責任もなく切り捨て可能で便利だということだ。
だがディーンアチソンが日本がアメリカの防衛ラインだと宣言したことから朝鮮戦争が始まり、日本は地政学的にも緩衝地帯にはならないことをおそまきながら認識したのだろう。w

日本は戦後、軍隊がないから国家とはいえないわけだが、では何かといえば、いわば去勢された存在という立ち位置なのかもしれない。アメリカの州軍が連邦に反旗を翻すことがまずあり得ないという点では、日本はやはりアメリカの州に近いが、日本は州より下の存在といもいえる。

私は当然ながら日本という深い歴史と伝統をもつ国がアメリカに占領統合され51番目の州にならなくてよかったと思うわけだが、一旦去勢されると元にもどるのは至難の技でそもそもそれは可能なのかという疑問すら抱く。人間は一度去勢されたら元には戻らない。国家はどうなのか?

posted by libertarian at 01:41| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月06日

Anti company

昨今、企業の不祥事なるものがあるたびにメディアからの激しいバッシングがあるが、この社会的な損失は大きい。つまるところ、これはまともな法的な解決ができなくなる原因の一つだ。
アメリカも日本もメディアはアホな左翼勢力であるから基本、反企業、反資本主義だ。
反企業キャンペーンはマスゴミにとって、社会的正義なのだ。
マスゴミは広告などの取引関係がない普通の会社に対しては、バッシングのし放題だ。
何か不祥事なるものがあると、企業の重役に土下座させるというのも異常だ。これは朝鮮の風習だろう。
南朝鮮は法の支配がない後進国で、裁判所が世論に左右されるとか批判されているが、日本も似たり寄ったりで、日本もアジア的で法治国家とはいえないところがある。

ほとんどの人は、どこかの会社に勤めているわけだから、マスゴミの人間以外は企業が悪とは思っていないだろう。だがマスゴミと公務員と子供は別だ。
このように、「社会の公器を詐称するマスゴミ」対「悪の金儲け集団である企業」という構図はマスゴミがのさばる限りなくならない。
日本の大メディアは、朝日、毎日、日経と悪意のある捏造記事をばらまいてきており、計り知れない社会的な損失を生んでいるが、一切の責任をとらない。NHKも同様。潰れるべきなのは、メーカーではなく、日本のマスゴミなのは言うまでもない。新聞を買わなければ部数が減り、大新聞であっても潰れるわけだから、こういったデマ、デタラメを振りまく新聞を買わないことが大事だ。

しかしそういった市場メカニズムくらいでは容易に日本のマスゴミが潰れないのは、言論の自由という全然関係のない名目で、メディアに様々な特権が与えられているのが原因だ。メディアの特権は剥奪していかないといけない。
再販制度も軽減税率も許されないし、電波の割り当て制度という社会主義政策も廃止しなければいけない。
このような特権によって守られたマスゴミが特権意識を振りかざすのは必然だ。
posted by libertarian at 12:32| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする