2015年12月26日

The Americans

The AmericansというアメリカのTVドラマシリーズを観た。
レーガン時代のアメリカで、ソ連のスパイ夫婦の活動を描いたものだ。
80年代の雰囲気がよく再現されていると思う。走っている車、ファッションをその時代のものに揃えるのは結構大変だろう。80年代は遠くなりにけりだ。
今の24のようなドラマと違い、ハイテクがないし、ケータイもスマホもない時代だが、かえってドラマ性が高い感じがある。スパイの活動も基本的に内部の人間をいかに欺いて情報を引き出すかという技術だが、現代においても、このような人間がターゲットにされるスパイ活動は未だに一番のセキュリティ上のネックだろう。まさにミトニックのいうところの欺術である。

しかし今の水も漏らさぬ情報社会では個人はいくらでも国家権力に監視されてしまうわけで、たしかに危険だ。
カードなんか使うのは危険だと思いつつも、ついつい便利なので使ってしまうが。w
そもそもセキュリティ技術も軍事技術の一つだが、それが国外の敵にだけでなく、セキュリティの名目で国内の一般人に対しても使われているわけで、それはどこまで許されるのかという問題がある。情報というのは物でないのでどこまでという境界がない。

セキュリティ技術、ネットワーク技術というのは深い部分でどうなっているのかがよく分からない。ある程度までは学習できても、あるところから先の深いところは公開情報ばかりではなく闇が増えてくる感じだ。
そこを自力でブレークスルーした人間がハッカーなのだろうが。
この分野は日進月歩で複雑化、多様化していくから、ほんとに最新の技術を理解できている専門家は逆に少なくなっていくにちがいない。

posted by libertarian at 03:09| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月23日

International law is local rule

ミアシャイマーの理論とは、簡単に言えば、世界がアナーキーであることを大前提として、国家がより安定を求める行動をとるというセオリーだが、これは歴史観とも言える。
ミアシャイマーのシンプルなセオリーは、オッカムの剃刀というか、歴史をみるときパワーバランスの変化だけみるわけだ。ミアシャイマーのセオリーに地政学はほとんど関係ないし、ウェストファリア以前、以降を分けるものでもない。つまり、ウェストファリア条約の前でも後であっても、このセオリーは変わらずに適用できると考えるわけだ。ウェストファリア条約以降の国際慣習法によって、それ以前のアナーキーな状態が変化したとは考えないのだろう。
もともとウェストファリア体制はヨーロッパ内だけで通用するローカルな慣習法にすぎない。ヨーロッパ人はヨーロッパの外ではそれを全く適用せず、大虐殺を植民地で行った。同様にヨーロッパの外部であるアメリカやソ連にとってもウェストファリア条約など関係ないものであった。だからこれらヨーロッパ外の新興勢力が参戦する第1次大戦以降は殲滅戦、総力戦に戻る。
日本は生真面目に国際法を順守していたから日露は最後の決闘戦争になったわけだが、日本が負けていればロシアは国際法など無視したろう。

国家が安定を求め戦争をするという点では、たしかにヨーロッパの歴史をみるとそうみえる。
しかし日本だけをみるとそうは思えない。ミアシャイマーは日本の満州や支那への進出もその傍証としているが、これはミアシャイマーの歴史的な事実認識がややずれているともみえる。
より安定を求めるとは、攻撃は最大の防御なりということだろう。だから戦争が起こるわけだ。攻撃する人間がいなければ、戦争は起こらない。だが、必ずしも攻撃しなければいけないというわけではないので、攻撃を楽しむというインセンティブがなければこれは説明できないと思う。

そう考えると、やはりこれは人類普遍の原理や大国の宿痾といったものではなく、民族性を考慮するべきような気もする。
アーリア人の攻撃性、暴力性というのはここ500年くらい見れば突出している。
アーリア系ヨーロッパ人の暴力性はベースにキリスト教という凶悪なるカルト宗教があり、宗教的に暴力、殺戮が肯定されている。洗脳された人間のとてつもない暴力性を感じる。
また1000年以上戦争をしてきて、その淘汰の過程で攻撃性の高い遺伝子を持つ人間が優勢になったということもあるのかもしれない。犬でも土佐犬のように種による攻撃的な性質の固定というのはある。
日本人から見れば、欧米人、アーリア人は人間ではなく鬼といった方が的確だった。鬼畜米英である。w
安土桃山の頃から南蛮というのは南からきた野蛮人のことだったわけだ。
posted by libertarian at 02:53| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月19日

科学主義と社会主義:Scientific socialism

18世紀、1700年代は世界的にみて平和な時代だったように思う。
歴史年表をみてもあまり大きな戦争は起きていない。
しかし1700年代は産業革命が起こり、様々な画期的な機械が発明され、発明の世紀という印象がある。
1600年代から正確な時計の開発競争があった。これは経度を測定するための懸賞付きの問題だった。
時計の技術開発を通じて、高度な機械技術が発展したようだ。そして1700年代になると時計職人達が様々なマシンを発明する。1800年代になると電気技術が発明されエネルギー革命がおこる。1900年代にはオートメーション、コンピューターが進歩する。ほんの300−400年の間に一気に0からここまで来た感じだ。

もし、ローマ帝国がキリスト教を採用せず、ギリシャの科学を継承していれば、5世紀には今の水準まで来たのであろうか?キリスト教のためにヨーロッパは1000年の停滞をする。
1800年代の科学も数学もすでに相当に高度なレベルにあったし、古典力学は成熟して完成されたものと思われていた。全てはアトムに還元され、アトムは古典力学で決定されるものと思われていた。
ある意味、この時代は現代以上に科学万能と思われていた時代で、その時代背景があって共産主義のようなものが生まれた。マルクス以来、社会も科学の対象とされ社会科学などというものもはやるようになる。
未だに社会科学はあるが、廃止されるべきであろう。w

経済にしても、本質的に単純なものと考えられていたようだし、国家や社会の運営など科学的に計画すれば理想的にコントロールできると思われていたわけだ。それが社会主義国家のイメージであった。
ソ連が健在だった当時はなんでも頭に科学的なんとかとついたものだ。社会主義と科学という言葉は切り離せないものであった。歴史まで科学的歴史主義だなんだと言われていた。
簡単に言えば、科学的=正しいことで良いこと。科学的でないこと=間違っていて悪いことだった。
今もそうなのかもしれない。w

今思うと芸術におけるモダニズムも社会主義と非常に近いところにあった。進歩的芸術家は大体が左翼インテリであった。ソ連、東側でもモダニズム芸術なるものが盛んであった。革新主義というのは基本的に、科学がイメージされている言葉だ。

科学万能主義というのは完全に否定されているわけではないだろうが、社会主義に結びついた科学主義は失敗したわけだ。つまるところ、それはあまり科学的でもなく正しくもなかった。
複雑さというのが認識されるようになったのは割と最近のことだ。それは還元して単純化できそうにないものと認識され始めた。
posted by libertarian at 01:39| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月16日

Truman was KKK

日本に原爆を2つも落としたアメリカ大統領のトルーマンはKKK(クークラックスクラン)の構成員だったことは、公知の事実である。だが、このことはあまり取り上げられないし、知らない人も多いだろう。
私もわりと最近まで知らなかった。

今ではKKKの人間が大統領になるなんてことは、さすがにないであろうが、当時はありだったわけだ。
当時、欧米社会においてracismというのは空気のように当たり前のものだった。
このことは、トルーマンがKKKのメンバーでありながら、大統領になったということからもわかる。
今は人種差別は世界的にタブーとされてはいるが、これはあくまで建前である。
つまり国家の内側では表面上は抑制されているが、外側ではないわけではない。宗教差別も同じだ。
つまり、一度戦争になると、人種差別も宗教差別もなんでもありなのである。
posted by libertarian at 00:03| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月15日

問題はイスラムでなくチャイナである:From Islam to China

中東問題を論じている連中を見ていると、特徴的なのは連中は中東の歴史も全く知らなければ、イスラームについても全く何も知らないということだ。こういうバカな連中がメディアでイスラム国をいかにして殲滅するかなどと調子に乗って話しているからバカを通り越して危険である。
欧米は基本キリスト教徒だから、イスラームは問答無用で許せないらしい。
これが中東紛争が宗教戦争になる所以である。

欧米はずっと宗教戦争をしてきたが、近代になると宗教を前面に立てた戦争はしなくなる。
パワーバランスによる覇権争いやセキュリティ競争といった形に戦争はなっていく。
そして冷戦になると実際の米ソの戦闘は避けられ、イデオロギー競争という面が出てくる。
ソ連とアメリカの対決は、社会主義と資本主義、もしくは自由主義の競争という色彩が強かった。
しかし、結局これも情報戦に過ぎなかったのではないかという気がする。ほんとの意味でのイデオロギー競争があったとは今振り返るとあまり思えない。

そもそもイデオロギーという面でいえば、現在必ずしもリベラルな自由主義が勝利しているわけでもない。むしろ社会主義の方が勝ったのではないかと思われる。これは社会主義というよりもBureaucracyの勝利というべきかもしれない。結局、覇権争いが事の本質であり、宣伝戦としてイデオロギー対立なるものが利用されていただけだろう。

中東紛争に関して言えば、これはまさに宗教戦争でウェストファリア以前の戦いになってくる。
もともとウェストファリア体制は欧米でも第1次大戦以降は壊れており、トータルウォーの殲滅戦となっているから、変わらないわけだが。
ミアシャイマーのいうとおり、アメリカはイスラエルロビーに利用されたのか中東の宗教戦争に関与しすぎた。
というか自身が十字軍として行動しすぎたわけだ。カプランはリベラルだから途中で投げ出すのは無責任だと言っているが、そんなことはない。関われば拘るほど状況は悪化する一方なのが事実であり、アメリカの設計主義的侵略主義はとっくに破綻しているのであるから、中東からは手を引くのが双方にとってメリットがある。欧米が手を引けばテロもなくなる事は間違いない。

中東には大きくスンナとシーアの対立と、世俗主義と厳格主義の対立がある。
単純に考えれば、これは2*2の4つに分裂するしか手はない。
民族対立も入れれば、もっと複雑になるが、イスラム世界はそうやって自生的な均衡点に行き着くまでほっておけばいいのだ。イスラムはキリスト教よりは他宗教に寛容なのは事実であるようだから、それも可能だろう。今のISのような状況は欧米に対抗するため戦略的に作り出したカオスのように見える。

それよりも問題はミアシャイマーがいうとおり支那である。
支那は宗教もイデオロギーも高尚なことは一切関係ないむき出しの覇権主義だから、分かりやすいともいえる。
支那経済が危険状態と言われているが、支那はもとより共産党独裁体制であり法治国家ではないから、支那の企業には破綻という法的仕組みがない。だから、リーマンショックのような企業の破綻の連鎖みたいなものはありえない。どのような形のクラッシュになるのか想像が難しい。また経済がめためたになったとしても、支那は共産主義を捨てないから革命でも起こらない限りなにも変わりようがない。
また万が一、支那が共産主義を捨てて自由主義になったとしても、その覇権主義は変わらないため、依然として支那の脅威は衰える事がないわけだ。支那がロシア型の分裂解体をして縮小しないかぎり、脅威は去らないことになる。
posted by libertarian at 20:07| 東京 ☁| China problem | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月10日

第一次世界大戦から100年が経った:100 years from 1914

終戦から70年ということで、最近は結構歴史がブームのようである。
私も50年以上無駄に生きてきて、100年という時間間隔の短さは感じるようになった。
少なくとも10年という時間はあっという間だ。
1904年に日露戦争があり、その10年前に日清戦争があった。そして、日露戦争の10年後に第一次世界大戦がおこる。
1941年に大東亜戦争が始まり、10年後の1951年にサンフランシスコ講和条約があった。
1941年の10年前に満州事件がある。
こうしてみれば、日本は1931年の満州事変から20年間も戦争状態であった。大東亜戦争も講和条約までの10年間続いたとみるべきである。
大体、戦争というのは10年区切りのようだ。

今からすれば自分が生まれたのも、終戦からそんなに経ってはいなかったのだなと思うが、子供の頃は戦争など遥か昔の出来事と思っていたものだ。w

日本は戦後と戦前で革命的なほどに世の中は変化したことは間違いない。
戦後日本はWGIPにより、ずっと敗者であることをひきづってきていた。
一方のアメリカといえば、1945年というのは別になんの区切りでもなく、映画をみてもわかるが当時と今では連続した時間の流れしかなかった。
そうやってアメリカは戦争をその後もずっとやってきたわけである。

大東亜戦争における敗北が日本人における大きな時代区分となっているが、むしろ1904の日露戦争、もしくは1914年の第一次大戦からみた方が今に至る連続した流れとして認識できる。特に第一次大戦でオスマントルコが崩壊し、アメリカが覇権を握るとともに、ウェストファリア体制のような国際秩序が崩壊したという点で、現代は第一次大戦からの流れとしてみた方がよいと思われる。そして今はそれから丁度100年だ。

日露戦争は日本の近現代史における頂点であったことは間違いない。第0次大戦といわれる日露戦争で日本は史上空前の大勝利を収める。これは欧米を驚愕させ、植民地となっていた地域を奮起させた。日露、大東亜戦争というのが欧米の植民地支配を打ち破る原動力となったことは間違いがないことである。

だが、日露戦争も別の見方をすれば、当時のイギリスとロシアのグレートゲームの中で、日本がバックパッシングされた戦争であった。
日露戦争では高橋是清がユダヤ財閥から莫大な資金援助をタナボタにうけ、日本海決戦での大勝利で幕を閉じるわけだが、これは、イギリスがロシアの兵力を極東に振り向けるための戦略の一環であった。
しかし、当のイギリスも日本がこれほどの完勝をするとは全く思っていなかったろう。イギリスとしてはロシアの軍事力を当面の間、極東に向けさせれば十分にペイするものだったのだろう。だが日本の信じがたい大勝利によってイギリスを含む欧米に激震が走ったわけだ。

日本は国際連盟に入るも、当時の欧米のレイシズムは徹底したものであったから、日本のエリート達が欧米に行ってもほとんどの場合、そのレイシズムに心底、屈辱を感じて帰ってきた。夏目漱石然りだ。
日本にとって欧米のレイシズムは江戸の頃からの許しがたい悪であったのである。大東亜戦争の戦争目的が東亜の解放を謳っていたのは決して綺麗事ではなく本心からであったことは疑いがない。
そして、大東亜戦争でその戦争目的は実際に果たされたといって良い。

しかし、中東をみると、第2次大戦後においても、その植民地的支配構造は手つかずのままであった。
アメリカとサウジアラビアのズブズブの関係とそのダブルスタンダードを知れば、欧米が中東に対して正義を言う資格などこれっぽっちもないということがよくわかるはずだ。
どうこういってこのような不正な支配が永続するはずもない。

戦後、中東はソ連をバックにすることで欧米に対抗しようとしてきたが。冷戦が終わってソ連が崩壊したことで、中東諸国は欧米に対抗するバックを失った。ほとんどの中東諸国は社会主義体制をとってきた。彼らにとっては、欧米に完全支配されるよりはその方がバランスを保てたわけだ。
だが、ソ連は崩壊し後ろ盾もなくなり、欧米はますます中東で増長し、結果的にイスラムに残された道はワッハーブ的なイスラム回帰だった。ISはイスラムにおける最後の可能性ともいえるわけだ。
報道とは違ってISへの支持はイスラム圏においても大きいとみないといけない。

現在、アメリカはイスラエルからもサウジアラビアからも急速に距離をおいている。イランと和解の方向にシフトしてきた。シェール革命もあり、支那の台頭もありで、アメリカは中東の戦略的な優先順位を下げてきている。
そうなってくると中東はISのような勢力、つまりイスラーム回帰勢力が勝利する可能性が高い。サイクスピコという植民地支配秩序は第一次大戦後100年にしてようやく崩れるのかもしれない。
posted by libertarian at 02:11| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月05日

JIN

amazon prime ビデオが登場したが、これはかなりよい。
prime musicなどもできたので、前々からamazon primeに加入している身としては、アップルやグーグル,HULU,Netflixなどのサービスは余計な出費でしかない。

アマゾンprimeで、JINという日本のドラマを見たがなかなか面白かった。
時代劇は、セリフが綺麗な日本語なのが心地よい。今の日本人でも違和感なくそういった綺麗な日本語を話せるのは面白い。時代劇とはいえ、タイムスリップもののSF時代劇だが、今は多世界宇宙論などというものもあるので、タイムスリップものもそれなりに論理破綻せずにストーリー構成できるのだ。w

JINは村上もとか氏の漫画が原作だが、これはさらに石川英輔氏の小説がベースにあるのであろう。
昔、石川氏の大江戸事情シリーズをまとめて読んだことがあるが、日本人にとって江戸の本当の姿を知ることは大事なことかもしれない。
JINは幕末の江戸に現代の脳外科医がタイムスリップするわけだが、当時の江戸は蘭学はあったが、外科がほとんどなかった。

しかし、日本の医学もなかなかに面白く、最初は奈良頃に中国の医学が入る。漢方は支那の南部の越の辺りの医学で、南方は植物が多種多用だったので、薬草学が発達していたのだ。これが日本に入ると本草学となる。しかし、本草学は日本らしいというかガラパゴス的な発展を遂げ博物学と化していく。
結果、日本では博物学とともに園芸が発達し、現代のプラントハンターのような人々も出現する。
この立役者はご隠居さんといわれる50歳過ぎの元気な有閑隠居たちであった。
ユリや椿など、様々な植物が日本から欧州に輸出もされた。
この庭園文化が欧米に伝わり憧れとともに真似をされ、イギリスのイングリッシュガーデンのようなものが生まれたのである。

例のごとく、支那の諸国ではいろんな学問が生まれても継続性がなく、その知見は失われる運命にあるが、それら医学的文献は日本に渡り日本で保存されたのである。支那には何も残っていない。
また針灸のような医学は、支那の北方の医学で、北のほうは寒くても薬草もほとんどないから、こういった医学が発達した。
これらの支那の諸国の医学は、奈良時代から日本に伝わり、日本で保存された。
だから今でも針灸も漢方も支那よりも日本の方が本場なのである。w
日本では今は西洋医療も漢方も平和に共存している。

そもそも麻酔技術も華岡青洲が世界で最初である。「華岡青洲の妻」という小説もあったが、華岡青洲は古方派の医者で、麻酔にマンダラゲという植物を使った漢方を開発した。
しかし、これは秘伝とされたため、今ではこの麻酔薬を再現することはできない。何を使ったかは伝わっているが、どの部位をどのように使ったのかが書いていないので再現できないらしい。

江戸時代には蘭学もあり、支那伝来の医学で日本でガラパゴス的に発達した医術もありで、日本は医学においてもかなりの水準にあったのである。

posted by libertarian at 13:08| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Premodern vs Premodern

中東問題、イラクやシリアの問題にしても、日本から見れば、欧米もイスラームもどっちにも加担はできないと考えるのが普通であり正しい。
しかし、公平に考えれば、欧米の方が悪いと考えざるを得ない。欧米には現代に連続する過去の植民地支配の罪の重さがあるわけだ。だが一方のイスラームも全く知らないし理解もできないから、イスラームが正しいとも支持はできないというのが実態だろう。

しかし、アメリカのブッシュによるイラク侵略を見て、これが太平洋戦争、大東亜戦争の時のアメリカと日本の構図とほとんど同じだと気付かない人間は相当におつむが鈍い。
サダムに対するデモナイゼーションは日本が昔やられていたことだし、サダムに対する裁判もどきは東京裁判の再現であった。イラクという狂信的な侵略主義的な後進国はかつてのアメリカがみた日本である。

ほとんど報道されないがイラク侵略においても100万人単位の人間が無差別に欧米に殺された。大東亜戦争当時、アメリカが日本に行った東京大空襲などの虐殺も原爆以外はアメリカ人はほとんど知らない。
その後、イラクがめちゃくちゃになりISが台頭してきた経緯なども、アメリカの日本征服後に共産主義ソ連やシナが台頭してきたのと似ている。

日本はもともとずっと世俗的な国家であったから、近代化に際しての宗教的な制約は全くなかった。
日本人は大東亜戦争とは近代国家同士の戦争だと当時考えていた。
しかしアメリカは日本人がイメージしているほど世俗主義的な国家ではない。
つまり欧米は日本ほどには成熟した世俗主義的な国家ではないわけだ。アメリカも日本を世俗的な国家とはみていなかった。
結果、大東亜戦争は日本人の戦争イメージ、つまり日露戦争の頃のウェストファリア秩序、国際法を遵守した上での紛争解決手段とは全く異なるものとなった。日本は日支事変の当初からウェストファリア秩序に則った近代国家として行動をしようと努めていたが、第一次大戦でそれは終わっていたということに気づいていなかった。
その後の世界はその延長にある。

共産主義とはもともと欧米の近代主義、科学主義を極端に突き詰めたものである。宗教の否定もその結果で、いわゆる共産主義の無神論なるものは科学合理主義の帰結であった。
アメリカはその点、科学合理主義の国でもあり同時に宗教国家でもあった。当時のソ連から見ればアメリカは劣った科学合理主義の国で、ソ連の方が優れた近代国家だった。そして、そう思う人間はアメリカにもたくさんいた。

ハイエクなどは最初、そういった科学主義を批判した設計主義批判の論を展開した。
米ソの対立にはイデオロギー論争があったが、似た者同士の間の対立という面はあった。科学合理主義が普遍的だと考えるアメリカ人や日本人は非常に多かったし影響力があった。そして科学合理主義を否定することは極めて困難でもあった。設計主義、自制的秩序という新たな言葉を使っていわゆる科学合理主義に対抗しようとしたハイエクのような言論は当時はほとんど影響力もなかったのである。

ソ連という極端な科学合理主義を唱える、建前としては完全なる無神論で政教分離どころか宗教を廃止した国と、ゆるいけども政教分離をしたアメリカというキリスト教大国との関係はソ連の方が進んだものと見えたわけだ。どちらも宗教は政治に無関係という建前上、イデオロギー対立にスポットが当てられた。
結果的に進んでるはずの科学主義国家である共産主義ソ連は、アメリカという劣った新たなローマ帝国の経済力の前に敗れた。これは”経済的な自由主義”の勝利として捉えられたが、必ずしも科学的合理主義の敗北とイコールではなかった。

中東の紛争、戦争をみると、通常これは従来の近代国家の間の紛争とは捉えられていない。近代国家の前提は世俗主義であり領域国民国家だが、イスラームは宗教主義であり、宗教法が国家法に優越する領域なき世界である。
そして対するアメリカは、領域国民国家だが完全なる世俗主義でもないいわば現代のローマ帝国というべきウェストファリア秩序以前の存在で前近代的なものが混じる国だ。
この対立は、欧米から見れば近代と前近代の関係であり、宗主国と劣等な未開植民地の関係の延長にある。
だが、日本のようななんの関係もない端から見ると、これはまさしく前近代国家同士の宗教戦争にも見えるわけだ。
もしくは、進んだ近代国家による劣った植民地に対する粛清といった大東亜戦争開戦当時の世界の構図のようにも見える。
posted by libertarian at 12:19| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月03日

イスラム国とサウジアラビア:Islamic state and SaudiArabia

アブドルバーリ アトワーンの「イスラム国」を読んだ。
この本は、ロレッタナポリアー二の「イスラム国」よりも内容はずっと正確で深い。
監訳者が中田氏だが、中田氏が言う通り、現在はこの本がイスラム国関係の解説本では決定版だろう。
日本人の書いた本は何冊か読んだがろくなものがない。

中東問題が語られるとき、意外と論じられないのがサウジアラビアの存在だが、この本ではサウジの存在の意味についてかなり詳しく論じられている。サウジはワッハーブの国だが、ワッハーブ派はISと同じスンニ派の厳格主義で、サウジ出身の兵士はISに多く、アフガン紛争でも一番多かったようだ。
サウジはワッハーブ派の原理主義の輸出国でもある。アンケートをしてもサウジではISを支持する人が90%以上いるようだ。
しかし、ワッハーブ派を唱導しているくせに、当のサウジ王国そのものは、腐りきったもので、ISはサウジの支配層をタクフィールの背教者として認定している。将来的にはサウジ王家はISにより抹殺され、メッカ、マディーナがISの手中に落ちる可能性は結構あると思う。ISの最終目標はこのメッカ、マディーナの奪取である。
しかし、そうなったときはイスラエルも終わるだろうから、そう一筋縄では進まないのだろうが。

この本には厳格主義という言葉が使われているが、イスラームの武闘派には原理主義という言葉よりも厳格主義という言葉を使ったほうがよいのかもしれない。
あと、イスラームにおいて復古主義とはイスラム暦1−3世紀の頃に戻れというもので、これが厳格なイスラーム。伝統主義とは中世に戻れというもので、これはやや中庸なイスラームだ。
ムスリム同胞団などは、テロリスト呼ばわりされていたが、イスラームの中ではかなり穏健なグループである。

もともとサウジは広大な砂漠地帯で人の住むようなところではなかった。それでも内陸に隔絶した集落があり、そういうところで原始のイスラームが温存されたという経緯があるようだ。*そのワッハーブとサウド家が聖教盟約によってできたのがサウジアラビア王国。
*これは山本七平氏の話だが、加瀬英明氏との対談「イスラムの読み方」は日本人の本にしてはいい本だ。

ISのシリアーイラクの支配領域は広大で、そこには600万人くらいの人が住んでいるらしい。そこを無差別爆撃などしたら、東京大空襲と変わらない。また地上軍を投入するのも人的被害が大きすぎてアメリカはやらないだろう。
実際のところ欧米には大義もはっきりとした戦争目的はないのであるから、どこかで手を引くしかない。
動機があるとしたらイスラエルロビーの存在くらいか。だが、イスラエルも長期的には存続できないような気もする。
posted by libertarian at 00:12| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする