2016年01月30日

Kindle

最近はキンドル本ばかり買う。キンドルになっていない本はしょうがないので図書館から借りて読むようにしている。どうも家の中が本だらけになるのが鬱陶しい。
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posted by libertarian at 12:26| 東京 🌁| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Carbon diet again

1年前に怪我をして以来、自転車にも乗らず運動を全くしていなかったが、体重がかなり増えてしまった。
さすがにこれではまずいと糖質ダイエットを再び始めることにした。
ご飯や麺類など炭水化物をなるべく採らないようにするだけだ。

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2016年01月28日

大聖堂と裁判所:Basilica

古代ローマには裁判所があったのかなかったのか定かでなかったので、調べてみた。
そもそも裁判所という場所がなければ、法律だけあっても運用ができないので、当然にあるはずである。
ちょっと調べたところ、やはり古代ローマにはちゃんと裁判所があった。裁判所はバシリカと呼ばれ、後に大聖堂がバジリカと呼ばれる元らしい。

しかし、古代ローマの裁判システムの説明が見当たらない。
そこで、「古代ローマ人の24時間」という本を見たところ、簡単な話が載っていた。
裁判は百人法院という180人の判事集団、それと弁護士に被告、原告で構成されるようだ。
当時は裁判そのものが雄弁術と記憶術を駆使する舞台であり、多くの観客がいたそうだ。
しかし裁判官について記載がない。だれが判決を下していたのであろうか?
ここら辺のところはさらなる要調査である。

塩野七生さんは、哲学科を出ているらしいが、法律はあまり興味がないようである。それなのに、哲学の国家ギリシャでなく、法律の帝国、ローマが好きらしい。
だがアメリカにしてもローマにしても、法律という観点がないと、所詮は通俗的な理解しかできまい。w

あと、ローマ帝国の版図は地図で見ると広大だが、当時、人口はどのくらいだったのか調べてみたところ、紀元1年頃のローマの100万人とwiki にあった。今の世田谷区くらいの人口規模である。
これはローマ市民とその他(奴隷その他)を入れた人口だろうか。他にも植民市とか属州があったから、この数倍(2−3倍?)が当時のローマ帝国の人口になるかもしれない。あの広大な領土にして、それしか人がいなかったわけだ。当時はまだほとんど土地が開拓されていなくて野生にあふれていたのであろうが。
この内、ローマ市民権を持ったローマ市民は30万人くらいか。
奴隷は人口の10%程度だったらしい。

高校の世界史はやたらと沢山のことを暗記させる愚劣な暗記コンテストと化しているが、教科書にも資料にもこういった具体的な数字がほとんど載っていない。分からないのもあるだろうが、そういう数字を伴う具体性について教科書を作っている連中の意識が向いていないようだ。
電話帳のような細かなことの暗記なんかしても、試験が終わったら何も残らないだろうに、愚劣な努力を弱者である学生に強いるのが現代の教育という強制収容所システムの悪辣なところである。

追記)
さすがに数百万人は少なすぎると思い、さらに調べたところ、よいサイトを見つけた。
http://heartland.geocities.jp/zae06141/romandata1.html
http://heartland.geocities.jp/zae06141/roman_population2.html

これによると、アウグストゥスのAD14年頃のローマ帝国は4500万人。
ローマ市の人口 100万人で、帝国内でローマ市民権を持つ人の全体493万人。
奴隷も1割だと450万人程度。残り8割は奴隷ではないがローマ市民権を持たない人か?
このくらいであれば納得だ。w

しかし、これだけ人口があれば裁判所もそれなりの数がないと処理しきれなかったろう。
posted by libertarian at 13:31| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月26日

Rome

先日、手術で入院中、塩野七生さんの「ローマ人の物語」などを読んでいた。
塩野さんの本は、小説的脚色は抑えられていて歴史書に近いところがよいと思う。かなりの資料を参照しているらしいことが伺える。
但し、ローマ側、権力側の視点の資料に基づきすぎているのではないかという批判もあり、多分そうなのだろうとも思う。歴史家は古代言語を読めたりといった特殊技能がある場合もあるだろうが、普通、科学や技術、経済、法律といった専門分野はよく知らないので、その歴史解釈も通俗的なものになりがちである。
逆に科学者や技術者や経済学者が歴史を研究することは無理ではないので、そういった著者の本の方が興味深かったりする。たとえば、マットリドレーの「繁栄」などは、科学者の書いた歴史書として優れていると思う。マクニールの世界史よりもむしろ内容はあるかもしれない。
しかし、ジャレドダイヤモンド(地理学者)の本は内容が相当に出鱈目なようなので読まない方がよいかもしれない。

入院中に読んだ本で、「金融の世界史」(板谷著)もなかなか面白かった。
1700年代位からの近代の歴史は、その国の金融技術が戦争資金の調達能力の差となり、戦局にも大きな影響を与えていたことがよくわかる。
この辺りのテーマでは、バーンスタインの本「豊かさの誕生」も良い本だ。
「華麗なる交易」も合わせておすすめである。

ローマ法に関しては、ずいぶん前にこのブログでも書いたが、「ローマ法の原理」 フリッツ シュルツ 著もよい本である。しかし、古代ローマは法律、民法はあったようだが、裁判所はなかったのだろう。警察権力もなかったのかもしれない。
ドラマ「スパルタクス」などを見ると、殺人などは平気で行われているが、裁判になるわけでもなく、泣き寝入りか復讐かになる。
ローマ帝国は未だになかなかに興味深い存在ではある。

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2016年01月20日

Socialism,Communism,Anarchy

ソ連や中国は社会主義か、それとも共産主義なのかというのは素朴な疑問としてあるが、正解は社会主義ということになる。共産主義とはアナーキーな状態、政府のない状態なので、共産主義への道の前段階として社会主義国があるという理屈らしい。
ここでアナーキーという言葉の定義がまた問題になるわけだ。
アナーキーの意味も曖昧なままに無政府という言葉にあこがれる人間は、共産主義者であれ、アナルコキャピタリストであれ、本質的に変わらないのであろう。W

歴史的には、今の国家はナポレオン以降のものと考えられているので、1700年代までの世界に国家はなかった。歴史を記述する際にも、ここを境にして別の記述の仕方をした方がよいのではないかと思ったりする。
ハプスブルク朝とか、なんとか王国というのは軍事セキュリティ上の単位であって、いわゆる国家ではない。
また、この前国家時代の王国は、最小政府と呼べる。あったのは、徴税組織と軍隊だけだ。
江戸時代であっても、幕府の官僚組織は極めてミニマルであった。
ローマ帝国であっても、その官僚組織はミニマルで、社会インフラはほとんどが個人のボランティアと寄付で作られたものだった。その報酬は名誉だけだったようだ。
政府が肥大化するのは、この100年くらいの現象と思われる。この原因は改めて考えるべきテーマだろう。
posted by libertarian at 22:03| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

The fallacies of marcantilism

重商主義というのは、16世紀くらいに生まれた経済思想と歴史的には言われているが、現代の経済と重商主義との違いというのをはっきりと分かっている人間は少ないだろう。
あの岩井克人のように、未だに経済の本質は重商主義だと言っているアホな元東大教授がいるくらいだから、世間一般のレベルは推し量るべしだ。岩井は近代経済学者のようなふりをしたマルクス主義経済学の徒である。だから東大経済学部長にもなった。

これはいわゆるオーストリア学派も同じで、彼らの経済観は重商主義がベースになっている。
ハイエクしかり、ミーゼスしかり。
高橋洋一氏の話がなかなか理解されないのも、これが原因なのかもしれない。
そして同時に世の中には、未だに重商主義の誤謬が満ちている。

橘玲さんの本で「読まなくていい本」の読書案内というのがあったのでキンドルのサンプルを見てみた。
このサンプルを見た限りだが、世の中には確かに「読まなくていい本」が溢れている。その点は同意した。
もっといえば、読むだけ時間とお金の無駄という本が多すぎる。時間とお金の無駄だけでなく、脳に悪い本も多い。
マルクスの本は全部そうだし、橘さんが挙げているようにデリダやドゥルーズ、日本では柄谷なんてのも読むだけ全くの無駄である。この手の本はムーのような明らかなトンデモ本よりも質が悪いトンデモ本である。
残念ながら、ハイエクやミーゼスのようなオーストリアンの経済本もそうなのである。
彼らの著書の全部がダメなわけでは勿論ないが、彼らの経済学?本は今となってはトンデモ本の部類としかいいようがない。
リバタリアニズム論者の経済学で唯一認められるのは、ミルトンフリードマンくらいしか残念ながらない。
ミクロに関しては、ランズバーグもいいのかもしれないが、マクロはダメだ。

ハイエクやミーゼスの思弁的で難解で無意味で非科学的な経済学本を読んではいけない。
といっても、ハイエクの「資本の純粋理論」とか読んだことのある人間はまずほとんどいないだろう。
ミルトンフリードマンの本だけちゃんと読めばいいのである。
参考)http://libertarian.seesaa.net/article/357096858.html
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2016年01月16日

Jiyuu ,liberty and Serfdom

日本語に自由という言葉がなかったのは、日本には歴史上、「奴隷」がいなかったからだろう。
自由という日本語は、福沢諭吉が明治の頃に考案した翻訳語である。
世界的に自由という言葉の意味は、奴隷でないという消極的な意味であり、西洋社会では歴史的に奴隷が当たり前の存在であったから自由という言葉が、奴隷という最悪の状況に対する反対語として良い意味でつかわれてきた。
ローマ帝国では征服戦争をして勝てば、そこの人々を奴隷にした。ほっておけば将来的に反乱分子となるのは確実であるから、殺すか奴隷にするしかなかったわけだ。殺すよりは奴隷にする方が、ずっと合理的で、かつ幾分は人道的でもあった。ローマ帝国に限らず、昔の征服戦争は大体がこのパターンであった。これが複雑な社会階級を生んだ。

自由なりlibertyという言葉は多義的かつ曖昧なので、定義を明確にしないといくら多弁を弄しても無意味である。たとえば、脳科学で「自由意志など存在しない」というときの自由と、リバタリアニズムでの自由という言葉はあまり関係がないと考えるべきだろう。
リバタリアニズム的には、自由とは、私的所有権しいては自己所有権といった制度概念である。
制度概念を扱うから、リバタリアニズムは政治思想なのだ。

また、現代では奴隷は肯定されていないので、奴隷と自由(自由民)という分類も適切ではないかもしれない。そもそも繰り返しになるが奴隷の概念も曖昧だ。奴隷とは、私的所有権(財産権)のありなし、もしくは許容度合で分類すべき概念かもしれない。少なくとも日本にはアメリカ奴隷のような私的所有権をはく奪された「奴隷」は存在していなかった。
だが皮肉なことに現代の日本には、「債務奴隷」が制度として存在している。連帯保証制度の改廃は進んでいるのであろうか?

現代的には、奴隷よりもserfdom,隷属という言葉を使うのが適切かもしれない。
例えば、日本がアメリカの奴隷だと言えば明らかに言い過ぎであるが、隷属しているとはいえるかもしれない。
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人口について:Population

歴史の本を読むと、気候に対する認識がないわけではないが弱すぎると思う。
地政学は地理を普遍の要素として扱うが、10年、100年、1000年という幅で見ると、土地は動いたりしないが、その土地の気候にはかなりの変化率がある。気候が変化すると植生、生態系が大きく変化する。
それに伴って人間の移動なども起きる。
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posted by libertarian at 11:17| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月11日

Learning History

このお正月は歴史の本をひたすら読んでいた。
しかし、歴史の本を読むと、言葉の定義がなっていないといつも思う。
歴史とは科学ではなく、物語にきわめて近いということなのであろう。
もっといえば、歴史は学問ともいえないと思われる。w
歴史とは畢竟、国家の物語、民族の物語なのであろう。

歴史上の言葉の定義ということでいえば、岡田英弘氏は、フューダリズムとかアウグストゥスとかレヴォリューションといった誤訳の問題を指摘している。加えて私が前から思っていたのは、「奴隷」という言葉もいい加減で、違う仕組みのものをいっしょくたに奴隷と呼んでいると思う。例えば、ローマの奴隷、イスラムの奴隷、アメリカの奴隷とかいろいろあるだろうが、一言に奴隷と言っても財産権のありなしとかあり方は大きく違う。イスラムの奴隷は財産権は認められていたようだ。その点、イスラムの奴隷は、現代的にはサラリーマンに近い。w イェニチリとかは超エリートサラリーマンだ。
一方のアメリカ奴隷は財産権も認められていなかったのではないか?アメリカ奴隷は過酷で家畜に近かったと言っても過言ではないのかもしれない。
時代も違えば、仕組みも違うもの、つまりは全く別のものを同じ言葉で呼ぶことは大いに間違いであるし、誤解のもとだ。

ところで、この正月に読んだ本で面白かったのは、茂木誠氏の「世界史で学べ!地政学」だ。
茂木氏は予備校の教師をやっているが、こういう良い先生はまれである。
教師というのは、芸能人とある意味同じで、人気の歌手やアーティストには人が群がるが、そうでない歌手は金を払っても聞いてもらえない。
よい教師が数人いれば、ネットで授業を公開し、それをみんなが見て学べばよい。
もはや学校は必要ない。人気のない教師は失業すればよいのだ。芸能界は本来厳しいのであるw
今の学校は公務員教員の利権のためにだけあるので、社会悪である。

茂木氏は、授業をyoutubeで音声だけだが公開している。
そのテキストもHPに載せている。
このyoutubeを正月ずっと聞いていたが、高校の世界史というのはこんなにも密度の濃い内容だったのかと初めて知った。
下手な歴史本を読むより、この茂木氏の講義を聞く方がはるかにためになるだろう。↓
https://www.youtube.com/channel/UCawFpYvbwCH0_Pznf43KN1Q

これは受験生だけでなく、むしろ一般の大人にもお勧めだ。
しかし、歴史の年号を大量に暗記させるような受験システムというのはやはりおかしいとは思うが、社会人であれば純粋に世界史の流れを知り、理解することだけを目的として講義を聞けば十分だろう。
posted by libertarian at 21:25| 東京 ☁| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする