2018年10月31日

高尾山

最近、高尾山によく行く。
高尾山は京王線で簡単に行けるし、登山口まで行くのがあっという間だ。コースも6号まで多様なコースがあり、ケーブルカーやリフトも使える。その気になれば、頂上から奥高尾の縦走コースへの道もあるし、実に懐の深い山である。
高尾の6コースは5号を除いてすべて走破した。

高尾山ができたのは6000万年位前らしいので、人類が地球に発生するはるか前からあそこにある。高尾山から多摩丘陵や武蔵野台地が始まっている。数十万年前?は高尾山の辺りが海岸線にあたり、その後、海が後退して丘陵や武蔵野台地が表れてきたらしい。

高尾山は599mと低山なので緑が豊富で植生は多様性に富んでいる。ある意味東京の里山と呼ぶにふさわしい。
地質的にも興味深い。6号コースは沢伝いに登るがちょうどそこが断層帯になっていて、注意してみると断層の様子が分かる。
高尾山には自分が山に求める全てのものが詰まっている。

山は登るのも下るのも大変な重労働なので体力の有り余っている若いときはピークハント的な登り方もありかもしれないが、歳をとってくるとピークハントなどやってられないし、別に面白くもない。そこにもっと知的な面白さを発見する必要がある。
posted by libertarian at 13:23| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月13日

武蔵野台地

「日本史の謎は地形で解ける」竹村公太郎著を読んだ。
著者はダムの専門家で地形と気象のプロである。ダムや水道といった社会インフラを作ってきた人だから、視点が専門的で斬新だ。今まで、どこにいてもあまり社会インフラの仕組みなど意識もしなかったが、水がなければ暮らせないし、当たり前のように使える水道も社会インフラの賜物であった。

最近は、古地図アプリがいろいろとあり、古地図を簡単に参照できるようになった。東京などは暗渠だらけで川はほとんど見えなくなり地形そのものも分かりにくいが、昔の地図をみると地形が見えてくる。
玉川上水は多摩川の羽村から江戸城までの43qを水をひいているが、これはほぼ甲州街道と並行で地形的には尾根道にあたるところを利用しているそうだ。わずかな高低差を巧みに利用してる。尾根道だから上水の左右に水を出すことができた。
徳川家康は鷹狩りと称して各地の地形を調査していたらしい。家康自身が鷹の目を持っていたかのように地形を理解していたようだ。地形のような巨大なものは人間の感覚の延長にはないのでそれを見るには特殊な技術が必要だ。

武蔵野台地という言葉の意味もこれでわかった。東京は沖積平野にあるが、武蔵野台地という小山のようなところが江戸時代の陸地で他は湿地帯だった。江戸城が武蔵野台地の東の端でその先は海だった。川の周りは広い湿地帯だったようだ。利根川を上流で東に遷移させて銚子に水を向かわせることで、江戸は湿地帯を乾田化させていった。それまでは利根川は東京湾に注いでいて治水がされなかったからその周りは広大な湿地帯になっていたようだ。武蔵野台地はわずかだが高台を形成しているので、そこは人が住めた。

posted by libertarian at 07:45| 東京 ☀| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする