2019年10月18日

原子論の歴史

現代であれば、さすがに原子の存在を知らない人はほとんどいないだろうが、直接見たことのある人は依然としていないだろう。
原子論の歴史は非常に興味深く奥が深い。古くはギリシャのデモクリトスやエピクロスからあり、それが一旦は完全に失われるが2千年後にルネッサンスで発掘され奇跡的なリバイバルを果たした。そして19世紀と20世紀に原子論は科学的完成に至った。原子論は誰も見たことがないものを思弁的、論理的に考えているという点でギリシャの昔も今も同じである。w

もっともギリシャのアトムという概念は一種類の根源的な粒子で元素=elementsというものではなかったと思われる。
アトムが集まって金になったり、土になっているというものだったのだろう。
しかし未だ誰も見たことのない原子ではあるが、このようなものがいかにして科学的に研究可能となってきたかが面白い。現代科学は原子論にその集大成を見ると思う。

先日、周期表118元素を全部暗記した。天皇126代を覚えたので次はなにを覚えようかということで周期表を覚えた。
元々、ある程度(Krくらいまで)は歌で覚えていたこともあり、1日で全て暗記した。
周期表関係の本も何冊か読んでみたが、知らないことが多く興味深い。周期表を全部覚えてから原子のあれこれを覚えるのがいいのである。w
113番、ニホニウム(Nh)のように超ウラン元素の命名が話題になったりしているが、実際は元素番号だけで呼んでもよさそうなものだ。しかしやはり名前をつけたほうが親しみがわくのだろう。とはいえ、元素番号の方が原子名より重要であることは自明で、原子番号がわかればその性質もある程度分かるので、やはり元素名より元素番号表記が私はいいと思う。そうすると例えばC-C結合は、6-6と表記される。

ちなみに超ウラン元素は26個中14個が周期律に貢献した人名由来。例えば、99番のEs、アインシュタニウムだが実はアインシュタインのブラウン運動論文(1905年)がはじめて原子の存在を理論的に明らかにしたということを知る人は意外と少ない。それまで1900年時点であっても原子の存在は科学者でも賛否両論だったらしい。しかし、その後、20世紀初頭に怒涛の勢いで原子の構造が解明されていく。
分光分析の技術が発見されたことも大きいし、19世紀に電磁気学が完成されてなければやはり原子の研究は無理だったろう。

20世紀中ごろには、フレッドホイルらによって元素が恒星で作られるメカニズムまで解明された。
だが今の素粒子研究はあまりにも大規模になりすぎて、見ていて重労働感が漂っている。自分なら仮にやれといわれてもあまりやりたくない分野である。w
しかし、これは宇宙研究でも同じで、こないだようやく完成したというジェームズウェッブ宇宙望遠鏡も1兆円超。
科学が巨大組織になりすぎるのもなんか嫌だw
とはいえ、今は素粒子研究と宇宙研究は表裏一体で現代科学のエピステーメーがここにあるのは間違いない。
現代の科学というよりも人類の科学は常にこの原子論の分野が最先端になる気がする。

posted by libertarian at 20:49| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本の選び方

本の選び方は大事だ。当たり前のようで当たり前ではないと思うが、本を選ぶ際に大事なのは自分が楽しく読める本を読むことだ。もし楽しく読めないのであればそれは本の内容が良くないか、自分にはまだ難しすぎるということになろう。
昔は背伸びをして分からない本を一生懸命読んでいたものだが、これは無駄なだけでなく損失につながる。
頑張るだけ時間と労力の損にしかならない。小説でも読んで楽しくないのであれば、すぐに読むのをやめるべきである。頑張ってはいけない。あくまで自分本位に読むことが肝心。

あと基本的なことだが、小説でなければ本は最初から順に読む必要はない。一番自分においしい部分から読むべきだ。もとより本はある程度のページ数が出版の際に求められるために内容には大事な処と水増しの部分があると知っておくべきだ。300ページの本のおいしい部分は20ページだけかもしれない。
 
しかし、昔に比べて科学や数学の本は少なくなっている気がする。昔は岩波がいかめしい箱入りの科学や数学の専門書を沢山だしていて大きな本屋ではそれが棚を大量に威張って占めていたが今は全くみかけないw 大変よいことである。

読書の楽しみは自分が面白いと思う本を探すことが大きい。そういう本は100冊に1−2冊くらいだろうから、そうでない本に時間と労力を費やすべきではなく、つまらない本は面白い本に出合うために検索コストと考える必要がある。
posted by libertarian at 19:50| 東京 ☔| et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月01日

タブレットはいらない

タブレットはiPad,Androidタブレット,Windowsタブレット,Kindle Fire, Kindle paperwhiteなどと色々持っている。新製品が出ると買い替えたほうがいいかとも思うが、結局使うアプリが変わらないので必要ないかとも思う。Androidタブレットは最近はほとんど新製品が出ないが結局、買い替えニーズがあまりないのであろう。iPadはiPad OSになったので少し興味はあるが、iPad Proは電子ブックリーダーとしてはオーバースペックであり、お絵かき系のアプリは全く使わないし写真処理はPCで行うのでやはりいらないかと思う。ゲームをするわけでもないし、高性能化の恩恵があまりないのである。

このところ、タブレットでは電子ブックをコンピューターに音読させる使い方をしている。アンドロイドスマホでもTalk back機能を使えばKindle本を音読させることができる。
使い勝手ではKindleFireの音読機能がいいが、読み上げの流暢さではアンドロイドのTalkBackが優れている。
音読を聞きながら散歩するのは結構楽しい。もちろん黙読したほうが圧倒的に早いが散歩しながら朗読を聴くのはなかなかよい。2倍速くらいで読ませるのが聞きやすい。散歩もただ歩いているだけだと風景も見慣れておりやや退屈だが本を聞きながら歩いていると退屈しない。
ちなみにアンドロイドのアシスタント機能のTalkBackを使って音読できるのはKindle本くらいで、Dollyの電子ブックは読ませることができない。Dollyはヨドバシの電子ブックでKindleよりもずっと安いことが多いのでこちらを買うことが最近増えていたが、TalkBackで読むことができないのは大きなデメリットである。w
読み上げの流暢さでは、アンドロイドのTalkback>Kindle Fireの読み上げ機能>iOSの読み上げ機能 の順になる。
やはりGoogleのAIが一番進んでいる。

断捨離ではないが、あまり物を増やしたくないというのもある。すでに物がありすぎるのだ。タブレットも10枚以上あるが、使っているのは半分くらいか。捨てるわけにもいかず困ったものだ。
posted by libertarian at 16:14| 東京 ☀| Computer | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする