2008年07月01日

Problems for Social Problem

社会問題というのは一般に非問題だ。まずもって社会という概念が曖昧すぎる。
だが政治というのが存在する理由は、社会問題に対処するためということになっている。
公共問題、公共事業全てこれらは社会問題という非問題に対するものである。
近代において政治は、公共の領域を広げつつ、社会問題として扱う領域を同時に拡大してきた。
さらにメディアは社会問題を報道するのが仕事だと考えている。
これによって社会問題=公共問題がますます領域を拡大することになる。
このレトリックは政府に権力を集めるために用いられてきたわけだ。
この極めつけが、環境問題であり、これは社会問題どころか人類の課題となっているらしい。
しかし、実際、個々の問題というのは、個人的な問題であり、個人と個人の関係の問題だ。
それが社会問題として一般化?される境界は存在しない。
どこかの狂人による通り魔殺人は以前からあったが、今ではこういった事件をいかようにも社会問題とすることができる。

法律も私法=民法がほぼその全てであった時代は、よかった。

貧困の問題もしょせんは個人の問題だ。Aさんが貧乏なのはAさんの問題にすぎないが、社会政策として政府が税金を使って是正しなければならない社会的な課題となる。

これを世界的にみて、A国が貧乏なのは、世界の社会問題とされる。
社会問題=公共問題を解決すべきものとして、もろもろの公法が際限なく立法さ れるようになっていったのは20世紀の半ばあたりからだろう。
この流れを止めることができなければ、1984の世界は現実となるに違いない。
 
ハイエクは、"Private law persists,Public law passes."と言ったが、現代はむしろ逆である。
"Public law persists,Private law passes." が現実に近い。

posted by libertarian at 23:34| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Law | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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