2008年12月14日

Marx or Rand?

池田信夫さんのBlogで、アインランドの適当な批判を書いている。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/48dce1587ade7a9197faa026eb857692
読んだこともないものを、適当な要約をどこからか拾ってきて一知半解な知識で、幼稚であるとかいうのはいかがなものだろう。月に200万PVを誇るblogで書かれると、こういう適当な解釈が広まるから困ったものだ。

いちいち、こういうアホな誤解につきあっていたら時間がもったいないが、私の右のリンクにある翻訳したランドのエッセイでも読めば、ランドがそのように考えていたわけでもなく、こういったばからしい批判は成り立たないことが分かるだろう。

ランドの客観主義というのは、利己主義の追求がそのまま社会全体の利益になるので、生命や財産権の保護などの「夜警国家」以外の政府の機能は廃絶すべきだという思想だ。

そもそもランドは、社会全体の利益など問題にはしていない。

これは社会哲学としては幼稚なものだが、いま起きている変化がレーガン以来の「小さな政府の30年」から次の「大きな政府の30年」への移行だとすれば、その方向を考えるベンチマークとしては役に立つ。

こういうレーガン=グリーンスパン=ランドという、めちゃくちゃな括りでおおざっぱなことを言っても何のベンチマークにはならない。

ランドのいう利己主義とは、勝手気ままな行動ではなく、個人が社会全体の利益を内面化し、卑劣な行動によってreputationを傷つけるコストまで勘案して行動することだ。

いったい、どこの受け入りでそんなことを言っているのだろう?

しかし個人の利益最大化の集計が経済全体の効率最大化になるという彼女の主張が成り立つためには、経済学でいえば社会的な外部性を個人が100%内部化していなければならない。

たとえば、ランドのActive man とPassive manの分類がある。参照→The only path to tomorrow https://libertarian.up.seesaa.net/image/optt.htm
ようするにランドは、Active manが自由に活動できる自由を社会が抑圧してしまえば、Active manがだめになり、その結果として社会の大多数であるPassive manも駄目になると言っているのである。
私もこれは真実だろうと思う。

しかし日本で50を過ぎた人間が、リバタリアニズムを学ぼうとしても、それまで散々に左派の本を読みあさってきているから、そちらのサンクコストが大きすぎ、新しいことを学ぶにもそちらの文脈からしか理解できなくなってしまうのだろう。
先のポストのMarx or Misesで書いたのと同様に、池田さんのリバタリアニズムやオーストリアンの理解は笠井潔と似たり寄ったりなのかもしれない。


とはいえ、池田さんは、日本の経済学者の中では、野口悠紀雄氏よりは”極左”に属する人だろうから、”極右”相手に頑張ってほしいと私は思っているのだ。
 
posted by libertarian at 18:35| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | AynRand | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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