2009年06月06日

How to abolish regislations

本日、蔵さんの「国家はいらない」を再読した。
WEBで原稿が前に公開されておりそれを読んでいたので、本は発売時に買ってはいたがちゃんとは読んでいなかったのだ。これを今日、喫茶店でじっくりと通して読んでみた。
もとより記憶の悪い自分としては、前に読んだことはかなり忘れていたので、ほとんど初めて読んだような新鮮な印象で読むことができた。

#WEB版はこちら↓
http://www.gifu.shotoku.ac.jp/kkura/noneedforthestate.htm

日本の政府組織の社会主義的腐敗の実態はすさまじいもので、こういった事実を読むたびに暗澹たる気持ちになるし、今ではこういった認識を持っている人はリバタリアンでなくとも多いだろう。
だが、なぜこういった構造的腐敗をいつまでも全く修正することができないのだろうか?
むしろ問題は悪くなる一方で、政府の統制圧力、規制権力の拡大が顕著である。
これは第一義的に法律が問題である。その表現型である経済や税や公共事業の問題は二次的な問題と考えられる。→バスティアの「法」を読むべし。

一応、現行法上でも法律を廃案にすることは出来る建前であるが、実際はこれは殆ど無理であり、あまりにも多くの法律、規制が多すぎて、一つ一つ変えるなんてことは事実上の不可能なのが現実だ。
あれほど不評な個人情報保護法ですら、廃止しようという声が高まらない。

#ちなみに法律には六法をはじめとして沢山あるが、さらにその中の一条々が法律である。日本の法律の全てが全部で何条あるのか知らん。

代議制民主主義のスキームとは、代議士をたてて法律を作成する仕組みのことであるが、余計な法律を作ることばかりで、法律の廃棄の仕組みは構造的に非常に弱いのである。
そのため立法は悪法であっても廃棄されず、それが政府と政府に寄生する組織の利権として定着、固着化し、行政組織が幅をどんどんきかせることになる。
行政は法律の執行機関でしかないが、役人は選挙で選ぶわけでもなく、国会からのトップ人事の間接コントロールをうけるだけだ。しかし実際は行政組織によって国は完全に支配されコントロールされている。
また司法も司法官僚制度であるから、他の行政組織と大して違わない。

別にリバタリアンでなくとも、このような行政の実態、不正な規制と既得権益による税の乱用を許せないと思う人間は多いだろう。
さらに昨今ではコンプライアンスが叫ばれ、法律や規則には全て盲目的に従順に従えというのが今の作られた風潮である。Deregulation=規制撤廃が唱えられた数年前とは、180度ベクトルがひっくり返ってしまっている。
コンプライアンスキャンペーンには、このような法律や規制そのもの、つまりは既得権益を問題視する国民の批判を圧殺する意図が背後に明らかにあるのである。
いかに人気のあるタレントであろうと、つまらない”違反”を根拠に社会的村八分にすることで、集団同調圧力を極限的に高めようとしているわけだ。

村社会的な集団同調圧力による人間管理から人間を自由にするのが、本来の法であり、法のありがたさであった。しかしコンプライアンスというスローガンは、法によって集団同調圧力を高める目的で用いられている。コンプライアンスとは、反ー法であり反自由主義=全体主義を意味する。

このような現実を打破するためには、スピードを重んじれば暴力革命が必要となり、ゆっくりやろうとしたら1000年経っても変わらないだろう。
だが、問題は暴力革命で既存の法律をひっくり返したところで、その後の体制の善し悪しはクーデターを起こした連中の一存で決まるのがかなりリスキーなことである。

次なる方法は憲法の改正である。この本にも書かれているが、ミルトン フリードマンは「選択の自由」の中で憲法の修正案を示している。
職業選択の規制禁止、外国貿易の制限の禁止、特定の生産活動への補助金の禁止といった広範な禁止条項を憲法に埋め込むことを提案していたわけだが、これは合衆国憲法が制限憲法、つまり国会の立法権力を制限することを目的とした憲法である趣旨にも則っている。
これと同様に日本の憲法の中に立法権の禁止制限条項を盛り込むのである。
そして、さらに明示的に抽象的違憲立法審査制度を憲法上に明確に定義する必要がある。今の憲法では抽象的違憲審査がないため立法の違憲判断を裁判所は原則的にできない。またドイツのようにそのための憲法裁判所を作るのがいいだろう。
こういった立法ベースがなければ、地方分権などはかえって日本の社会主義を強化するだけなのは目に見えてる。大体、頭の悪い人間が行く不人気職場の典型である地方公務員連中のすさまじいお手盛り給料の実態を知れば、国家公務員より遙かに偏差値の低い馬鹿からなる地方公務員に権力を委譲することの無謀さがわかるはずだ。

こうして、制限憲法に日本の憲法を改正し、それによって立法権力を制限する仕組みが必要だ。
これができれば、法律を廃止する法的基盤ができる。こういった消極的な立法権力を司法に与えるのは悪くないだろう。
posted by libertarian at 14:33| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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