2009年06月07日

Milton Friedman on Constitution

先のポストでミルトン フリードマンの合衆国憲法の修正案のことを少し書いたが、もう少しまとめてみよう。
「選択の自由」は、フリードマンの著作の中でも私の一番のお勧めだ。豊富な実例といい、説得的なレトリックといい、現代の古典といえる。ある意味、現代の自由主義者はこの本の内容を繰り返しているだけともいえる。しかし、本質的で大事なことは繰り返し語られなければならないのである。

次に、この本の最終章(10章)から、フリードマンの合衆国憲法修正案について、ところどころ引用する
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可能な解決策

いうまでもなく、このような最近の傾向を阻止し、これを逆転しようと欲するものは、政府の権力を増大させたり政府の支配力が及ぶ範囲を拡大させたりするような、これ以上の特別な政策に対しては反対すべきであり、既存の諸政策を廃止し改善することを主張すべきであり、われわれと同じ考えをもつ立法者たちや行政者たちを選挙するように努力しなければならない。しかしこれらのことは、政府の巨大化を逆転させるためには有効な方法ではない。
それどころかこのような方法は間違いなく失敗する。
人々は自分の特殊な特権を擁護しようとし、他人の犠牲においてだけ政府を制限しようと試みるだけだ。
われわれは多くの頭をもったヘビと戦っているのであり、このヘビはわれわれがその頭を切り捨てるよりももっと早く、新しい頭をはやしてくるのだ。

アメリカの合衆国の父たちは、これよりはもっと将来性のある方法をわれわれのために示してくれている。
それは、いわば「一括取引」をすることだ。われわれは、われわれが政治的な経路を経て追及する目的を制限する「自己否定的」な法律を制定すべきだ。

この修正第一条は、「連邦議会は・・言論の自由を制限する法律を制限してはならない。」という一般原則を採用した。
すなわち、ひとつひとつの場合について、それぞれがどんな価値をもっているのかを考慮しないというのだ。
われわれは、自身が多数派である場合には、他人の自由を干渉することについて、それほど深刻な関心を持たない。
しかし、われわれの大半がなんらかの時点において少数派になることはまず間違いないのだ。
我々の考えでは、経済と社会の分野における政府の権力を制限するために、アメリカ合衆国憲法修正第十か条に等しいもの、ないしは「経済的権利章典」を樹立して、最初の権利章典を補完し、またこれを強化する必要があるのではないかと思われる。

憲法にこのような経済的権利章典を組み込むことは、それだけでは政府が巨大になる傾向を逆転させたり、このような傾向がさらに続いていくのを阻止することはできないだろう。この事情は現行の憲法と基本的に変わらない。現行の憲法は今日の政府が巨大になるのを阻止することができなかった。
究極的には成文法としての憲法は、自由社会を発展させたり、これを維持していくためには必要でもなければ十分でもない。イギリスはつねに「慣習法」としての憲法しかもっていなかったが、自由社会を発展させてきた。これに対して多くの南アフリカ諸国はアメリカ合衆国憲法を事実上、一言一句までまねをした成文法としての憲法を採用してきたが、自由社会を樹立するのには成功しなかった。
成文法としての憲法や、慣習法としての憲法にしてもこれを有効にさせるためには一般大衆とその指導者との間に、この憲法を支える世論の風潮が存在していなければならない。
またその憲法は、人々が深く信奉するようになっている諸原則を組み込んでいなければならず、行政府や立法府や司法府がそれらの原則に従って行動することが当然だと考えられるようになっていなければならない。
われわれがすでに見てきたように、世論の風潮が変化するとき政府の政策も変化する。
それにもかかわらず、経済的権利章典を制定し、これを採用することは、政府がいっそう巨大になっていく今日の傾向を逆転させるために採用できるもっとも有効な方法であると我々は信じている。

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これまで説明してきたような理由で特殊利益は一般利益を犠牲にしながら社会を支配してきている。今日の新しい支配階級は大学に納まっている連中であり、マスコミであり、とりわけ連邦政府の官僚機構である。
この新しい支配者階級は一般大衆による広範な反対にもかかわらず、自分たちの考えを人々に強制するのに繰り返し成功してきた。
・・・・
いまや多数派はむしろ特殊な種類の多数派でしかない。すなわち今日、民主主義の名の下に一国を支配しているのは、このような八百長的多数派でしかないのだ。

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政府支出の我々の所得に対する比率を減少させていくことは、より自由で経済的により強い社会を樹立していくのに大きな貢献をすることになるだろう。しかしこのことはこの目的に向けての第一歩にすぎない。
実際、政府の規制のうち、われわれの生活に対し最も大きな被害をもたらしているものはそれほど政府支出を必要としていない。関税と価格や物価に対する統制、いろいろな職業に対する免許制度、産業に対する規制、消費者製品に対する規制等はそれほど政府支出をつかっていない。
このような問題に対して最も将来性があるやり方は、政府の権力を制限する一般的な規則を確立することだ。
そのための第一歩として望ましく思える憲法修正案のいくつかを次に挙げておきたい。

○国際貿易
現行の憲法は
いかなる州も連邦議会の同意なしに、その検査法を執行するのに絶対必要な場合を除けば、輸入や輸出に対していかなる賦課金も関税も賦課してはならない。」と規定している。

これに対する修正条項は次のように提案できる。
連邦議会は、検査法の執行にその検査法を執行するのに絶対必要な場合を除けば、輸入や輸出に対していかなる賦課金も関税も賦課してはならない。」

このような憲法修正条項が実際に立法化されると想像することは、現時点においては幻想でしかない。しかし、既存の個別のいろいろな関税をひとつひとつ廃止していくことによって自由貿易を達成しようと考えることはもっと幻想的なことでしかありえない。

○賃金と価格に対する統制

「連邦議会は財貨の販売者や労働の提供者が、その財貨やサービスに価格をつける自由を侵害するようないかなる法も立法してはならない。」

○免許制度

「何州といえども、アメリカ合衆国の市民から自分が選択したいかなる職業や専門職業にも従事できる権利を奪うような、いかなる法律も制定してはならず、または施行してはならない。」

○課税

ここでは所得税に関して政府に権限を与えている現行の合衆国憲法修正第十六条を修正することが必要であり、この修正条項を次のような文章によって置き換えるとよいだろう。

「連邦議会は、同一の所得税率が職業上ならびに営業上の費用や固定された金額における個人に対する控除額を上回るすべての所得に対して同様に適用される限り、数週に割り当てすることなしに、またこのためにいかなる特別の国勢調査や納税調査も行わないことを条件として、いかなる源泉から発生した「人」の所得であろうが、これに対して所得税を課し、これを徴収する権限をもつ。「人」とは、法人とかその他の人為的「人」を含まない。

○健全通貨

「連邦議会は、通過の形における政府による無利子の負債証明書を公認する権限をもつ。ただしその際、総通貨残高は年間5%よりは低く3%よりは高い率で増加しなければならない。」

○インフレ対策

「アメリカ合衆国政府とその他の当事者との間において、ドル建てで結ばれるすべての契約や、連邦の諸法律に含まれているドル建てのすべての金額は、毎年、それに先立つ一年間に発生した一般的物価水準の変化を相殺するために、再調整されなければならない。」


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posted by libertarian at 00:41| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | MiltonFriedman | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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