2009年08月23日

Sceptical Positivism

ブラックスワンの上巻も買って読んだ。(下巻は先に読んだ)
この本は最初抱いた印象よりも実は内容のある本であった。
といっても、この本を読んでタレブの言っていることが分かる人間はほとんどいないだろう。
私も、実はよく分からんところが多い。
しかし、この本はエッセイとしてきわめて痛快で、エッセイの形をかりた挑戦的な本である。
タレブは、さすがにハイエクとポパーと、フレデリック バスティアとマンデルブローを崇拝しているだけのことはある。(だがリバタリアンじゃない。タレブは懐疑的実証主義者なのだ。)
頭の鋭い人間なら、この懐疑的実証主義=sceptical positivismの意味が分かるかもしれない。

ちなみに私が今の世の中、リスク、リスクというが、それは裸の王様のようなもので、誰もリスクなんか分かっているはずがないと書いていたのは、このタレブの主張と重なるのである。

いろいろと面白いのだが、少し引用しておく。

”おかしいのは、ミンスキーや彼の学派であるポストケインジアンと、彼に対立する「オーストリア学派」の自由主義経済学者たちは、同じ分析を行っているのに、前者は政府が介入して景気の循環を和らげるべきだといい、後者は公僕の連中にそんなことがやれるわけがないと信じていることだ。
二つの流派は敵同士みたいに見えるが、どちらも本質的な部分での不確実性を重視していて、経済学部の主流派からは外れている。プラトン化した連中には、この本質的な部分での不確実性を強調されるのが耳障りにちがいない。”

”ロバート エングルは、計量経済学であることを除けば魅力的な紳士だ。彼はGarchと呼ばれるとても手の込んだ統計的手法を発明してノーベル賞をとった。でも、現実にこの手法が少しでも役に立つかどうか、誰もテストしなかった。もっと単純で、あんまり色っぽくないやり方のほうがずっとずっとうまくいくのに、そういうやり方をしてもストックホルムには呼ばれない。”

”経済学は学問の中でも一番孤立した分野だ。仲間内以外から一番引用されないのが、まさしく経済学なのだ。今、俗物が一番闊歩している学問といえばたぶん経済学だろう。教養とか、持って生まれた好奇心とか、そういったものがない人が学問をやると頭が固くなり、分野同士を結びつけられなくて、バラバラになってしまうのだ。”

「はっきりさせておくと、プラトン的とは、天下りで型にはまっていて、凝り固まっていてご都合主義的で陳腐化した考え方だ。非プラトン的とは、たたき上げで開かれていて、懐疑的で実証的な考え方だ。」p31

「哀しいのは実証的にものをみるのに不自由な、天才バカボンどもが山ほど湧いて出る前は、本物の思想家たちが興味深い仕事をしていることだ。ケインズ、ハイエク、そして偉大なるマンデルブロといった人たちだ。そういう人はみんな隅に追いやられてしまった。彼らは経済学を2線級の物理学の几帳面さから遠ざけていたからだ。」p36

「自分でつくったゲームなら、だいたいは負け犬にならない。黒い白鳥の文脈で言えばこうなる。
ありえないことが起こる危険にさらされるのは、黒い白鳥に自分を振り回すのを許してしまったときだけだ。自分のすることなら、いつだって自分の思いのままにできる。だから、それを自分の目指すものにするのである。」p218


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今では、フリー統計ソフトのRを使えば、Garchでもなんでも簡単に実行できる。
しかしなぜそれを使うのかを考える人間はまれだ。だがなんらかの結果がでることだけは保証されている。
その反面、人はちょっとしたことでも結果の保証されていない努力は全くしないものなのだ。
なぜなら、それは不確実性が高すぎるからだ。保証されていない果実をイメージできる人間はまれだともいえるだろう。ではリスクとは何か?

リバタリアンとは、いわゆる正しいこと!を言う人たちの呼称である?が、正しいことを言ってるだけではだめだということだ。
懐疑的実証主義者でなければ、正しい俗物と変わらない。
posted by libertarian at 14:53| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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