2009年08月30日

Liberte vs (+ Egalite Fraternite)

本日は朝早くに久しぶりに投票に行ってきた。
今の小選挙区で選ばれる代議士は、区長選挙レベルの代表だが、積極的に選びたい人がないのが困る。しかし、これを公認賭博と結びつけると面白いだろう。投票に行くインセンティブが高まるかもしれない。

結局 、私は小選挙区で自民党候補を、比例ではみんなの党に入れた。小選挙区で自民党候補に入れたのは消去法的必然である。比例は知人にきくと意外とみんなの党の認知度が高く評判も高かったから健闘するかもしれない。

一部で話題の鳩山由紀夫のvoice論文も読んでみた。さるサイバーリバタリアンが熱心に批判していたが、くわしい突っ込みはさておき、なかなかよく書けているではないか。オバマやクリントンが選挙の時に言っていたことよりはましに思える。

一部抜粋しておく。
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http://voiceplus-php.jp/archive/detail.jsp?id=197&pageStart=0

 カレルギーは昭和10年(1935年)『Totalitarian State Against Man(全体主義国家対人間)』と題する著書を出版した。それはソ連共産主義とナチス国家社会主義に対する激しい批判と、彼らの侵出を許した資本主義の放恣に対する深刻な反省に満ちている。

 カレルギーは、「自由」こそ人間の尊厳の基礎であり、至上の価値と考えていた。そして、それを保障するものとして私有財産制度を擁護した。その一方で、資本主義が深刻な社会的不平等を生み出し、それを温床とする「平等」への希求が共産主義を生み、さらに資本主義と共産主義の双方に対抗するものとして国家社会主義を生み出したことを、彼は深く憂いた。

「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」

「自由」や「平等」が時代環境とともにその表現と内容を進化させていくように、人間の尊厳を希求する「友愛」もまた時代環境とともに進化していく。私は、カレルギーや祖父一郎が対峙した全体主義国家の終焉を見た当時、「友愛」を「自立と共生の原理」と再定義したのである。

 現時点においては、「友愛」は、グローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統のなかで培われてきた国民経済との調整をめざす理念といえよう。それは、市場至上主義から国民の生活や安全を守る政策に転換し、共生の経済社会を建設することを意味する。
いうまでもなく、今回の世界経済危機は、冷戦終焉後アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義の破綻によってもたらされたものである。米国のこうした市場原理主義や金融資本主義は、グローバルエコノミーとかグローバリゼーションとかグローバリズムとか呼ばれた。

農業や環境や医療など、われわれの生命と安全にかかわる分野の経済活動を、無造作にグローバリズムの奔流のなかに投げ出すような政策は、「友愛」の理念からは許されるところではない。また生命の安全や生活の安定にかかわるルールや規制はむしろ強化しなければならない。

クーデンホフ・カレルギーの「友愛革命」(『全体主義国家対人間』第12章)のなかにこういう一節がある。
「友愛主義の政治的必須条件は連邦組織であって、それは実に、個人から国家をつくり上げる有機的方法なのである。人間から宇宙に至る道は同心円を通じて導かれる。すなわち人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、自治体が郡(カントン)をつくり、郡が州(ステイト)をつくり、州が大陸をつくり、大陸が地球をつくり、地球が太陽系をつくり、太陽系が宇宙をつくり出すのである」

私は民主党代表選挙の際の演説でこう語った。
「国の役割を、外交・防衛、財政・金融、資源・エネルギー、環境等に限定し、生活に密着したことは権限、財源、人材を『基礎的自治体』に移譲し、その地域の判断と責任において決断し、実行できる仕組みに変革します。国の補助金は廃止し、地方に自主財源として一括交付します。すなわち国と地域の関係を現在の実質上下関係から並列の関係、役割分担の関係へと変えていきます。この変革により、国全体の効率を高め、地域の実情に応じたきめの細かい、生活者の立場に立った行政に変革します」
「地域主権国家」の確立こそは、とりもなおさず「友愛」の現代的政策表現であり、これからの時代の政治目標にふさわしいものだ。

アジア共通通貨の実現には今後10年以上の歳月を要するだろう。それが政治的統合をもたらすまでには、さらなる歳月が必要であろう。世界経済危機が深刻な状況下で、これを迂遠な議論と思う人もいるかもしれない。しかし、われわれが直面している世界が混沌として不透明で不安定であればあるほど、政治は、高く大きな目標を掲げて国民を導いていかなければならない。

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カレルギーはEUの父と言われているそうだが、「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」という事実認識は、ある意味で正しい。
フランス革命の「liberte egalite fraternite」が実はフリーメーソンのスローガンであることは有名だが、このスローガンはなかなか意味深である。鳩山さんは自由だけではアメリカ的になり、平等だけでは社会主義、全体主義になるから、フラタニテがあって三位一体でナイスだと言っていると思われる。
ここで、自由と平等は対立概念だとわりと正しく理解しており、フラタニテはその矛盾を解消する糊のような概念だというわけだろう。さすがフリーメーソンだ。w
フリーメーソンは、超国家的な結社という性質をもっていた。
また、国の役割を、外交・防衛、財政・金融、資源・エネルギー、環境等に限定するとまで言っているのも悪くない。

地域主権国家は、EUをイメージしているのであろう。EU内で、フランスやドイツが地域主権国家であるといったイメージか。さらに通貨は、ユーロを意識してアジア共通通貨を作ろうと言っている。東アジア共同体もアジア版のEUをイメージしているのだろう。アメリカも連邦国家であるから、三国志のようにアメリカ、EU、アジアの世界三極構造を目指したいということだ。

個人からはじめて友愛なる糊によって、ボトムアップに”人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、自治体が郡(カントン)をつくり、郡が州(ステイト)をつくり、州が大陸をつくり、大陸が地球をつくり、地球が太陽系をつくり、太陽系が宇宙をつくり出す”とするカレルギーのロジックで、カレルギーの頃と今では、結びつきの自由度と範囲が違う。
カレルギーのハイアラーキだと、個人ー家族ー自治体ー郡ー州ー大陸ー地球だが、インターネットの現代では、個人ー地球という形で、中抜きが可能なのだ。その点、政治的、社会的な秩序の最小単位として地域主権国家という発想が時代遅れだ。

そもそも地域主権=徴税権力という概念がどこかに根深くあり、これが間違っている。
バスティアが言うとおり、税とは合法的略奪だから、自由な個人や企業はこの合法的略奪を回避するのが当然のインセンティブとなる。
労働規制によって人件費が高騰すれば、それも「見えない税金」だから、その税金を回避しようとして企業は生産拠点を海外に移す。
#これを逃税行為として公式に非難できないのは、憲法で保障される移動の自由があるからだ。
見えない税金というのは、大前さんが昔言っていた言葉だが、規制は税と完全に等価なのだ。
それは見える徴税行為によらない税であり、合法的略奪だ。
だから、徴税権力と規制権力を制限した制度を考えるのが、最も本質的な政治ビジョンになる。
リバタリアニズムでは、平等はもちろん、フラタニテも政治的に有害無益とするだろう。フラタニテとは合法的略奪を正当化するSyntax Sugarでしかないからだ。

#つまり、平等と合法的略奪は一体のもので、合法的略奪をフラタニテと言い換えれば、フラタニテの結果として平等がインスタントに実現される。もちろん、このインスタントな平等は権力による不正の結果として実現できるわけだ。そういう意味で、自由vs(平等+フラタニテ)とした方が正確かもしれない。

取引の自由が保障されていれば、他はby-productとして実現されるが、他の2つからは自由は導かれない。
#自由が平等を実現する例として、自動車もコンピューターも最初は一部の人しか使えないものだったが、市場における自由競争の結果として誰でもが恐ろしく高性能なものを簡単に手に入れることができるようになった。こういった自由がもたらす平等が不正ではない唯一の結果の平等だ。



#追記
ふと思ったが、鳩山はあのトンデモ大賞作家=アポロ副島の本を読んでいるのかもしれない。
反米、グローバリズム反対、親中国、アジアといった主張が、あのトンデモ詐欺師=アポロ副島の戯言とオーバーラップする。
これがもし事実だとすると、鳩山は冗談にもならないアホだということだ。

posted by libertarian at 11:06| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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