特に大学の世界には、そのようなアホしかいないといっても過言ではないと思えるほど、思い上がった自称専門家であふれている。大した一流大学ともいえない大学の教員でも驚くほどの尊大な無恥厚顔ぶりだ。”サイバーなんちゃってリバタリアン”氏なんかも、いい加減な”専門知識”を振りかざしつつ、まじめに財政破綻論や増税を唱えているようだが、そういう”経済評論家”というのは、すぐに底を見透かされて飽きられる運命だということを肝に銘じたほうがいい。そろばん1級をとった人間がなんでも分かったような顔をしないのと同じくらいの当たり前の謙虚さをこれら自称専門家はわきまえる必要がある。
実際に、彼らが市場に参加して得られた知見は非常に大きなものだったのだ。彼らが市場に打ちのめされることで、なんちゃって科学がお粗末なものであることが実証されたからだ。そして、その反省の上に、なんちゃって学問ではなく真実を求めようというモチベーションが生まれるのだろう。
大学で教えているだけの経済学の自称専門家と市場に参加している人間の違いとは模擬演習しかしてない将校と、現実の戦場に立つ兵士くらいの違いがあるわけだ。模擬演習やシミュレーションゲームに欠けているのは、現実の恐怖であろう。そして、現実の市場は恐怖に満ち溢れたものだ。自分自身の恐怖に打ち勝てなければ、勝つ見込みはないだろう。また、蛮勇ではやはり生き残れないだろう。
成績がよくて大学に残った研究者と、出来が悪くて市場に放り出された人間とでは、この現実の市場の恐怖を知っているかどうかという点で、結果的に優劣が逆転する。
「われわれは、自分がもっている知識に基づいてしか収益機会に対応できない。リスクを特定でき、起こりうる結果を熟考できるときにしか、リスクをマネジメントできない。市場リスクをマネジメントできるのは証券価格が不確実であることを知っているからである。信用リスクをマネジメントできるのは企業が債務不履行に陥ることがあると知っているからである。オペレーショナルリスクをマネジメントできるのは、決済や清算にはミスが起こりえることを知っているからである。しかし、たとえこうしたリスクをコントロールできたとしても、最大のリスクは依然としてわれわれの力の及ばないところにある。それは目に見えない、未知のリスクである。
リスクマネジメントの課題は、こうした特定されていないリスクにどのように対処するかである。これは単なる課題ではない。”どうすれば存在していることを知らないリスクをマネジメントできるのか”というパラドックスである。このパラドックスに対する答えはこうだ。「そのようなリスクは直接マネジメントできない。」。
しかし、目に見えないリスクに対応する能力を高めるリスクマネジメントの特性を見極めることはできる。」
「価格の変動、とくに短期的な価格変動を引き起こす主因は、流動性需要である。つまり、市場の目的は、情報を伝達することよりも、流動性を供給することのほうがずっと大きいのである。
資産が迅速かつ低コストで売買されるには、市場に流動性がなければならない。そして、何よりも重要なこととして、流動性という泡の中から利益が生まれ、その中に市場の悪魔が解き放たれる。
完全市場仮説は、流動性が証券がすぐに売買されるだけでなく、証券を売り買いする個々の行為が価格に影響を与えない水準であることを暗に仮定している。
流動性需要はただ単に価格を動かすだけではない。価格を動かす最大の原動力でもある。情報が最大の原動力ではない。また、流動性需要はクラッシュとバブルを引き起こす主因ともなる。」
資産が迅速かつ低コストで売買されるには、市場に流動性がなければならない。そして、何よりも重要なこととして、流動性という泡の中から利益が生まれ、その中に市場の悪魔が解き放たれる。
完全市場仮説は、流動性が証券がすぐに売買されるだけでなく、証券を売り買いする個々の行為が価格に影響を与えない水準であることを暗に仮定している。
流動性需要はただ単に価格を動かすだけではない。価格を動かす最大の原動力でもある。情報が最大の原動力ではない。また、流動性需要はクラッシュとバブルを引き起こす主因ともなる。」