2009年10月20日

Contract of membership

今、バタリアンことhamachanの著書「新しい労働社会」を読んでいる。
そもそもバタリアン(=Labourtarian)であるhamachanが何を言っているのか知らないのでちょっと興味があったわけだ。もとより私は労働法そのものにはあまり興味がないが、労働問題は少し関心を持っている。

この本は、日本型雇用システムにおける雇用とは、職務ではなくメンバーシップであるという観点から、今の労働法制の問題点をオーバービューしている本である。
ざっと2章まで読んだので約半分ほど読んだわけだが、法律に素養がある(*)バタリアンの本だけあって、労働法の実態を知る上でなかなかためになる本であるようだ。

基本的にPolitical economyである社会制度を論じる場合、法律が先か経済が先かという議論は常にあるわけだが、経済学では経済がFundamentalであり法はそれに従属していると考える。さらに言えば、経済学では経済的合理性に対し法律がそれに反する規範を作ればそれは社会全体にとっての不幸になるという考えがある。
一方、制度=法律が先で、それにあわせて経済が動いている面もある。例えば特許法などみれば、制度があって、それに対応して経済の仕組みが作られている。
私もこの考えを基本的にもっている。つまり問題とすべきは法律そのものであり、実定法の改廃なくして、現実は変わらないと考えている。

だから労働問題は何を目的として何を解決しようとするものかははっきりとしておいたほうがいい。
経済学では、労働問題においても経済発展しいてはGNPを目的とするのはそれが投資と消費の合計に等しいからである。貧富の格差は、経済発展により時差をともなうが”発展的に”解消できるという発見がある。だが、ここらの経済学は法律家には、なかなか理解できないのだろう。
しかし明らかに問題とならないのは、労働者の権利を目的とする考えだ。ここでいう労働者の権利とはなにがしかの憲法上の理念を実現する手段として制定された法律の文言にすぎない。それは手段にすぎないから、目的とすべき神聖ななにかではありえない。むしろ特権は権利の平等の原則に反しているといえる。

私が考えるのは、経済発展や労働者の権利をこの問題の本質とするのは間違いで、この問題においても”自由”に焦点をあてるべきだということだ。これが、バタリアンともサイバーなんちゃってリバタリアンとも違う点なのである。

最後まで読んだら、またこの問題について少し書いてみるかもしれない。

特にこの問題において、リバタリアン的に気になるのは、メンバーシップという契約形態が財産権的な性質を持っているのかどうかといった点だ。

(*)ちなみに「法律に素養がある」とは、法律の業界用語で司法試験にうかった人という意味である。また法学部の教授が、法律に素養がないと具合が悪いので、法学部教授も法律に素養があるとして司法試験にうかってなくても弁護士などの法曹三者と対等の資格を自動的に与えているわけだ。
その点、経済学に素養があるというのは、誰でも名乗ることが出来るので、世の中に有害なだけのなんちゃって経済学者が多いのであろう。
すくなくとも法学よりも経済学の方が人材にぶれの多い業界のように見える。
posted by libertarian at 23:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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