2009年10月21日

Contract,Membership,Private property

hamachanの例の本を読み終えた。 
各論に立ち入って論じるつもりはないし、本の書評をするつもりもないが、基本的に私が問題としているのは、常にリバタリアン的な自由の問題である。つまりprivate propertyを原理とする選択の自由、契約の自由といった問題であり、その他は派生的な注釈に過ぎない。労働法もprivate property しいては自由の問題に帰着すると考えるのである。
hamachanが労働法の本質的問題と指摘している契約とメンバーシップの相違は、組織の成立条件として対照的だ。
この観点から会社組織については、過去にもBlogで少し書いてきた。随分前のポストだが例えば次のポスト。

会社は誰のものか 
http://libertarian.seesaa.net/article/37254905.html

ここでは雇用契約を前提としてるが、日本の会社組織が職務契約をベースとしていない組織とすると前提が狂ってくる。日本は役所のみならず民間企業もメンバーシップ契約ばかりかもしれない。
そもそも歴史的にヨーロッパにおいて土地所有が基本となり財産権概念が定着していったようだが、日本は財産権という概念が確立していたのか疑わしい。村社会を基礎単位としたメンバーシップ社会で、ゆるい財産権概念がなんとなくあっただけなのかもしれない。

労働契約が職務契約であれば、これは商人がものを売るのと同等の、売り手と買い手の間の対等な交換契約であって債権ー債務関係であり、労働成果を売る商行為に他ならない。

例えば食器を作る技術があれば、最終生産物の食器を売らなくても、食器を作りたい工場でその技術を売ることができる。
そして、ここでは最終製品を売るのも、技術を売るのも同じことで、どちらも自分のprivate propertyを売っている。 
職務契約とは、技術のようなprivate propertyを持つ人間の商行為といえる。

家父長的なメンバーシップシステムでは個人の所有権も債務も明らかでないし、何を売っているのかも定かでない。
日本は、江戸時代まで儒教をベースとした家父長主義的メンバーシップ社会を強固に築いてきたから、表面的には西洋の近代的な法制度を持ち込んだが、その後の社会も江戸の社会をベースとしたものになった。
いまだに組織の売買を可能にするsecuritize(証券化)の意味も理解できていないし、だからライブドア事件のような騒ぎが起こるわけだ。

西洋的な意味での自由概念(liberty, freedom)は、private propertyの概念とともに生まれたが、日本ではprivate propertyの制度概念がないために、自由に相当する言葉自体が長らく存在しなかった。
日本語の自由という言葉は明治の1875年頃に福沢諭吉が西洋の本の翻訳のためにlibertyの翻訳語としてはじめて作った。それはありがたいお経のようなもので、その意味はほとんど誰にも分からなかったろう。実際、福沢諭吉は、仏教の経典から自由という言葉を持ってきたのだ。

契約が実はメンバーシップを意味するのみで、他に内容がないというのでは、hamachanの言うとおり契約とは呼べない。そして契約がないのであれば、何かを交渉すべき根拠もないことになる。組織に絡めとられてしまい何もないのが日本の従業員階級=小作人階級ということだ。

このような日本の雇用契約は、法律的に民法623条で定義されていて、単なる慣行ではない。民法623条が生んだ結果といえるだろう。そしてこの間違った民法の上に労働法体系が作り上げられているようだ。 
労働法は、さまざまな特権を作っているが、それ以上に問題なのはこういった民法レベルの内容かもしれない。民法は一般法で特権や規制が書かれているわけではないが、契約の根本に関わる規定だから、全てに影響を与えている。

では今の日本の会社が契約関係のない身分社会となっている前提から、何を変えればいいのかといえば、やはり民法623条を書き換えるべきだ。「労働に従事する」ことを労働契約とするのでなく、その職務内容を規定することを盛り込むといった改正だ。そうすることで、メンバーシップ社会=身分社会から、契約に基づく非身分社会に移ることができるかもしれない。今のままでは、100年たっても日本の会社組織はゲマインシャフトから変わらないのではないか。

ここで重要なのは、契約概念とprivate propertyの原理であり、またその帰結としての自由だ。private propertyと契約を法的に再定義するといったところから日本は始めないといけないレベルなのかもしれない。
成熟した大人の近代国家になったつもりでいたが、実は小学生レベルの学力もあやしいまま大人になってしまったようなものだ。これはほとんど明治のはじめの時期に戻ってやり直すような作業だが、ほんの120年ほど前に戻るだけのことだ。臆せずやるしかない。

真性○○のhamachanが、「法に素養がある」と言われて鼻高々になっているようだが、やはりhamachanは、ばかで無教養で恥知らずな人間である。
相手にするだけ無駄な人間ではあるが、一応、コレ以外にもhamachanが意図的に無視しているポストがあるので、リンクを張っておこう。
membership?
http://libertarian.seesaa.net/article/131018230.html

hamchan the labourtarian
http://libertarian.seesaa.net/article/125715106.html

The right to employment and the right to profit
http://libertarian.seesaa.net/article/122612490.html

この記事に追記した。
http://libertarian.seesaa.net/article/131018230.html
posted by libertarian at 22:09| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | et cetera | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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