2009年11月01日

Political law

political economyという言葉はあるが、political lawというのはあまり聞かない。
たとえばgoogleでこれを検索すると、ヒットは沢山あるもののwikiなどにはその項目がない。もちろんpolitical economyの項目はある。
political lawという言葉が基本的にないのは、政治と法は別と考えられているからと思う。
例えばpoliticsは薄汚れているが、法には清廉なイメージがあるのであろう。
しかし政治において国会とはまさに法律を作る機関であり、政治権力と法律は一体だ。
国会が法律を作る場というが、この場合の法律とはほとんどがいわゆる公法だろう。
私法を国会で作るというのはそぐわない。
司法において、この公法と私法が渾然となっているが、common lawなどは、この私法がメインだ。ハイエクが法(law)というときは私法を指していて、公法というのは法概念に入れていない。
この公法を大量生産する政府というのが近代中央集権国家の特性といえる。

私が間違っていなげれぱ、西側世界に現在広くひろまっていて多くの人がそれを民主主義の唯一の形態と誤解しているがゆえに守もらなければならないと感じている、代議制政府という特定の形態には、それに貢献させようと意図していた理念から外れる固有の傾向が確かにあるように思う。
 このタイプの民主主義が受容されるようなってしまったから・われわれは、かつてそれこそ個人の自由の確かな安全弁とみなされていた個人の自由のあの理念から遠ざかりつづげ・今や誰も望まなかった体系に向かって漂流しつつあるということは、ほとんど否定しえない。」(ハイエク)

ハイエクは民主主義という概念を、制限された権力というイメージで捉えていて、その意味で民主主義に肯定的だが、代議制という政治形態が民主主義と同じでもなければ、その必然的な形態とも考えていない。逆に現代の代議制は、その正反対の無制限の権力つまりは、無制限の立法権力となっているがゆえに危機的だと考えていた。
私法とは、コモンローの歴史の中で自生的に形成されたもので、そのような法は立法によって生まれるべきものではないとも考えていた。
そして、現代は私法と公法の区別すらも曖昧になっていることを指摘し、立法権力の制限がないタガが外れている状態と思っていたようだ。

結局、政治とは立法権力であるから、政治改革とは本来、立法権に関する改革である。
リバタリアニズム的には、政治の立法権力を本質的に制限することができれば、それは必然的に小さな政府になることを意味する。だが立法権を制限できなければ、いかなる政治改革も小手先のものにすぎず、現状を糊塗するだけのものだろう。
政治の関与可能な領域を限定することは、立法権の及ぶ領域を制限することと同じなのだが、これを可能にする法的、憲法上の根拠が、大陸法圏の国には絶対的に欠けているのであろう。
posted by libertarian at 20:54| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | F.A.HAYEK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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