2009年12月26日

Air and Justice

ホリエモンがほぼ全財産を払ってLDHと民事訴訟の和解をしたそうだが、これも同時進行中の刑事裁判への対策であろうことは想像がつく。ホリエモンほどにもなれば、金は失えばまたビジネスで取り返せばいいが、失った時間は取り戻せないという判断だろう。たしかに理不尽な感じはあるが、これが日本の裁判の現実だ。これより、もっと問題なのは鳩山や小沢の犯罪が追求があまりされていないことだ。これこそ検察が動くべきだろうが、メディアが騒ぐのを待っているのかもしれない。ここで恩を売っておこうとでも思っているのか?
時の権力者には長いものに巻かれろで、成金の若者起業家は生意気だから、難癖浸けて破産させてしまえばいいというのが、日本の司法権力のバランス感覚というものなのだろう。
日本では何が真実で何が正しいのかという判断は軽んじられ、空気を読んで行動するのが大人だと思われているところがある。司法の行動はその典型だ。
以前に、サイバーなんちゃってリバタリアンのBlogで慰安婦問題報道の議論があった時、小倉弁護士の主張というが、真実はどうであれ空気を読んで行動するべきだみたいなものであった。弁護士が争う前から白旗降参するのも困ったものだが、実際、裁判ではそういった判断をするものではある。
もとより裁判は勝ち負け、損得のある世界であり、シビアなリスク計算が必要になるから、現実的な妥協をどのようにするかというリアルな交渉の場であることは事実であろう。だからその点、小倉氏の感覚は正しいともいえるが、それは法概念として一般化は出来ない。
アメリカは訴訟が多くて莫大な賠償金の話もよく聞くし、訴訟リスクが大きい印象がある。
事実大きいところもあるのだろうが、裁判の結果が予見できればそれをコントロールできるから、リスクを計算することができる。日本の場合は、空気なるもので司法判断が流れるとするとリスクが評価できない。そういう点では日本の方がリスクをコントロールしにくく、リスクを計算しにくい状況があると思う。例えば、Googleなんかも訴訟リスクを計算しているから、あえて冒険ができるのである。日本ではリスクの計算すらできないから、冒険もできないのだろう。

posted by libertarian at 10:57| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Law | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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