2003年11月03日

アリストテレス

このような事情を背景として、アリストテレスのある有名な文章は、isonomia という言葉をもはや使っていないけれども、その伝統的な理想の一つの弁護と思われる。

『政治学(politics)』のなかでかれは、つぎのように強調している。

「市民のうちのどの人物よりも、法が統治すべきであること」、最高権力をもつ人びとは、「ただ法の後見人、かつ使用人としてのみ任命されるべきである。」

そして、「最高の権力を心の中に認めようとする者は、神のうちに、また法のうちにそれを置く」と。



かれは「法律でなく、人民が統治する」種類の政府、また「すべてのことが法律でなく、多数決によって決定される」種類の政府を非難する。

このような政府は、かれにとって、自由な国の政府ではないのである。

「というのは、法はあらゆるものの上に立つ最高のものであるべきであるから、政 府が法律にもとづいていないときには、自由な国は存在しない」



「人民の投票にすべての権力を集中させている政府は、正確 にいえば民主主義であるはずがない。」

というのは、かれらの法令は、その範囲において普遍的ではありえないからである。

もしこの言葉に「修辞学」のなかにあるつぎの文章を加えるならば 法による統治の理念についてかなり完全な叙述になるであろう。



「非常に重要なことであるが、よく書かれた法律とは、可能なかぎりすべての点を明確にすべきであり、できるだけ裁判官の判決にまかせる余地を少なぐすることである。」

なぜかというに立法者の決定は、特定的でなく、将来に関するものであり、そして一般的なものであるからである。



ところが実際は議会や陪審の人たちは、かれらの前にもちだされた具体的な事件の判決をくだすことが自分たちの義務と思っている。



F.Hayek Constitution of Liberty より
posted by libertarian at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | F.A.HAYEK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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