2004年03月16日

法と主権

法と主権 (ハイエク) 



実証主義者の法理論において中心的な役割を果たしている主権の概念については、以前に述ぺたことに今付け加える必要のあることはほとんどない。

ここでは、主に、ある最高立法当局がもつ必然的に無制限の権力という実証主義による主権の解釈が、人民主権論の、あるいは民主的立法府の無制限の権力の、主要な支持の一つとなってきたから関心を寄せるにすぎない。その実質的な内容を立法者の意志の行為に依存させるように法を定義する実証主義者にとっては、この概念が実際に論理上必要になるのである。

もし、法という用語がこの意味で定義されるならば、最高立法者の権力に関するいかなる制限も、定義によって排除される。



しかし、もし、立法者の権力が、ある仮構の基本的挽範から導出されるのではなく、彼が規定する権限を与えられている部類のルールに関する広がりのある意見の状態から導出されるのであれぱ、彼の権力は、はっきりとした意志をもった行為を表明することができるより高位の当局の介在がなくとも、制限されて当然であろう。



実証主義者の議論の論理は、ケルゼンの体系においてそうであるように、全ての法は立法者の意志から導出されるというその主張が、その妥当性が熟慮の上での意志をもった行為から導出されるだけでなく、その内容もそうであることを意味する場合に限って、やむにやまれぬものとなろう。しかしながら、これは実際には正しくないことが多い。



立法者は、現行の自生的秩序を維持しようとする際に、自分の狙いを達成したいと思っても、彼が妥当性を付与したいと思う何らかのルールを取り出したり、選ぴ出すことはできない。



彼の権力は、彼が強制するルールのいくつかは市民によって正しいとみなされている事実に依拠しているが故に、無制限ではなく、こうしたルールが彼によって受容されたということが、必然的に、他のルールを強制的なものにする彼の権力を制限するのである。



主権という概念は、国家という概念と同様に、国際法のための不可欠の用具であるその概念をそこでの出発点として受け入れるならぱ、そのことによって、国際法という正にその観念が無意味にされることないとまでは確信できないが。



しかし、法秩序の内部的性格の問題を考察するためには、どちらの概念も、人を迷わせるぱかりでなく不要であるよう思える。

事実、自由主義の歴史と同一である立憲主義のの歴史全体は、少なくともジョンロック以降は、主権についての実証主義者の概念や全知全能の国家という関連概念に対する闘争の歴史であった。



Hayek 「Law,Legislation and Liberty」

ハイエク全集9 第8章p8889よりOCRスキャン
posted by libertarian at 09:13| Comment(0) | TrackBack(0) | F.A.HAYEK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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