2004年12月04日

Hayek on Freud

The destruction of indisapensable values by scientific error:Freud

科学的誤謬による不可欠な価値の破壊ーフロイト



私は最後に、多年にわたって、徐々に私の主要な関心事であると共に憂慮の種の一つとなってきたものを取り上げる。すなわち、かけがえのない価値が科学的誤謬によって次第に破壊されてきた、ということである。私が考察しなければならない誤謬は主として社会主義に通じるものであるが、脅威は何も社会主義からのみ生じるわけではない。



社会主義は、哲学、社会学、法学、および心理学の関連分野における純粋に知的な誤謬から支持を得ている。最初の三つの分野において、これらの誤謬は主としてデカルトの科学主義やオーギュスト・コントによって発展させられたような設計主義からきている。論理実証主義は、あらゆる道徳的価値が「意味を欠いた」、純粋に「情緒的」なものであることを立証しようとしてきた。



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行動主義者のB・F・スキナーによって、まさにこれらの言葉で特徴的に再主張された信念)と要求する知識社会学は知識の成長過程をまったく誤解してきた、と私は完全に確信している。

私はこの研究の初めのほうで、あらゆる法ルールは意識的な立法行為から引ぎ出されるものでなげればならず、しかもあらゆる正義概念は特定利益の産物である、と信じる法実証主義がなぜ歴史的にも概念的にも間違っているかを立証しようとした。

だが、文化的にもっとも荒廃させる結果は、人々をその生得本能を解放することによって治療しようとした精神科医の努力から生まれた。



先に私のウィーンの友人、ポパー、ローレソツ、ゴンブリッチ、ベルタランフィを賞賛した後で、恐縮だが、カルナップの論理実証主義やケルゼンの法実証主義は、ウィーンから生まれた最悪のものに比べたら、さしたるものではない、ということを私は認めなければならない。



教育に対する深い影響力を通して、ジークムント・フロイトはおそらく文化の最大の破壊者となった、晩年、『文明とその不満』において、かれは自分の教育の結果の一部によって少なからぬ動揺を受けたように思われるが、文化的に獲得された抑.圧を取り除ぎ、自然の欲動を解放する、というかれの基本的な狙いは、あらゆる文明の基礎に対するもっとも致命的な攻撃を開始した。その運動は三〇年前に全盛をきわめ、その後に成長した世代は、主としてその理論に基づいて教育されてきた。私は当時のものから、その基本的な考えについて、後に世界保健機構(WHO)の事務総長になったある有力なカナダの精神科医が特に露骨に表現したものを、1つだけ貴方がたに示しておく。



一九四六年に、故G・B・チザム博士は、アメリカの法律の大家によって賞賛された著作のなかで、これを擁護した。



「幼児教育の基礎であった正邪の概念の根絶、老人たちの確信するものを信頼する代わりに、知的・理性的な思考をもってくること、[……その後]大部分の精神科医と心理学者、およびその他多くの尊敬すべき人々はこれらの道徳的な拘束から逃れ、自由に観察し、思考することができる。」



かれの意見によれば、人間を「不具にする善悪という重荷」と「正邪という厄介な概念」から人類を解放し、また、それによって、人類の近い将来を決定するのは、精神科医の任務であった。



われわれがいま集めているのはこれらの種子の収穫物である。何か自分が決して学習したことのないものとは自分は相容れないと主張し、「反文化」の構築を企てさえするような、教化されていない野蛮人は、文化の荷を伝えることがでぎず、しかも野蛮人の本能である自然の本能に頼る、甘えの教育の必然的な産物である。



『ザ・タイムズ』の報告によれば、最近行われた上級警察官およびその他の専門家のある国際会議は、こんにちのテロリストのなかで、社会学、あるいは政治学や教育学を勉強したものが著しい割合を占めている、ということを認めたが、私は少しも驚かなかった。自分は常に背徳者であったし、今後もそうであるだろうと公言して渾らなかったある人物によって、イギリスの知的世界が支配されていた五〇年の間に成長した世代から、一体われわれは何を期待できるというのか。



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私は、主としてカール マルクスとジークムン卜 フロイトの名前と結びつけられるわれわれの時代を迷信の時代として、人々が回想するだろう、と信じている。

私は人々が次のことを発見するだろうと信じている。すなわち、ひじょうに広い範囲にわたって跋扈し、二〇世紀を支配した考え、すなわち、正義にかなう分配を伴う計画経済、抑圧や因襲的伝統からのわれわれの解放、自由への道としての甘えの教育、そして市場の代わりに強制権力を有する団体による理性的調整をもってくること、という考えはすべて、言葉の厳密な意味において迷信に基づいていた、ということである。





以上はハイエク全集10の「法 立法 自由」の終章の240244pからOCRスキャンしたものである。
posted by libertarian at 12:13| F.A.HAYEK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする