2004年12月06日

デフレ脱却をめぐる思想の対立

Rietiの小林慶一郎氏の論説

ハイエクの設計主義批判とからめ、デフレ論議の論理的飛躍を明晰に説明している。ちなみにこの貨幣数量式はマネタリズムのモデルである。



[http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/kobayashi/16.html]

から以下に引用



日銀の大胆な金融緩和によってデフレから脱却できるはず、という議論をもう少し詳細に見ていきたい。デフレの問題が難しい理由は、物価水準を決めるのが、人為的な設計の産物であるベースマネー(日銀が制御できる)と、市場秩序によって定まる貨幣流通速度という2つの要素が複合した結果であるためだ。物価、ベースマネー、貨幣流通速度の関係を示す貨幣数量式は次のように書くことができる。



PY=MV

ここで、Pは物価水準、Yは実質国内総生産(モノの量)、Mは日銀が供給するベースマネー、Vはベースマネーの貨幣流通速度をあらわしている。



ベースマネーの量は、日銀が自分の意思でほぼ決めることができる。しかし、日本経済に供給されたベースマネーがどの程度の速さで経済全体を流通するか、ということは、日銀が決めることはできない。流通速度を決めるのは、銀行、企業、消費者の間で行われる取引活動の総体であり、まさに市場秩序が流通速度を決める、といって良い。



経済学の理論モデルでは、議論を単純化するため、流通速度Vは一定不変であると仮定するのが通常である。つまり、日銀が制御するベースマネーMの効果を考える際に、市場秩序によって決定される流通速度Vが変化しないことが理論上の前提になっている。



ところが、現実の日本経済では、Vはバブル崩壊後の不況期を通じて年々低下しており、特に日銀がベースマネーの供給量を著しく増やした90年代末以降には、あたかも金融緩和政策の効果をうち消そうとするかのように、Vは急激に低下しているのである。



これは、設計主義の犯した論理の飛躍とまったく同型のものだと思われる。設計主義は「企業などの組織は、理性的設計によってコントロールできるし、そうするべきだ。だから、市場秩序を含む経済全体の秩序も、設計された計画によってコントロールできるはずだ」と考える。デフレ脱却論も「ベースマネーMは日銀が理性的設計によって完全にコントロールできる。だから、物価水準Pも、日銀の設計どおりにコントロールできるはずだ」と考える。ところが、物価Pは、市場秩序によって決まる流通速度Vの影響を受ける。上のようなデフレ脱却論の主張は、V(つまり市場秩序)がどのように動くかを解明した上で議論しない限り、論理の飛躍といわれても仕方がないものであろう。



問題は、こうした論理の飛躍が見過ごされたまま、「金融政策のみによるデフレ脱却」という議論が、非専門家の論壇で強い支持を集めていることだ。それも、保守系の論者も革新系の論者もこぞって支持している点が興味深い。これは、経済の閉塞感の中で、市場ルールから逃れたい、原初的で整然とした組織秩序に身を置きたい、という設計主義の幻想が広く日本の論壇に広がっていることを示しているのではないか。
posted by libertarian at 15:19| F.A.HAYEK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする