2005年04月14日

裁判所

国家権力を信頼するのはそもそもの大間違いだが、日本の司法や裁判所に期待するのも大間違いである。立法ー行政ー司法という三権で司法だけは、少しはまともだと思うのは甘いのだ。

日本の裁判所システムは大陸法諸国の中でも、とりわけ酷いのではないだろうか。

正義と法の女神ユスティティアの像がどの国でも裁判所にはあるそうだが、この女神は右手に剣を左手に天秤を持っている。そして目は目隠しをされている。しかし日本の最高裁のユスティティア像には目隠しがないそうである。目隠しのメタファーとは、予断を廃して心眼で判断せよという意味らしいが、日本の裁判所は予断を廃さないことを意味しているそうだ。



もちろん、法曹にもまともな人も多いし、人格者といえる人もいるのは知っている。

私の親の知り合いで東京高裁判事にまでなった人がいたがユーモアのある大変よくできた人物であった。彼らが日本社会の知的エリートだということは事実だ。

だが、システムそのものに外部との競争がない以上、組織は腐敗する宿命にあり、実際、その腐敗は行政に劣らず酷い。

コモンローシステムが優れているのは、マルチコートシステムによる競争の結果生まれてきたものだというのが一つの理由とされる。

その点、日本の司法システムは行政のつけたしのような存在に過ぎず、独立性すら現実的にはない。


posted by libertarian at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | Law | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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