2005年05月03日

Free to Choose

ミルトン・フリードマン:誰が、その知的なレベルでの議論に勝ったかは疑いがない。

1947年時より、世界の一般に認められた知的意見が、今日では、中央計画そして、規制に対してはあまり好意的でないことは疑いない。

ずっと疑わしいことは、誰がより現実的な点で勝利したのかということである。

世界は、1947年のときより、今日、より社会主義的である。

政府は1947年の時よりも、今日ほとんどあらゆる西側の諸国では財政支出が高くなっている。

ビジネスへの政府規制は、より大きくなっている。

国有化(社会主義化)の動きはなくなってきている。しかし、経済への政府介入は疑う余地なく大きくなっている。



これが当てはまらない唯一の国は、元、共産主義体制の一部であった国々である。ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ロシア、また世界のその地域を通してみると、我々は知的な議論だけでなく、同様に実際面においても、その議論に勝ったといえる。

しかし、西側では、実際に誰が勝利したのかという議論は、まだ未決定だ。



    



以上は2000年に行われたミルトンフリードマンのインタビューの抜粋だ。

私は、本日は「選択の自由」を20年ぶりくらいに再読、通読したのだが、たしかにこのフリードマンの言葉のとおりと思った。

その意味では、「選択の自由」の内容は全く古びていない、現在の現実である。



このフリードマンの危機感というのは、経済システムではなく、法システムが主な原因である。すでに日本以外では経済学的議論でどちらが勝利したのかは決まっている。

つまりフリードマンたちが勝利したのである。

#フリードマンから何も学んでいないのは日本の経済学者くらいなものだ。



しかし、法システムはあいかわらずそのままである。また法とは経済よりも見えにくい内なる敵なのである。20世紀は経済思想の戦いであったが、21世紀は第2ステージとしてLegal Positivismへの戦いが重要となるだろう。そのときに必要なのは、やはりハイエクの法思想だと思う。

法を直截に変えるのは政治だろうが、政治を動かす根拠は思想である。そういう意味で21世紀は法思想の時代になるはずだ。



    



・学校ほど不満足な状態にある制度は我々の社会において数少ない。学校ほど人々の間に不満を発生させ、我々の自由を崩壊させる危険を生み出している制度も少ない。



「選択の自由」より
posted by libertarian at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | MiltonFriedman | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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