2006年05月29日

Legal rule

日本の法律は全て官僚が作成している。

こんなものを作れるのは官僚しかいないからである。

司法は、官僚が作った法律(→法=Legal 律=Rule つまりLegal rule)を、法=Lawと呼んで

”てにをは”のレベル、さらには句読点レベルで、あーでもないこーでもないと”厳密”に条文を”解釈”するのが仕事だ。



法律の本をたまに読むと、しばしば「法は○×とすることとした。」のような表現を見る。

しかし、法律の条文を作っているのは、どこかにいる生身の官僚である。

法が作ったのでもなければ、Lawの化身が作ったもんでもない。

この役割分担は実にはっきりとしている。所詮はLegal ruleに過ぎないのであるから、もっと分かりやすく

誤解の余地がないように作ればよいと思うのだが、あえて解釈の余地があるように作っているとしか思えない。



アメリカでは議員立法がさかんだとよく言われるが、あちらは基本的にはコモンローの世界だ。

シャーマン法(日本の独禁法に相当)であるとか、議員の名前がつく法律は、大体において連邦法の実定法の部分であり

アメリカにおける自由を制限する強行法規の部分である。

当然ながら、コモンローを議員立法するなんてことは有り得ない。



おそらくUSAだと、議員立法といっても連邦法の部分だけであるから、議員と数人の優秀な法律家スタッフだけで、法案(Legal rule)を作ることができるのだろう。

コモンローと、連邦法の実定法の部分が分離され住み分けされているのかもしれない。



大陸法圏においても民法(=私法)の部分はかなり固まっているのだろうが、それにプラスアルファして余計な消費者保護だ

個人情報保護だなんだといった産業政策絡みの有害な人権立法がどんどん作られているわけである。

また私法と公法の境もあまりはっきりとはないから、一つのLegal ruleを作るのでも、いろいろ他の法律との相互の絡みを

考えながら作るという難しさがあるだろう。



そしてそれを作れるのは日本のトップエリートである官僚達を置いてはないという構造である。

つまり、日本の評判の悪い試験エリートシステムにはそれなりに意味があって、政府が求めているのは、法律を作れる人材という意味でのエリートということだ。



法律を起案して作るのが国会議員の仕事だとかいうことになっているそうだが、実際は起案までが仕事である。

その先の実際の条文作成は当然、官僚にバトンタッチをするのだが、そもそも法律=Legal ruleを議員が起案などしてはならないのである。

また、なぜか官僚が起案する法律までもある。



ハイエクは国会に与えられた法律を作り出す”無制限の権力”(=制限されていない権力のこと)を批判した。

そして、イギリスにおける古い自由の”原因”を、イギリス人のidleness(=怠惰)という美徳の中に見出した。

つまりイギリスにおける旧い自由の原因を、旧い英国人が法律を作ったことにではなく、積極的に法律を作ろうとはしなかった事実に求めたのである。


posted by libertarian at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | Law | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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