2005年08月09日

Exhaustion of Privilege

先に消尽論について少し触れたが、消尽論(用尽論)というのは、非常に興味深い問題である。

一般にこれは、国内消尽と国際的消尽論と分類される。

簡単に説明すると以下のようになる。



まず、国内消尽論の場合だが、

ある特許Aを持っている国内メーカーXがその特許の含まれる製品Pを作っているとする。

そしてXはPを製造し、通常の流通ルートで製品を販売流通する。

製品Pは次のように流通する。



X→代理店→小売店→消費者



しかし、実はこのありきたりの流通過程において、代理店、小売店、消費者は全て、Xの特許Aを

完全に侵害していることになるのである。

なぜ侵害しているかというと、特許法にそのとおり侵害行為だと書かれているからだ。

特許法2条の定義によると、特許侵害となる実施行為として、使用行為、譲渡行為、輸入行為が

あげられている。つまり代理店〜消費者は、譲渡もしくは使用行為の実施に

該当するので、特許権侵害となる。

このような文言解釈になってしまうのは、日本に限らずアメリカ、ドイツ等でも同様らしい。



しかし、これはあまりに非常識だということで、消尽論の法理で逃げているわけだ。

これは、Xが代理店に製品Pを卸した時点で、特許はEhxaustしているという解釈であり

この解釈によって、代理店〜消費者は特許を侵害していないとしている。

消尽論を自明の法理と言ったりもするが、何が自明かというと、代理店〜消費者は

悪くないという意味で自明なのであり、特許法の大矛盾はそのまま残っているといえる。

この類の問題は特許に限らず、無体財産権である知的財産には一般にあると思われる。

著作権でも同じような問題があり、たとえば、BookOffのような古本屋で売るときでも

著作権を払えというような事件が少し前にあった。

#ちなみに著作権法では26条の2に譲渡権が定義されているから、この問題に関しては特許法に特有なのかもしれない。



さらにやっかいであるのが、製品が国境をはさんで流通する場合で、これを

国際的消尽論といったりする。

例えば上の例でメーカXが特許Aを日本とドイツで両方権利化しており

次のように製品Pが流通するとする。



ドイツ(X→業者甲)→日本(業者乙→消費者)



この流通が、国内であれば消尽論の適用によって問題ないが、

特許法は一国の産業政策でしかないためドイツと日本の間で法的な

連続性がない。

だから、ドイツ国内で特許が消尽したとしても、国境を超えてくる段階で

消尽論が適用できるかどうかがわからないのである。

BBS事件の判例は、地裁が特許権侵害だとし、高裁が侵害ではないとし、最高裁でも侵害ではないとした。 #その判断の理由付けは異なっている。



しかし、実はこの話はもっとはるかに複雑だ。

以上に書いた消尽論の問題は物の発明に関するものだが、方法の発明になると

さらに話はややこしくなり、泥沼の様相を呈する。

こういった消尽論の法理について、法学者はああでもないこうでもないと

いろいろと虚しい理屈をこねているのである。



私は消尽論のような議論は、特許権という政府が与えるPrivilege=Positive rightsの限界を

分かりやすく示しているものだと思う。

BBS事件では最高裁は、幸か不幸か並行輸入を特許権侵害ではないとした。

だが、こういった解釈は揺れ動くし、著作権がらみではCDの海賊版などは

禁止する立法がなされている。



もし、最高裁で特許権侵害だと解釈して並行輸入が駄目ということになったら、

確実にほとんどあらゆる物の輸入が侵害となり、自由貿易は成立しなくなるだろう。

いまどき、知的財産の絡んでない製品などほとんどない。



なぜ、このような矛盾だらけのことになるかというと、特許権とは権利ではなくPrivilegeに

すぎないからである。

#Positive rights とは言い換えれば政府の付与する特権=Privilegeのこと。



PrivilegeをRightsであると偽装し権利として論じるから泥沼のような議論になる。

そもそもの議論のスタートにおいて間違っているといえる。

Positive rightsとは政府特権にすぎないから、要らぬ摩擦を引き起こし、民の政府に依存する

体質を生み、さらにレントシーキングを引き起こすだけだ。

Privilegeを権利論の枠組みで論じることがオカシイ。



どこかの政府が与えたPrivilegeが、国境を超えて自由に流通することはありえない。

それは自由な流通を完全に阻害するものであり事実そのような自由貿易の障害として機能

しているのが現実である。



#真の権利とは消極的にしかありえないものだから、こういった矛盾や問題の原因にはならない。

政府がなくとも人間に"権利"は当然あるが、これがNatural rightsである。

Natural rightsとは、Privilege=Positive rights とは対照的な消極的権利概念だ。

政府を前提としない権利概念としてNatural rightsは、否定しがたくあるものだと

するのが自然だ。

そして何がNatural rightsかといえば、まさにProperty rightsがその典型と考えられる。

これは法哲学概念であり、民法的な財産権とは意味や文脈が違うと考えた方がいい。

法律をやっている人間で、Natural rightsとしてのProperty rightsを民法上の所有権と混同して考える人間がいるが、文脈が全く異なるものだ。






posted by libertarian at 12:11| Comment(0) | TrackBack(0) | IPR(Intellectual Property Right) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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