2005年08月10日

Harmonization to Positivism

アメリカの初代特許庁長官は、ジェファーソンであったがジェファーソンは

非常に特許制度に懐疑的かつ慎重だったことはよく知られた?事実だ。

悩んだ末に、あえて自分が特許庁長官となったらしい。



ジェファーソンは科学者でもあったが、自分では特許を取ろうとしなかった。

またジェファーソンが特許庁長官であったとき、特許をむやみに与えなかったそうだ。

特許を自分で沢山取得したリンカーンとは対照的である。



アメリカがもしこの時、特許制度を作らなかったら、まったく違った世の中になっていただろう。

当時、アメリカよりもはるかに先進国であったヨーロッパ諸国に対抗して作らざるを得なかったわけであるが。

そして、最近ではアメリカは先発明主義から世界標準である先出願主義に移行しようとしているようだ。

つまり、ますますHarmonizationの方向に進んでいるわけだが、これは大きく見ると却ってマズイことかもしれない。



情報という無体物に物権的な効力を与えるというのが、制度上の矛盾のそもそもの原因だが、

その絶対的な所有権であるはずの物権の方も、モノに特許権がくっついているために、実は所有

者が何をしても自由というわけではない。

#これが消尽論をめぐるRepair and Reconstructionの問題である。



大きな矛盾を抱えた特許制度がなぜ社会を大混乱に陥れないくらいには機能している

のかといえば、民間企業の側にいちいち裁判沙汰にするのが面倒だという現実的な判断がある

おかげだと思う。裁判制度の非効率が幸いしているのだろう。



殆どの権利者が特許権の効力をフルに活用していないがためになんとか安定しているのではないかと思う。

言い換えれば制度が機能していないおかげで、社会はなんとかやっていけているのかもしれない。

むしろアメリカがこのような制度に歩調を合わせることで、制度の効力が機能しはじめるとマズイだろう。



Privilegeというのは、二人以上の当事者の間に、巨大権力が介在することで成立する。

小さな子供の間に、大人が常に立って、強制力を行使しているようなものである。

法律をPrivilegeRuleとして構成する大陸法諸国では、政府はPaternalな存在として常に個人に干渉することになる。

政府が敢えて国民を管理をしようとする意図がなくとも、法律上そうなってしまう。

特に産業政策のような余計なおせっかいな法律を作るとそういうことになる。



これは契約行為のように当事者間の信義と、社会的評価や信用を維持向上しよう

とする動機によって成立する私的自治とは全く異質な仕組みだ。
posted by libertarian at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | IPR(Intellectual Property Right) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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