2005年09月19日

Recht und Verfassung im Mittelalter

フリッツケルンの「中世の法と国制」を読んだ。(創文社歴史学叢書)

この本は140ページ程度の薄い本だが隠れた名著である。

この翻訳は世良晃志郎氏。

手にはいるうちに購入しておいた方がよい本の一つである。



この本は、ハイエクのLLLの中で大きく引用されており、それで知ったのであるが

非常に重要な本だ。

出版は1919年でかなり旧いが、翻訳もよく、これっぽちも旧さを感じない。

繰り返し読むに足る本である。



この本における中世とは主にドイツ中世のことである。イギリスではコモンローを、旧き法=良き法を

Positive Lawからの侵食に耐えつつ、保持したわけだが、大陸では、中世の法=旧き法=良き法から、Positive Law=大陸法へと変質していくわけだ。





ケルンは、法学者ではなく歴史学者である。



「われわれは、われわれの現代の諸概念を無批判的かつ時代錯誤的な仕方で

中世に持ち込むことは避けるとともに、他方ではやはり、われわれの現代の言葉

を用いて中世のものの見方を書き直すことをこころみなければならないことになる。」



といった、方法論意識の下にこの本を書いている。

現代の偏見を過去に当てはめるというとんでも歴史学とは全く異なるものである。



以下にこの本からさらに少しばかり引用しておく。



「中世の国家は単に法保存的な国家なのであり、公共の利益のために私権に干渉する

権限をもっていなかった。」



「けだし、近代の君主はなんといっても、その他の憲法諸機関と協力して新しい法を

制定することもできるのであるが、中世の君主は、良き旧き法を、語のわれわれが

知っている完全な厳しい意味において適用し擁護するためにだけ、存在していたのである。

彼は、良き古き法に奉仕するために任命されたのである。良き古き法が正義=Justiceなのであり

各人の主観的権利ー各人に属する彼のものーを守ることから、Pax(平和)が生まれ、

この平和が国内支配の最も尊い、いな、殆ど唯一の目標なのであった。」



「中世におけるアナーキーの歴史は、実定法概念の再発掘と国家法と私権の分離とが

いかに祝福すべき発見であったかを示してくれる。この発見は数軍団の兵士にも匹敵するもので

あった。中世においては、何が法であるかを知るためには、各個人が自分の法感情に問うことが

許されたし、またそうせざるを得なかったのである。」



「近代国家の厳格な法執行権力は不正な政府も政府たることをやめるわけではなく、

悪しき実定法としてありつづけるということを、国民の頭に叩き込んでいる。

中世的な法概念は学者的な成文の法と、国家権力の強化によって衰弱した。

中世の多義的な法概念は、その定かならぬ深みにおいて不明瞭で豊かであり、・・

この単純なしかも底知れず湧き出る法概念は、強力な国家秩序を構成するための主な障害の

一つであった。」






posted by libertarian at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | Law | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック