2006年02月07日

Trademark and Freetrade

一般にリバタリアニズムでは、IPRには断固反対なのであるがこれにはいろいろと深い理由がある。

しかしIPRといっても商標は微妙だ。TradeMarkに反対するリバタリアンというのは寡聞にして知らない。

そもそも商標はいわゆるIPRに分類するものかどうかも微妙である。

商標とは商標法ができる前から存在する民間の商慣習であり商標法はこれに実体的な権利を与えているだけである。

実体的で強力な”権利”ではあるが、特許のような政府によって与えられる”特権”とは違い、その本質は商慣習の中にあると思われる。実体的な権利を与えなくても商標を守ることは不可能ではないだろうが、商標の存在そのものは重要な商慣習であり、企業としてはこれを守る必要はどうしてもあるだろう。



また商標の機能に関してはアメリカと日本では大きくその捉え方が異なっている。

日本では商標の根本的な機能をその出所混同防止機能として捕らえており、アメリカでは品質保証機能が商標=TradeMarkの本質だと考える。

そして、この商標が持つ根本機能に対する把握の違いがアメリカと日本で判例の違い、運用の違いを生んでいる。



ではどのような運用の違いがあるかというと、並行輸入の問題において顕著である。

つまり商標にも消尽論の問題があるが、国際消尽を認めるか否かで、商標の絡む並行輸入品の完全阻止か無制限許可か、もしくはその中間の制限モデルかになる。

並行輸入の問題に関してEUは完全阻止の立場であり、日本は無制限に近く、アメリカはその中間の制限モデルである。

これは言い換えればEUは国際消尽を一切認めず、日本は国際消尽を認め、アメリカはもう少し柔軟な立場ということだ。

ここらの説明は、東大の玉井克哉氏の以下の論文に非常に詳しい。

[http://www.ip.rcast.utokyo.ac.jp/member/tamai/paper/D/D9.pdf]



これは自由貿易の問題とも絡む微妙かつ解釈の難しい問題なのである。

TradeMarkが元々、民間の商慣習だとすればその本質的機能を、出所混同防止機能ではなく、品質保証機能といった、よりポジティブな意味あいで把握するほうが妥当な気もする。

つまり、出所混同防止機能が主だとすれば、第三者が混同して損害をこうむらないよう政府が保護する”社会的な機能”であるが、品質保証機能というのは民間事業者自らが苦労して育てるべき積極的な価値となり、その意味の違いは大きい。



では、さらに少しばかり玉井さんの論文の内容を纏めてみよう。

ヨーロッパは、EU共同体の域内であれば、どの国であっても商標権利者が自発的に置いたものは消尽するとしているが、EU以外の国、例えばアメリカや日本などにおいた場合は消尽しないという立場で、これによって並行品の輸入を阻止している。これをEU共同体の経済要塞化と呼ぶ。



玉井さんが定義しているところのアメリカの制限モデルとは実質的には完全阻止モデルであり、どんな小さな差異であっても非同一とされ、非同一であれば品質保証機能を損なうこととなり、やはり並行輸入は認められない。



その点、日本の従来の国際消尽論是認による並行品輸入を認める無制限許可の立場は先進国においてマイナーなものだったが、2003年のフレッドペリー事件に対する最高裁判決で制限阻止モデルに転換しつつある。のが現状である。



さらに、玉井先生曰く、この問題を自由貿易の問題つまりは非関税障壁の問題として論じるのは間違っている。

商標の機能が品質保証機能である以上、商品が商標権者の品質コントロールから完全に離れ、コントロールのできない流通に乗ってしまった場合、商標の品質保証機能は大きく損なわれるからである。逆に商標を積極的な品質のコントロールからもたらされる顧客吸引力と信用=goodwillをもたらす積極的な機能と考えた場合、商標を保護することはプラスの循環になる。そして、これが近年の変化を遂げたアメリカの商標理論そのものでもある。



.....というのが大体の玉井教授の主張である。



あと、さらに加えれば、ヨーロッパではドイツ、オーストリア、スウェーデンなどがもともと世界消尽論の立場つまり並行輸入是認の考えであるが、1998年の欧州裁判所におけるシルエット判決によって、EUの共同体商標規則に対する各国の裁量は認めないという判決があった。つまりEUは経済要塞化した。



しかし、こういったためになる優れた論文は、昔はごく一部の人にしか読まれず埋もれてしまったのだろうが、今ではネットで簡単に誰でも読むことができるのがありがたい。



私はこの玉井先生の考えは実に示唆深いものだと思う。少なくとも先進国の企業の多くはこういう形のブランド理論に傾斜しており、それは法律的な要請でもあるという事実が分かる。



しかし商標権による並行輸入禁止の問題を非関税障壁だと捉えるべきでないというのはダウトであって、これは明らかに非関税障壁だ。EU域内では非関税障壁を減らし、アメリカには対抗して障壁を意図的に作っているのだからそれは障壁を作ろうという趣旨そのものだ。そして非関税=直接的な関税ではなくとも、貿易に制限を加えることは税金と等価なのである。



また常識的に言えば、一国の中ですら品質のコントロールを完全にするというのは不可能、もしくはコスト的に無理であったりする。製造ー流通段階から品質を完全にコントロールするというのは理想かもしれないが、それがほんとに可能でかつ意味のある努力であるのかは疑問だ。



こういうブランド理論は一部の目立つ大企業ブランドばかりイメージしているような気がする。

だが商標はどんな小さな会社でも持っているわけで、誰も知らないような部品の商標でも完全阻止モデルで守るとしたら、それは弱小の商標権者にとってかえって売り上げを減らすだけだろう。



いろいろ示唆深い論文ではあるが、やはり自由貿易の原則に立ち返った場合、この結論にはかなり疑問が多い。そのうちまた纏めてみよう。


posted by libertarian at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | IPR(Intellectual Property Right) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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