2006年02月24日

Liability rule and Privilege rule

特許のような知的財産権の効力とは独占排他使用権であるが、この排他独占権は、言葉通り、他人の排除を可能とする国家に保障された特権である。

そして、この特権は国家によって保証された期間限定の絶対的な権利であるが、厳密に言えば他人の行為そのものを規制する”命令的”な性格は本来ないと考えられる。



IPRは排他独占権であるが、それは”他人の行為を禁止する権利”ではなく、単に”他人を排除する権利”だとするのがおそらくその正確な理解だ。

つまり、他人の自由を制限したり他人の行為を禁止する権限ではなく、他人を排除する権利である。

このニュアンスの違いは大きい。



これは、仮に誰かになにがしかの独占排他権があったところで、別の誰かにはそれを無視して実施する自由、もしくは権利があるということを意味する。

だが、それを権利者が排除することが国家のアシストによってほぼ確実で、また単に排除されるだけでなく損害金やら差止権なりが行使されるわけだ。

これは商標などでも同じで、商標権を与える要件はいろいろあるが、要件を満たさないことは商標権が与えられないというだけで、その商標の使用が禁止されるわけではない。単に他の権利者によって排除されるだけだ。



ここで不法行為と権利=特権の意味の違いは本質的なものだ。

どういうことかといえば、不法行為(民法709条)=Tortsとは、被害者が自ら訴えるものであって、被害者が相手を訴えない限り一切問題にもされない。

さらに原告には立証責任がある。つまり”自分の権利の侵害”を訴えているのではない。

不法行為の仕組みでは、自分の損害という”結果”に対する賠償を求める。

これがLiablitityRuleであり、民法=私法の根幹となるルールであり、これはコモンローにおいても同様だ。

元々、日本でも不法行為で侵害される”権利”を「法律上の権利」とする考えもあったが、いろいろと判例の変遷があって、現在は権利侵害を”違法性”という概念で扱っている。



”違法性”概念の方がより包括的な保護であり、コモンロー的な発想からすれば必然的にそうなるに違いない。この”違法性”という概念には英語のjusticeという概念が混じっているだろう。

司法は行為の不公正さを問う純粋な判断をするわけで、ここにJusticeの概念がどうしても入ってくる。権利の侵害を問題とするのではなく、Justice、公正さを問題にするわけだ。



ほとんどの人間が誤解しているようにIPRのようなPositive rights=法律上の権利=特権がなくても、悪いやつがなんでもやり放題という世の中には決してならないのは、まず、この不法行為法の運用が考えられるからである。

例えば、アメリカでは懲罰的に損害額の3倍の賠償額(3倍賠償)の支払いが命じるルールがある。

これは、日本では酷い制度だとマスコミで喧伝されているが、Tortsの実効性を高めるためのルールとしては実にリーズナブルなものである。そのかわり、”原則自由”を規制する制定法の立法が抑えられる。



そもそも、純粋なコモンローの世界では、大陸法のような実体的な権利はなにもない世界であるから法律上の権利侵害などない。

そして「原則自由の世界」では、各人が正義の意識をもって行動することが社会原理となる。

「法律上の権利」=特権を政府が無数に作るのでなく、原則自由の世界で、個人の結果責任を問うことで自由を保障しつつ、個人には責任を課すわけだ。こういった社会では”違法性”という概念を各人がその内面で問うことになる。正義の観念が個人に内面化されることになる。

ルールを守るか否かという点は、表層的な問題にすぎず、重要なのは個人における正義の観念なのである。例えば、大陸法=Positivismになる前のヨーロッパの法も基本的にはそういうものであった。



中世においては、何が法であるかを知るためには、各個人が自分の法感情に問うことが許されたし、またそうせざるを得なかったのである。 − from フリッツケルン「中世の法と国制」




といっても、「原則自由な社会」であっても全てをTortルールでやるわけではない。商取引などで何か問題があれば、まずそこに契約があるか否かが問題となる。もし契約があればまず債務不履行の問題となり、契約がなければ不法行為が問われることになる。

そして、不法行為の立証は被害者の負担も大きく面倒であるから契約が重視されることになる。私的契約と不法行為法というのはある意味セットとなる法的仕組みだ。アメリカが契約社会といわれるのも、それが原因だろう。



この契約と不法行為法=Tortsルールを根本とするのが元来の「アメリカにおける自由」の法的側面と考えられる。ここでは、強行法規がなくても、つまり政府が与える実体上の権利=特権がなくても、個人の責任と自由を重視することが結局ベストなのだといった判断があると思われる。
posted by libertarian at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | IPR(Intellectual Property Right) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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