2006年03月21日

Price of privilege

デモクラシー=民主政体においては、司法、立法、行政が三位一体となっているが、司法システムはこの内で最も古い。司法は法=juscticeを発見する場であった。

そして社会に立法といった法を作るシステムはもともとはなかった。人間が法=Justiceを作ることなどできるはずもないことだからである。



基本的に司法とは、法=Justiceの発見の場であるというのが重要なポイントであり、コモンロー(=Law finding system)の基本だろう。コモンローシステムでは、さらに司法の場がマルチコートシステム(複数の裁判所が共存するシステム)−協会、王室、地方の中に分散されていたのであり裁判所に特化したものですらなかった。

近代的な社会体制つまりデモクラシーは、立法権力を別個に作り出したところが最も本質的な社会システムの転換だったのだろうと思う。ローマ法から続く中世の法にあっても立法システムは作られていない。

そしてNation stateとデモクラシーが不可分のものとして結びつくことで、支配システムが立法システムに置き換わり立法権力が強化されていくとともに司法は立法に対する付随的なシステムになっていったと考えられる。

そして立法府の不安定な権力に対し、行政機関の安定的権力が優越していきBureaucracyに変化する。Bureaucracyこそが国家社会主義の原動力である。



#昨今のIPR関係の裁判判例を見ると、法解釈なら知的財産の専門家に全部やらした方が結局よいのではないかと思うことが多い。所詮、裁判所は知財関係の法律の条文解釈をしているだけだから知的財産の専門家の方が判事よりも正確な理解を持っていることが多いからだ。司法が正義の発見の場でなく、所詮は(世俗的な意味での)大秀才達による単なる実定法の法解釈の場でしかないなら、そういうやり方でも充分なのだ。



いわゆる物の値段はないわけではないが、市場を抜きにして物の値段の設計は不可能なものであり、権利も同様で立法上の設計ができるものではない。つまり、「いわゆる権利のようなもの」はないわけではないが実際の社会の中での関係性を抜きにしてはありえないという意味で実体として設計できるものではない。法律上の実体としての権利は政府が与える特権であり保証にすぎない。



そういった権利とは政府権力が与えるPrivilegeであり必然的に一国主義であるが、これを世界主義にしようとしているのがIPRに顕著な今の流れだ。アメリカですらパテントを先願主義に転換しようという動きがある。



IPRというのは情報に経済価値があるという大前提に立ったものだが、その経済価値は市場をおいては一切わからないものである。その分からない経済価値つまりは値段に対して一律の権利を与えるという仕組みだ。そして、これがそもそもの知的財産法の矛盾である。相手の行為を実質的に禁止する効力が大概のIPRにはあるから大発明も小発明も同様の絶対的な禁止権、排除権を持ってしまう。つまり値段や価値を無視した法外な効力を無差別に与えているわけだ。IPRとは実に社会主義的な平等な権利である。



#もちろん、知的財産の権利効力の幅には大小あるが、製品がパテントのジグソーパズルとして構成されている場合、小さなパテントも結果的に大きな排除能力を持つ。そしてそれを回避するためにパテントプールのようなものを編み出しているわけだが、これは公正取引委員会が大嫌いなカルテルに極めて近いものだ。



今のIPR法の仕組みは、どの国でも根本的にはインセンティブを付与する産業政策ということになっているが、このインセンティブとは具体的にはモチベーションのことではなくフリーライドを排除する効能という意味しかない。

だが、フリーライドを排除したりしなかったりするのであれば実体的な権利を与えなくとも可能である。それは私的自治の範疇で充分にできることだ。
posted by libertarian at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | IPR(Intellectual Property Right) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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