2006年11月22日

BECKER On Milton Friedman's Ideas

[http://www.beckerposnerblog.com/]



ゲーリーベッカーのミルトンフリードマンの死を悼む記事がある。

ベッカーとフリードマンの関係も良く分かり、あちらの真のインテリ階級の知的交流の豊かさを感じる。おそらく日本にはこういうインテリ階級が存在しない。



日本では、権威ある学者であっても所詮、国立大学(独立行政法人)の公務員だからだろう。

つまり、彼らは第一義的には学者というよりも公務員だということだ。



以前、フリードマンが、何故自由の闘士としてラディカルな意見を主張しつづけることができたのかという問いに対し、それは自分がTenureを持っていたからだとどこかで書いていた。

つまりアメリカの名門私立大学は経済的に政府から完全に自立している、つまりeconomic freedomを実現しているが、さらにTenureを持ったdistinguishedな終身在職の地位が与えられると恐れるものがないのだろう。

故に反政府的なラディカルな論理を展開できたのだということだ。

学問の自由とは、政府権力からの自立性を意味しているのである。



しかし、逆に日本の国立大学が最悪なのは能力のない人間であっても公務員であるがゆえに一種のTenureのような終身在職権を与えられていることだろう。余程のことをしないかぎり、公務員を首にすることはできないのである。

そのくせ、自由な意見など連中はまず言えない。なぜなら、公務員であるから、一番お上に迎合的な連中であり官僚主義の中に生きているのだ。政府からの自立性どころか、政府機関の一部にすぎないのである。

そこには真の学問の自立性はない。

日本の大学でシカゴ派が受け入れられなかったのは、まずこの連中が公務員だという前提から考えるべきだ。



そもそも日本でフリードマン、ハイエクを研究していたのは立教大学の西山教授であったり、早稲田などの私学で熱心に研究されてきたと思われる。要するに中央の権力とは距離を置いたところでほそぼそと研究されていたが、決して主流にはならなかったし、なれなかった。

一方、東大はずっとマル経〜ケインズ派だったが、これは当時の国策とも一致していた。また未だにその周辺で蠢いている。その中でも特に最悪なのが自称高尚な思想家である東大経済学部長の岩井克人だろう。

このアホはもうどうしようもない。最近のCSRブームにのって、くだらないことを気取って言っているが馬鹿も休み休みにしろというところだ。



また私が、日本の大学でリバタリアニズムを研究していると称している国立大学の連中に懐疑的なのは、公務員という立場的にもリバタリアニズムのような反政府の思想と矛盾しているからである。



#もう一方の、ポズナー爺のミルトンフリードマンに関する文章は鼻白むものがある。

 私は、どうもこの爺さんは気に食わない。


posted by libertarian at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | MiltonFriedman | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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