2006年12月19日

Natural emerging privilege: Copyrights

Winny事件判決の問題点 開発者が負う「責任」とは by 白田秀彰氏

[http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/17/news002_3.html]

”社会のあり方や法律や制度について批判的に語ることは、政治的自由においてもっとも保障されなければならないことだ。法律や制度に対する言論表現の自由は、文句や不満があっても黙っていることの多い日本社会においては、積極的に奨励されていいくらいだと考えている。”



Winny裁判を考える なぜ「幇助」が認められたか by 小倉秀夫弁護士

[http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/19/news023.html]





Winny事件の判決が話題となっている。判旨を見ていないのでよくわからないが

上の2つの記事は参考になる。

白田氏の話は、上に引用した部分が真っ当な主張だ。

小倉弁護士の意見は、法理論に正確な実務的見解であり勉強になる。



著作権は、無方式主義で自然発生する形式をとるが、実はその著作物が著作権法上の著作物と認められるか否かは必ずしも自明ではない。

特にYOL事件のように見出しのようなショートセンテンスの著作物性となると、それが著作物か否かから判定されることになる。

”著作権法上の著作物”と、”著作権法上の著作物ではないもの”の2元構成をとっているから、どんなに長編の小説であっても、それは著作権法上の著作物とするには判断を司法が下さなければ(本来は)いけないはずだ。それを自明として、ショートカットしているのではなかろうか?



実はこの著作権発生の無方式主義とは、自明でない、よく分からないものだ。

このような無方式主義をとる「権利」には、特許法における”特許を受ける権利”がある。

そして何度もいうが、この「権利」とは英語でもrightsと書くものの、正確に言えば昔も今も特権(privilege)を意味する。

無方式主義で発生する権利といえば、あたかも自然な権利のように思われるが、無方式で発生する特権と正確に言うべきだ。(ちなみに、”自然な権利”と自然権とは全く違う概念。)

そして、この”無方式で発生する特権”が曲者だ。

著作権も”特許をうける権利”も疑ってかかるべき矛盾を孕む概念と考えられる。



著作権の場合、無方式主義で発生するとはいえ、著作権法上の著作物に該当するには一定の要件を満たしていなければならない。

第二条  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。

一  著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。



このように、さらりと書いてあるが、意外とこの要件も複雑だ。

この構成要件に該当すると認定されるものだけが、著作権法上の著作物とされる。

そして、これを認定する権限があるのは、裁判所だけだ。

裁判所で認定される前は、全ての著作権者は自称著作権者なのだ。



またここで疑問になるのは、自称著作権者は、権利の行使主体になりえるのであろうかという点だ。

当然、自称であっても権利主体だとなっているのだが、私はその根拠には納得できない。

むしろ、多くの事件では著作権法上の著作物とする認定をしないで、著作権侵害判断をしているが、これはおかしいと見ているのだ。



もし、著作権法上の著作物と認定されて初めて著作権法上の権利が行使しうるとすれば、これは、無方式主義なる権利=特権付与の仕組みが元からおかしいことになろう。

つまり、実体的な権利は裁判所の認定の後に発生することになる。それなら無方式主義で著作権が自然発生するとする構成をとる必要がない。



また池田さんが言うような「コントロール権なしでキャッシュフロー権を確保する方法はいくらでもあるので、両者をアンバンドルするべき」といったアイデアも筋の悪い議論だ。つまり、”特定の手段から起こりそうな全ての影響をはっきりと考察する能力が、人間には一般にない”(ハイエク)からだ。

[http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/f15e12589f16263b4a505a559659f2d4]

むしろ、これら公法上の権利=特権を廃止し、全てを不法行為で、つまり私法の領域で判断すればよいのだ。(不法行為の領域をもっと拡大する必要はあるだろう。)

著作権法の問題を公法の問題として扱おうとすること自体が間違っている。

特許法や著作権法を廃止すべしといったリバタリアニズム的な主張は、これらを私法の領域に戻すべきだという主張が基本にあるのである。



#「全ての人に対する同一の規則の支配、あるいはラテン語で法に相当する本来の意味のlegesの支配であるーlegesは、つまりprivileges(=privilege)に対立する。(ハイエク)
posted by libertarian at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | IPR(Intellectual Property Right) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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