2007年01月07日

WIKIPEDIA and HAYEK


CNETの記事でキャス・サンスティーンが、ハイエクとBLOGについて書いた文章がある。
ウィキペディア設立者Jimmy "Jimbo" Walesも、これにコメントを寄せ、”ハイエクを理解せずに、Wikipediaに対するわたしの考えを理解することは不可能だ”と書いている。
だが、USAのWIKIは成功しているが、日本のWIKIはどうもだめだ。この違いはなぜなのか?
ハイエクが日本では全く知られていないのが原因なのか?

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http://blog.japan.cnet.com/lessig/archives/002211.html#more
しかしこれではどうにも抽象的だから、すこし焦点を絞ってみよう。20世紀のもっとも重要な議論のひとつはハイエクの価格システムの概念を巡るものだ。すなわちハイエクは、いかなる「価格」も情報と多くの人々の嗜好を捉えたものであり、その精度は最善の識者たちによる判定をも凌ぐと主張した。よって価格はどのような中央計画者よりもはるかに優れた働きをする。ここで問題:この価格システムとwiki、オープンソースソフトウェア、さらにはブロゴスフィアのあいだのアナロジーはどこまで有効だろうか。類似が破れるのはどこか? 具体的には、wikiとBlog圏が分散情報を集約する仕組みとして有効でなくなるのはどのような場合か?

[Cass R. Sunstein (キャス・サンスティーン)はシカゴ大学ロースクール教授。]

(ウィキペディア設立者Jimmy "Jimbo" Walesはこのエントリへのコメントで、"Wikipediaプロジェクトに関する自分の考えはハイエクの価格理論が中心になっている"と述べている。「(...) ハイエクを理解せずにWikipediaを理解することも不可能ではないかもしれない。Wikipediaに対するわたし自身の理解が間違っているかも知れないから。しかしハイエクを理解せずに、Wikipediaに対するわたしの考えを理解することは不可能だ。」)

http://blog.japan.cnet.com/lessig/archives/002221.html

ハイエクの大きな主張は、価格システムは広く分散した情報や好みを集約するというものだった。ハイエクはこれを「驚異」と呼んでいる。これまで情報を集約するその他の仕組みについて触れてきたが、Wikipediaから話を進めることは有益だろう。Jimbo Walesがコメントでハイエクに言及したというだけでも。

Wikipediaはまさに分散情報の集約をおこなっている――それも驚くほどに。広い意味で、これは間違いなくハイエク的プロセスだ。だがWikipediaと価格システムには少なくとも二つの違いがある。まず、Wikipediaは経済的インセンティブに基づいていない。人々は品物や金銭のために参加するのではないし、取引もない。次に、Wikipediaは基本的に「後手必勝」のルールで動いている。最後の編集者、すなわち一人の人間が大きな力を持つ。ところが価格システムでは、最後の購入者は普通大きな影響力を持つことはできない(もしあなたがラリーの著書をそれぞれ一万部ずつ買ったとしても、本の価格を変えることにはならないだろう)。つまりWikipediaは、分散した情報を独特の、比較的信頼性の低い方法で集約する点で価格システムと異なる。

ただし書きが二つ。1) いずれにしろWikipediaは機能する。すくなくともほとんどの部分では。 2) 価格システムも、ときに野火のように拡がる誤情報が暴騰・暴落を招くという意味では常に機能するとは言えない(だから行動経済学者が示したように、ハイエクはあまりに楽天的すぎたといえる)。

この議論が見落としているものが何かあるだろうか?
posted by libertarian at 15:12| Comment(0) | TrackBack(0) | F.A.HAYEK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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