2013年10月11日

Free to choose to life

自分の命や体に対する自己決定権の重要性を近藤誠氏は主張されているが、私は、これは選択の自由という言葉を使いたい。自己決定権という言葉は、権利という言葉がまじっているから、やや微妙な言葉だ。
私はミルトンフリードマンの言葉、選択の自由の方がよいと思う。

現代のガン治療の体たらくを知ると、医師免許とは、殺しのライセンスではないかと思えてくる。
医者や病院に殺されないようにするには、自分で防衛しないといけない。
連中は、殺しのライセンスを持っているから、我々の体に好き勝手なことをやって、金をむしりとろうとする。
もしかすると善意かもしれないが、結果的にとんでもないことをしてくるわけだ。

これに対して、自分の生命身体に対する基本的な選択の自由が保障されていなければならない。
今はまだ、医者をお医者様と呼ぶ、医学権威システムの中で、この選択の自由が毀損されている状態にあることを認識すべきだ。

日本の場合、会社で定期健診が義務付けられているが、こんな社会主義みたいなことをしている国は日本だけらしい。
そして定期健診でガンを無理やり発見したり、血液検査の結果で糖尿だ、コレステロールだ、高血圧だと些細な異常値が見つかると、病院送りとなり、自動的に、ろくでもない処置や薬を処方されるようにシステムが出来上がっている。
このようにオートマティックに、「症状なき患者」を大量に作るシステムができているといっていい。

今の人の老後のイメージが悲惨なのは事実であり、それは、このようなシステムが作り出しているわけだ。
もっと死というものを受け入れて、楽に死ねる社会にすることが、ガン撲滅、徹底抗戦などと言っているよりもずっと大事だ。
死や老化は避けられないのであるから、ガンが仮に治ってもほかの原因で死ぬことは確実だ。
そもそも金もないのに100歳まで生きたら、最後は餓死するしかないだろう。それもまた悲惨だ。

なにも治療はしないで最後を看取ってくれるだけの施設が今後は必要になる。
誰でも最後は孤独に死ぬのであるが、縁故のない老人は確実にいる。長く生きるほど、身寄りのない老人は増える。
こういうビジネスモデルが今後、伸びるだろう。


posted by libertarian at 11:47| 東京 🌁| Medical | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする