2014年01月18日

脱病院化社会:Limits to Medicine

イリイチの「脱病院化社会」によると、結核死亡率は、コッホの結核菌の分離発見によって劇的に下がったわけではなく、その以前に結核菌の威力は頂点に達し、その後、勢いが自然と、また急速に弱まっていったそうだ。データによると、ニューヨークの結核死亡率は、1812年には700人/1万人もあった。コッホが結核菌を発見した1882年には既に
それが370人に下がっており、結核療養所が設立された1910年には既に180人にまで下がっていた。そして抗生物質の使用が開始される前に、48人にまで激減していた。抗生物質の発明がこのような結核の劇的な減少をさせたというのは事実と異なるらしい。その前に激減していたのだ。これは結核に限らず、コレラ、赤痢、チフスでも同様の傾向を辿っていた。
この研究はドラッカーの話とも整合している。(このデータはイリイチではなく別の研究者によるもの)
抗生物質の劇的な威力というのは、どうも怪しいわけである。(もちろん、抗生物質の効力を否定している訳ではない。これらの自然減まで抗生物質のお陰とされているのがおかしいという話だ。)

イリイチによると
「市民の自由は他人に私の願望を達成させようと強制するものではない。・・話す自由、学ぶ自由、癒す自由を絶滅する一つの確実な方法は、市民の権利を市民の義務に変えることであり、それを制限することである。自らを教える自由は教育過剰の社会では縮小されるが、それはちょうど健康ケアの自由が過剰の薬物使用によって窒息させられるのと同様である。経済のどの部門も、より高価な平等の水準のために自由が圧殺されるほどにまで拡大されるのである。」

原注には、アリエスの次の引用がある
「中世期末において、またルネサンスにおいても、人は自分自身の死に関わりをもつことを主張した。人は自らの死の主人であるかぎりにおいて、自らの人生の主人でありうるのみである。人の死は彼に属し、彼のみに属すのである。17世紀以降、彼は自らの死に対する主権と同様、自らの生に対する主権も放棄してしまった。」

イリイチのいわゆる医療ファシズムに対する問題意識はリバタリアニズムとも整合的と思う。イリイチはカトリック系の哲学がベースにあるようで、リバタリアニズムを知らなかったのだろうが、問題意識は共通している。
この本は1976年に書かれたものだが、この中で書かれた医療システムはその後も急速に進んできた。

#主体性という言葉が多く使われているが、この元の英語はindependenceであろう。独立性、個人性という意味である。
これは個人の自由といってもいい。主体性などという訳のわからない翻訳後は使うべきでない。
posted by libertarian at 16:14| 東京 ☀| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする