2014年02月15日

Development economics

このところ、開発経済からみの本を何冊か読んだ。「善意で貧困はなくせるのか」とか、ウィリアム イースタリーの「傲慢な援助」とかである。イースタリーの本は、「White man's burden」の翻訳だ。

前から不思議なのは、なんで今の欧米人はそんなにアフリカやらの貧困やら病気に熱心なのかという点だ。
思うに、やはり、あちらの心ある人にとっては、自分たちの国の過去の行いに罪の意識があるからかもしれない。少なくともそういう人も一定の割合でいて、その贖罪行為として西側の援助というのは、熱心に行われてきたのだろう。
しかし、その援助なるものも有害無益で、結果的に2重3重に苦しめている結果となっている。
援助なるものも、その根底には、デモクラタイゼーションと同じ社会工学的な発想がある。

中には贖罪意識があるような良心的な人もいるかもしれないが、その一方で援助がおいしいビジネスとなっていることも見過ごせない。
国連なんかも相当に腐敗していて、そういう義援金にたかっている組織だとずっと前から指摘されてきた。こういうパブリックな組織というのは役所と同じ官僚組織で、国連の場合、国内の役所以上に監視がされてないぶん、いくらでも腐敗するのだ。

ほんとにアフリカの貧困をどうにかしてやりたいのなら、アフリカの人間の移民をアメリカやヨーロッパが全面的に受け入れるまでしなくても、アメリカが完全な自由貿易体制をとれば、その方が援助なんかするよりもずっと効果的であろう。だが、それはやはりしないわけである。

またアフリカと一言でいっても広大な大陸であり沢山の国がある。そして多くのアフリカ諸国はこの10年くらいで驚くほど経済発展を遂げてきている。内戦だ難民だと言われながらも、アフリカが全体としてみれば日本など比較にならないほどに、経済発展している事実に気づいている人はまだ少ない。アフリカを後進国ばかりで援助対象としてしかみてないのは、とんだ間違いなのである。
posted by libertarian at 19:39| 東京 ☁| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする