2014年06月27日

On Education

私は現代社会の貧困の原因の一つは公教育システムにあると前々から思っている。
公教育は大事だとか無条件に前提にしているトンデモ議論が世には溢れている。
公教育にはプラスの意味があったとしても、マイナスも大きい。
公教育が貧困を助長しているという研究もある。
今はプラマイ0ではなく、マイナスサムだろう。

例えば、学校でプログラムの授業を100時間かけて行ったとする。
そのうちの一人はプログラムを作るようになったが、あとの人はその後全くプログラムをしなかったとしよう。使わなかった人には無駄なものだと言い切れる。
プログラムに限らず、目的もなく教養という名目で行われる強制の最たるものだ。

実際は、試験という選別差別システムによって、その強制性が担保されている。
現代の学校というのは、よく言われるように工業化社会のシステムであり、その意義が高いから残っているのではなく、それが社会のインフラとなる利権システムとなっているだけだ。
公教育の重要性を断言するのは、教師のような利権側の人間だ。
公教育はあっても、学びのない学校がいかに多いことよ。

残念ながら現代社会の人々はその人生のスタートを学校という強制システムからスタートすることになっている。
これをインターネットが変えていくことは可能だろう。しかし公教育利権は巨大な利権であるから、抵抗も巨大だ。
その点、いわゆる後進国の方がやはり教育革命の可能性が高い。
日本だと、今後は工業高校のような専門技能教育がむしろ人気になる可能性もありそうだ。
今の工業高校は非常によいらしい。昔は不良の溜まり場だったが。w

これはデューイのような左翼教育論とは全く違うのだ。
強制システムの中で自発性や個性がどうこう言っても、そんなものは矛盾している。
強制システムとしての学校制度そのものをなくすことが、教育の自由化であり、必然的に教育利権の人間は利権を失う形でなされる自由化となる。教育という名で行われきた教師による人間の設計主義を廃することが重要だ。

posted by libertarian at 13:43| 東京 ☁| Libertarianism | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする