2014年07月13日

Demonized coutries

歴史というのは、プロパガンダと事実からなっているわけだが、本来、歴史家というのは、プロパガンダと事実の区別を厳格につけなければいけない。
しかし、多くの場合、歴史家がプロパガンダをあおる傾向がある。
司馬遼太郎のような大衆小説家と、歴史家の区別がない状態だ。
日本も南京大虐殺だなんだと、ありもしないデマを執拗にプロパガンダされ、それを権威ある大学の歴史家も追認している状態では、ナチスドイツも同じことをやられているのだろうと最近思う。

ナチスを擁護するしないの以前に、事実とプロパガンダの区別がついてない状態で、デモナイズとデヒューマナイズが行われているわけだ。
ナチスが何をやったかに関しても、ほとんどの人はなにも知らないだろう。ナチスへのデモナイズは日本以上に徹底されている。
しかしアウシュビッツなどの猟奇的な話とは別に、ナチスが何をやったのか、正確な事実を知らないとはじまらない。
ヒットラーが政権をとったのは、1933年でルーズベルトが大統領になったのと同じ年だ。
その前に、1929年からの大恐慌があり、1928年にはスムートホーリー関税法がある。
さらにその前1914−1918年には第1次世界大戦がある。ナチスが政権をとる15年前だ。

ナチスが政権をとってから、1939年のヨーロッパ大戦の開始までの間に、ナチスがどのような経済政策をとったか、つまり、どうやって大恐慌から抜け出したのかとか、具体的なことを知らないことには何もいえない。
「ヒトラーの経済政策」(武田)という本を読むと、ここらのことが少し詳しめに書かれている。
国家社会主義党、略してナチスがこの間にやった政策は、今の日本がやっていることと同じようなことだ。
ナチスの方がはるかにうまく公明正大にやっていることも多々ある。
今の日本は、やはり実質的に国家社会主義の国だと思う。国家社会主義との違いは天皇制があることくらいではないのか。

ハイエクは、国家社会主義と共産主義を、ともに集散主義というくくりで論じたのであるが、国家社会主義は、私的所有権を認める。
そこがいわゆる共産主義、社会主義との、本質的な違いだ。日本でも私的所有権が認められているのと同じだ。
だから、集散主義というくくりで、国家社会主義と共産主義を同時に論じるのは、正しくない場合もあるだろう。
1930年当時から、ナチスは、ビーフステーキと呼ばれており、制服は茶色いが中身は赤い(共産主義)だと見抜かれていた。
だが、私的所有権を否定はしてなかったから、実業界は共産主義をけん制しつつ、むしろナチスを選んだ。
共産主義と連立されると危険だと考えたわけだ。

1933年に政権をとってから、ヒットラーはシャハトをリクルートして、経済運営を任せる。
シャハトは金本位制から脱却し、変動相場に切り替える。1940年には、ドイツ圏でのマルクへの通貨統合も行おうとする。
一方ヒットラーは、就任してすぐにアウトバーンなどの大規模公共事業に着手する。
同時に、大減税も行った。これは、財政政策の一種である。
この点、今の日本の政府よりもはるかに正しい経済政策を行ったといえる。
そして失業率を下げるためのきめの細かい政策を沢山打ち出す。例えば、公共事業のピンハネを禁止し、労働者へ事業費の5割近い額が流れるようにしたそうだ。これによって、公共投資の乗数効果が高まった。
その他にも、日本ではいまだに行っている集団検診制度や、健康運動、タバコ廃止運動、社会福祉の充実など、公共事業の福祉に対する投資を重点的に行っている。そしてそれらは、かなりうまくいって有効需要を作ったようだ。

結果的に、こういった経済運営を積極的に行ったからこそ、大恐慌からあっという間にドイツは脱却できた。
ドイツは、この第2次大戦前の6年の期間によって、急激な経済成長をなしとげ、平和的台頭を達成した。


posted by libertarian at 15:11| 東京 ☀| Modern HIstory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする